単語記事: 埼玉西武ライオンズ

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ロゴ

埼玉西武ライオンズとは、埼玉県所沢市にあるメットライフドーム西武ドーム)を本拠地とするプロ野球チームである。単に西武西武ライオンズライオンズとも。二軍チーム名は同じ。二軍本拠地は西武ドームと同じ敷地内にある西武第二球場

現在監督辻発彦2017年~)。

概要

1949年のオフシーズン西鉄クリッパーが発足した。パシフィックリーグに加盟。1951年にはセントラルリーグの西日本パイレーツと合併し西鉄ライオンズとなり、「野武士軍団」と呼ばれたりしていた。しかし1969年黒い霧事件人気低迷、1972年に当時の親会社の西日本鉄道は球団を手放した。以降福岡野球株式会社が親会社となり、スポンサーの変更に伴い太平洋クラブライオンズクラウンライターライオンズと名称が変化していった(今で言うネーミングライツ)。

1978年オフ西武(正確にはコクド)が買収し所沢に移転し西武ライオンズとなり、2007年末に地域密着を図るとして埼玉西武ライオンズとなった。ちなみに二軍の名称も基本的には一軍と同じだが、命名権売却により20052006年インボイス2007年グッドウィル二軍とは異なる名称が付いていた(ともに「ライオンズ」は付かない)。

西鉄時代は稲尾和久中西太らの活躍で強チームとして名を馳せた。黒い霧事件以降は低迷するが、1982年西武として初優勝して以来25年連続Aクラス入りするなど金時代を築いた。2007年は低迷するが2008年デーブ大久保大久保博元)打撃コーチのおかげか打線が大爆発パシフィック・リーグ優勝と日本一アジア制覇を達成。

2008年から球団名を「埼玉西武ライオンズ」に変更。ただ「埼玉」とつけただけでなく、県営大宮球場での試合開催、ファン市民が選手と一緒に参加できるイベントを開くなど、これまで以上に地域密着を図るようになった。

催試合での観客動員数1万人割れイメージが強いが、2009年は1試合のみ。ファンサービスが功を奏したとはいえ、ライトスタンドを除いた席をライオンズファンで満たすにはまだ時間がかかる模様。地域密着活性化によって多くのライオンズファンを獲得できるかどうかはこれからが勝負である。

本拠地

福岡時代の西鉄クリッパーズ、西鉄ライオンズ太平洋クラブライオンズクラウンライターライオンズ時代は平和台球場が本拠地。平和台球場現在は解体されて存在しない。

所沢に移転した後の(埼玉西武ライオンズ時代は西武ライオンズ球場1998年からはドーム化に伴い名称が西武ドームに変更(実際にドームになったのは1999年から)。2017年からはメットライフドームに変更される。
二軍の名称と同じく命名権売却により、2005年2006年インボイスSEIBUドーム2007年グッドウィルドーム2016年西武プリンスドームという名称だった。2017年からはメットライフドームとなる。

ユニフォーム

西鉄時代
マイナーチェンジを経て、1954年から黒色帽子ライン・レターを基調したデザインが登場。胸ロゴドイツ文字と呼ばれた書体で「Lions」、帽子マーク西鉄のNとライオンズのLを重ねたマークとなり、西鉄黄金期を添えた。2008年に行われたライオンズクラシックの復刻ユニフォームとして一部の試合で着用された。
西武時代
チームカラーライトブルーとなり、ユニフォームもそれに合わせた。帽子には手塚治虫デザインレオマークがついた。ライオンズクラシックの評判が良かった事や、西鉄時代の歴史融合という意味も兼ねて、2009年からユニフォームからへ大幅リニューアルした。

ボンバーマン

チーム内ではハドソンアクションゲームボンバーマン」が流行している。選手ロッカーから移動中のバスまで、所構わず爆撃音が鳴りいている。チーム内のランクでは横綱に位置するのが涌井秀章小野寺力大関には石井一久岸孝之2009年には石井一久によって、WBCワールドボンバーマンクラシック)が開催される。ゲームをほとんどしなかった菊池雄星をも巻き込み、「ライオンズの選手がボンバーマンで遊ぶ」ニュースが扱われるようになった。

