地下街単語

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チカガイ
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地下街(ちかがい)とは、地下にあるである。某事典には商店の一種として記述されているが、日本では厳密には構内や道路といった公共物の地下に有する地下施設(よって私有企業の地下施設は、法令上含まない。この条件が後の不毛なバトル引き金となっているわけだが…)のことをす。海外の寒冷な都市などでは、まるまる地が地下に設けられている場合がある(有名なのがカナダトロントとモントリオールで、その規模は世界1,2を争い、地下街に教会学校まである)。

また、海外では有事に備え、防壕の的を持って建設された所や、暑さをぐために設けられたところもある。海外で地下街は寒冷地を除いて較的少ないのは治安上の問題があるのと、地下鉄交通がさほど発達していないところが多いからである。

日本以外で地下街が発達しているとして有名なのがカナダで、前述したトロントは全長12キロ、32万メートルという世界最大級の地下街「PATH」があり、モントリオールにも同じく30万メートルえる地下街があり、一通りの都市を備えた、地下都市さながらの様相である。その他、バンクバー、ウィニペグ、オタワ、エドモントンなどにも大規模な地下街があるようだ。

ご当地ではトロントとモントリオール、どっちがでかいかという争いがあるみたいだけど…

アメリカ合衆国では、寒冷地の都市であるシカゴボストンミネアポリス、ロチェスターや地下鉄鉄道交通が発達しているニューヨークフィラルフィア、または近年鉄道を敷いたアトランタなどに地下街がある。

概要と日本各都市の概況

日本では軒並み、商業施設が設けられる。地下街が発達した理由は、過密化する都市間の有効活用、高騰した地価によるもの、歩行者の安全確保、円滑な誘導のためなどであり、ほかにもその都市ならではの事情で誕生した地下街もある。また、地下街は維持費、調管理、対策など多大なコストを擁するため、大都市に設けられることが多い。

また、どこが地下街として広さ日本一なのかは、定義が曖昧なんだから玉虫色の答えしかない、と最初に言っておきます。

三大都市圏

東京特別区

日本最古の地下街は1930年上野駅に設けられたが、現在は存在しない。また、その都市規模の割に、地下街面積は相対的に少ない。また、三原地下街という、内最古の地下街も存在したが、それもなくなっている。

時代を遡ること約100年前、当時の東京市は、江戸時代からの下町を理やり乱開発したような秩序な状態であり、人口増大につれ交通機関ストレス限界に達していた。そこで、新たな交通手段が模索されることになるのだが、路面電車路線バスの運用と輸送には限界がある上、当時は非常に高価だったため、見送られた。その代替案として有視されたのが地下鉄敷設である。地下鉄なら土地代が安い(当時は開発が進んでいなかったため)ので、急遽地下鉄敷設の話が進んだ。そして、戦後になって東京都心が過密化していくにつれ、地下鉄の新線も建設が次々と進んでいく。その一方で、地下街用のスペースがなくなってしまったため、元々駐車場スペースとして大規模な土地を確保していた八重新宿を除いて、構内の地下など小規模なものしかできなくなったのである。そのため東京23区の地下街総面積大阪名古屋より少ない。

その中で、「八重地下街」はかなり大規模であり、運営会社単位の敷地面積ではクリスタに次ぐ全で2番め規模で、約7万メートル東京駅八重口という立地上、ビジネスマン向けの店や観光客向けの店も置かれている。また、単一の売場面積としては日本一の広さを持っている。

新宿駅地下構内も、同様に地下駐車場的で確保されたもの。は単純な地下スペースとしては全有数の規模を誇り、「新宿サブナード」、「京王モール」、「東口地下街」、「小田急エース」などを足すと八重より広大である。そして、単一エリア法律上の商店としての面積ならば、この新宿エリア約10万メートルに及び、内で最も広く、ダンジョン化している(単一の運営体ではない点に注意)。

そしてこの新宿八重、その他池袋池袋ショッピングパーク東武ホープセンター)、新ウィング)に中規模の地下街、渋谷(「しぶちか」)、そして現存する最古の地下街といわれる「浅草地下街」などに小規模の地下街があり、それらを合わせると面積約22.5万メートル名古屋以上、法律上の地下街面積のみならば大阪市をもレベルとなるのだが、名古屋大阪の方が広いといわれている理由は次に述べよう。

