単語記事: 埼玉西武ライオンズ

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埼玉西武ライオンズとは、埼玉県所沢市にある西武ドームを本拠地とするプロ野球チームである。単に西武西武ライオンズライオンズとも。二軍チーム名は同じ。二軍本拠地は西武ドームと同じ敷地内にある西武第二球場

現在監督田辺徳雄2014年途中~)。

概要

1949年のオフシーズン西鉄クリッパーが発足した。パシフィックリーグに加盟。1951年にはセントラルリーグの西日本パイレーツと合併し西鉄ライオンズとなり、「野武士軍団」と呼ばれたりしていた。しかし1969年黒い霧事件で人気低迷、1972年に当時の親会社の西日本鉄道は球団を手放した。以降福岡野球株式会社が親会社となり、スポンサーの変更に伴い太平洋クラブライオンズクラウンライターライオンズと名称が変化していった(今で言うネーミングライツ)。

1978年オフ西武(正確にはコクド)が買収し所沢に移転し西武ライオンズとなり、2007年末に地域密着を図るとして埼玉西武ライオンズとなった。ちなみに二軍の名称も基本的には一軍と同じだが、命名権売却により20052006年インボイス2007年グッドウィル二軍とは異なる名称が付いていた(ともに「ライオンズ」は付かない)。

西鉄時代は稲尾和久中西太らの活躍で強チームとして名を馳せた。黒い霧事件以降は低迷するが、1982年西武として初優勝して以来25年連続Aクラス入りするなど金時代を築いた。2007年は低迷するが2008年デーブ大久保大久保博元)打撃コーチのおかげか打線が大爆発パシフィック・リーグ優勝と日本一アジア制覇を達成。

2008年から球団名を「埼玉西武ライオンズ」に変更。ただ「埼玉」とつけただけでなく、県営大宮球場での試合開催、ファン市民が選手と一緒に参加できるイベントを開くなど、これまで以上に地域密着を図るようになった。

催試合での観客動員数1万人割れイメージが強いが、2009年は1試合のみ。ファンサービスが功を奏したとはいえ、ライトスタンドを除いた席をライオンズファンで満たすにはまだ時間がかかる模様。地域密着活性化によって多くのライオンズファンを獲得できるかどうかはこれからが勝負である。

本拠地

福岡時代の西鉄クリッパーズ、西鉄ライオンズ太平洋クラブライオンズクラウンライターライオンズ時代は平和台球場が本拠地。平和台球場現在は解体されて存在しない。

所沢に移転した後の(埼玉西武ライオンズ時代は西武ライオンズ球場1998年からはドーム化に伴い名称が西武ドームに変更(実際にドームになったのは1999年から)。二軍の名称と同じく命名権売却により、20052006年インボイスSEIBUドーム2007年グッドウィルドームという名称だった。

ユニフォーム

西鉄時代
マイナーチェンジを経て、1954年から黒色帽子ライン・レターを基調したデザインが登場。胸ロゴドイツ文字と呼ばれた書体で「Lions」、帽子マーク西鉄のNとライオンズのLを重ねたマークとなり、西鉄黄金期を添えた。2008年に行われたライオンズクラシックの復刻ユニフォームとして一部の試合で着用された。
西武時代
チームカラーライトブルーとなり、ユニフォームもそれに合わせた。帽子には手塚治虫デザインレオマークがついた。ライオンズクラシックの評判が良かった事や、西鉄時代の歴史融合という意味も兼ねて、2009年からユニフォームからへ大幅リニューアルした。