ハドソンの関係者も喜んでいるようで、コラボレーション企画にはノリノリらしい。

ボンバーマン以外ではナムコファミスタ人気

ライオンズの西武身売りの経緯

  1. 西鉄ライオンズ黒い霧事件人気低迷
  2. 経営が成り立たなくなり、売却先を探すも見つからず
  3. 球団消滅の危機に立たされたところを元ロッテオーナー中村長芳が福岡野球株式会社を立ち上げ救済
  4. 中村平和台球場弁当契約白紙に戻す
  5. 弁当販売の利権を持つ会議員の働きかけで平和台球場が使用不可に(中村がよそものなのも理由らしい)
  6. 何とか使用可にはなるものの、使用料が西鉄時代とべて12倍強に
  7. 負債が年々たまっていき、破綻寸前に
  8. 西武グループが球団買収と負債肩代わりをしてくれることに、その代わりとして所沢に移転

たまにあるのが、西武福岡からライオンズを奪ったという意見である。確かに西武ライオンズを買収した際に所沢に本拠地を移転したから全には間違っていないのだが、上記のように実質的には福岡が追い出したようなものである。
余談ではあるが、福岡市民が元々大阪の球団であったホークスを受け入れたのは、ライオンズを失ったことへの後悔と反があってのことだと言われている。

優勝見届け人

どういうわけか他球団の優勝決定をの前で見届けされられるという運命にある。また見届けない年も優勝をアシストさせられてたりする。2008年に最後に優勝して以降、

2009年 日本ハムサヨナラ負けし、胴上げ見届け
2010年 日本ハムサヨナラ負けで、ソフトバンクの優勝決定
2011年 ソフトバンクに敗れ、西武ドームで胴上げ見届け
2012年 ロッテに敗れ、日本ハムの優勝決定
2013年 楽天に敗れ西武ドームで優勝見届け。田中の8球も参照
2015年 ソフトバンクに敗れ、胴上げ見届け
2016年 日本ハムに敗れ、西武プリンスドームで胴上げ見届け
2017年 ソフトバンクに敗れ、メットライフドームで胴上げ見届け

赤字は本拠地での見届け

と、なんと9年間で6回。2015年から2017年まで3年連続で相手チームの優勝による胴上げを見届けている。うち本拠地西武ドームでは4度見届けている。

コラボレーション

2010年を皮切りに、西武に地元埼玉が舞台のTVアニメとのコラボレーションを年1回をベースに開催している。

  1. 2010年6月30日 埼玉西武ライオンズ×北海道日本ハムファイターズ戦がおおきく振りかぶってコラボ。(おおきく振りかぶってDAY)
  2. 2011年7月30日 埼玉西武ライオンズ×オリックスバファローズ戦がクレヨンしんちゃんコラボ。(クレヨンしんちゃんデー)
  3. 2012年6月24日 埼玉西武ライオンズ×オリックスバファローズ戦がらき☆すたコラボ。(らき☆すたデー)
  4. 2013年6月22日23埼玉西武ライオンズ×オリックスバファローズ戦が再びコラボ22日にSaitamaユニフォーム始動だゾ。クレヨンしんちゃんデー、23日にらき☆すたデー 2nd SEASONを開催。
  5. 2013年8月17日 埼玉西武ライオンズ×東北楽天ゴールデンイーグルス戦が劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。コラボ劇場版あの花平和ライオンズデー~)
  6. 2014年7月12日 埼玉西武ライオンズ×オリックスバファローズ戦がヤマノススメコラボ。(ヤマノススメデー)
  7. 2015年3月29日 埼玉西武ライオンズ×オリックスバファローズ戦がダイヤのAコラボ予定。(ダイヤのAデー)

関係者

※記事がある者は太字
2017年11月22日更新

首脳陣・スタッフ

一軍 二軍 トレーニングコーチ

現役選手

※トレード、自由契約などの異動については、NPB公示があるまで編集しないでください。

投手 捕手 内野手 外野手

記事のある球団スタッフ

OB

西鉄太平洋クラウン時代を含む。

あ行 か行
さ行 た行
な行 は行
ま行 や行
ら行 わ行

戦跡

リーグ優勝21回、日本一13回(西鉄時代含む)。最近日本一になったのは2008年で、この年はアジアチャンピオンにもなった。

西武ライオンズ時代

1982年-1994年

西武黄金時代を参照。 

1995年(67勝57敗6分、3位) 監督:東尾修

東尾修監督一年シーズン。元々新監督に予定されていたのは石毛宏典であったが、現役へのこだわりから福岡ダイエーホークスFA移籍してしまう。他にも、工藤公康辻発彦金時代を支えた選手が移籍し戦が低下したが、この年から鈴木健が台頭。また投手が頑り、3位に留まった。カリブの怪人ことオレステス・デストラーデも復帰したが、結果を残せず途中退団した。また、清原和博FA権を取得したが、行使せずに残留した。

