「太原雪斎」(たいげん・せっさい 1496 ~ 1555)とは、臨済宗の僧にして今川家の執政であり、軍事・外交・内政全てに秀でた今川家の柱石ともいうべき存在である。
外交面では武田・北条・今川三国同盟(甲相駿三国同盟)を締結させ、軍事面では三河侵攻作戦、内政面では今川仮名目録の制定など、彼の今川家での功績は計り知れない。
「雪斎」は臨済寺内の雪斎という場所に住んだことによる通称であり、本名は崇孚(そうふ/すうふ)。また、現在では一般に「太原雪斎」と呼ばれることが多いが、当時の書状には「雪斎崇孚」と署名している。当記事では雪斎で統一する。
禅僧時代
1509年、太原雪斎14歳の時、剃髪され、はじめ駿河の善得寺に入れられる。続いて、京都の建仁寺に入る。ここで常庵龍崇という高僧に、九英承菊と名付けられる。そのまま前後18年もの間、雪斎は禅の修行を続けることになる。
このまま何事もなければ、龍崇の後を継ぐ高僧として生涯を終えていたのかもしれない。しかし、意外なところから白羽の矢が立つのである。
今川義元の教育係
1522年、駿河の今川氏親は、「家臣・庵原佐衛門尉の子が禅寺で修行を積み、大したものらしい」という噂を耳にする。これを聞いた氏親は、五男・方菊丸(今川義元)の養育係とするべく、京都に使者を出す。初めは断った太原雪斎だったが、ついには承諾し、駿河に帰るのであった。このとき雪斎27歳、今川義元4歳。このめぐり合わせは、後の今川家にとって大きな幸運であったといえる。
もちろんこの時は、五男・方菊丸(今川義元)が後継者になるとは今川氏親は思っていなかったであろう。
しばらくの間、今川義元は太原雪斎のもとで駿河の善得寺において教育を受けることになる。そのまま何事もなければ、今川義元は雪斎と共に僧としての道を歩んでいたかもしれない。しかし、事態はそうは成らなかった。
花倉の乱~義元環俗
1526年、今川氏親が没し、長男・今川氏輝が後を継いだ。しかし、1536年、氏輝は24歳の若さで急死してしまう。更に奇怪なことに、同日、氏輝のすぐ下の弟・彦五郎も死去してしまう。氏輝には後継ぎの子がいなかった。ここで後継者争いが勃発したのである。
争ったのは三男・恵探と五男・義元であった。雪斎はすぐさま多数派工作をし、恵探派を孤立化させ、恵探のいる花倉城に総攻撃を仕掛けた。恵探は花倉城を支えきれず脱出し、自刃して果てた。(これは花倉の乱と呼ばれている。)
勝利した義元は駿府の今川館に入り、還俗して義元と名乗った。雪斎はここにおいて今川家の執政・参謀役となる。
今川家の軍師として
外交面で最も功績とされるのは、1554年、甲相駿三国同盟を締結したことである。東西(北条、織田)であった敵を織田のみに絞ることができ、三河運営の安定化を図ることができることなど、今川家にとって計り知れない利益をもたらした同盟である。この同盟を発案し、締結の中心的な役割を果たしたのは雪斎である。
なお、この同盟は、武田信玄・北条氏康・今川義元の3巨頭が善得寺で会談し、盟を結んだという伝説から、善得寺の会盟と呼ばれることもある。しかし、これは史実ではないとする意見が多い。
というように、負け知らずである。
なお、この織田信広は人質交換により、先に織田家に人質にされていた松平竹千代(後の徳川家康)と引き換えにされている。「幼少期の徳川家康は太原雪斎の教育を受けた」という説は賛否があり、定かではないが、後の徳川家康の超人的な活躍をみると、そうなのかもしれない。
1555年、太原雪斎は病気で世を去った。
彼が生きていれば、桶狭間の悲劇は無かったであろうということは、よくいわれる話である。
戦国大戦
三枚の雪斎が登場している。
「我が両目からは逃れられぬ…」
一枚目は武力は6しかないが統率は脅威の12。これは武田信玄、毛利元就と並んで統率では最高値である。更にその統率をフルに生かせる伏兵、終盤の大逆転につながる攻城、自身の重い計略士気を助ける魅力、と特技を3つも持っている。かつては今川家唯一の3コスト武将だった(現在は2.5コストになり、SS今川義元が3コスで登場している)。
計略「全知の領域」は妨害と強化を兼ねる陣形。士気こそ8なものの、範囲内の敵の武力が下がり、今川家の味方の統率が上がるため、素武力不足に悩む今川家の欠点を補え、かつ統率の高さが効果時間の長さに繋がる精鋭計略の補助もできる。
