孫太郎虫とは、ヘビトンボの幼虫であり、生薬である。
日本各地の清流に生息する6cm程度の水棲昆虫であり、肉食性。
顎の力がとても強く、噛まれるとかなり腫れるが毒性はない。
食用であり、あぶって醤油につけたものを酒の肴にする。長野県伊那市では佃煮にして食べる。
古くより小児の疳(夜泣き、引き付け、癇癪など神経症由来の症状)、肺病、胃腸十二指腸の疾患、強壮に効くと言われ、特に宮城県刈田郡斎川(現・白石市)産が有名であった。
※現在は河川の荒廃や需要低下により販売されていない。
用法・用量は1日1串(5匹)、あぶったものを砂糖醤油につけて食す、あるいは黒焼きの粉を服用する。
薬事法では医薬品として認められていない民間薬である。
白石市の田村神社では大正8年(1919年)に孫太郎虫850年の祭が催され、供養の碑が立てられている。
孫太郎伝説
永保年間(1081~1083年)、丹波国地頭・大江時廉の家臣に橋立倉之進という武士がいた。
妻・小夜との間にできた娘・桜戸は、大変美しい姫であった。
桜戸は奥州の判官・岩城政氏の家臣である大和田要人を婿に迎え、夫婦ともども幸せに暮らしていたが、大柳一角という嫉妬深い男は前々からこの桜戸に横恋慕しており、婚儀を大層恨んだ。
そして天慶2年(939年)11月22日の夜、ついに大柳は倉之進を殺害し、出奔に至った。※原文に依る。
要人・桜戸夫婦、寡婦となった小夜の三人は仇討ちのため諸国を巡り大柳を追うが、桜戸を残し相次いで病死してしまう。(大柳に返り討ちにされたとも)
奥州刈田郡斎川村に流れ着いた桜戸は、そこで要人の遺児・孫太郎を出産する。
ところが孫太郎は生来病弱で、7歳のころには疳の病に犯され、いかなる薬石も効果がない程重体となってしまった。
桜戸は坂上田村麻呂を祀る田村神社へこもって平癒を祈願し、満願の日、神夢によって天啓を得る。
お告げ通りに川の小石をめくって捕まえた虫を孫太郎に食べさせると、みるみるうちに快復した。
やがて10年の歳月を経てたくましく育った孫太郎は、郷助という者の助太刀を得て大柳を討ち、ようやく本懐を遂げることができた。
やがて丹波へ帰郷した孫太郎は橋立家を継ぎ、斎川に残った桜戸は仏道に入って泰賢尼と名を変え、疳病の人々を救って一生を終えたと伝わる。のち、桜堂薬師如来として祀られた。
孫太郎伝説その2
昔、斎川村に孫兵衛という76歳になる老翁がおり、長寿の妙薬として名も知らない虫を日々食していたところ、70歳の老妻が妊娠し、安産にて子を産んだ。
孫のように歳が離れた子であったので孫太郎と名付け、大切に育てた。
仙台の殿様がこの噂を聞きつけ件の虫を本草綱目で調べたところ、九香虫といい、良薬であることがわかった。
孫太郎は五疳(肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓)の病もなくすくすくと育ったので、以降この虫を孫太郎虫と呼んで珍重したという。
関連項目
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