単語記事: 天皇の一覧

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天皇の一覧とは、日本の歴代天皇125123人(+7人)の一覧である。     は女

神話時代

天皇
読み
在位
1 神武天皇
(じんむ)
紀元前6601月1日 - 紀元前585年3月11日
ウガヤフキアエズノミコト
タマヨリヒメ
初代天皇。ニニギノミコト曾孫、アマテラスオオミカミ(天照大御神)来孫とされる。実在疑問視。
2 綏靖天皇
(すいぜい)
紀元前581年1月8日 - 紀元前549年5月10日
神武天皇
メタタライスズヒメ
日本書紀』および『古事記』において事績が記されていない天皇である「欠史八代」。実在疑問視。
3 安寧天皇
(あんねい)
紀元前549年7月3日 - 紀元前511年12月6日 綏靖天皇
イスヨリヒメ
欠史八代。実在疑問視。
4 懿徳天皇
(いとく)
紀元前5102月4日 - 紀元前4779月8日 安寧天皇
ヌナソコナカツヒメ
欠史八代。実在疑問視。
5 孝昭天皇
(こうしょう)
紀元前4751月9日 - 紀元前393年8月5日 懿徳天皇
アマトヨツヒメノミコト
欠史八代。実在疑問視。
6 孝安天皇
(こうあん)
紀元前392年1月7日 - 紀元前2911月9日 孝昭天皇
ヨソタラシヒメ
欠史八代。実在疑問視。
7 孝霊天皇
(こうれい)
紀元前2901月12日 - 紀元前2152月8日 孝安天皇
オシヒメ
欠史八代。実在疑問視。
8 孝元天皇
(こうげん)
紀元前2141月14日 - 紀元前1589月2日 孝霊天皇
クワシヒメ
欠史八代。実在疑問視。
9 開化天皇
(かいか)
紀元前15811月12日 - 紀元前984月9日 孝元天皇
ウツシコメ
欠史八代。実在疑問視。
10 崇神天皇
(すじん)
紀元前971月13日 - 紀元前3012月5日 開化天皇
イカガシコメ
実在性がある最初の天皇昭和の「三王交替説」で「三輪」の祖とされた。
11 垂仁天皇
(すいにん)
紀元前29年1月2日 - 紀元707月14日 崇神天皇
マキヒメ(ミマツヒメ)
実在疑問視。
12 景行天皇
(けいこう)
717月11日 - 13011月7日 垂仁天皇
バスヒメ
実在疑問視。日本武尊とされる。
13 成務天皇
(せいむ
1311月5日 - 1906月11日 景行天皇
ヤサカイリヒメ
実在疑問視。
14 仲哀天皇
(ちゅうあい)
1921月11日 - 200年2月6日 大和武尊 (ヤマトタケルノミコト
 景行天皇
フタジノイリヒメノヒメミコ
 垂仁天皇
実在疑問視。

神功皇后摂政

天皇
読み
在位
(15) 皇后
(じんぐうこうごう)
20111月14日 - 2696月3日 息長宿
 (開化天皇の玄孫)
カツラギタカヌカヒメ
オキガタラシヒメノミコト(気長足尊・息長帯売命)。明治時代以前は第15代の天皇として数えられていた。
実在は疑問視されているが、日本書紀の記述等から邪馬台国女王卑弥呼もしくは豊与(壱与)、あるいはアマテラスオオミカミとの同一人物説がある。朝鮮半島へ出兵したと伝わる(三征伐)。

天皇
読み
在位
15 天皇
(おうじん)

2701月1日 - 3102月15日

諱:誉田別(ほむたわけ・ほんだわけ)

仲哀天皇
皇后
実在がほぼ確実視される最初の天皇。「倭の五王」の「讃」か。昭和の「三王交替説」で「河内」の祖とされた。
16 仁徳天皇
(にんとく)

313年1月3日 - 399年1月16日

諱:大鷦鷯(おほさざき)

天皇
カツヒメ
大山古墳の被葬者とされる。「倭の五王」の「讃」あるいは「」か。
17 履中天皇
(りちゅう)

400年2月1日 - 405年3月15日

諱:去来穂別(いざほわけ)

仁徳天皇
イワノヒメ
「倭の五王」の「讃」か。
18 反正天皇
(はんぜい)

406年1月2日 - 410年1月23日

諱:瑞別(みずはわけ)

仁徳天皇
イワノヒメ
「倭の五王」の「」か。
19 允恭天皇
(いんぎょう)

412年12月 - 453年1月14日

諱:稚子(わくご)

仁徳天皇
イワノヒメ
「倭の五王」の「済」か。
20 安康天皇
あんこう

453年12月14日 - 456年8月9日

諱:穂(あなほ)

允恭天皇
オシサカノオオナカツヒメ
記録上、暗殺された天皇の初例。「倭の五王」の「」か。
21 雄略天皇
ゆうりゃく)

456年11月13日 - 4798月7日

諱:幼武(わかたける

允恭天皇
オシサカノオオナカツヒメ
稲荷古墳出土の「獲加多支ワカタケル大王」とされる。「倭の五王」の「武」か。
22 清寧天皇
(せいねい)

480年1月15日 - 484年1月16日

諱:白髪(しらか)

雄略天皇
カツラギノカラヒメ
子女し。皇族の億計王・計王の兄弟を探し出し、皇位を継がせる。

「飯豊天皇」

天皇 在位
飯豊皇女 484年1月 - 11月 履中天皇
あるいは辺押磐皇子
ハエヒメ (葛城氏)
あるいはクロヒメ (田氏)
イイトヨアオノヒメミコ。清寧天皇崩御から顕宗天皇即位までの間、執政(即位?)したといわれる。
日本書紀』『古事記』では外れているが、『扶桑略記』などでは即位扱い。戦前までは「代数には含めないが天皇の尊号を贈り奉る」。現在宮内庁では「飯豊天皇」として祭しているという。

天皇
読み
在位
23 顕宗天皇
(けんぞう)