ドラフト会議では、高木大成大友進らを名・獲得した。

1996年(62勝64敗4分、3位) 監督:東尾修

この年も3位に終わり、勝率5割を切った。オフ清原和博FA宣言して退団(巨人に移籍)するが、その一方で若手の台頭という明るい話題もあった。松井稼頭央遊撃手レギュラーに定着して50盗塁を記録し、垣内哲也28本塁打を記録した。ルーキー高木大成伊東勤と正捕手の座を争い、大友進が後半戦からレギュラーに定着するなど新旧交代は確実に進んでいた。

ドラフト会議では、森慎二和田一浩らを名・獲得した。

1997年(76勝56敗3分、1位) 監督:東尾修

清原の移籍で得点低下が懸念されたシーズンであったが、それは杞憂に終わった。打を活かすために高木大成一塁手に転向させ、松井稼頭央大友進高木大という「脚でかき回す」1・2・3番を構成した。松井62盗塁を記録(盗塁王)し、チーム盗塁200も達成した。新四番打者の鈴木健は打率三割と最高出塁率を記録し、新外国人ドミンゴ・マルティネスが長打を発揮した。前年不調だった佐々木誠打順こそ6番に下がったものの三割を記録しており、最終的にこの三人と松井が打撃十傑にランクインするという快挙となった。
投手は長年西武リリーフを支え続けた鹿取義隆が衰え(オフ引退)、潮崎哲也先発転向でサンフレッチェ(鹿取・潮崎・杉山賢人)が崩壊するが、前年台頭した石井貴や新人の森慎二がそのを埋めた。先発では、西口文也大車輪の活躍で沢村賞を獲得した(MVPにも選出)。
3年ぶりにリーグ優勝を果たしたが、ヤクルトスワローズとの日本シリーズでは1勝4敗で敗れた。

ドラフト会議では、土肥義弘らを名・獲得した。

1998年(70勝61敗4分、1位) 監督:東尾修

高卒四年小関竜也レギュラーに定着して新人王にくが、それを除くとスタメンの顔ぶれは昨年とあまり変わらなかった。投手森慎二が「二年ジンクス」で不振に陥り、一時は西口文也リリーフに回すような状態であったが、前年移籍して才の開したデニー友利らで何とかそのを埋めた。
一時は独走状態であった日本ハムファイターズの急失速により、わずか貯9での逆転優勝を果たしたが、横浜ベイスターズとの日本シリーズでは2勝4敗で敗れ、二年連続で日本一になれなかった。この年のオフドミンゴ・マルティネスが「守れない」ことを理由に解雇された。

ドラフト会議では、松坂大輔を競合の上、1位名・獲得した(他には赤田将吾ら)。

1999年(75勝59敗1分、2位) 監督:東尾修

的な投高打低のシーズンとなった。マルティネスが抜けたを埋めるべき新外国人選手が外れに外れ、日本人選手も松井稼頭央を除いて軒並み成績を落としてしまった。打線は左打者に偏重し、翌年敵となる前川勝彦近鉄)に初勝利を献上してしまう有様だった。投手高卒ルーキー松坂大輔先発ローテーションの一となり、16勝5敗、防御率2.60と活躍して新人王を受賞した。坂に引っられるように西口文也石井貴豊田清も奮闘し、って二桁勝利を記録した。抑え不在は相変わらずではあったが、前年日本ハムファイターズから移籍したものの結果を残せなかった西崎幸広を配置転換して何とかしのいだ。
しかし猛追も及ばず、福岡ダイエーホークス福岡移転後初のリーグ優勝を譲ってしまう。

2000年(69勝61敗5分、2位) 監督:東尾修

弱体化した打線を強化するため、メジャーリーガーのトニーフェルナンデスレジー・ジェファーソンを獲得した。フェルナンデスは高打率は残したものの長打がなく、ジェファーソンはベンチと対立して途中退団した。結局四番打者は最後まで固定出来ず、チーム打率と本塁打数はリーグ最低に低迷し、松井稼頭央までが四番を打つ有様であった。投手では、二年間低迷した森慎二がようやく復活したのが明であった。
福岡ダイエーホークスと首位を争ったが、この年もダイエーが優勝する。

