太郎太刀(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲーム『刀剣乱舞』に登場するキャラクターである。
…おや。概要に呼ばれるとは。私は太郎太刀。
私は太郎太刀。見た目の通り、とても人間には使えるはずのない大きさで、それ故に奉納された刀です。
……でも、私を実戦で使った人間がかつていたんですよね。
彼はいったい、何者だったのでしょうか……?
破格の大きさを持つ大太刀。およそ人間が扱えるサイズではない。
生い立ちには諸説あるが、現在は神社の御神体となっている。
神々の戦いに使う物なので、いわゆる俗世が苦手。次郎太刀とは兄弟。
黒を基調とした狩衣を纏う、長い黒髪の美青年。長らく神社に奉納されていた事もあり、浮世離れして厳かな雰囲気を醸し出している。目元には魔除けの紅を入れ、爪を金色に塗っている。
内番装束でも神職風の和装となっており、手には御幣を持っている。
公式設定集では196cmと、刀剣男士の中でも群を抜いて背が高い。二次創作や派生のメディアミックスでは鴨居に頭をぶつける事も。
性格は物静かで、感情の起伏は薄く、悠然とした物言いで審神者と相対する。
「使える者がいない刀は、この世に存在していないも同じ」と口にし、自身の有り様について考えている様子。地上(現世)に対する関心も薄い。遠征では「大丈夫ですよ、遠征のついでにいなくなったりはしませんから」と、一瞬ドキッとするような台詞も。
それでもひとたび出陣すれば「さあ、現世に介入いたしましょうか」と発し、「我が一振りは暴風が如し!」と、大太刀ならではの強さを披露。真剣必殺では怒気も露わに「無双の暴風、その身に受けよ!」と、敵を文字通り鎧袖一触で吹き飛ばす。
内番でも真面目に仕事はこなすが、馬を前にすると「……まいりました。動物は大きなものを恐れるんですよね……」と、やや困った様子を見せる。たろかわ。
他の大太刀同様、雑魚戦では近接した敵を2~3体攻撃できる。ある程度、成長したら新入りを成長させるための教官として部隊に配置するのもいいかもしれない。
次郎太刀(刀剣乱舞)とは2-1に出陣すると回想が発生。気の置けない兄弟の関係が見て取れる。
なお、「太郎太刀」というのは本来刀の名前では無い。同じ人物が刀を二振持つ時に長い方を太郎・短い方を次郎と呼ぶ習慣がある。某オメーンライダーの1号2号的な呼び方と言える。
ゲーム内の回想から、熱田神宮に奉納されている俗称をモチーフとされている事が伺えるが、もしそうならば他の刀剣達と同じように名乗るとすれば「末之青江」となる。詳細は後述。
極実装
2018年12月14日、次郎太刀(刀剣乱舞)と共に極が実装。大太刀としては初となる。またレア度の上昇に伴い刀装のスロット数が一つ追加された。Lv80で修行に出す事が可能。
大太刀極の特徴として「一定の確率で攻撃力が2倍になる」仕様が追加され、発生した時には青い斬撃のエフェクトが入る。
ステータスは全体的に上昇し、特に打撃・統率が大きく上昇している。
狩衣の色が黒から白に変化。更に御幣をつけた烏帽子を頭に載せ、神様感が大幅にアップした。弟とも共通したデザインになっており、ニコイチ感がマシマシに。
手紙では「付喪神が神格を高めるための旅」と語り、己の成り立ちを見つめ直すべく、曖昧な自身の伝承に沿い、元主・真柄直隆を目指して旅をする。
自身に伝わる唯一と言っても良い人物の生涯を看取り、その最期を見届ける。敗色濃厚の戦場で単騎突入、味方を逃がした後に奮戦して果てた事を「最終的には果てましたが、その行動で救われた者もたくさんいた」と考える。
彼に倣い、主のための実戦刀として現世に身を置く事を心に決めると、審神者の許に帰還を果たした。
審神者に対しては「私を無理矢理にでも現世に寄せてしまう……貴方は本当に罪作りな人だ」と告げ、出陣時には「今や私は、主のためにある一振りの太刀」など、より繋がりが深くなっている事が伺える。
戦闘時の力強さも健在で、中傷状態になると「なるほど、良いでしょう……!」と、何と不敵な笑みさえ浮かべ、「神威の大嵐にて……滅せ!」と真剣必殺を披露する。
一方で負傷時には「そうですね……神罰、とか……貴方は信じる方ですか?」とおっかない台詞となり、万屋に連れて行くと「言わんこっちゃない。私が陳列の邪魔になっているじゃないですか」と、極前と比べると案外フランクな部分が増えている。たろかわ。
また同時期に極となった次郎太刀からは「兄貴はなんつーか、扱いこなせる奴がいなくなったせいでグレてるだけじゃないのかな」という台詞が聞ける。
史実における太郎太刀
熱田神宮に奉納されている三振の大太刀のうちの一振。
具体的な刀工は不明だが、茎に朱銘が入っていた跡が残っている。また記録では「末之青江」とあったとされている。
この事から青江派の刀工によって室町時代に打たれたと考えられているが、詳細は不明。また朱塗鞘野太刀拵が存在する。
長さは7尺3寸5分(221.1cm)と、到底人が振るえるような大きさではない。
しかし戦国時代の武将、真柄直隆が用いたとされる。
越前国(現在の福井県)の朝倉氏に仕えた人物で、真柄家は家臣というよりは国人としての協力者的な立場にあったとされる。
武勇に優れ、弟・真柄直澄、息子・真柄隆基と共に勇猛さで知られた。永禄の変で京から落ち延びた足利義昭が朝倉義景を頼った際には、その御前で大太刀を軽々と頭上で数十回振り回し、剛力を披露したと伝わる。
元亀元年(1570年)の「姉川の戦い」では朝倉軍の武将として参戦。この時徳川軍の本多忠勝(蜻蛉切の所有者)と一騎打ちをしたが勝負がつかずに引き分けたという伝承が残る。
やがて朝倉陣営の敗戦が濃厚になると直隆は単騎で敵陣に突入し、味方の撤退の時間を稼いだ。十二段構えの陣を八段まで突き進む活躍を見せたが、匂坂(向坂)三兄弟の攻撃を受けて力尽きる。直隆は「我頸を御家の誉れにせよ」と告げて果て、直澄・隆基も戦死を遂げた。
朝倉氏滅亡後も後も真柄家は存続した事が、後に伝わる知行安堵状から窺い知る事が出来る。
その後の来歴は不明だが、熱田神宮に伝来する「田島家文書」によると、天正4年(1576年)、春日部熊野庄の山田甚八郎吉久なる人物が奉納したと伝えられる。
現在も熱田神宮宝物館に常設展示されており、人目に触れる機会は多い。
なお、初代柳家小せんが東京に移植した上方落語の演目『浮世床』の一節「変な軍記」では太郎太刀をぶん回した真柄直隆が参加した姉川の戦いについての本、『太閤記』を使ったネタがある。
もし、落語に興味があるならぜひとも聴いてみよう。
主よ、果たして関連動画を扱えますか?
おや、思わぬ関連静画が。
現世の関連項目、見せてもらいましょう。
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