戦跡

リーグ優勝21回、日本一13回(西鉄時代含む)。最近日本一になったのは2008年で、この年はアジアチャンピオンにもなった。

西武ライオンズ時代

1982年-1994年

西武黄金時代を参照。 

1995年(67勝57敗6分、3位) 監督:東尾修

この年から東尾修監督に就任。しかし石毛宏典工藤公康辻発彦と、金時代を支えた選手が移籍し、戦が低下したが、この年から鈴木健が台頭。また投手が頑り、3位に留まった。

1996年(62勝64敗4分、3位) 監督:東尾修

この年も3位に終わり、勝率5割を切った。オフ清原和博FA宣言し、巨人に移籍する。

ドラフト会議では和田一浩を獲得。

1997年(76勝56敗3分、1位) 監督:東尾修

清原が抜けたドミンゴ・マルティネスが埋め、松井稼頭央62盗塁とブレーク西口文也沢村賞を獲得する活躍で、3年ぶりにリーグ優勝したが、ヤクルトとの日本シリーズでは1勝4敗で敗れた。

1998年(70勝61敗4分、1位) 監督:東尾修

2年連続でリーグ優勝したが、横浜ベイスターズとの日本シリーズでは2勝4敗で敗れ、二年連続で日本一になれなかった。

ドラフト会議松坂大輔を競合の末、1位で獲得する。

1999年(75勝59敗1分、2位) 監督:東尾修

坂が先発ローテーションの一となり、16勝5敗、防御率2.60と活躍し、新人王を受賞。しかしマルティネスが抜けたは大きく攻撃が低下。猛追も及ばず、福岡ダイエーホークス福岡移転後初のリーグ優勝を譲ってしまう。

2000年(69勝61敗5分、2位) 監督:東尾修

オリックス・ブルーウェーブダイエーと首位を競ったが、この年もダイエーが優勝する。

ドラフト会議大沼幸二佐藤友亮帆足和幸中島裕之を獲得。

2001年(73勝67敗、3位) 監督:東尾修

この年新加入したアレックス・カブレラスコット・マクレーン本塁打を量産。豊田清が抑えに回り、守護の座を獲得する。しかし終盤こけて、東尾修監督最後の年を優勝で終える事はできなかった。

ドラフト会議細川亨中村剛也栗山巧を獲得。

2002年(90勝49敗1分、1位) 監督:伊原春樹

伊原春樹新体制の下、綿密な示による管理野球が功を奏し、90勝(2位に16.5ゲーム差)で優勝。しかし巨人1990年日本シリーズの借りを返され、黒歴史となった。

この年にカブレラ55本塁打を放ち、シーズン最多本塁打タイ記録に並び、ホームラン王とMVPを獲得。また松井稼頭央スイッチヒッター史上初のトリプルスリーを達成する。

ドラフト会議では後藤武敏長田秀一郎上本達之を獲得。鈴木健がトレードでヤクルトに移籍し、横浜からのトレードで石井義人を獲得。

2003年(77勝61敗2分、2位) 監督:伊原春樹

徐々に俺達が頭を現し始める。伊東勤が現役を引退し、翌年監督となる。オフ松井稼頭央FA宣言し、ニューヨーク・メッツに移籍する。

2004年(74勝58敗1分、2位通過、日本一) 監督:伊東勤

松井稼頭央が抜けたを、中島裕之が埋める。

この年からプレーオフ(後のクライマックスシリーズ)導入。レギュラーシーズン2位通過。第1ステージ終戦北海道日本ハムファイターズ戦では豊田が被弾するが、高木浩之が「下を向くな!」と一。その後和田一浩サヨナラ弾。第2ステージダイエー戦では石井貴を奇襲的に起用するなど驚くような采配で接戦を制し、2年ぶりの優勝。日本シリーズ行きを決める。

中日との日本シリーズでも最終戦までもつれ込み西武が12年ぶりの日本一く。第1戦・第7戦を先発石井貴MVPに選ばれた。

ドラフト会議では1位涌井秀章松坂大輔とは横浜時代の後輩)、3位で片岡易之を獲得。大友進中日にトレード移籍した。

2005年(67勝69敗、3位) 監督:伊東勤

交流戦おかわり君こと中村剛也ブレーク

しかしプレーオフ千葉ロッテマリーンズに敗れ3位でシーズンを終える。

ドラフト会議炭谷銀仁朗1位で獲得。オフ森慎二小関竜也MLB挑戦を表明し。タンパベイ・デビルレイズに移籍、小関ミルウォーキー・ブルワーズマイナー契約を結ぶ。豊田清FA宣言し読売ジャイアンツに移籍し、その人的補償として江藤智を獲得した。髙木大成引退