ドラフト会議では、大沼幸二佐藤友亮帆足和幸中島裕之らを名・獲得した。

2001年(73勝67敗、3位) 監督:東尾修

外国人選手としてアレックス・カブレラスコット・マクレーンを獲得し、ついに長打不足が解消する。ツインバズーカと名付けられたこのコンビはそれぞれ49本と39本の本塁打を記録するという大爆発を見せた。投手では二年許銘傑が終盤まで防御率1位キープ(最終的に2位)する活躍を見せた。リリーフではが再び不振に陥るが、東尾監督の説得でストッパーに転向した豊田清が脆さも見せたものの、単なる代役に留まらない活躍を見せた。
大阪近鉄バファローズ福岡ダイエーホークスと最後まで優勝を争ったが、9月24日近鉄戦(大阪ドーム)で松坂大輔中村紀洋サヨナラホームランを被弾する。そこから糸が切れたようになり、最終的に三位にまで落ちてしまった。オフに東尾監督は勇退した。

ドラフト会議では、細川亨中村剛也栗山巧名・獲得した。

2002年(90勝49敗1分、1位) 監督:伊原春樹

伊原春樹監督一年シーズン。元々伊東勤監督就任を要請されていたが、固辞したためヘッドコーチ原が昇格することとなった。
カブレラ55本塁打を放ち、シーズン最多本塁打タイ記録に並び、ホームラン王MVPを獲得。また松井稼頭央スイッチヒッター史上初のトリプルスリーを達成する。そして、強打の捕手として期待されながらレギュラーに定着出来なかった和田一浩が5番左翼手としてついにブレイクした。それ以外にも、犬伏塚政秀、宮地克彦の「日替わり3番打者」が結果を残したり、昨シーズン途中に谷中真二との交換で加入した平尾博嗣ブレイクの兆しを見せた。投手では豊田清防御率0点台の圧倒的なピッチングで初の最優秀救援投手き、復調した森慎二セットアッパーとして活躍した。
投打の充実で4年ぶり14度リーグ優勝を果たしたものの、日本シリーズでは巨人に4連敗で敗れ、1990年の意趣返しをされてしまった。
鈴木健がトレードでヤクルトに移籍し、横浜からトレードで石井義人を獲得した。

ドラフト会議では、後藤武敏長田秀一郎小野寺力上本達之らを名・獲得した。

2003年(77勝61敗2分、2位) 監督:伊原春樹

豊田清が二年連続の最優秀救援投手き、森慎二も好調を維持したものの徐々に俺達が頭を現し始め、結局二位に終わる。伊東勤が現役を引退し、翌年監督となる。オフ松井稼頭央FA宣言し、ニューヨーク・メッツに移籍する。

2004年(74勝58敗1分、2位通過、日本一) 監督:伊東勤

松井稼頭央が抜けたを、中島裕之が埋める。

この年からプレーオフ(後のクライマックスシリーズ)導入。レギュラーシーズン2位通過。第1ステージ終戦北海道日本ハムファイターズ戦では豊田が被弾するが、高木浩之が「下を向くな!」と一。その後和田一浩サヨナラ弾。第2ステージダイエー戦では石井貴を奇襲的に起用するなど驚くような采配で接戦を制し、2年ぶりの優勝。日本シリーズ行きを決める。

中日との日本シリーズでも最終戦までもつれ込み、西武が12年ぶりの日本一く。第1戦・第7戦を先発石井貴MVPに選ばれた。
大友進中日にトレード移籍した。

ドラフト会議では、涌井秀章片岡易之らを名・獲得した。

2005年(67勝69敗、3位) 監督:伊東勤

交流戦おかわり君こと中村剛也ブレークし、三塁のレギュラーを掴む。石井義人も高打率を維持して二塁でレギュラー出場するが、遊撃手中島裕之も含めて内野の守備の低さは、松坂大輔から「球際に弱い」と苦言を呈せられるほどであった(→ファイヤーフォーメーション)。投手では、絶対的守護豊田清が勤続疲労により防御率4点台前という最悪の結果に終わってしまう。森慎二大沼幸二も不調で、ついに勝率五割を切ってしまった。
順位こそかろうじて三位を死守したが、プレーオフでは千葉ロッテマリーンズに敗れた。
オフ森慎二小関竜也MLB挑戦を表明し、タンパベイ・デビルレイズに移籍、小関ミルウォーキー・ブルワーズマイナー契約を結ぶ。豊田清FA宣言し読売ジャイアンツに移籍し、その人的補償として江藤智を獲得した。髙木大成引退