485年1月1日 - 487年4月25日

諱:来稚子(くるめのわくご)

辺押磐皇子
 履中天皇
ハエヒメ (葛城氏)
計王。辺押磐皇子は雄略天皇に殺され、の億計王とともに長年隠れ住む。の説得で、先に即位。
24 仁賢天皇
(にんけん)

488年1月5日 - 498年8月8日

諱:大脚(おおし)・大為(おおす)

辺押磐皇子
 履中天皇
ハエヒメ (葛城氏)
億計王。の崩御により即位。
25 天皇
(ぶれつ)

498年12月 - 506年12月8日

諱:稚鷦鷯(わかさざき)

仁賢天皇
カスガノオオイラツメノヒメミコ
 :雄略天皇
日本書紀』では悪逆非暴君として描かれる(『古事記』にはし)。皇子女く、仁徳天皇からの皇統断絶。

継体天皇から乙巳の変

天皇
読み
在位
26 継体天皇
(けいたい)
507年2月4日 - 531年2月7日 人王
 (応天皇の来孫?)
振媛
 垂仁天皇の7世孫?)
越前の「男大王」(おおどのおおきみ)。仁賢天皇皇女の手皇女皇后とし、正統性を確保。
血統の特異性から新王の開祖とみなし、「万世一系」を否定する説が後を絶たない。
27 安閑天皇
あんかん)

531年2月7日 - 535年12月17日

諱:匂(まがり)

継体天皇
子媛
天皇と皇位継承を争ったという説がある。(辛の変?)
28 宣化天皇
(せんか)

535年12月 - 539年2月10日

諱:檜高田(ひのくまのたかた

継体天皇
子媛
天皇と皇位継承を争ったという説がある。(辛の変?)
29 天皇
(きんめい)
539年12月5日 - 571年4月 継体天皇
皇女
 :仁賢天皇
仏教伝」時の天皇。「任那日本府」の滅亡。「辛の変」の有によっては即位年が変わる。
30 敏達天皇
(びだつ)

572年4月3日 - 585年8月15日

諱:他田(おさた)

天皇
皇女
 :宣化天皇
二人皇后が異の額田部皇女(推古天皇)。在任中で世界最古の企業である金剛組が発足。
31 用明天皇
(ようめい)

585年9月5日 - 587年4月9日

諱:池辺(いけのべ)

天皇
蘇我
 :大臣・蘇我
聖徳太子こと厩戸皇子の実天然痘に患し在任2年で崩御。
32 崇峻天皇
(すしゅん

587年8月2日 - 592年11月3日

諱:泊瀬部(はつせべ)

天皇
蘇我
 :大臣・蘇我
蘇我馬子に擁立され、蘇我馬子に暗殺される。存在が確実で、暗殺された天皇一の例。
33 推古天皇
(すいこ)

592年12月8日 - 628年3月7日

諱:額田部(ぬかたべ

天皇
蘇我
 :大臣・蘇我
皇后・飯豊皇女を除けば、史上最初の女性天皇。これ以後の天皇の在位年は確実とされる。
夫君は敏達天皇で皇子女く、皇太子厩戸皇子聖徳太子)を擁立。冠位十二階十七条憲法。遣隋使の派遣
34 舒明天皇
(じょめい)

629年1月4日 - 641年10月9日

諱:田村たむら

押坂人大皇子
 :敏達天皇
糠手皇女
 :敏達天皇
は異兄妹近親婚皇后は宝王(皇極天皇)、側室に蘇我馬子。最初の遣唐使派遣
35 皇極天皇
(こうぎょく)

642年1月15日 - 645年6月14日

諱:宝(たから)

茅渟王
 :押坂人大皇子)
吉備
舒明天皇皇后中大兄皇子・大海人皇子・間人皇女の変で蘇我氏本宗が滅亡。
軽皇子(孝徳天皇)に皇位を譲る(日本初の生前譲位とされる)が、孝徳崩御後に「斉明天皇」として再即位(重祚)。

大化改新から藤原京時代

天皇
読み
在位
36 孝徳天皇
(こうとく)

645年6月14日 - 654年10月10日

諱:軽(かる)

茅渟王
 :押坂人大皇子)
吉備
大化新。難波遷都皇太子(甥)中大兄皇子と対立して憤死。子に、謀反の罪で処刑される有間皇子。
37 斉明天皇
(さいめい)

655年1月3日 - 6617月24日

諱:宝(たから)

茅渟王
 :押坂人大皇子)
吉備
皇極天皇の再即位(重祚)。羅夫の夷征伐。済救援出兵(村江の戦い)中に九州で崩御。
38 天智天皇
(てんち
/てんじ)

6617月24日 - 671年12月3日

諱:葛城(かつらぎ・かづらき)

舒明天皇
皇極天皇 (斉明天皇
大化新の立役者中大兄皇子。斉明崩御後、668年までは皇太子のまま執政(称制)。大津遷都後に即位。
39 弘文天皇
(こうぶん)

671年12月5日 - 672年7月23日

諱:大友(おおとも)

天智天皇
賀宅子
大友皇子。江戸時代までは、即位を示す文献・学説は豊富だったものの、『日本書紀』が智の次を武としていたため、公式には非即位と見做されていた。明治3年に至り「弘文天皇」の諡号を奉って、天皇に列した。
申の乱で敗死。
40 天皇
(てんむ)

673年2月27日 - 6869月9日

諱:大海人(おおあまひと)

舒明天皇
皇極天皇 (斉明天皇
海人皇子。申の乱に勝利して即位。八色の姓・飛鳥浄御原令を制定。『日本書紀』『古事記』の編纂開始。
日本」の号と「天皇」の称号を最初に使用した天皇とされる。子に高皇子(太政大臣)・皇子(皇太子)・大津皇子・舎人親王(日本書紀編者)・十皇女弘文天皇妃)など。
41 持統天皇
(じとう)

6869月9日 - 6978月1日

諱:鸕野讃良(うののさらら)