2006年(80勝54敗2分、2位) 監督:伊東勤

片岡中島ら若手が頑ったものの、最終戦で敗れ、1ゲーム差の2位で終わる。2年の涌井が12勝を挙げ、新守護小野寺力も29セーブを挙げた。2006年オフ坂がポスティングシステムを使用し、ボストン・レッドソックスに入団。西武を去る。

ドラフト会議では希望岸孝之を獲得。

2007年(66勝76敗2分、5位) 監督:伊東勤

交流戦10連敗和田がここぞという場面で併殺打を量産。涌井が17勝を挙げ最多勝を獲得。新人も11勝を挙げたが、MLBに移籍した坂のを埋められず、26年ぶりのBクラスに転落。伊東監督が辞任し、和田中日に、カブレラオリックス・バファローズに移籍した。

オフにはFA宣言した石井一久を獲得。カブレラに代わる大砲補として、クレイグ・ブラゼルヒラム・ボカチカを獲得。しかしシーズン前に不正スカウト問題が発覚したため、高校生ドラフト会議で獲得することはできなかった。

埼玉西武ライオンズ時代

2008年(76勝64敗4分、1位、日本一)「No Limit」 監督:渡辺久信

この年から二軍監督を務めていた渡辺久信が一軍監督。球団名も『埼玉西武ライオンズ』となる。圧倒的な打撃とその層の厚さ(本塁打数(198本)が圧倒的)で相手投手に恐怖感を植え付け、「No Limit打線」と名付けられた。オナカスイタネやボッカチカにしてやんよが一時流行。8月14日には通算4000勝を達成。9月21日日本ハム戦では敗れたものの、4年ぶり21の優勝を達成。

日本シリーズでは巨人と対戦。第7戦までもつれ込み、第7戦では片岡平尾博嗣の奮闘で4年ぶりの日本一をもぎ取った。

二遊間の守備が頼もしくなり、日本シリーズではチーム最小失策を記録。

アジアシリーズでも決勝戦で石井義人佐藤友亮が活躍し、サヨナラ勝ちで優勝した。※この年のアジアシリーズ韓国のSKワイバーン以外のチーム名がライオンズだった。

中村ホームラン王、片岡盗塁王と、栗山と共に最多安打のタイトルを獲得。ゴールデンラブ賞を中島が受賞し、ベストナイン細川片岡中島中村栗山が選ばれた。しかし、崩壊するととことんまで落ち込む投手(いいときは抑えるので防御率自体は悪くない)の懸念が払拭されないまま、2009年を迎えてしまった。

高木浩之引退し、ブラゼル自由契約となる。

名場面の一つに挙げられているのが肉離れ

2009年(70勝70敗4分、4位) 監督:渡辺久信

清水隆行土肥義弘ジョン・ワズディンを獲得したが、期待通りの数字を残さず一軍二軍を行ったり来たり。昨季の守護を務めたアレックス・グラマンが離脱したことで中継ぎの層の薄さが露呈し、サヨナラ負けのリーグワーストを作るなど終盤に試合をひっくり返されることが多くなった。阪神からトレード移籍してきた藤田太陽が頑り、シーズン中盤までは3位をキープしていたが、場以降の楽天の追い上げを振り切ることができず最終的に勝率5割の4位に終わった。