ドラフト会議では、炭谷銀仁朗らを名・獲得した。

2006年(80勝54敗2分、2位) 監督:伊東勤

片岡中島ら若手が頑ったものの、最終戦で敗れ、1ゲーム差の2位で終わる。2年の涌井が12勝を挙げ、新守護小野寺力も29セーブを挙げた。2006年オフ坂がポスティングシステムを使用し、ボストン・レッドソックスに入団。西武を去る。

ドラフト会議では希望岸孝之を獲得。

2007年(66勝76敗2分、5位) 監督:伊東勤

交流戦10連敗和田一浩がここぞという場面で併殺打を量産。高級アイスという「称」が生まれる(ハゲゲッツーハーゲンダッツ→高級アイス)。前年新守護となったはずの小野寺力乱調で抑え不在になりかけるが、前年加入するも期待を裏切ったアレックス・グラマンを苦の策でリリーフ転向させると予想外の適性を見せ、チームの窮地を救った。涌井が17勝を挙げ最多勝を獲得。新人も11勝を挙げたが、MLBに移籍した坂のを埋められず、26年ぶりのBクラスに転落。伊東監督が辞任し、和田中日に、カブレラオリックス・バファローズに移籍した。

オフにはFA宣言した石井一久を獲得(人的補償福地寿樹を失う)。カブレラに代わる大砲補として、クレイグ・ブラゼルヒラム・ボカチカを獲得。しかしシーズン前に不正スカウト問題が発覚したため、高校生ドラフト会議で獲得することはできなかった。

埼玉西武ライオンズ時代

2008年(76勝64敗4分、1位、日本一)「No Limit」 監督:渡辺久信

この年から二軍監督を務めていた渡辺久信が一軍監督に昇格した。球団名も『埼玉西武ライオンズ』となる。
大久保博元打撃コーチ導により打線が活性化し、過去二年間一桁本塁打に終わっていた中村剛也が46本塁打を記録して本塁打王くなど攻撃爆発した(チーム本塁打数198本)。長打だけでなく、片岡易之50盗塁を筆頭にチーム全体で107盗塁を決めるなど機動も発揮した。オナカスイタネやボッカチカにしてやんよが一時流行。リリーフではアレックス・グラマンが好調を維持し、チームとしては2003年豊田清以来の30セーブを記録した。8月14日には通算4000勝を達成。
マジック1で迎えた9月26日北海道日本ハムファイターズ戦では惜敗したものの、マジックチームオリックス・バファローズが敗れたため、4年ぶり21の優勝を果たした。

日本シリーズでは巨人と対戦。2勝3敗で迎えた第6戦では第4戦に先発した岸孝之を中2日でリリーフ登板させ勝利をもぎ取り、第7戦までもつれ込んだ。最終戦では片岡平尾博嗣の奮闘や、グラマンの好投で4年ぶりの日本一いた。

二遊間の守備が頼もしくなり、日本シリーズではチーム最小失策を記録。

アジアシリーズでも決勝戦で石井義人佐藤友亮が活躍し、サヨナラ勝ちで優勝した。※この年のアジアシリーズ韓国のSKワイバーン以外のチーム名がライオンズだった。

中村ホームラン王片岡盗塁王と、栗山と共に最多安打のタイトルを獲得。ゴールデンラブ賞を中島が受賞し、ベストナイン細川片岡中島中村栗山が選ばれた。しかし、崩壊するととことんまで落ち込む投手(いいときは抑えるので防御率自体は悪くない)の懸念が払拭されないまま、2009年を迎えてしまった。

高木浩之引退し、ブラゼル自由契約となる。

名場面の一つに挙げられているのが肉離れ

2009年(70勝70敗4分、4位) 監督:渡辺久信

清水隆行土肥義弘ジョン・ワズディンを獲得したが、期待通りの数字を残さず一軍二軍を行ったり来たり。昨季の守護を務めたアレックス・グラマンが離脱したことで中継ぎの層の薄さが露呈し、サヨナラ負けのリーグワーストを作るなど終盤に試合をひっくり返されることが多くなった。阪神からトレード移籍してきた藤田太陽が頑り、シーズン中盤までは3位をキープしていたが、場以降の楽天の追い上げを振り切ることができず最終的に勝率5割の4位に終わった。