天智天皇
蘇我遠智
 :右大臣・蘇我山田石川麻呂
鸕野讚良皇女(うのさららひめみこ)。天皇皇后武帝崩御後、皇太子の後見として執政(称制)するが、急逝のため即位。藤原の造営(694遷都)。697年に文武天皇へ譲位し、初の太上天皇(上皇)を称する。
42 文武天皇
(もんむ)

6978月1日 - 707年6月15日

諱:(かる)

皇子
 天皇 持統天皇
阿部皇女元明天皇
軽皇子。大宝令の制定。「大宝」(701年)以後、元号制度が確立する。遣唐使を再開。
43 元明天皇
(げんめい)

707年7月17日 - 715年9月2日

諱:(あへ)

天智天皇
蘇我
 (:右大臣・蘇我山田石川麻呂
皇子の妃。文武天皇急逝・首皇子(聖武天皇)幼少のため、中継ぎとして即位。710年、遷都
日本最初の流通貨幣・和同開の発行。715年に元正天皇へ譲位(史上一の女から女への皇位継承)。

奈良時代

天皇
読み
在位
44 元正天皇
(げんしょう)

715年9月2日 - 724年2月4日

諱:氷高(ひたか

皇子
 天皇 持統天皇
阿部皇女元明天皇
文武天皇の同、氷高皇女独身で即位した最初の女。首皇子幼少・政局不安のため「中継ぎ中継ぎ」として即位。養老令の編纂開始。「三世一身の法」を施行。724年、首皇子に譲位して上皇。
45 聖武天皇
(しょうむ)

724年2月4日 - 7497月2日

諱:首(おびと)

文武天皇
藤原宮子
 :右大臣・藤原等)
首皇子(おびとのみこ)。天然痘の流行、長屋王の変、藤原広嗣の乱など社会動乱多発。「墾田永年私財法」を施行。
厭世観から仏教に傾倒。東大寺舎那を造営。749年、皇太子倍内親王に譲位。史上初の男性の上皇。
46 孝謙天皇
(こうけん)

7497月2日 - 7588月1日

諱:倍(あべ)

聖武天皇
皇后 藤原明子
 :右大臣・藤原等)
倍内親王。聖武天皇男子全員逝したため、史上一の女性の「皇太子」。藤原麻呂の奏請により、祖王から大炊王(天皇)に皇太子を変更。奈良麻呂の乱。787年、譲位して上皇。
47 天皇
じゅんにん)

淡路

7588月1日 - 76410月9日

諱:大炊(おおい)

舎人親王
 天皇
当麻人山背
大炊王。藤原麻呂の傀儡。孝謙上皇と仲麻呂の対立(恵美押勝の乱)に巻き込まれ、位。淡路へ追放され、長く「淡路」と称される。明治3年に至り「天皇」として天皇の列に復す。淡路での暗殺説あり。
48 称徳天皇
しょうとく

76410月9日 - 770年8月4日

諱:倍(あべ)

聖武天皇
皇后 藤原明子
 :右大臣・藤原等)
孝謙天皇の再即位(重祚)。を重用し、への譲位を図る(八幡託事件)など政局混乱独身のため、天皇の直系血統は断絶。また、江戸時代の明正天皇に至るまで「最後の女」。
49 天皇
(こうにん)

770年10月1日 - 781年4月3日

諱:(しらかべ)

施基皇子
 天智天皇
紀橡 (き の とちひめ
王。称徳天皇の遺詔(偽造?)により皇位継承。継体天皇以後では、史上最高齢(62歳)の即位。を追放。
聖武天皇皇女井上内親王(称徳天皇)を皇后・子の他戸親王を皇太子としていたが、呪詛疑惑により位・追放。山部親王(桓武天皇)を新たに立太子。

平安時代(9世紀)

天皇
読み
在位
50 桓武天皇
(かんむ)

柏原天皇

781年4月3日 - 806年3月17日

諱:山部(やまべ)

天皇
高野
 済・武寧王の10世孫?)
山部親王。井上内親王と他部親王の失脚により立太子され、天皇の譲位を受け即位。はじめ784年に長岡京遷都を試みるも、不祥事が相次ぎ断念。794年、めて平安京遷都坂上田村麻呂夷征伐。
第3皇子・葛原親王の子孫が臣籍降下して「」姓を賜り、「桓武平氏」を称した。
51 平城天皇
(へいぜい)

奈良天皇

806年3月17日 - 809年4月1日

諱:小殿(おて)→安殿(あて)

桓武天皇
藤原
 :内大臣・藤原良継)
殿親王。病弱で、在位3年で嵯峨天皇に譲位するが、寵妃の藤原子、その・仲成にそそのかされ、旧都においてクーデターを起こす(子の乱)が失敗。出して、平安京に連れ戻される。
52 嵯峨天皇
(さが)

809年4月1日 - 823年4月16日

諱:神野(かみの)

桓武天皇
藤原
 :内大臣・藤原良継)
神野親王。はじめ平城天皇の子・高岳親王を皇太子に立てていたが、子の乱に連座して同親王も失脚し、異の大伴親王(天皇)を皇太子とする。空海逸勢とともにたる「三筆」のひとりに数えられる。23人の皇子がおり、うち17人を臣籍降下して「」の姓を与えた。(嵯峨源氏。「源氏」のはじまり)
53 天皇
じゅんな)

西院天皇

823年4月16日 - 833年2月28日

諱:大伴(おおとも)

桓武天皇
藤原
 :式部卿・藤原
大伴親王。即位に伴い、古代からの族「大伴氏」が「伴氏」に姓した(天皇の御名と同じになるのを畏れたため)。
もともと臣籍降下を望んでいたが、子の乱による政局の混乱のため、系・嵯峨系ともにすぐには皇太子を出し辛くなり、異嵯峨天皇によって立太子され、即位後に正良親王(嵯峨天皇皇子)を皇太子とした。
54 仁明天皇
(にんみょう)

天皇

833年2月28日 - 850年3月21日

諱:正良(まさら)