ちなみにこの年は涌井が最多勝、沢村賞片岡盗塁王中島が最多安打、中村ホームラン王(二年連続)と打点王を獲得している。

オフにはボカチカ自由契約に。

ドラフト会議では菊池雄星を競合の末、ドラフト1位で獲得。オフにはブライアン・シコースキーディー・ブラウンを獲得。

2010年(78勝65敗1分、2位) 監督:渡辺久信

前年ドラフト会議で獲得した雄星菊池雄星)は左肩痛により一年間二軍暮らしとなる。

中継ぎ、抑えが安定し、中村など故障者が多く出たにも関わらず、前半戦を首位で折り返した。しかしシーズン終盤に失速し、最後の最後にソフトバンクに抜かれてしまい、優勝を逃し、ゲーム差なし・勝率わずか1厘差の2位に終わった。クライマックスシリーズ第一ステージ中継ぎ、抑えが崩壊し、ロッテに敗れた。10試合延長戦があったが、1勝8敗1分。延長戦の防御率は9.49勝率セ・リーグ最下位の横浜を下回る.143で、パ・リーグワースト。延長戦での弱さが立った。

オフには細川FA宣言し、ソフトバンクに移籍。16年ぶりに西武に復帰していた工藤公康が戦外となった。

ドラフト会議では大石達也を競合の末、ドラフト1位で獲得。牧田和久2位秋山翔吾を3位、熊代聖人を6位で獲得する。

2011年(68勝67敗9分、3位)「最下位からの挑戦」 監督:渡辺久信

開幕後に昨季のセーブ王シコースキーが故障離脱して抑えがいなくなり、中継ぎも安定せず交流戦後、新人牧田和久が抑えにまわる。しかし7月3日7月以降だと1996年以来15年ぶりの最下位に転落。前半戦を借15で折り返した。後半戦に入り、9月を19勝5敗2分で乗り切り、最大15もあった借を大幅に減らし、オリックスクライマックスシリーズ出場を競うところにまで立て直し、最終戦西武が勝ち、オリックスが負けたことで3位に上がり、クライマックスシリーズに進出。そのゲーム差はわずか1毛差(0.001差)であった。クライマックスシリーズ第一ステージ日本ハムを2勝0敗で下したが、第二ステージではソフトバンクに全敗した。

統一球ホームラン減する中、中村が自己最多タイ48本塁打ホームラン王と打点王を獲得。牧田22セーブをあげ、坂以来の新人王を受賞。秋山翔吾熊代聖人が台頭し、外野守備が頼もしくなった。

オフにはミンチェ帆足和幸FA宣言し、ミンチェオリックス帆足ソフトバンクに移籍した。後藤DeNAにトレード移籍、ホセ・フェルナンデス自由契約楽天に移籍した。G.G.佐藤石井義人が戦外となり、石井義人巨人に移籍。中島ポスティングMLBしたが、契約がまとまらず残留した。

ドラフト会議では十亀剣ドラフト1位で獲得。

2012年(72勝63敗9分、2位) 監督:渡辺久信

2012年スローガンは「出しきれ!」

しかし最初から出しきったのは俺達炎上で、先は先発投、封しないと勝てないという悲惨な状況だった。開幕から抑えを任されたエンリケ・ゴンザレスも安定せず、涌井も開幕から3連敗で二軍調整。江草仁貴とのトレードで獲得した嶋重宣も不振に陥り、ホームラン55本を期待された中村交流戦に入るまで1本しか打てず、接戦を尽く落とした。

交流戦の頃から少しずつ安定し、13勝11敗2分と持ち直した。中村は遅れを取り戻すかの如くホームランを12本放ったが、終盤の阪神戦で故障離脱してしまう。

リーグ戦が再開し、外野争いが熾化する。6月MVP補にもなった大崎雄太朗星秀和が台頭し、離脱した秋山を埋める活躍を見せた。中継ぎ長田秀一郎ランディ・ウィリアムスストッパー涌井で安定するようになり、前半戦を借1で折り返した。