このため、陣を張るまでの開幕はひたすら耐え、陣を張ってからは統率上昇の恩恵を最大に受けられる精鋭計略群を駆使(最も多いのは精鋭への援軍)して終盤一気に巻き返しを狙えるカードになっている。
Ver1.2では武力低下値を下げられ範囲も削られ効果時間まで下げられと散々な下方修正を受けてしまった。その後統率上昇を気持ち上げられた、が昨今は島津家の横行で鉄砲隊の出現率が高くなり、槍足軽の彼では陣形の届かない遠距離から撃たれて死亡というリスクが高くなった。
しかしVer2.0にて今川家に武田信虎が追加。彼のもたらした「老虎の采配(移動速度が長時間上がるが効果終了後兵力が下がる)」により機動力での不安は一気に解消され、 雪斎と信虎、更に今川待望の2コスト武力8槍大原資良も追加されて、ある程度素武力不足が改善された4枚全知なるものが成立するようになった。
Ver2.1ではコストが軽減され3から2.5となった。代償として武力は7から6へ低下しているが、武力6とは言え統率12と特技3つは結構恵まれているほうである。またコスト軽減により今川家に追加された武力要員をより使えるようになった。
二枚目はセンゴク外伝 桶狭間戦記での雪斎。コストは下がり特技も攻城だけになってしまったが、計略「喝ッ!」は相手の統率と移動速度を下げ、特に超絶計略持ち騎馬に対しては脅威となる。
EXカードでは騎馬になった雪斎が登場する。ただし武力-1、統率-1、攻城の代わりに制圧と、やや迫力負けしてしまうカードにはなっている。しかし騎馬隊特有の機動性を生かした戦略もあるので、一概に下位互換とは言えない。
攻城だけなら主君の今川義元が持っているし、同じく2コストに井伊直盛も控えている。
関連動画
▼4:30~ 善得寺の会盟、10:00~ 史実 桶狭間敗北、13:00~ 歴史if 信長奇襲看破
▼3分で分かる太原雪斎
▼雪斎亡き後の今川家のその後
補足
「信長の野望」(PC)シリーズにおける太原雪斎の能力一覧。信長とは世代が異なるのに、シリーズ準皆勤。
彼を桶狭間に連れていくと、信長の奇襲を看破するという歴史ifイベントが発生する。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | 83 | 政治 | 82 | 魅力 | 79 | 野望 | 66 | 教養 | 96 | ||||
覇王伝 | 采配 | 87 | 戦闘 | 78 | 智謀 | 75 | 政治 | 89 | 野望 | 66 | ||||
天翔記 | 戦才 | 154(A) | 智才 | 164(A) | 政才 | 172(A) | 魅力 | 82 | 野望 | 75 | ||||
将星録 | 戦闘 | 68 | 智謀 | 80 | 政治 | 79 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 84 | 戦闘 | 56 | 智謀 | 83 | 政治 | 84 | ||||||
嵐世紀 | 采配 | 90 | 智謀 | 94 | 政治 | 93 | 野望 | 50 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 75 | 知略 | 84 | 政治 | 83 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 75 | 知略 | 83 | 政治 | 82 | 教養 | 86 | ||||||
革新 | 統率 | 87 | 武勇 | 66 | 知略 | 98 | 政治 | 96 | ||||||
天道 | 統率 | 83 | 武勇 | 56 | 知略 | 98 | 政治 | 96 |
関連コミュニティ
関連項目
【スポンサーリンク】
|
|
http://dic.nicomoba.jp/k/a/%E5%A4%AA%E5%8E%9F%E9%9B%AA%E6%96%8E




読み:タイゲンセッサイ
初版作成日: 10/07/15 00:01 ◆ 最終更新日: 17/07/12 16:26
編集内容についての説明/コメント: 名前に関して追記
記事編集 / 編集履歴を閲覧