嵯峨天皇
皇后 嘉智子
 (祖奈良麻呂
正良親王。天皇の皇子・恒貞親王を皇太子に立てていたが、和上皇・嵯峨上皇の崩御後に「承和の変」が起こり、恒貞皇太子は失脚。藤原順子との子・康親王が皇太子となり、順子藤原良房が大納言となって政権を握った。
55 文徳天皇
(もんとく)

天皇

850年3月21日 - 858年8月27日

諱:康(みちやす)

仁明天皇
藤原順子
 :左大臣・藤原嗣)
康親王。承和の変の結果、恒貞親王に代わって皇太子となり、仁明天皇の譲位を受け即位。寵する紀静子との皇子・惟喬親王への皇位継承を望んだが、実者・藤原良房の圧により、良房の孫に当たる惟仁親王を皇太子とすることを余儀なくされる。
56 清和天皇
(せいわ)

天皇

858年11月7日 - 876年11月29日

諱:惟仁(これひと)

文徳天皇
藤原明子
 摂政太政大臣・藤原良房)
惟仁親王。わずか9歳で即位したため、外祖藤原良房が実権を握る。「応天門炎上事件」によって伴氏(大伴氏)は全に没落し、良房が人臣としては初の摂政に就任して藤原氏の圧倒的優位が決定的となった。第6皇子・貞順親王の子、経基王が臣籍降下して源氏を賜り、武源氏の本流「清和源氏」を称した。
57 陽成天皇
(ようぜい)

876年11月29日 - 884年2月4日

諱:貞明(さだあきら)

清和天皇
藤原高子
 :権中納言・藤原長良
貞明親王。生後3カで立太子、9歳で譲位を受け即位。清和上皇崩御後、・高子と摂政藤原基経の対立がおき、宮中の不祥事もあって強制的に譲位させられる。位を正当化するためか、暴君説がある。一時臣籍降下していた宇多天皇のことを「あれは自分の臣下ではないか」と言ったという。上皇在位62年は歴代一位
58 光孝天皇
(こうこう)

小松天皇

884年2月5日 - 887年8月26日

諱:時康(ときやす)

仁明天皇
藤原沢子
 紀伊守・藤原総継)
時康親王。仁明天皇の第3皇子で皇位継承からは遠いと見られていたが、陽成天皇をめぐる政局の結果、藤原基経に擁立されて55歳で即位。
59 宇多天皇
(うだ)

887年8月26日 - 897年7月3日

諱:定(さだみ)

光孝天皇
班子女王
 (祖桓武天皇
光孝天皇の第7皇子で、一時源氏として臣籍降下していた「源定省(さだみ)」。光孝天皇崩御にあたり、藤原基経の強硬論で皇籍復帰して即位。基経の関白就任にあたって「衡事件」が起きる。藤原氏の勢に対抗するため、菅原道真を重用。894年、遣唐使を止する。

平安時代(10世紀)

天皇
読み
在位
60 醍醐天皇
(だいご)

897年7月3日 - 930年9月22日

諱:仁(あつひと・あつぎみ)

宇多天皇
藤原胤子
 :内大臣・藤原
宇多天皇が臣籍降下していた時期に生まれ、の皇籍復帰により皇族となる。の譲位により即位。
関白を置かず、藤原を左大臣・菅原道真を右大臣として「延喜の治」と称される親政を行うが、時の讒言により菅原道真を追放する。清殿事件など「道真の祟り」を恐れて体調を崩し、崩御。『古今和歌集』の勅撰を命じる。
61 朱雀天皇
すざく

930年9月22日 - 946年4月20日

諱:寛明(ゆたあきら)

醍醐天皇
藤原穏子
 関白太政大臣・藤原基経)
の崩御により、わずか8歳で即位。伯父藤原(基経4男・時)が摂政関白となる。
935年および36年、関東平将門瀬戸内藤原純友が反乱を起こし(承慶の乱)、937年には富士山の噴火もあり、内乱と変地異で々に政治への意欲をくして譲位。
62 村上天皇
(むらかみ)

946年4月20日 - 967年5月25日

諱:成明(なりあきら)

醍醐天皇
藤原穏子
 関白太政大臣・藤原基経)
の譲位により即位。949年に関白・忠が死去して以後は、摂政関白を置かない親政を行う(の治)。
この天皇以後、江戸後期の天皇に至るまで、追号は「~天皇」ではなく「~院」とされた(安徳・後醍醐を除く)。
第7皇子・具親王の子(師房)から臣籍降下した系統が、公家源氏流「村上源氏」となる。
63 冷泉天皇
(れいぜい)

967年5月25日 - 969年8月13日

諱:(のりひら)

村上天皇
藤原安子
 :右大臣・藤原
がいたが、大伯父・実頼(師)の威が勝って即位。実頼が関白となる。奇行が立ったため、々と皇太子(皇太)擁立が模索されたが、その政争により左大臣・高明が失脚し(安和の変)、藤原氏による摂関の独占が確定した。在位2年で譲位。
64 円融天皇
(えんゆう)

969年8月13日 - 984年8月27日

諱:守(もりひら)

村上天皇
藤原安子
 :右大臣・藤原
安和の変などの政争の結果、・為親王を差し置いて即位する。
関白・実頼の没後、藤原氏では実頼・師の子ら(頼忠/尹・兼通・兼)の間で摂関・外戚の地位をめぐって権闘争が繰り広げられ、円融の治世はほぼこの闘争に費やされた。結局、一の子だった懐仁親王(一条天皇)の立太子を条件に、甥の天皇へ譲位。
65 天皇
(かざん)

984年8月27日 - 986年6月23日

諱:師貞(もろさだ)

冷泉天皇
藤原懐子
 摂政太政大臣・藤原伊尹
円融の即位時に摂政尹の威で立太子されたが、即位時に尹は死去していたため有な後ろく、譲位をめぐる兼の策動を防げなかった。出にまつわる、兼兼親子の陰謀が有名。法皇となってからも、藤原道長周の対立に巻き込まれる(山院誤射事件・長徳の変)など、多難な人物。
66 一条天皇
(いちじょう)