名古屋

名古屋市は地下街が発達した都市として有名。その暑い気条件と都市計画によって地上にはに官庁関連施設やビジネスビルが優先されたために、地下は商業用地として幅広く確保されていた。また、トヨタ自動車のお膝元という典的な自動車交通重視であるために、戦後都市計画によって、地上には広小路通、伏見通など大規模な道路が設けられる一方、歩行者との交通事故が多発したため、歩行者の安全確保を的として地下通路、そして地下街が発達した経緯がある。昭和32年3月に、全に先駆け、「名駅地下街」が誕生、大々的なPRを行い、名古屋といえば地下街というイメージを与えた。

名古屋の繁といえば、名古屋駅名駅エリアと古くからの中心的な繁である栄エリアがあり、地下街も名駅には「セントラルパーク地下街」、「エスカ地下街」、「ユニモール」、「名駅地下街サンロード」などがあり、栄エリアには「サカエチカ」、「森の地下街」などがある。なお、名駅と栄の間には伏見エリアがあり、そこにもアーティスティックな地下街として復活を遂げた「伏見地下街」と錦通エリアの「ミヤコ地下街」があり、これらは十分歩いていける2キロ四方の距離に収まっているため、エリア内における敷地面積約17万メートルに及び、言い方によっては出歩け日本最大の地下街といえるだろう。また、地下街の数も日本で一番多く、19もある。加えて名古屋駅の複雑さもあり、この名古屋エリアダンジョンといわれて久しい。

また、副都心金山大曽根にも地下街があるのだが、正直あってないようなものだから、採り上げないほうがいいかも。

大阪

大阪市名古屋市と並んで、歩行者の安全確保のため、地下街が発達した都市である。モータリゼーションの波は名古屋よりく、戦前には既に、歩行者との交通事故が多発していた。その解消手段として地下通路を建設したが、当時の地下通路は当時、照明などが暗く治安上の問題もあったため、明るいイメージを出すために商店を設け、地下街として整備、発展させていった経緯がある。梅田地下街が内初の本格的な地下街となっているが、これは1942年のもの。また、戦後には難波に、内初の本格的な地下街が誕生した(実際のところは、名駅地下街とほぼ同期で、開業は名古屋の方がい)。

大阪の地下街は梅田エリア難波エリアに大別されるが、長、あべの、京橋にも地下街があり、いずれも交通の要衝となっている。梅田エリアには「ホワイティうめだ」、「ディアモール大阪」、「ドーチカ」などがあり、これに法律上の地下街ではないが、「阪急三番街」「大阪駅ビル(第1から第4まである)」などとも仕切りなしで接続している。これらを足すと、梅田エリアだけで約13万メートルに達し、単一エリアとしても日本一広大であり、しかも二階建て構造になっているものだから、迷子になる人が続発し、ダンジョンなどとも呼ばれることも。

難波エリアには、「なんばウォーク」、「NAMBAなんなん」(旧なんなんタウン)に、南海が管理する「なんばCITY」(阪急三番街と同じ理由で、厳密には地下街ではない)などの、約9万メートルに及ぶ地下街があり、梅田に次ぐ広さである。そして、この難波地下街も構造こそは単純だが、その単純さが却って、無限ループ感を生み出してしまい、同じくダンジョンと呼ばれている(キタに慣れている人は、なんばの方がエリアそのものが広大な上に、地上の動線が混線しまくっているためにダンジョン感が強いという)。

そこから心斎橋商店を利用して長通の「クリスタ」に至る。クリスタは単体としては日本最大の地下街である(8万1千メートル。しかし、スペースが広いだけで、店舗数はそこまで多くはなkく、店舗面積は「NAMBAなんなん」などより少ない)。

また天王寺あべの橋エリアつなぎJR近鉄地下鉄接続の通行路として重要な役割を果たしている「あべちか」、JR京橋駅京阪京橋駅を接続するオープンモール地下街の「京橋コムズガーデン」(天井がないため地下街には見えないが、構造は地下にあるため、法律上は地下街扱い。よって、が降り込むと地下街にいながら濡れることができるという重体験ができる)、中之島の「中之島地下街」(また、この中之島も「MINAMO」という個人所有の地下街と接続しており、合わせると約8000ある)などがある。