ちなみにこの年は涌井が最多勝、沢村賞片岡盗塁王中島が最多安打、中村ホームラン王(二年連続)と打点王を獲得している。

オフにはボカチカ自由契約に。

ドラフト会議では菊池雄星を競合の末、ドラフト1位で獲得。オフにはブライアン・シコースキーディー・ブラウンを獲得。

2010年(78勝65敗1分、2位) 監督:渡辺久信

前年ドラフト会議で獲得した雄星菊池雄星)は左肩痛により一年間二軍暮らしとなる。

中継ぎ、抑えが安定し、中村など故障者が多く出たにも関わらず、前半戦を首位で折り返した。しかしシーズン終盤に失速し、最後の最後にソフトバンクに抜かれてしまい、優勝を逃し、ゲーム差なし・勝率わずか1厘差の2位に終わった。クライマックスシリーズ第一ステージ中継ぎ、抑えが崩壊し、ロッテに敗れた。10試合延長戦があったが、1勝8敗1分。延長戦の防御率は9.49勝率セ・リーグ最下位の横浜を下回る.143で、パ・リーグワースト。延長戦での弱さが立った。

オフには細川FA宣言し、ソフトバンクに移籍。16年ぶりに西武に復帰していた工藤公康が戦外となった。

ドラフト会議では大石達也を競合の末、ドラフト1位で獲得。牧田和久2位秋山翔吾を3位、熊代聖人を6位で獲得する。

2011年(68勝67敗9分、3位)「最下位からの挑戦」 監督:渡辺久信

開幕後に昨季のセーブ王シコースキーが故障離脱して抑えがいなくなり、中継ぎも安定せず交流戦後、新人牧田和久が抑えにまわる。しかし7月3日7月以降だと1996年以来15年ぶりの最下位に転落。前半戦を借15で折り返した。後半戦に入り、9月を19勝5敗2分で乗り切り、最大15もあった借を大幅に減らし、オリックスクライマックスシリーズ出場を競うところにまで立て直し、最終戦西武が勝ち、オリックスが負けたことで3位に上がり、クライマックスシリーズに進出。そのゲーム差はわずか1毛差(0.001差)であった。クライマックスシリーズ第一ステージ日本ハムを2勝0敗で下したが、第二ステージではソフトバンクに全敗した。

統一球ホームラン減する中、中村が自己最多タイ48本塁打ホームラン王と打点王を獲得。牧田22セーブをあげ、坂以来の新人王を受賞。秋山翔吾熊代聖人が台頭し、外野守備が頼もしくなった。

オフにはミンチェ帆足和幸FA宣言し、ミンチェオリックス帆足ソフトバンクに移籍した。後藤DeNAにトレード移籍、ホセ・フェルナンデス自由契約楽天に移籍した。G.G.佐藤石井義人が戦外となり、石井義人巨人に移籍。中島ポスティングMLBしたが、契約がまとまらず残留した。

ドラフト会議では十亀剣ドラフト1位で獲得。

2012年(72勝63敗9分、2位) 監督:渡辺久信

2012年スローガンは「出しきれ!」

しかし最初から出しきったのは俺達炎上で、先は先発投、封しないと勝てないという悲惨な状況だった。開幕から抑えを任されたエンリケ・ゴンザレスも安定せず、涌井秀章も開幕から3連敗で二軍調整。江草仁貴とのトレードで広島から移籍してきた嶋重宣も不振に陥り、ホームラン55本を期待された中村剛也交流戦に入るまで1本しか打てず、接戦を尽く落とした。

セ・パ交流戦の頃から少しずつ安定し、13勝11敗2分と持ち直した。中村は遅れを取り戻すかの如くホームランを12本放ったが、終盤の阪神戦で故障離脱してしまう。

リーグ戦が再開し、外野争いが熾化する。6月MVP補にもなった大崎雄太朗星秀和が台頭し、離脱した秋山を埋める活躍を見せた。中継ぎ長田秀一郎ランディ・ウィリアムスストッパー涌井で安定するようになり、前半戦を借1で折り返した。

後半戦は引き分けを挟み5連勝と好スタートを切り、8月には首位に浮上したが、この時期からに故障者が相次ぐ。フルイニング出場を続けていた栗山巧に至っては左手死球を受け、レギュラーシーズン絶望に追い込まれてしまう。中島裕之と右足、中村スランプと左ひざの怪でスタメンに名を連ねない試合が増えていく。西口文也も故障が長引き、日曜日はお試し先発となってしまう。

そんな状況が長引いた末に日本ハムの追撃を振り切れず、4年ぶりのリーグ優勝を逃した。クライマックスシリーズファーストステージでは1勝1敗で迎えた第3戦でソフトバンクに敗れた。