986年6月23日 - 1011年6月13日

諱:懐仁(やすひと・かねひと)

円融天皇
三条院 藤原詮子
 摂政太政大臣・藤原兼家
6歳で即位。外祖・兼は念願の摂政となり、以後は兼の子孫による摂政関白の独占が確定した。一条の中宮が藤原定子関白)および藤原彰子摂政長)であり、それぞれについた女房の清少納言紫式部をはじめとする才女たちによる宮廷文化のやかな時代であった。

平安時代(11世紀)

天皇
読み
在位
67 三条天皇
(さんじょう)

1011年6月13日 - 1016年1月29日

諱:居貞(おきさだ・いやさだ)

冷泉天皇
藤原
 (摂政太政大臣・藤原兼家
冷泉天皇の第2皇子、天皇の異。この時期は冷泉院系統と円融院系統での皇位送立が図られており、一条より年上であったにもかかわらず皇太子に立てられた。一条崩御により即位したものの、最高実者・藤原道長との関係が悪く、持病の眼病を理由として譲位に追い込まれる。
68 一条天皇
(ごいちじょう)

1016年1月29日 - 1036年4月17日

諱:成(あつひら)

一条天皇
上東門院 藤原彰子
 摂政左大臣・藤原道長
一条天皇の第2皇子。藤原道長の外孫として初の天皇であり、外祖として摂政に就任した長の権勢はゆるぎないものとなった。長の4女で、天皇にとっては叔母にあたる藤原威子が中宮となり、子(一条)・妍子(三条)・威子と三代のへの立后を実現した長が、「この世をば が世とぞ思ふ 望月の」の歌を詠ったのはこのときである。
69 朱雀天皇
(ごすざく

1036年4月17日 - 1045年1月16日

諱:良(あつなが)

一条天皇
上東門院 藤原彰子
 摂政左大臣・藤原道長
一条天皇の第3皇子。もともと後一条皇太子には、三条の子・明親王が立てられていたが、一条系での皇位独占を図る長の圧で辞退。叔母の嬉子(長6女)が入内して後冷泉を産んだが、直後に死去。のち、明親王ので、皇后となった子内親王所生の後三条により一条系・三条系が統合されるという皮な結果となる。
70 冷泉天皇
(ごれいぜい)

1045年1月16日 - 1068年4月19日

諱:親仁(ちかひと)

朱雀天皇
藤原嬉子
 摂政左大臣・藤原道長
藤原道長を外祖とする最後の天皇であり、摂関嫡流の女性による皇統を維持するべく関白・頼通、左大臣・教通らが続々とを入内させ、3人の中宮・皇后が並立するという異常事態にもなったが、ついに期待された男子の誕生はく、異で、摂関を外戚としない後三条天皇が即位することとなる。在位中、州では「前九年の役」が勃発。
71 三条天皇
(ごさんじょう)

1068年4月19日 - 1072年12月8日

諱:尊仁(たかひと)

朱雀天皇
陽明門院 子内親王
 三条天皇
方の曽祖藤原道長であるものの、摂関嫡流からは縁遠く、長い皇太子時代では関白・頼通らにより不遇を囲っていたが、摂関流の藤原信(頼通異)の支援で即位を果たす。即位後は、藤原氏の非源氏大江氏を登用し、荘園整理令などを打ち出して「延久の善政」と呼ばれる政治を行った。
72 白河天皇
(しらかわ)

1072年12月8日 - 1086年11月26日

諱:貞仁(さだひと)

三条天皇
藤原茂子
 :権中納言・藤原成)
伊東四朗三条天皇に続く、摂関を外戚としない天皇。上皇・法皇として政権を執る「院政」のはじまりとして有名。
皇統からの隔絶と中内紛で弱体化する摂関に代わって下の権を握り、中小貴族を側近として専制政治を行う。
正盛らの武士をつけ始めた時代でもある。州では「後三年の役」が起こる。
73 天皇
(ほりかわ)

1086年11月26日 - 1107年7月19日

諱:善仁(たるひと)

白河天皇
藤原賢子
 :右大臣・顕房)
 (義関白太政大臣・藤原師実)
三条天皇白河天皇のあとを、そのの実仁親王・仁親王へ継承させるよう遺言していたが、自らの子孫への継承を望む白河はそれを視し、実子を即位させた。このことに陽明門院はひどく不満だったといわれる。は資質に優れていたが、政治の実権は白河院が握っていた。29歳の若さで崩御。

平安時代(12世紀)

天皇
読み
在位
74 鳥羽天皇
(とば)

1107年7月19日 - 1123年1月28日

諱:宗仁(むねひと)

天皇
藤原苡子
 :大納言・藤原実季)
三上博史。生後7かで立太子、5歳で即位。白河院が引き続き院政を執り、崇徳が誕生するとたちまち譲位を迫られて上皇となる。だが白河院が崩御すると政治の実権を握り、崇徳・近衛・後白河の三代にわたって院政を行った。出生疑惑から崇徳院を疎んじ、これに摂関源氏平氏の権闘争も絡んで、のちの保元の乱の原因を作った。
75 崇徳天皇
(すとく)

1123年1月28日 - 1141年12月7日

諱:顕仁(あきひと)

鳥羽天皇 (※白河法皇?)
待賢門院 藤原
 :権大納言・藤原実)
新。公式には鳥羽天皇の長子だが、白河院の御落胤という噂があり、鳥羽院は「叔父子」と呼んで忌み嫌っていたといわれる。実子の重仁親王ではなく、近衛後白河帝へ譲位させられたことは大きな遺恨となり、最後は藤原頼長らとともに挙兵におよんで保元の乱を起こした。乱に敗れて讃岐へ追放。死後は霊として恐れられた。
76 近衛天皇
(このえ)

1141年12月7日 - 1155年7月23日

諱:体仁(なりひと)