よって、すべてを合わせた事実上の地下街の面積は35万メートルえ、大阪市内で最も広いのだが、この地下街という法律上の定義ネックになっており、個人事業主管理の阪急三番街なんばCITYなどが含まれなくなるため、日本一の基準が曖昧になってしまうのである(法令上の定義のみの合計ならば、約19.1万メートルであり、東京より少なくなる)。

その他の政令指定都市

札幌

札幌の地下街面積大阪東京名古屋横浜に次いで広く、約8万メートルである。札幌市に地下街が発達した理由は、上記の3都市には該当せず、むしろ前述したトロントやモントリオールと同様に、高緯度にある都市のため、寒さ、そして降対策のためである。特に、降は商業にとっては深刻な問題であり、降が起きると人の購買意欲は減退し、商業施設は通行量減、売上減といった大きな打撃を受ける。その一方で、地下街はの日でも安心して歩行でき、そして買い物ができることで、安全通路としてだけでなく、購買意欲を促進する的も持っている。

北海道には現在JR札幌駅地下鉄さっぽろ駅)にある「Apia」、地下鉄大通駅にある「さっぽろ地下街オーロラタウン」、地下鉄大通駅地下鉄すすきの駅を繋ぐ「さっぽろ地下街ポールタウン」の3つの大規模な地下街があり、更に地下鉄さっぽろ駅大通駅の間に地下道(通称 チ・カ・ホ)を開設して札幌駅周辺とすすきの・大通の二大繁を結ぶなど、商圏の拡大にも貢献している。

余談であるが、札幌駅北の地下道からすすきのまでの直線距離は1900mであり、日本一の直線距離の長い地下歩となっている。更に札幌市札幌駅北の地下道から東豊線さっぽろ駅までの地下道の建設、東豊線さっぽろ駅東豊線大通駅豊水すすきの駅までの東豊線に沿った地下道建設、東豊線豊水すすきの駅南北線すすきの駅を繋げる地下道を計画しており、これらが完成すると札幌要地域をループ化することが出来る。

横浜

横浜には横浜駅のある関内エリアに「ポルタ地下街」、そして相鉄開発してきた「相鉄ジョイナス」(地下街部分は旧「ザ・ダイヤモンド」)がある。他のこの地下街含め横浜駅は1915年の開発計画が未だに集結しておらず、日本のサグラダ・ファミリアと揶揄されているほど。

さて、そんな横浜駅の立地だが、実は明治維新以後に埋め立てられた沼地の上であり、開発スペースは十分あったのだが、戦後まもなくの横浜駅前は、いわば”残され”状態であり、戦争の負傷者が物乞いをするような場所であった。徐々に復を遂げていくと、そこに商店が作られ、人が集っていく。そして、次第に横浜駅周辺の関内地区が重要な交通拠点として発展を遂げると、それまでの下町要素は一変し、地価も高騰していった。個人商店主らは高い賃料を支払えなくなり、商店の維持が困難となっていった。そのとき1963年には地下街の工事許可も降りたことで、西口には相鉄導のダイヤモンド地下街が建設されていくと、商店主はより賃料が安価な地下街に移転し、地下街が発展する基礎を築いていった…というのが横浜駅における地下街のあらましである。全てがそうなったわけではないが、要は地上にあった商店の店舗が、地価の高騰により地下街に遷移したという、他の都市にない経歴を持っている。これは、当時の横浜市の中心伊勢佐木町周辺で、横浜駅周辺はまだ未開拓のエリアだったことが大きい。

なお、これで安泰かと思われた西口商店主だが、東口にそごうが巨艦店舗を出店、また横浜ポルタ1980年に営業したことで、人の流れが変わってしまう。こうして、お互い西口を制する高島屋相鉄営と東口を制するそごうルミネ営が綱引きを繰り返している状態となっている。なお、馬車道口には「マリナード」という、伊勢佐木モール方面への地下街もあるが、これは横浜関内エリアの商圏拡大に伴うものと、大きくを受けていた伊勢佐木町方面への動線確保的もある。横浜エリアはこの3つの地下街を合わせると、約8万8000メートルに及び、これは三大都市の次に広い。

時々でいいから野毛・桜木町エリアの「ぴおシティ」のことを思い出してあげてください。

川崎

で単体としては3番めに大きな地下街で約5.5万メートルの広さを持つ「川崎アゼリア」がある。このアゼリアが建設された経緯は、これもまた他の都市とは異なっている。それは、川崎という土地柄、イメージの払拭と再開発事業に伴うの活性化のためであり、1986年に開業。