中村は故障に苦しみつつも、2年連続のホームラン王を獲得。

平尾佐藤友亮大島裕行阿部真宏引退藤田太陽星野智樹が戦外となり、それぞれヤクルト楽天に移籍。トレードでは原拓也放出し、山崎浩司を獲得。外国人では前広島デニス・サファテ、復帰のシコースキーNPBで実績のある選手を補強した。FA宣言した中島は、オークランド・アスレチックスに移籍。

ドラフト会議では増田達至1位金子侑司を3位、高橋朋己を4位で獲得。

2013年(74勝66敗4分、2位) 監督:渡辺久信

4月は首位を独走していたが、5月から徐々に低迷し、セ・パ交流戦で負け越し。この間西日本では1勝しか挙げられず、オールスターファン投票ではも選出されなかった。

後半戦に入っても流れは変わらず、場は俺達炎上9月26日楽天戦(西武ドーム)で、楽天に初優勝と胴上げを献上した。

最後の8試合で猛スパートをかけ、福岡ソフトバンクホークスに2連勝し3位に浮上すると、最後の千葉ロッテマリーンズ戦で勝利し、二年連続の2位をもぎ取った。しかしクライマックスシリーズでは1勝2敗でロッテに敗れ、4年連続の敗退となった。

4番に定着した浅村栄斗110打点で打点王を獲得。中盤から1番に定着したエステバン・ヘルマンが最高出塁率のタイトルを獲得。

渡辺久信は就任後一度しか優勝できなかったことを理由にこの年をもって監督を辞任し、石井一久嶋重宣が現役を引退星秀和坂元弥太郎が戦外となり、成績を残せなかったホセ・オーティズライアン・スピルボーグスクリス・カーター自由契約となった。

さらに中継ぎで9勝を挙げたデニス・サファテヘルマン契約がまとまらず退団しそれぞれソフトバンクオリックスへ移籍。また片岡治大涌井秀章FA宣言し、片岡巨人、涌井はロッテに移籍する、動のストーブリーグとなった。

ドラフト会議では森友哉1位豊田拓矢を3位で獲得。

2014年(63勝74敗4分、5位) 監督:伊原春樹→田辺徳雄

詳細はプロ野球2014を参照

2015年(69勝69敗5分、4位) 監督:田辺徳雄

詳細はプロ野球2015を参照

2016年(64勝76敗5分、4位) 監督:田辺徳雄

詳細はプロ野球2016を参照

2017年(??勝??敗?分、?位) 監督:辻発彦

詳細はプロ野球2017を参照

年度別球団成績

2017年終了時点)









西鉄クリッパー
1950年 宮崎 5 120 51 67 2 .432
西鉄ライオンズ
1951年 三原 2 105 53 42 10 .558
1952年 3 120 67 52 1 .563
1953年 4 120 57 61 2 .483
1954年 1 140 90 47 3 .657
1955年 2 144 90 50 4 .643
1956年 1 154 96 51 7 .646
1957年 1 132 83 44 5 .648
1958年 1 130 78 47 5 .619
1959年 4 144 66 64 14 .508
1960年 川崎徳次 3 136 70 60 6 .538
1961年 3 140 81 56 3 .589
1962年 中西太 3 136 62 68 6 .477
1963年 1 150 86 60 4 .589
1964年 5 150 63 81 6 .438
1965年 3 140 72 64 4 .529
1966年 2 138 75 55 8 .577
1967年 2 140 66 64 10 .508
1968年 5 138 56 74 3 .431
1969年 中西太
鬼頭政一
5 130 51 75 4 .405
1970年 稲尾和久 6 130 43 78 9 .355
1971年 6 130 38 84 8 .311
1972年 6 130 47 80 3 .370
太平洋クラブライオンズ
1973年 稲尾和久 4 130 59 64 7 .480
1974年 4 130 59 64 7 .480
1975年 江藤愼一 3 130 58 62 10 .483
1976年 レオ・ドローチャー
鬼頭政一
6 130 44 76 10 .367
クラウンライターライオンズ
1977年 鬼頭政一 6 130 49 73 8 .402
1978年 根本陸夫 5 130 51 67 12 .432
西武ライオンズ
1979年 根本陸夫 6 130 45 73 12 .381
1980年 4 130 62 64 4 .492
1981年 4 130 61 61 8 .500
1982年 達朗 1 130 68 58 4 .540
1983年 1 130 86 40 4 .683
1984年 3 130 62 61 7 .504
1985年 1 130 79 45 6 .637
1986年 森祇晶 1 130 68 49 13 .581
1987年 1 130 71 45 14 .612
1988年 1 130 73 51 6 .589
1989年 3 130 69 53 8 .566
1990年 1 130 81 45 4 .643
1991年 1 130 81 43 6 .653
1992年 1 130 80 47 3 .630
1993年 1 130 74 53 3 .583
1994年 1 130 76 52 2 .594
1995年 東尾修 3 130 67 57 6 .540
1996年 3 130 62 64 4 .492
1997年 1 135 76 56 3 .576
1998年 1 135 70 61 4 .534
1999年 2 135 75 59 1 .560
2000年 2 135 69 61 5 .531
2001年 3 140 73 67 0 .521
2002年 伊原春樹 1 140 90 49 1 .647
2003年 2 140 77 61 2 .558
2004年 伊東勤 1 133 74 58 1 .561
2005年 3 136 67 69 0 .493
2006年 2 136 80 54 2 .597
2007年 5 144 66 76 2 .465
埼玉西武ライオンズ
2008年 渡辺久信 1 144 76 64 4 .543
2009年 4 144 70 70 4 .500
2010年 2 144 78 65 1 .545
2011年 3 144 68 67 9 .504
2012年 2 144 72 63 9 .533
2013年 2 144 74 66 4 .529
2014年 伊原春樹
田辺徳雄
5 144 63 77 4 .450
2015年 田辺徳雄 4 143 69 69 5 .500
2016年 4 143 64 76 3 .457
2017年 2 143 79 61 3 .564
通算:67 4656 4140 362 .529

