在特会大阪支部とは、右派系市民団体「在日特権を許さない市民の会」の大阪府における地方支部である。
なおこの記事では、大阪支部の前身として2010年1月12日まで存在した関西支部についても解説する。
概要
2007年2月24日、関西地方での活動を統括する在特会初の地方支部として、関西支部の名称で設置されたのが始まりである。その後、2010年1月の第一次支部再編に伴い地方支部を都道府県単位で編成することになったため、支部名を大阪支部と改め、大阪府以外の府県に新設した各支部に旧関西支部の機能を委譲している。
最も長い歴史を持つ支部であるが、他の主要支部と比べて運営の入れ替わりが激しい上に、全支部中最多となる6名もの逮捕者[1]を輩出するなど支部運営に支障を来たすことが多かったため、2010年度末をもって関西地方の基幹支部としての地位を失った。
また関西地方では2009年10月頃から、「行動する保守」を標榜する右派系市民団体のメンバーや無所属の活動家・右派系ネットユーザー(いわゆる「ネット右翼」)らの連合体であるチーム関西が活動の主導権を握っており、大阪支部を始めとする在特会関西各支部もその傘下に加わっていたため、在特会旧関西支部・大阪支部自体が活動の前面に出ることは少なかった。
しかし2012年に入り相次ぐ内部対立と首脳陣の逮捕によってチーム関西は崩壊状態に陥る。この事態を受けて支部長に抜擢された獅子座なおの下で支部の建て直しが進められていたが、次第に運営手法を巡って支部運営陣や他支部の幹部、チーム関西傘下の友好団体などからの批判が高まり、2013年3月には更迭に追い込まれている。
支部に所属する会員・メール会員は公称で1299人(2014年6月30日時点)。これは東京支部に次いで2番目に多く、人口あたりの会員数も東京支部・京都支部に次いで3番目に多い。
歴史
関西支部
浅水支部長時代~空白期
2007年1月20日の発足集会後すぐに関西支部設置の準備が進められ、2月24日の準備会合を経て正式に設立された。初代支部長の浅水桜子ほか5名の運営が任命され、4月には桜井誠会長を招いて講演会を開催するなど、当初は順調な滑り出しを見せていた。
ところが講演会後はこれと言った活動が見られないまま、設立からわずか9ヶ月で浅水支部長含む創設時メンバー全員が辞任するという事態に至る。その後も後任支部長はおろか運営すら集まらず、同時期に設立された他の3支部(北海道・名古屋・福岡)が独自の活動を展開するのを尻目に、関西支部の活動は停滞の一途を辿った。
増木支部長時代
2008年11月、停滞する関西支部の現状を前に桜井会長は、関西の大物右派活動家である増木重夫を招聘して関西支部長に任命し、支部の建て直しを図った。 その効果は早速現れ、翌12月には京都ウトロ地区における朝鮮人糾弾活動の第一回が開催された。また増木と行動を共にしていた西村斉・荒巻靖彦の両名や川東大了といった、後に関西における「行動する保守」陣営の中核を担う活動家の多くがこの時期に台頭している。 |
その一方で増木は次第に「在特会は愛国と称して鬱憤晴らしをしているだけなのでは」と疑問を抱くようになり、また桜井が頑として本名を明かさないことにも不信を感じていたため、両者の関係は必ずしも良好とは言い難かった[2]。
このような事情もあってか、「教員を処分しなければ入学式に街宣車で押しかける」と小学校校長を脅迫した廉で2009年4月に増木が逮捕されたのを機に、桜井はあっさりと彼を解任した[3]。当面の支部長代行として増木の推薦で会計に就いていた藤岡広之が選ばれたが、彼も翌月には運営から退き、再び関西支部は支部長不在となった。
またこのゴタゴタの影響もあって本部と4支部のうち関西支部のみが、5月2日に本部・支部所在地で同時決行する予定だった外国人参政権反対一斉デモを開催できずに終わっている。
川東支部長時代
6月になって新運営陣が組織され、増木時代に台頭した川東大了が支部長に、西村斉が会計に抜擢された。
