孟子(もうし)とは、紀元前4世紀の人。氏は孟、諱は軻(か)、字は子輿(しよ)。
概要
中国古代の思想家で、諸国を巡って孔子の教えを広め、門人らと『孟子』七編をまとめ、孔子に次ぐ儒教の権威とされる。人の本性を善とする性善説にたち、王道政治思想を唱え民衆の心をつかむ者だけが帝王として統一王国を実現できると主張した。したがって、君主に徳をもって政治にあたることを強調するとともに、「革命」すなわち民心を離れた王朝の交代(易姓革命)を是認した。
五倫
- 父子の親 - 父と子の間は親愛の情で結ばれなくてはならない。
- 君臣の義 - 君主と臣下は互いに慈しみの心で結ばれなくてはならない。
- 夫婦の別 - 夫には夫の役割、妻には妻の役割があり、それぞれ異なる。
- 長幼の序 - 年少者は年長者を敬い、したがわなければならない。
- 朋友の信 - 友はたがいに信頼の情で結ばれなくてはならない。
日本での受容
日本へは、鎌倉時代の終わり頃に、宋学として伝わり、朱子学として受容された。君臣・父子の別を弁え、上下の秩序を重んじる学問であったため、江戸時代には徳川幕府によって、官学とされた。京都相国寺の禅僧であった藤原惺窩は、還俗して朱子学の啓蒙に努めた。その門下の林羅山は徳川家康に用いられ、その子孫の林家は代々儒者として幕府に仕えた。寛政期には、朱子学は正学にされ、湯島聖堂の学問所では、朱子学以外の学派の講義や研究は禁じられた(寛政異学の禁)。林家からは、寛政の三博士と言われた、柴野栗山、岡田寒泉、尾藤二洲らの優れた儒者が生まれた。
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関連項目
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