当時の川崎市といえば、重化学工業都市として知られる一方、公害が深刻化しており、地は大気が汚染され、四日市と並び喘息の代名詞となっていたほどである。また、川崎東京横浜の間に挟まれ、購買客が横浜東京に流出してしまうなど、中心地の繁も停滞、衰退していた。そこに再開発事業の話が持ち込まれ、モータリゼーションに合わせて駐車場を整備する際、川崎の暗いイメージを払拭し、そして川崎駅前に購買客を呼び込もうという思いで作られたのが、この「川崎アゼリア」である。当時は安定成長期からバブル期だったこともあり、銀座横浜からも来てもらおうという心意気が見られるほどかなり施設や装飾にが入れられており、またシャンリアるすなど、従来の地下街とは打って変わって明るく開放的な都市スペースとして活用されている。この開放的なコンセプトは「クリスタ」なども参考にしている。

新潟

新潟市にある「西堀ローサ」は、本州日本海側最大の地下街。面積は約1.7万メートル。そして、本州日本海側初の地下街ではないよ。そして、この地下街は内でも数少ない、鉄道とは全く関係のない地下街であり、新潟中心部の古町地区における再開発事業の一環として、地下駐車場に併設して、1976年に設けられたものである。交通の動線としては路線バス萬代橋BRT)があり、このバス停留所の存在によって地下街と定義されている。しかし、バブル期ピーク新潟駅前、万代シテイの台頭と対的に、古町地区の地盤沈下に伴い、一時はき店舗率50%という深刻な事態を迎えるなど、問題も山積している。2010年にテコ入れ、県外資本を積極的に呼び込むなどして活性化を図っている最中で、また、2018年にはアパレル重視から飲食店を重視している。更に、大和新潟店跡地に新たな商業ビルを設け、ガラスりの開放的な動線を設ける予定となっている。

しかし、新潟都市圏自体に少子高齢化と人口流出の波が起きており、健闘している万代地区ともども同じ問題を抱えているようだ。

京都

京都市には「ゼスト御池」という、繁と異なる三条烏丸から三条御池に至る間に設けられた地下街がある。なぜ、繁の外れにあるビジネスに作ったのか…というツッコミが絶えない、”迷”要素満載の地下街で、当初は赤字を垂れ流し、テナント運営側から訴訟を起こされたほど。2012年にテコ入れし、カフェなどの軽食店や食、生活雑貨といった生活必需品を重視し、市民向けの地下街にリニューアルした結果、観光客需要に特化された新京極商店などとも棲み分けされ、大きく来者は増加している。

また、京都駅地下にも「京都駅前地下街ポルタ」という地下街があるが、「横浜ポルタ」とは何のつながりもない。京都で初の地下街であり、京都駅近鉄京都線京阪本線七条駅のほか、京都市営バスといったバス停留所との動線確保を的として整備された地下通路が整備されたもの。元は通勤用客を見込み、ビジネスマン向けの需要が多かった「八重地下街」の地下街だったが、近年はジェイアール京都伊勢丹開業を皮切りに、キューブなどのファッションビルの開業などで周囲を取り巻く環境が大きく変わり、四条通に匹敵するファッション戦地となったため、若い女性ターゲットにした地下街に様変わりしている。

ゼスト御池は約3.2万メートルポルタは約2.4万メートルとなっている。

なお、京都最大の繁である四条河原町にも河原町駅から四条通方面へ連絡する地下道が敷設されているが、地下街を開発するには狭すぎる上に、地下には既に、阪急京都線が走行している。よって阪急側としては、これ以上のスペースも難しく、大な費用がかかるから理、京都市側も地下街を作るには通路幅が狭すぎて安全性の保障ができないから理、そして地上の商店、商店会からも通行量が減少して店舗の売上にが出るからやめてほしい、と三者三様ながら結論は同じ思惑があったため実現していない。だが、ほとんど観光客にも知られていない有様のため、薄暗く不気味さも漂っていることから、何らかの形で有効活用したいという思惑はあるようである。