翌7月の朝鮮総連前街宣を皮切りに、民主党・社民党・京田辺市・生駒市・宝塚市・毎日新聞・劇団水曜・反天連などをターゲットに街宣・デモを積極的に開催。他団体や無所属の活動家・ネット右翼と協力しつつ、様々な個人・団体・自治体を対象とした糾弾活動を展開するという関西支部のスタイルはこの時期に確立されたと言える。
またこの年の10月に中央で共闘を進めてきた「主権回復を目指す会」(主権)の関西支部が設立されると、在特会関西支部・主権関西支部を中心に多様な右派系活動家をまとめる緩やかなグループの形成が志向されるようになる。こうして生まれたのがチーム関西である。
このチーム関西の歴史の1ページ目、そして在特会関西支部の最後のページを大きく飾ったのが2009年12月4日に起きた京都朝鮮学校公園占用抗議事件(京都事件)である。隣接する児童公園を朝鮮学校が不法に占拠しているとして、朝礼台を校門に打ちつけ、「スパイの子供」「日本から叩き出せ」「人間と朝鮮人では約束は成立しません」などと叫んだこの事件は、嫌韓・嫌朝感情に沸くネット右翼を中心に好評を得る一方で、後に民事・刑事事件に発展し、国内外の公的機関やマスコミから在特会が否定的に取り扱われるきっかけとなった。
大阪支部
川東支部長時代(第一期)
2010年1月12日付の第一次支部再編により、関西支部は大阪支部に名称を変更。西村ら大阪府外在住の運営はそれぞれ新設された各府県の支部に移籍していった。ただしチーム関西としての枠組みが既に強固なものとなっていたため、関西各支部はこれまで通り緊密な連携を取って活動していくことになる。
この時期は特に京都事件に関連する活動が多く、朝鮮学校へのデモを2回行ったほか、京都事件に関して在特会を批判したMBSや京都弁護士会への糾弾活動も行われた。また4月14日には徳島県教組業務妨害事件(徳島事件)が起きている。これらの活動は西村率いる京都支部の主催で行われたが、川東率いる大阪支部からも多数の会員が参加していた。
この徳島事件の数日前、川東は功績を認められて関西・中部地区担当の副会長[4]に昇進する。それに伴い後任の支部長として、京都事件への参加後に旧関西支部運営に登用されていた成瀬要平が昇進する運びとなった。
成瀬支部長時代
成瀬時代は有体に言えば「川東時代の活動の尻拭い」が中心となった。
まず6月28日、京都事件とその後の2度のデモが不法行為にあたるとして、朝鮮学校が在特会本部や川東・荒巻・西村ら参加者の一部に損害賠償請求訴訟を起こす。さらに8月10日には京都事件に関して川東・荒巻・西村ら4名が、9月8日には徳島事件に関して川東・荒巻・西村のほか、大阪支部運営の岡本裕樹や大阪在住の平会員・中谷良子など7名が逮捕され、大阪支部はもちろん関西在特会、引いてはチーム関西全体が機能不全に陥った。
同年10月までに全員が保釈されたが、「在特会関係者と接触しないこと」が保釈条件とされたため活動には参加できず、京都事件を記念してのデモや街宣は主に成瀬の指揮下で行われることになった。また裁判に関しても成瀬と奈良支部長の中野亘が中心となって被告らのサポートにあたった。
その後保釈条件の解除に伴い2011年3月3日に桜井が来阪、川東・西村・荒巻の3人と緊急会談を行った。ところがチーム関西の代表とはいえ在特会では平会員に過ぎない荒巻が会談に呼ばれたのに対し、成瀬には会談どころか桜井の来阪すら伝えられなかったため、面子を潰されたと感じた成瀬は辞表を提出。そのまま会を去っていった[5]。
川東支部長時代(第二期)
成瀬の後任を用意できなかったため、当面は川東が副会長との兼任で再び支部長を務めることになり、関西地方の基幹支部としての地位は奈良支部に移された(現在は兵庫支部)。
直後に発生した東日本大震災を機に在特会は反パチンコ・反「反原発」を活動の中心に据えたため、大阪支部も荒巻ら主要メンバーが復帰したチーム関西の下、同様の活動を展開した。またこの時期に京都・徳島両事件の刑事裁判が一通り終結し、全被告の執行猶予付き有罪判決が確定している。