太字年日本一達成。

順位

シーズン最高成績(チーム)

シーズン最低成績(チーム)

シーズン個人最高成績(野手)

シーズン個人最高成績(投手)

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ページ番号: 493792 リビジョン番号: 2542092
読み:サイタマセイブライオンズ
初版作成日: 08/08/25 15:09 ◆ 最終更新日: 17/11/22 00:26
編集内容についての説明/コメント: 【更新】首脳陣・OB
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埼玉西武ライオンズについて語るスレ

458 : ななしのよっしん :2017/08/18(金) 00:33:40 ID: RnMoVAU8B8
首位ソフトバンクとは未だに5.5ゲームもあるが、この後を引き締めていけば優勝争いも大いにありうるね
若手が躍動してきたところにベテラン栗山サヨナラホームラン
まだまだ活性化しそうだよ、打線はな
459 : ななしのよっしん :2017/08/24(木) 21:34:09 ID: RnMoVAU8B8
と先日書いていたが、おお、もう。。。
460 : ななしのよっしん :2017/09/16(土) 16:27:27 ID: lFWd/92HOx
また今年も対戦相手の胴上げをホームゲームで見届けることになってしまったか
461 : ななしのよっしん :2017/09/16(土) 17:29:22 ID: RnMoVAU8B8
他球団の優勝ばかり見せられおって…
462 : ななしのよっしん :2017/09/18(月) 21:28:17 ID: ukMFgDd9bY
とかいいつつ優勝決定以外はサヨナラ二連勝、今日の試合は楽しかった。
463 : ななしのよっしん :2017/10/06(金) 16:36:34 ID: RnMoVAU8B8
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/10/06/kiji/20171006s00001173186000c.html

載って欲しくない名前ばかりだな・・・
464 : ななしのよっしん :2017/10/16(月) 21:39:07 ID: RnMoVAU8B8
終戦1stステージ門になってるな
465 : ななしのよっしん :2017/10/27(金) 11:23:46 ID: RnMoVAU8B8
高木渉が支配下選手になって一軍に上がったら、コナン高木にゲーフラ作る人いるんだろうか
中島の時もサザエさんナカジマがあったでしょ?

ところで本当にコーチを兼任させること前提で松井稼頭央とりにいくのか?
466 : ななしのよっしん :2017/11/05(日) 22:40:55 ID: RnMoVAU8B8
のマウンドの件が本当なら、FA取得したらどんどん出ていかれるな
第二球場修だって今さら始めるみたいだし
ちなみに坂どうするかみたいな報道あるけどいらないでしょ
467 : ななしのよっしん :2017/12/08(金) 20:34:34 ID: 3ziWkKCFYd
浅村単年契約か・・・来年FAなんだが(白目
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