神戸

神戸には「三宮地下街」(さんちか)、神戸駅の「デュオこうべ」、そして卓球場や場など場末感満載の下町感溢れる新開地周辺の「メトロこうべ」などがあり、いずれも地下鉄高速鉄道の敷設に伴い、利用客の連絡通路、そしてそれに付随して歩行者らの購買意欲を見込み発展した地下街である。特に、1965年頃から三宮では地再開発計画が進行し、その一環として地下街も盛んに作られるようになった。一方、老朽化も進んでいたことと、梅田難波大阪2011年問題に端を発する商業施設の巨艦化にともない、大阪への購買客流出が懸念され、それを阻止するため、「さんちか」などではイメージを刷新する装なども行われた。全てを足した地下街の総面積は約6万メートル

メトロこうべが装される日は来るんだろうか…来ないだろうなたぶん…。

岡山

岡山市にある地下街、「岡山一番」は中国地方で最も古い商店である(中四国ならば、松山市の「まつちかタウン」の方が古い)そして「ペスカ岡山」(元、「岡山三番」。ちなみに、二番は現存しない)と合わせると、敷地面積2.6万メートルとなり、四国地方最大の地下街となっている。

開発導は国鉄時代の岡山駅で、現在JR運営体となっている。山陽新幹線開業などで商業施設建設ラッシュに湧いた時代から、岡山駅から表町の天満屋高島屋、表町アーケード方面への動線確保として設けられた。「岡山一番」の敷地面積は約2.3万メートル、「ペスカ岡山」などを合わせると約2.6万メートルとなっている。

岡山市都心部への人口回帰や中心商業地の活性化などにもを注いでいるため、中心地はまだ他の地方都市よりは安定している。しかし、地上への動線が少なく利用しづらいという、地下街そもそもの問題があるようで、今後バリアフリー面などの良が必要となっている。

広島

広島市には中心繁紙屋町に「紙屋町シャレオ」という、2001年に開業した、全でもかなり新しい部類の地下街がある(中四国だと松山岡山より後に地下街ができた)。敷地面積は約2.5万メートルで、単体としては中四国地方最大。広島市三角州の上にあるため、地下鉄敷設も難しく、それに合わせ地下街構想もあまり出ず、また基町のそごうや八丁の福屋など、地下街の誕生によって人の流れに変化が起き、既存の繁が衰退するのではないかという懸念があったため実現しなかった。しかし、従来の繁は、大阪福岡のように、若い女性に魅的な店舗が少なかったことと、広島駅前にエールエールA館が開業したことで人の流れが変わるのではないかと危惧され、若い女性訴求力を持つ街づくりを、というコンセプトに特化して紙屋町シャレオが誕生した経緯がある。そのため、この紙屋町シャレオ天神地下街に倣い、照明を暗くしムードを醸し出したりしている。

福岡

福岡市には天神に約5.3万メートルの大規模な地下街があり、単体の規模では次に挙げる「川崎アゼリア」に匹敵する大きさである。また、この「天神地下街」(てんちか)であるが、これは元々地下鉄七隈線新設の一環として開発され、後に天神地区の商業規模拡大に伴い、地下街も発展した経緯がある(東京のように最初から駐車場スペースとして確保していた土地ではない)。また、天神地下街は19世紀のヨーロッパ劇場イメージし、デザインを施した個性的な意に特徴があり、観光名所となっている。また、その劇場イメージのため、照明はかなり暗くなっており、初めて訪れると違和感を感じる一方、利用客からはムードがあると概ね好評で、また運営や店舗としても老朽化が立たないというメリットがある。

また、博多地区にも構内施設の地下街がある。博多というビジネス出張客が多い場所での立地のため、観光客向けの店と飲食店が並ぶ「博多駅地下街」、「博多デイトス」がある。

そして、天神エリア博多エリアを足すと、約8万メートルとなり、広さは札幌に拮抗している。

意外な街にも地下街が…

地下街は維持が難しいため、地下街が設けられるのは一部の大都市に限られる…というのが定説のようだが、実はこんな都市にも地下街があったりする。

特に、の地下街は昭和の香りを存分に感じさせる重な構造物となっており、巷で観光客が訪れる名所となっているとかいないとか…

一方、地下街があったが時代の流れとともに消えた例としては、千葉県船橋市船橋パール地下街)、埼玉県川口市新潟県長岡市石川県金沢市長崎県佐世保市、そして後述する熊本市などがある。その理由としてはほぼ再開発事業やの高架事業化に伴うものであり、個人事業主運営体でないことから、業績不振で閉鎖というケースは少ない。