紆余曲折を経つつも京都・徳島両事件前の勢いを取り戻しつつあったチーム関西であったが、2012年1月、中谷が詐欺罪で逮捕されたことをきっかけに前年秋頃から燻っていた内部対立が激化。こうした動きを嫌った代表の荒巻は同年2月12日、ついにチーム関西の活動休止を宣言するに至る。
この件で中谷らの糾弾に動いていた川東は、相次ぐゴタゴタによる精神的な疲れからか次第に在特会の役職を降りたいと周囲にこぼすようになり、4月1日限りで支部長を辞任。在特会の活動に疑問を持つようになっていた岡本も同時に運営を辞めたため、ついに大阪支部は運営が一人もいない状態となった。
獅子座支部長以後
活動休止宣言後も荒巻・西村のリーダーシップの下で辛うじてその枠組みを保っていたチーム関西だったが、5月10日にロート製薬強要事件で荒巻・西村らが逮捕されると完全に崩壊。在特会関西各支部も新たな枠組みを模索せざるを得なくなった。
そこで桜井は2012年に入ってから積極的に活動に参加していた若手の獅子座なおを支部長に抜擢し、ロート製薬糾弾街宣・デモを在特会単独で行うとした上で、その主催を彼女に委ねた。街宣・デモはまずまずの盛り上がりを見せ、デモ後には「ロート製品を集団で踏み潰す」という日本では珍しいアピールが行われ様々な反響を呼んだ。ちなみにこの「踏み潰しアピール」は、後に在特会関西各支部の協賛を受けて大阪で行われた日韓国交断絶デモにおいて、韓国の太極旗を模したゴキブリペプシマットと称する布[6]を踏み潰すという形で再び行われている。
なお川東はこれらのロート糾弾活動に参加しないまま、6月11日限りで副会長を辞任。3年間に渡って続いた関西における川東体制は名実共に終焉を迎えた。その後は獅子座の下で積極的な活動を展開。特に2013年2月24日に鶴橋で行われた「日韓国交断絶国民大行進 in 鶴橋」では、参加者の女子中学生が「鶴橋大虐殺を実行する」とのコールを上げ、国内外で大きな話題を呼んだ。
だが2012年末になって獅子座とその後見役である中野奈良支部長の運営手腕が独善的だとの批判が高まり、天宮流輝運営や北原白秋兵庫支部長、さらには獅子座を支部長に推した川東までもが獅子座を支部長失格と評するようになった。獅子座も「凛風やまと・獅子の会」という団体を立ち上げて独自の動きを見せ始めたため、失望した運営陣が辞表を提出するという事態に至る。
そして2013年3月10日、桜井会長を迎えて京都市内で開かれた会合において一連の内部抗争への対応が協議され、獅子座は譴責処分の上で支部長解任、運営陣には厳重注意処分を科した上で天宮を後任の支部長に充てるという決定が下された。この処分を受けて抗争時に獅子座を支持していた春雨綱宏運営も後を追うように辞任。さらに中野を退けて副会長に抜擢された滋賀支部長の神功正毅によって中野も支部長を解任されることになった。こうして関西各支部を巻き込んで繰り広げられた大阪支部内の抗争はようやく終結を迎えた。
歴代運営一覧
太字は現職。なお支部長のみ不在期間も掲載している。
支部長 | ||||
---|---|---|---|---|
名前 | 着任日 | 退任日 | 退任理由 | 備考 |
浅水桜子 | 07/02/24 | 07/07/05 | 辞任・退会 | |
(空席) | 07/07/05 | 08/11/02 | ||
増木重夫 | 08/11/02 | 09/04/06 | 逮捕による職務不能 | |
藤岡広之 | 09/04/06 | 09/05/23 | 辞任 | 会計兼任・代行 |
(空席) | 09/05/23 | 09/06/29 | ||
川東大了 | 09/06/29 | 10/04/20 | 副会長専任のため | 10/04/09から副会長兼任 |
成瀬要平 | 10/04/20 | 11/03/09 | 辞任 | |
川東大了 | 11/03/09 | 12/04/01 | 辞任 | 副会長兼任 |
(空席) | 12/04/01 | 12/05/17 | ||
獅子座なお | 12/05/17 | 13/03/12 | 解任・降格 | |
天宮流輝 | 13/03/12 | (現職) | 13/04/14から奈良支部長兼任 | |