鳥羽天皇
美福門院 藤原得子
 :権中納言・藤原長実)
鳥羽院の第9皇子だが、生の美福門院が鳥羽院に寵されていたため、また鳥羽院と崇徳の対立関係も絡んで他の異を差し置いて、わずか2歳で即位。鳥羽院が引き続き院政を執った。しかし体質が弱く、15歳で崩御。崇徳院の子・重仁親王への皇位継承が考えられたが、あくまで崇徳院を排斥する鳥羽院は、後白河帝を即位させた。
77 後白河天皇
(ごしらかわ)

1155年7月24日 - 1158年8月11日

諱:仁(まさひと)

鳥羽天皇
待賢門院 藤原
 :権大納言・藤原実)
ゴッシー皇位継承と縁のい人物ニートと思われていたが、鳥羽院政下の権闘争の結果、思いがけず即位する。
貴族の衰退、保元・平治の乱平清盛の台頭と源平合戦源頼朝による武士政権の誕生という動の時代のなかで、上皇・法皇として院政を執り、政界の難局を泳ぎ切った。「今様」の歌集『梁秘抄』を残す。
78 二条天皇
(にじょう)

1158年8月11日 - 1165年6月25日

諱:守仁(もりひと)

後白河天皇
懿子
 :大納言・藤原経実)
 (義:左大臣・有仁)
18歳で即位するも、後白河上皇による院政と親子関係の悪さから閉されていた時期もあったが、平清盛を味方に付けて1161年に上皇の側近らの解任を実現させ、一時的に天皇親政を実現した。
79 六条天皇
(ろくじょう)

1165年6月25日 - 1168年2月19日

諱:順仁(のぶひと)

二条天皇
岐致遠の
二条天皇が病に倒れたため、生後7か天皇即位。幼年のため、実質の政務は近衛基実(近衛の祖)が行っていた。在位2年8か叔父仁親王(高倉天皇)に譲位し、1176年に11歳の若さで崩御。
80 高倉天皇
(たかくら)

1168年2月19日 - 11802月21日

諱:仁(のりひと)

後白河天皇
門院 滋子
 (義:太政大臣・平清盛
後白河法皇の画策で六条天皇から譲位されるも、後白河法皇の院政が行われた。1180年に子の安徳天皇に譲位し、政変により閉された後白河法皇に代わり院政を行うも、病に倒れ1181年に19歳で崩御。
81 安徳天皇
(あんとく)

11802月21日 - 11853月24日

諱:言仁(ときひと)

高倉天皇
建礼門院 徳子
 :太政大臣・平清盛
1歳で即位。即位直後に福原遷都が行われるも、半年後には京都に再遷都。1183年にと共に都落ちし、1184年に壇ノにて入し6歳で崩御。物語義経千本桜などの作品では女児として描かれている。
82 後鳥羽天皇
(ごとば)

11838月20日 - 1198年1月11日

諱:尊成(たかなり・たかひら)

高倉天皇
七条院 坊門殖子
 :修理大夫・坊門信
1183年の都落ちの後に即位したため、2年ほど在位重複期間が存在している。1192年までは後白河院の院政が行われ、その後は関白九条兼実が中心となった。1198年に子・為仁親王に譲位し後鳥羽院政を行っていった。

鎌倉時代

天皇
読み
在位
83 土御門天皇
(つちみかど)

1198年1月11日 - 121011月25日

諱:為仁(ためひと)

後鳥羽天皇
承明門院 在子
 (義:内大臣・土御門通親)
3歳で後鳥羽天皇から譲位されるも、治世は事実上の後鳥羽院政だった。1210年にから退位を迫られ、異の盛成親王に譲位。1221年の承久の乱には関与なしとして処罰されなかったが、が流されたにも関わらず、自分だけがにいることをびないとして、自らの意志で土佐に流れた。
84 順徳天皇
じゅんとく)

121011月25日 - 1221年4月20日

諱:守成(もりなり)

後鳥羽天皇
修明門院 高倉重子
 :式部権少藤原範季)
 (方祖:権中納言・平教盛
13歳で異土御門天皇から譲位を受けるも、前同様、後鳥羽院政が続いた。在位中に有職故実の解説書である『禁秘抄』を記した。後鳥羽院の討幕運動承久の乱)に参加するため、1221年に懐成親王に譲位するも、乱は失敗して佐渡に流され、その地で崩御された。
85 仲恭天皇
(ちゅうきょう)

1221年4月20日 - 1221年7月9日

諱:懐成(かねなり)

順徳天皇
一条九条立子
 摂政太政大臣・九条良経
4歳で順徳天皇から譲位されるも、承久の乱の発生と天皇方の敗北により僅か78日で位となり、の生九条邸宅に移り、1234年に17歳で崩御された。
86 天皇
(ごほりかわ)

1221年7月9日 - 1232年10月4日

諱:茂仁(とよひと)

守貞親王 (後高倉院)
 高倉天皇 七条院殖子)
北白川院 持明院陳子
 :権中納言・持明院基
 (方祖:大納言・平頼盛
10歳と若く病弱な体で即位したため、の守貞親王による院政が行われた。1232年に秀仁親王に譲位し、院政を行うも2年後に23歳で崩御。
87 四条天皇
(しじょう)

1232年10月4日 - 1242年1月9日

諱:秀仁(みつひと)

天皇
門院 九条竴子
 関白左大臣・九条
2歳で・後天皇から譲位を受けるも、わずか2年で後河上皇が崩御されたため、外祖九条が政務を行った。石に足を滑らせて頭を打ち、その3日後に10歳で崩御された。
88 嵯峨天皇
(ごさが)

1242年1月20日 - 1246年1月29日

諱:邦仁(くにひと)

土御門天皇
通子
 :左近衛中将通宗)
(作成中)
89 後深天皇
(ごふかくさ)

1246年1月29日 - 1259年11月26日

諱:久仁(ひさひと)

嵯峨天皇
大宮西園寺姞子
 :太政大臣・西園寺実氏)
(作成中)
90 亀山天皇
かめやま)

