大谷吉継とは、1559年生まれの日本の戦国武将・大名である。
概要
幼い頃から羽柴秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いや小田原攻めなど、秀吉の天下統一事業を助けて各地で活躍する。
秀吉をして「100万の兵を与えて存分に指揮させて見たい」と言わしめたほどの名将であった。
ハンセン病を患っていたと言われており(梅毒説もある)、常に顔を白い布で隠していたことで有名。末期になると馬に乗ることも難しく、4人担ぎの輿に乗り紙の鎧兜を付けて指揮に当たっていたという。また、茶の湯の席でお茶を回し飲みする際、吉継が口をつけた湯飲みには誰も口をつけなかったが、ただ1人石田三成のみが気にせずに茶を飲んだという説話が伝わっている。このエピソードは後述する石田三成との友情につながっていく。
徳川家康と親しかったが、関ヶ原の戦いでは親友・石田三成との友情を取り、西軍に参戦する。
関ヶ原の戦いで数少ない、西軍としてまともに戦っていた武将のうちのひとりであったが、裏切った小早川秀秋の猛攻撃を受ける。小早川勢1万5000に対し、大谷勢は東軍と渡り合っていたのも含めて5700程度と言う兵力差でありながら数度にわたって小早川勢を押し戻すことに成功する。むしろ何で小早川勢は予備隊600にすら押し戻されてるんだとか言ってはいけない。そういう仕様です。
しかし小早川を追撃しようとした瞬間にさらに脇坂安治ら四将が裏切り、前面から東軍諸隊、側面・後背から内応諸隊の包囲攻撃を受けて軍勢が総崩れとなり、自害する。享年42。その首は家臣が関ヶ原の地中に埋め、見つからなかった。
ニコニコ動画では
ニコニコ歴史戦略ゲーの大谷吉継
「信長の野望」「太閤立志伝」などにおいては、主な活躍をした年代が信長死後からということで、どうしても登場機会は限られてしまう。
さらに、関ヶ原シナリオこそが大谷吉継の活躍の場なのだが、たいていのシリーズは武田信玄や上杉謙信など各地に群雄が割拠する時代を選ぶため関ヶ原シナリオの動画は少ない。
数少ない関ヶ原シナリオ「石田家の野望」においては盟友石田三成と共に家康に立ち向かう。
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
http://dic.nicomoba.jp/k/a/%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E5%90%89%E7%B6%99


ページ番号: 3246918
リビジョン番号: 1233605
読み:オオタニヨシツグ
初版作成日: 09/05/21 19:21 ◆ 最終更新日: 11/07/20 20:59
編集内容についての説明/コメント: 関連項目追加
記事編集 / 編集履歴を閲覧 / Twitterで紹介





JASRAC許諾番号: 9011622001Y31015
ヘッダー:固定
ヘッダー:追従