大包平(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲーム「刀剣乱舞」に登場するキャラクターである。
概要
古備前派の刀工包平作の太刀。
共に刀剣の横綱といわれながら、天下五剣でもある童子切安綱をライバル視する。
歴史的な逸話や伝説にやや乏しく、池田輝政に見出されたという一説は彼の拠り所。
同郷の鶯丸に観察されている。
(公式Twitterより)
赤い短髪に勝気そうな表情が印象的な青年の姿を取る。
戦装束は、黒に赤を基調とした学ラン風の洋装に大鎧の大袖と栴檀板(せんだんのいた)を重ね、ベルトで留めている。襟にあしらわれた蝶型の金具は、前の主である池田家の家紋「備前蝶」を反映してのものか。
内番衣装は鶯丸とお揃いのジャージ。
同じ古備前の鶯丸(刀剣乱舞)からは「兄弟のようなもの」と呼ばれており、何かと大包平が実装される事が前提の台詞が多い。その為サービス開始以来、実装が心待ちにされていた。
2015年の時点で、ニトロプラスのでじたろう氏からは「大包平は来年(2016年)実装します」というアナウンスがあった。これを受けて新たな刀剣男士らが発表されるたび、審神者達が「大包平か!?」と色めき立っては「ノーカネヒラでフィニッシュです」となり、Twitterトレンドとなるというのがほぼ恒例行事と化していた。
しかし2016年12月19日、公約通りに遂に実装が発表。Twitterトレンドを「大包平」「ノーカネヒラ」そして「イエスカネヒラ」が席巻、果ては世界トレンド第2位入りを果たすという事態となった。
これを受け、ニコニコ動画でも「世界トレンド2位の男」というタグがつく羽目に。もう許してやれよ
シナリオ担当の芝村裕吏氏によると「最初に作った」刀剣男士らしく、実に2年近くの歳月を経て実装された事になる。おめでとう!
2016年12月20日~2017年1月17日のイベント「連隊戦」の最終報酬として登場したのだが、御歳魂(おとしだま)10万個という途方もない目標設定に、多くの審神者が度肝を抜かれた。ちなみに昨年度の連隊戦では、最終報酬の膝丸(刀剣乱舞)が御歳魂5万個だった。
......かと思いきや、イベント開始後14時間で10万達成して大包平を入手した審神者が確認され、別の意味で度肝を抜かれる事となった。すごんい。
ちなみに確定報酬の中に鶯丸がいるため、鶯丸難民の救済措置にもなっていた。運営ちゃん優しい。
イベント終了後、現在は入手不能。追ってイベントでの入手または本実装が待たれる。
「大包平こそ、もっとも美しいと言う奴もいる」と名刀としての自負が強い面を見せる一方で、「馬鹿という方が馬鹿だ!それに気付くのが遅すぎた...」と、上記にもあるように逸話や伝説が乏しいことから様々なことを言われ気にしていた過去がある面も見せる。とはいえ「いじけてなどいない」と強がりめいた言葉も口にし、思うところは未だ多いが刀剣の西の横綱として堂々とした性格をしている。
また、長らく大切に扱われていた事もあってか、道中で資材を拾うと「誰か、拾っておけ!」攻撃開始時に「訓練通りにやれ!突撃だ!」など、居丈高な台詞を口にすることも。しかし畑当番では「地味な仕事は得意だ」と発言し、刀装を与えられると「せいぜい頑張って奉公するさ」と言うなど、謙虚なところも見せる。
何処かの写しさんを思わせるような……
なお、大包平に馬鹿と言ったのが童子切か鶯丸かは謎だが、鶯丸は「大包平が今日も馬鹿やってそうだなーって」と口にしているので、存外後者かも知れない。
とは言え、鶯丸は「他人がなんて言うかなんかどうでもいい」という言葉を伝えたがっているのと、後述の回想を踏まえても、悪い関係ではない様子。
鶯丸(刀剣乱舞)と一緒に出陣すると、回想が発生。
童子切と決着をつけようと鼻息の荒い大包平に茶々を入れる鶯丸という、微笑ましい一幕が拝める。
また鶯丸のほか、三日月宗近(刀剣乱舞)・大典太光世(刀剣乱舞)・数珠丸恒次(刀剣乱舞)、小烏丸(刀剣乱舞)との手合わせでも特殊台詞が発生。
流石に相手は天下五剣&日本刀の父、食ってかかってはこてんぱんにされるというのがお約束となっている。しかし数珠丸に対してはその刃徳に呑まれたか、思わず敬語を使って礼儀正しく相対するなど、馬鹿やってる新たな一面が伺える。
史実
平安時代の刀工・包平(かねひら)作の太刀。
備前の刀工で、高平(たかひら)助平(すけひら)と並び、備前三平と称される。
古刀の最上作として名高く、著名作には源頼朝の佩刀「簾丸(すだれまる)」、平景清の愛刀「癬丸(あざまる)」などが存在する。
包平作の傑作という意味を込めて「大包平」と称する。刃長89.2cmとかなり大きな部類になるが、重ねが薄い事もあり、重量は非常に軽く出来ている。
極めて高い技量によって打たれており、「現存する全ての日本刀中の最高傑作」とされ、天下五剣の一振・童子切安綱と並び、「日本刀の東西の大横綱」と称される事もある。
その美しさから、戦後にGHQ最高司令官・マッカーサーが譲渡を所望したが「自由の女神と引き換えだ」と言われて諦めた、という話も伝わる。
過去の来歴は不明ながら、播磨姫路藩の初代藩主にして「姫路宰相」こと池田輝政が所持していた、というのが最初の記録である。
輝政は父の代から織田信長に臣従し、その後も豊臣秀吉、徳川家康に重用される武将であった。徳の高い逸話が多く伝わる仁君であり、現在の姫路城の形を作った事でも知られる。徳川家との縁戚もあって、同家はおおいに繁栄した。
大包平について輝政は「一国に値する」と評し、以後は「門外不出の宝」として同家で大事にされてきた。毎年正月の具足祝(ぐそくいわい)の儀において、甲冑と共に大包平を飾るという習わしがあったと伝わっている。
この「門外不出」という掟は絶対で、刀剣愛好家でもある明治天皇が大包平を見たいと所望した時でさえ「畏れ多い事では御座いますが、岡山までおいで頂く事となります」と奏上している程である。
昭和8(1933)年に重要美術品指定。そして昭和11(1936)年、旧国宝指定の審議を受ける……
……筈だったのだが、池田家は「大包平は門外不出の宝なので出す訳に行かない」と提出を拒否。
この時相談を受けたのが、当時国宝審査委員を務めていた細川護立(歌仙兼定の所有者)であった。
護立侯の妻・博子夫人は池田家から嫁いでおり、当時の池田家当主・池田宣政とは義理の兄弟に当たる。
このよしみを通じ、二人は大包平の審議について話し合った。そして、
「門外不出ならば、塀の上から出すのはどうだろうか?」
「それならよろしい」
というコントのようなやり取りの上、無事に審議を通って指定を受ける事となった。
嘘のような話だが本当である。
その後時代は移り、大包平は昭和42(1967)年、6500万円(2億2000万円相当)で文部省に買い上げられ、国有化された。
以後は国宝指定を受け、東京国立博物館に所蔵。不定期ながら、年1回の頻度で展示されている。
一風変わった所では、2009年10月21日~2010年1月10日、ニューヨーク・メトロポリタン美術館で開催された特別展に出展・展示された事がある。英語では「Great Kanehira」と表記。
ちなみにこの時、厚藤四郎、へし切長谷部、鳴狐も共に海を渡って展示されている。
関連動画
関連項目
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