後半戦は引き分けを挟み5連勝と好スタートを切り、8月には首位に浮上したが、この時期からに故障者が相次ぐ。栗山巧に至っては左手死球を受け、レギュラーシーズン絶望に追い込まれてしまう。中島と右足、中村スランプと左ひざの怪でスタメンに名を連ねない試合が増えていく。西口文也も故障が長引き、日曜日はお試し先発となってしまう。

そんな状況が長引いた末に日本ハムの追撃を振り切れず、4年ぶりのリーグ優勝を逃した。クライマックスシリーズファーストステージでは1勝1敗で迎えた第3戦でソフトバンクに敗れた。

中村は故障に苦しみつつも、2年連続のホームラン王を獲得。

平尾佐藤友亮大島裕行阿部真宏引退藤田太陽星野智樹が戦外となり、それぞれヤクルト楽天に移籍。トレードでは原拓也放出し、山崎浩司を獲得。外国人では前広島デニス・サファテ、復帰のシコースキーNPBで実績のある選手を補強した。FA宣言した中島は、オークランド・アスレチックスに移籍。

ドラフト会議では増田達至1位金子侑司を3位、高橋朋己を4位で獲得。

2013年(74勝66敗4分、2位) 監督:渡辺久信

4月は首位を独走していたが、5月から徐々に低迷し、セ・パ交流戦で負け越し。この間西日本では1勝しか挙げられず、オールスターファン投票ではも選出されなかった。

後半戦に入っても流れは変わらず、場は俺達炎上9月26日楽天戦(西武ドーム)で、楽天に初優勝と胴上げを献上した。

最後の8試合で猛スパートをかけ、福岡ソフトバンクホークスに2連勝し3位に浮上すると、最後の千葉ロッテマリーンズ戦で勝利し、二年連続の2位をもぎ取った。しかしクライマックスシリーズでは1勝2敗でロッテに敗れ、4年連続の敗退となった。

4番に定着した浅村栄斗110打点で打点王を獲得。中盤から1番に定着したエステバン・ヘルマンが最高出塁率のタイトルを獲得。

渡辺久信は就任後一度しか優勝できなかったことを理由にこの年をもって監督を辞任し、石井一久嶋重宣が現役を引退星秀和坂元弥太郎が戦外となり、成績を残せなかったホセ・オーティズライアン・スピルボーグスクリス・カーター自由契約となった。

さらに中継ぎで9勝を挙げたデニス・サファテヘルマン契約がまとまらず退団しそれぞれソフトバンクオリックスへ移籍。また片岡と涌井がFA宣言し、片岡巨人、涌井はロッテに移籍する、動のストーブリーグとなった。

ドラフト会議では森友哉1位豊田拓矢を3位で獲得。

2014年(63勝74敗4分、5位) 監督:伊原春樹→田辺徳雄

監督には伊原春樹が就任。DeNAを戦外となった森本稀哲、新外国人としてコーディ・ランサムグレッグ・レイノルズマイケル・ボウデンを獲得。さらに涌井の人的補償としてロッテから中郷大樹片岡人的補償として巨人から脇谷亮太を獲得した。

シーズン開幕前に中村が負傷で二軍降格。坂田も右肩を脱臼し、クリーンナップがいなくなる。その代役を務めようとしていた新人森友哉含む13名がインフルエンザに感染。

4月2日ロッテ戦では勝ち越したものの以後8カード連続で負け越し、セ・リーグ最下位のDeNAよりも先に20敗を喫するなど暗街道まっしぐらだった。中村期復帰や5月2日ロッテ戦でエースノーヒットノーラン達成といった明るい話題に加え、エルネスト・メヒアを起爆剤として獲得、2012年オフから育成選手として入団していたアブナー・アブレイユも支配下選手に昇格させるなど手は打ったが一向に浮上の兆しが見えぬまま、6月4日監督の休養が発表された。打撃コーチだった田辺徳雄監督代行に就任し、残るシーズン揮を執る。