1259年11月26日 - 1274年1月26日

諱:恒仁(つねひと)

嵯峨天皇
大宮西園寺姞子
 :太政大臣・西園寺実氏)
(作成中)
91 宇多天皇
(ごうだ)

1274年1月26日 - 1287年10月21日

諱:世仁(よひと)

亀山天皇
極院 洞院佶子
 :左大臣・洞院実雄)
(作成中)
92 伏見天皇
(ふしみ)

1287年10月21日 - 1298年7月22日

諱:熈仁(ひろひと)

後深天皇
門院 洞院愔子
 :左大臣・洞院実雄)
(作成中)
93 伏見天皇
(ごふしみ)

1298年7月22日 - 1301年1月22日

諱:胤仁(たねひと)

伏見天皇
経子
 :左近衛中将・五経氏)
(作成中)
94 二条天皇
(ごにじょう)

1301年1月22日 - 1308年8月25日

諱:邦治(くにはる)

宇多天皇
西門院 堀川基子
 :内大臣・堀川具守)
(作成中)
95 天皇
(はなぞの

1308年8月26日 - 1318年2月26日

諱:富仁(とみひと)

伏見天皇
顕親門院 洞院季子
 :左大臣・洞院実雄)
(作成中)

南北朝時代

南朝

天皇
読み
在位
96

南1
後醍醐天皇
(ごだいご)

1318年2月26日 - 1339年8月15日

諱:尊治(たかはる

宇多天皇
天門院 五忠子
 :参議・五忠継)
 (義:内大臣・山院師継)
(作成中)
97

南2
後村上天皇
(ごむらかみ)

1339年8月15日 - 1368年3月11日

諱:義良(のりよし)

後醍醐天皇
新待賢門院 野廉子
 :右近衛中将廉)
(作成中)
98

南3
長慶天皇
(ちょうけい)

1368年3月11日 - 1383年10月

諱:寛成(ゆたなり)

後村上天皇
嘉喜門院 (藤原勝子?)
 関白左大臣・近衛経忠?)
(作成中)
99

南4
亀山天皇
(ごかめやま)

1383年10月 - 1392年10月5日

諱:煕成(ひろなり)

後村上天皇
嘉喜門院 (藤原勝子?)
 関白左大臣・近衛経忠?)
(作成中)

北朝

天皇
読み
在位
北1 天皇
(こうごん)

1331年9月20日 - 1333年5月25日

諱:量仁(かずひと)

伏見天皇
広義門院 西園寺寧子
 :左大臣・西園寺衡)
(作成中)
北2 天皇
(こうみょう)

1336年8月15日 - 1348年10月27日

諱:豊仁(ゆたひと)

伏見天皇
広義門院 西園寺寧子
 :左大臣・西園寺衡)
(作成中)
北3 天皇
(すこう)

1348年10月27日 - 1351年11月7日

諱:益仁(ますひと)→仁(おきひと)

天皇
門院 正親町三条秀子
 :内大臣・正親町三条秀)
(作成中)
北4 天皇
(ごこうごん)

1352年8月17日 - 1371年3月23日

諱:弥仁(いやひと)

天皇
門院 正親町三条秀子
 :内大臣・正親町三条秀)
(作成中)
北5 後円融天皇
(ごえんゆう)

1371年3月23日 - 1382年4月11日

諱:緒仁(おひと)

天皇
崇賢門院 広仲子
 (義:左大臣・広兼綱)
(作成中)

室町時代

天皇
読み
在位
100

北6
小松天皇
(ごこまつ

1392年10月5日 - 1412年8月29日
(※北在位は1382年4月11日から)

諱:幹仁(もとひと)

後円融天皇
通陽門院 三条厳子
 :内大臣・三条忠)
(作成中)
101 天皇
しょうこう)

1412年8月29日 - 1428年7月20日

諱:躬仁(みひと)→仁(みひと)

小松天皇
範門院 日野資子
 :権大納言・日野資教)
(作成中)
102 天皇
(ごはなぞの

1428年7月28日 - 1464年7月19日

諱:仁(ひこひと)

伏見宮貞成親王 (後崇院)
 (祖:崇天皇
敷政門院 庭田幸子
 :右近衛少将・庭田経有)
(作成中)
103 土御門天皇
(ごつちみかど)

1464年7月19日 - 1500年9月28日

諱:成仁(ふさひと)

天皇
嘉楽門院 大炊御門信子
 (義:内大臣・大炊御門信宗)
(作成中)

戦国・織豊時代

天皇
読み
在位
104 柏原天皇
(ごかしわばら)

1500年10月25日 - 1526年4月7日

諱:勝仁(かつひと)

土御門天皇
玉門院 庭田朝子
 :権大納言・庭田長賢)
(作成中)
105 後奈良天皇
(ごなら)

1526年4月29日 - 1557年9月5日

諱:知仁(ともひと

柏原天皇
豊楽門院 勧修寺
 :権大納言・勧修寺教秀)
(作成中)
106 正親町天皇
(おおぎまち)

1557年10月27日 - 1586年11月7日

諱:方仁(みちひと)

後奈良天皇
吉徳門院 万里小路栄子
 :参議・万里小路賢房)
(作成中)
107 陽成天皇
(ごようぜい)

1586年11月7日 - 1611年3月27日

諱:和仁(かずひと)→周仁(かたひと)

仁親王 (陽院)
 正親町天皇
新上東門院 勧修寺
 :権大納言・勧修寺秀)
(作成中)

江戸時代

天皇
読み
在位
108 天皇
ごみずのお)

1611年3月27日 - 1629年11月8日

諱:政仁(ことひと)

陽成天皇
中和門院 近衛前子
 関白左大臣・近衛前久)
 (義関白太政大臣・豊臣秀吉
(作成中)
109 明正天皇
(めいしょう)

1629年11月8日 - 1643年10月3日

諱:子(おきこ)

天皇
東福門院 徳和子
 征夷大将軍徳川秀忠
(作成中)
110 天皇
(ごこうみょう)

