大矢明彦とは、元プロ野球選手(捕手)、元横浜ベイスターズ監督である。
→やる大矢
概要
駒澤大学から、1969年のドラフト7位でヤクルトアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)に入団。球界一と言われた鉄砲肩を武器に、正捕手不在のチームで1年目からレギュラーを掴むと、その後10年以上に渡って正捕手としてチームを支えた。が、衰えが目立ちだすと同期入団で年下の八重樫幸雄に正捕手の座を奪われ、85年に引退した。打撃成績は平凡だが、年間盗塁阻止率5割以上を4度記録(この記録は他に田淵幸一と古田敦也のみが持つ。古田は5度)。通算盗塁阻止率.433は古田敦也(.462)に次いで歴代2位の記録である。
引退後はしばらく解説者を務めたのち、93年に横浜ベイスターズのバッテリーコーチとなり、96年に監督に就任。97年にはヤクルトとの熾烈な優勝争いの末2位となるが、全幅の信頼を置いていたヘッドコーチの弘田澄夫が更迭されたことでフロントと対立し辞任。翌年、権藤博監督の元で横浜は38年振りのリーグ優勝を果たす。
その後は解説者に戻っていたが、2007年から横浜の監督に復帰。1年目はトレードや人的補償で獲得した仁志敏久・寺原隼人・工藤公康ら新戦力の活躍がチームを刺激し、一時は首位にも立った。夏場以降失速するも、終盤までCS争いに絡み、前年の最下位から4位に浮上する。
しかし2008年は巨人に移籍した守護神クルーンの穴が埋まらない上にエース三浦大輔を故障で欠いたまま開幕を迎えると、新外国人の総崩れと投手起用の不安定さ、継投の拙さが露呈して投手陣が完全に崩壊。負け試合でも無駄に投手を大量につぎ込む采配は、かつてのマシンガン打線とかけてマシンガン継投と揶揄され、その最下位独走ぶりと裏目に出続ける采配に、2ちゃんねるプロ野球板では「やる大矢」スレが誕生、板を代表する人気スレにまでなってしまった。結局シーズン94敗、勝率(.338)が首位打者を獲った内川聖一の打率(.378)を大幅に下回るという珍記録を樹立し、ぶっちぎりの最下位に沈む。が、3年契約だったことから監督続投が決まった。しかし、2009年のシーズンも球団ワーストタイの開幕6連敗などで最下位に低迷し、その責任をとって5月18日にシーズン途中で退任することとなった。以降は二軍監督の田代富雄が代行を務めた。
第一次政権の頃から、無類のコンバート好きである。が、マトモに成功したのは第一次政権では石井琢朗(当時三塁手)の遊撃手コンバートぐらいで、他はだいたい失敗している。また2008年は、投手陣の台所事情が火の車であるとはいえ、中継ぎ登板した投手を中1日で先発させたり、二軍で先発したばかりの投手をすぐ昇格させて即中継ぎ登板させるなど、無茶な投手起用が非常に目立った。
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読み:オオヤアキヒコ
初版作成日: 09/03/04 02:24 ◆ 最終更新日: 09/11/05 03:45
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