しかしチームは苦を脱せぬまま下位に低迷。を除く先発投手全員負け越し、打撃では中村とメヒアがってホームラン王を獲得したが、チームとしてはリーグ断トツ1234三振を記録するなど最後まで不調が続き、2009年以来のBクラスに転落した。

オフ小林宏川崎雄介松永浩典美沢将山崎浩司が戦外。メヒア以外の外国人選手も全員が退団した。2015年田辺監督代行が正式に監督に就任し、引き続き揮を執ることが発表された。

ドラフト会議では高橋光成1位外崎修汰を3位で獲得。

2015年(69勝69敗5分、4位) 監督:田辺徳雄

外国人としてウェイド・ルブランエスメルリング・バスケス、ミゲル・メヒア、アンソニー・セラテリを獲得。

去年とは違い、3番浅村、4番中村、5番メヒア、6番森友哉という重量打線を形成し、開幕5連勝を達成。投手ではエース菊池雄星が故障で出遅れたものの十亀剣野上亮磨がともに7勝を挙げる活躍を見せ、懸案のリリーセットアッパー増田達至クローザー高橋朋己コンビがハマり、前半戦を3位で折り返した。

しかし後半戦は抑えを務めていた高橋が不調に陥り、牧田が抑えに配置転換されるなど投手に綻びが生じ、13連敗を喫して貯11をなくす。その後は上昇気流に乗り切れないまま勝率5割シーズンを終え、クライマックスシリーズ出場はロッテの結果待ちとなった。しかし、ロッテ難に勝ち越したため4位に転落。中盤の13連敗が最後までいた形となった。2年連続Bクラスという成績はライオンズにとって実に34年ぶりの屈辱のシーズンとなった。

打撃では秋山翔吾日本新記録となる216安打を記録し、中村剛也は規定打席に立てれば必ず本塁打王を取るというジンクスを今年も達成、打点王と合わせて2冠となる。投手増田セットアッパーに定着、40ホールドで最優秀中継ぎ投手タイトルを獲得。先発では十が11勝を挙げたものの被本塁打リーグワーストと安定感を欠いた。エース交流戦明けに復帰したものの打線の援護に恵まれず5勝に終わり、投手の課題が浮き彫りとなったシーズンとなった。

オフ石川貢梅田尚通、林崎遼米野智人田中靖洋らが戦外。外国人選手ではルブラン、ミゲルセラテリが今期限りで退団となった。また森本稀哲と、長きに渡って西武に在籍した西口文也が現役を引退した。加えて、今シーズン3番で起用されるなど勝負強い打撃で度々チームを救った脇谷亮太FA宣言、古巣の巨人へと出戻ることになった。

ボンバーマン

現在チーム内ではハドソンアクションゲームボンバーマン」が流行している。選手ロッカーから移動中のバスまで、所構わず爆撃音が鳴りいている。チーム内のランクでは横綱に位置するのが涌井秀章小野寺力大関には石井一久岸孝之2009年には石井一久によって、WBCワールドボンバーマンクラシック)が開催される。ゲームをほとんどしなかった菊池雄星をも巻き込み、「ライオンズの選手がボンバーマンで遊ぶ」ニュースが扱われるようになった。

ハドソンの関係者も喜んでいるようで、コラボレーション企画にはノリノリらしい。

ボンバーマン以外ではナムコファミスタも人気。

ライオンズの西武身売りの経緯

  1. 西鉄ライオンズ黒い霧事件で人気低迷
  2. 経営が成り立たなくなり、売却先を探すも見つからず
  3. 球団消滅の危機に立たされたところを元ロッテオーナー中村長芳が福岡野球株式会社を立ち上げ救済
  4. 中村平和台球場弁当契約白紙に戻す
  5. 弁当販売の利権を持つ会議員の働きかけで平和台球場が使用不可に(中村がよそものなのも理由らしい)
  6. 何とか使用可にはなるものの、使用料が西鉄時代とべて12倍強に
  7. 負債が年々たまっていき、破綻寸前に
  8. 西武グループが球団買収と負債肩代わりをしてくれることに、その代わりとして所沢に移転