1643年10月3日 - 1654年9月20日

諱:紹仁(つぐひと)

天皇
壬生院 園光子
 :権大納言・園基任)
(作成中)
111 後西天皇
(ごさい)

1654年11月28日 - 16631月26日

諱:良仁(ながひと)

天皇
門院 櫛筍
 :左近衛中将・櫛致)
(作成中)
112 霊元天皇
(れいげん)

16631月26日 - 1687年3月21日

諱:識仁(さとひと)

天皇
新広義門院 園
 :権大納言・園基音)
(作成中)
113 東山天皇
(ひがしやま)

1687年3月21日 - 1709年6月21日

諱:仁(あさひと)

霊元天皇
敬法門院 松木宗子
 :内大臣・松木宗条)
(作成中)
114 中御門天皇
(なかみかど

1709年6月21日 - 1735年3月21日

諱:慶仁(やすひと)

東山天皇
新崇賢門院 櫛筍賀子
 :内大臣・櫛筍賀)
(作成中)
115 桜町天皇
さくらまち)

1735年3月21日 - 1747年5月2日

諱:昭仁(てるひと)

中御門天皇
新中和門院 近衛尚子
 摂政太政大臣・近衛熈)
(作成中)
116 桃園天皇
(ももぞの

1747年5月2日 - 17627月12日

諱:遐仁(とおひと)

桜町天皇
開明門院 姉小路定子
 :参議・姉小路実武)
(作成中)
117 桜町天皇
(ごさくらまち)

17627月27日 - 177011月24日

諱:智子(としこ)

桜町天皇
綺門院 二条舎子
 関白左大臣・二条吉忠)
(作成中)
118 桃園天皇
(ごももぞの

177011月24日 - 177911月9日

諱:英仁(ひでひと) 

桃園天皇
恭礼門院 一条富子
 関白左大臣・一条兼香)
(作成中)
119 天皇
(こうかく)

177911月25日 - 1817年3月22日

諱:師仁(もろひと)→兼仁(かねひと)

閑院宮典仁親王 (慶天皇
 (祖東山天皇
大江磐与
 鳥取医者・岩室宗賢の
(作成中)
120 仁孝天皇
(にんこう)

1817年3月22日 - 1846年2月6日

諱:恵仁(あやひと)

天皇
東京極院 勧修寺婧子
 :権大納言・勧修寺経逸)
(作成中)
121 孝明天皇
(こうめい)

1846年2月13日 - 1866年12月25日

諱:統仁(おさひと)

仁孝天皇
新待賢門院 正親町
 :権大納言・正親町
(作成中)

近現代

天皇
読み
在位
122 明治天皇
めいじ

1867年1月9日 - 1912年7月30日

諱:仁(むつひと)

孝明天皇
一位中山慶子
 :権大納言・中山忠能
(作成中)
123 大正天皇
(たいしょう)

1912年7月30日 - 1926年12月25日

諱:嘉仁(よしひと)

明治天皇
二位局 柳原愛子
 :議奏・柳原
(作成中)
124 昭和天皇
(しょうわ)

1926年12月25日 - 1989年1月7日

諱:裕仁(ひろひと)

大正天皇
貞明皇后 九条節子
 公爵九条孝)
(作成中)
125 今上天皇

1989年1月7日 - (在位)

諱:明仁(あきひと)

昭和天皇
皇后 久邇宮良
 :久邇宮邦王)
(作成中)

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天皇の一覧について語るスレ

25 : ななしのよっしん :2014/04/24(木) 22:40:30 ID: wJQXFvmcbf
後醍醐天皇とか、書きたくても難しいしな。
かいい記事作らないかなぁ。
26 : ななしのよっしん :2014/07/11(金) 22:46:43 ID: rNdg7AnYd6

セックス日本を支配しようとした悪党の総帥である
とか書いたら消されるかしら?
27 : ななしのよっしん :2014/07/19(土) 01:27:43 ID: wJQXFvmcbf
割と事実だから困る
28 : ななしのよっしん :2015/12/16(水) 18:04:45 ID: E+DXxaYXoS
後深天皇の記事がまだ立っていないとは
29 : ななしのよっしん :2016/05/27(金) 10:16:41 ID: /AHwLstxmc
皇后が丁度卑弥呼壱与の時期と重なるのか。だが記紀にとの交流や印授与、を介した治世や死後の争乱等の記録はなし、と。

66年 是年 武帝泰初二年起居注 武帝泰初(泰始)二年十月女王遣重貢獻
↑これはとのやり取りだと言う話だから倭人伝よりもやや後の時代になるのか。

征伐ていうのは治世の内の大分初期の方に行われた話か?205
とか書いてあるが

30 : ななしのよっしん :2016/05/27(金) 10:31:07 ID: /AHwLstxmc
生没年が西暦169年 - 西暦269年で即位が31の時?半年歴説とっても15は過ぎてるから壱与の即位した13歳と若干ズレがあるし、第一その時点ではまだ卑弥呼は存命という事だからちょっと理があるか。

卑弥呼壱与の治世を一めにして両方ともこの人物の治下という事にして壱与の即位までを巡る跡争いの話を記録から消したとか、そんな所か?


31 : ななしのよっしん :2016/07/09(土) 17:24:42 ID: 37O3jGVINl
いつの日かこの項が全部科付きになるといいな…
32 : ななしのよっしん :2016/08/20(土) 21:30:51 ID: pB9CpDoVIa
その前に2年近く更新されていないこの記事の説明文を…
33 : ななしのよっしん :2016/09/07(水) 04:33:19 ID: 0PFXH+Jm6Z
全部の項テンプレのように竹田恒泰チャンネル貼るのやめてくれない?
34 : ななしのよっしん :2017/01/16(月) 22:56:12 ID: MBUjA48KoD
実在疑問視ってなら継体天皇直前の3人(顕宗天皇・仁賢天皇・武天皇)も一般には否定的に見られてるな。
特に武天皇は大概の場合に実在性に疑問符が付けられてる。
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