会計 | ||||
名前 | 着任日 | 退任日 | 退任理由 | 備考 |
吉田裕二 | 07/02/24 | 07/06/10 | 辞任 | |
鈴木重治 | 07/06/10 | 08/04/01 | 辞任 | |
藤岡広之 | 08/11/25 | 09/05/23 | 辞任 | 09/04/06から支部長代行兼任 |
西村斉 | 不明 | 10/01/12 | 京都支部長就任 | |
運営 | ||||
名前 | 着任日 | 退任日 | 退任理由 | 備考 |
鹿野一定 | 07/02/24 | 07/06/10 | 辞任 | |
竹田育郎 | 07/02/24 | 07/06/10 | 辞任 | |
井上直弘 | 07/02/24 | 不明 | 不明 | 07/10/21までに退任[7] |
加登隆秀 | 07/02/24 | 07/11/05 | 辞任 | |
長峰照 | 07/06/10 | 不明 | 不明 | 10/01/30~10/06/20の間に退任[8] |
中谷郁夫 | 不明 | 09/09/19 | 辞任 | 08/12/24以降に着任[9] |
道端隆之 | 09/12/06 | 10/01/12 | 和歌山支部長就任 | |
米田謙一 | 09/12/06 | 10/01/12 | 兵庫支部長就任 | |
成瀬要平 | 09/12/06 | 10/04/20 | 支部長就任 | 運営着任時は「鳴瀬陽平」 |
岡本裕樹 | 10/04/20 | 12/04/01 | 辞任 | |
関西一朗 | 10/12/25 | 12/01/11 | 辞任 | 運営着任時は「関西一郎」 |
春雨綱宏 | 12/06/28 | 13/03/31 | 辞任 | |
小宮山秀俊 | 12/06/28 | (現職) | サラリーマンの保守活動を応援する会副代表 | |
上杉雷水 | 12/07/27 | (現職) | ||
天宮流輝 | 12/07/27 | 13/03/12 | 支部長就任 | 運営着任時は「島田流星」 |
獅子座なお | 13/03/12 | 13/04/14 | 解任 | 支部長からの降格 |
高杉光貴 | 13/06/25 | (現職) |
2014年6月30日時点で運営経験者は全支部中最多の24名に上るものの、全体的に在任期間は短めで出入りが激しく、現職の運営は4名に留まっている。
また川東・岡本の辞任から獅子座着任まで約1ヶ月間半の間、支部運営が全くいない状態になっていた。
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関連項目
関連リンク
脚注
- *増木重夫(関西支部長)・川東大了(関西支部長→大阪支部長→副会長)・岡本裕樹(大阪支部運営)・荒巻靖彦・中谷良子・三好恭弘。複数回逮捕された者もいる。
- *安田浩一「ネットと愛国」339~342頁。なお現在では同書の記述や逮捕時の報道から桜井誠会長の本名が高田誠であることは広く知られているが、当時はまだほとんど知られていなかった。
- *増木は現在も右派活動家として政治運動に携わっているが、在特会に対しては厳しい批判を向けている。
- *同年10月以降は関西地区のみを担当。
- *その後成瀬は「国を支える保守の会」(国支会)という別の右派系市民団体を設立し、チーム関西の中でも在特会と距離を置いたメンバーと共同で活動を行っている。
- *太極旗の卦の部分をゴキブリに、太極円と陰陽をペプシコーラのマークにそれぞれ置き換えたもの。日本におけるペプシコーラの販売元であるサントリーは過去に日本海を東海と表記した件でネット右翼らの反感を買っていた。
- *Internet Archiveのウェブアーカイブより
- *Internet Archiveのウェブアーカイブその1・その2より
- *Internet Archiveのウェブアーカイブより
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