たまにあるのが、西武福岡からライオンズを奪ったという意見である。確かに西武ライオンズを買収した際に所沢に本拠地を移転したから全には間違っていないのだが、上記のように実質的には福岡が追い出したようなものである。

コラボレーション

2010年を皮切りに、西武に地元埼玉が舞台のTVアニメとのコラボレーションを年1回をベースに開催している。

  1. 2010年6月30日 埼玉西武ライオンズ×北海道日本ハムファイターズ戦がおおきく振りかぶってコラボ。(おおきく振りかぶってDAY)
  2. 2011年7月30日 埼玉西武ライオンズ×オリックスバファローズ戦がクレヨンしんちゃんコラボ。(クレヨンしんちゃんデー)
  3. 2012年6月24日 埼玉西武ライオンズ×オリックスバファローズ戦がらき☆すたコラボ。(らき☆すたデー)
  4. 2013年6月22日23埼玉西武ライオンズ×オリックスバファローズ戦が再びコラボ22日にSaitamaユニフォーム始動だゾ。クレヨンしんちゃんデー、23日にらき☆すたデー 2nd SEASONを開催。
  5. 2013年8月17日 埼玉西武ライオンズ×東北楽天ゴールデンイーグルス戦が劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。コラボ劇場版あの花平和ライオンズデー~)
  6. 2014年7月12日 埼玉西武ライオンズ×オリックスバファローズ戦がヤマノススメコラボ。(ヤマノススメデー)
  7. 2015年3月29日 埼玉西武ライオンズ×オリックスバファローズ戦がダイヤのAコラボ予定。(ダイヤのAデー)

年度別成績









西鉄クリッパー
1950年 宮崎 5 120 51 67 2 .432
西鉄ライオンズ
1951年 三原 2 105 53 42 10 .558
1952年 3 120 67 52 1 .563
1953年 4 120 57 61 2 .483
1954年 1 140 90 47 3 .657
1955年 2 144 90 50 4 .643
1956年 1 154 96 51 7 .646
1957年 1 132 83 44 5 .648
1958年 1 130 78 47 5 .619
1959年 4 144 66 64 14 .508
1960年 川崎徳次 3 136 70 60 6 .538
1961年 3 140 81 56 3 .589
1962年 中西太 3 136 62 68 6 .477
1963年 1 150 86 60 4 .589
1964年 5 150 63 81 6 .438
1965年 3 140 72 64 4 .529
1966年 2 138 75 55 8 .577
1967年 2 140 66 64 10 .508
1968年 5 138 56 74 3 .431
1969年 中西太
鬼頭政一
5 130 51 75 4 .405
1970年 稲尾和久 6 130 43 78 9 .355
1971年 6 130 38 84 8 .311
1972年 6 130 47 80 3 .370
太平洋クラブライオンズ
1973年 稲尾和久 4 130 59 64 7 .480
1974年 4 130 59 64 7 .480
1975年 江藤愼一 3 130 58 62 10 .483
1976年 レオ・ドローチャー
鬼頭政一
6 130 44 76 10 .367
クラウンライターライオンズ
1977年 鬼頭政一 6 130 49 73 8 .402
1978年 根本陸夫 5 130 51 67 12 .432
西武ライオンズ
1979年 根本陸夫 6 130 45 73 12 .381
1980年 4 130 62 64 4 .492
1981年 4 130 61 61 8 .500
1982年 達朗 1 130 68 58 4 .540
1983年 1 130 86 40 4 .683
1984年 3 130 62 61 7 .504
1985年 1 130 79 45 6 .637
1986年 森祇晶 1 130 68 49 13 .581
1987年 1 130 71 45 14 .612
1988年 1 130 73 51 6 .589
1989年 3 130 69 53 8 .566
1990年 1 130 81 45 4 .643
1991年 1 130 81 43 6 .653
1992年 1 130 80 47 3 .630
1993年 1 130 74 53 3 .583
1994年 1 130 76 52 2 .594
1995年 東尾修 3 130 67 57 6 .540
1996年 3 130 62 64 4 .492
1997年 1 135 76 56 3 .576
1998年 1 135 70 61 4 .534
1999年 2 135 75 59 1 .560
2000年 2 135 69 61 5 .531
2001年 3 140 73 67 0 .521
2002年 伊原春樹 1 140 90 49 1 .647
2003年 2 140 77 61 2 .558
2004年 伊東勤 1 133 74 58 1 .561
2005年 3 136 67 69 0 .493
2006年 2 136 80 54 2 .597
2007年 5 144 66 76 2 .465
埼玉西武ライオンズ
2008年 渡辺久信 1 144 76 64 4 .543
2009年 4 144 70 70 4 .500
2010年 2 144 78 65 1 .545
2011年 3 144 68 67 9 .504
2012年 2 144 72 63 9 .533
2013年 2 144 74 66 4 .529
2014年 伊原春樹
田辺徳雄
5 144 63 77 4 .450
2015年 田辺徳雄 4 143 69 69 5 .500
通算:65 - 4513 4003 356 .530