地下街がない政令指定都市の例

仙台

仙台市には100万都市で、東北の中枢都市にもかかわらず地下街がない。その理由は、七夕を飾れないから

冗談じみた回答だが、決して外れでもない。仙台市も当初は全の中心都市の多分に洩れず地下街構想はあった。しかし、仙台駅周辺はペデスリアデッキの存在によって歩行者鉄道の分離、歩行者の動線確保が全に行われていたことで、とりたてて地下街の必要性を感じていなかった。また、仙台は購買客の動線としてアーケード商店街が発達しており、それによっての商業は支えられていたと同時に、最大のイベントである仙台七夕の協賛者に商店個人事業主が多いこと、更に人の流れが変わり、展示場でもあるアーケード衰退の引き金になるのでないかと危惧されているためである。

また、ペデスリアデッキの存在により、中に動線確保しているため地下通路の必要性をめられなかった例としては他にさいたま市大宮地区、北九州市小倉地区も該当する(両とも広域合併の政令指定都市ゆえに、そもそもの商圏が小さいという理由もあるが…)。

静岡

屋町名店の一に「屋町地下街」というのはあるが、これは個人事業主による地下テナントのようで、法律上の地下街には含まれないようである。また、この名店の前身、「屋町ゴールデン地下街」はかつてメタンガス滞留と都市ガス破断により大規模な爆発事故を起こし、死者15人、負傷者200人以上の大惨事となり、100メートル四方の地上部も壊滅状態となった。この事故による県民、市民記憶が焼き付いてしまい、後に厳格化された保安基準によって時機を逸したため静岡市、そして浜松市にも法律上の地下街は存在していない。一方で静岡市もペデスリアデッキアーケードなどによる歩行者、購買客の動線確保が行われており、また、松坂屋伊勢丹パルコと吸引力の高い商業施設が中心地に健在であることなどから、逆に全で最もロードサイド店が発達しない門といわれるほど、中心地への依存度が高い都市となっている。

熊本

熊本市の場合は、ついこの前まであった、という方が正しい。それが町の熊本交通センター地下にあった「熊本交通センタープラザ」であり、1969年に開業、面積は約5700メートルで、当初は九州で最大の地下街という触れ込みでもあった。しかし、老朽化に伴う再開発の波によって2015年閉店、施設は解体された。それでもテナントの6割が開業当初から閉店まで命運をともにしていたなど、利便性の高さから利用者が多くいながらの、惜しまれる閉店である。なお、再開発事業に地下街が敷設されるかは不明。

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地下街

1 ななしのよっしん
2018/09/24(月) 01:47:32 ID: Yp1yaNapHo
大阪梅田地下街はもはや高難度ダンジョン
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2 ななしのよっしん
2018/09/24(月) 17:33:27 ID: u+VnciCZGb
これ何の順番で並んでるの?
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3 ななしのよっしん
2018/09/25(火) 20:55:23 ID: bu8oVXT6tL
>>2
元はケース別に採り上げていく予定でした。東京名古屋大阪のほかは札幌川崎ぐらいにする予定だったのですが、色々調べていくうちに、全部になってしまったわけです

つまり、記事を作った順でした
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4 ななしのよっしん
2018/09/25(火) 21:13:08 ID: Yp1yaNapHo
都市圏人口でみると意外な大都市圏だけど
当面は地下街が出来そうにないのが那覇都市圏

沖縄戦不発弾が多すぎてとてもじゃないが
規模の大きな地下街なんて作れない。
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5 ななしのよっしん
2018/09/25(火) 21:19:54 ID: t/+eISW12j
熊本は豊富な地下があるからあまり深くは掘れないんだよね
今はなきセンタープラザが限界なんじゃね
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6 ななしのよっしん
2019/11/08(金) 18:39:26 ID: SjTBMaiEHB
日本の場合山掘って町作るみたいな事しませんよね
地下街より手間掛かるの工事ですかね?
トンネル沿いに店など並べても意味ないでしょうしね…
しかし洞窟都市というのも内にはありませんね
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7 ななしのよっしん
2019/12/30(月) 12:23:42 ID: bu8oVXT6tL
>>6
戦後まもなくの日本なら北海道沼田町(すずらん舞台)の昭和という炭鉱集落に洞窟マーケットがあった
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8 ななしのよっしん
2020/03/11(水) 09:27:38 ID: oB23poyW5l
大阪法令上の分類の混乱もあって、だだっ広いのに統一して管理できず全体地図も作れないため、ダンジョン感がハンパない
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