順位

シーズン最高成績(チーム)

シーズン最低成績(チーム)

シーズン個人最高成績(野手)

シーズン個人最高成績(投手)

関係者

※記事がある者は太字

首脳陣・スタッフ

一軍 二軍

現役選手

※トレード、自由契約などの異動については、NPB公示があるまで編集しないでください。

投手 捕手 内野手 外野手

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OB

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ページ番号: 493792 リビジョン番号: 2369276
読み:サイタマセイブライオンズ
初版作成日: 08/08/25 15:09 ◆ 最終更新日: 16/06/05 00:52
編集内容についての説明/コメント: 現役選手:フェリペ・ポーリーノ追加
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埼玉西武ライオンズについて語るスレ

408 : ななしのよっしん :2016/03/16(水) 00:32:35 ID: rn1hwxUtDG
>>sm28428217

チームの勝敗に絡んで選手間の現のやり取り発覚とか
の再現じゃねえか、これもう(開幕するか)分かんねえな
409 : ななしのよっしん :2016/03/29(火) 01:46:39 ID: Ex09bXMyLH
結局チャンテ2はくなったん?
清原チャンテ2も好きだから気になるんだよな他所ファンなんだが
410 : ななしのよっしん :2016/03/29(火) 01:54:23 ID: RnMoVAU8B8
いや、継続した
411 : ななしのよっしん :2016/03/31(木) 02:19:41 ID: Ex09bXMyLH
そうみたいだな
まさか書いたその日の試合で流れるとは思わんかった
412 : ななしのよっしん :2016/05/07(土) 14:45:32 ID: RnMoVAU8B8
ピッチャーが本当にいないなあ
これじゃ打線拭いしているようなものだ
413 : ななしのよっしん :2016/05/10(火) 09:31:24 ID: 3/BpvUyJ5v
投手不足もさることながらガバガバの守備もひどい
414 : ななしのよっしん :2016/06/28(火) 01:36:28 ID: UTReIvMoQv
りかけます。
よわい、よわすぎる
暴投後失策
埼玉名物 暴投後失策
415 : ななしのよっしん :2016/06/28(火) 02:26:16 ID: vPahgy3MWC
明けのエースを引っって勝ちをした監督
不調の4番に代打を送って勝利をもぎ取った監督

監督の差がはっきりと出た試合だったね
416 : ななしのよっしん :2016/07/14(木) 02:47:08 ID: RnMoVAU8B8
大幅に負け越しただけじゃなく、首の内部崩壊など。
根本的に立て直さないとダメな気がする
417 : 削除しました :削除しました ID: kJemyh53t3
削除しました
  JASRAC許諾番号: 9011622001Y31015