宇久囲(うく・かこむ 1489 ~ 1507)とは、肥前国の戦国大名である。宇久家16代当主。宇久覚の嫡男。弟に大浜勝重、青方続。子に宇久盛定がいる。
概要
宇久氏は清和源氏武田流の末裔とも平清盛の弟・平家盛の末裔ともする家柄。
8代・宇久覚が庶子がいるのにも関わらず養子をとったために庶流の一族から不満の声があがっており、父である15代・宇久覚もそれに危機感をおぼえていた。
そこで囲の妹を宇久氏一門の玉之浦納に嫁がせることによって不満を取り除こうとしていた。
しかし、父の死により納が蜂起してしまう。
囲は当時19歳であり、父から家督を継いでわずか数ヶ月であった。
囲は重臣・大久保家次に命じて納の討伐をさせ、一時は玉之浦軍を全滅にまで追い込んだが、敵の新手の出現により居城・辰ノ口城から敗走を余儀なくされる。
再起を図ろうとするも敵の追撃が激しく、妻子を妻の実家である平戸の松浦弘定に託して自害して果てた。
1521年までの15年間は宇久氏にとって暗黒時代となるのであった。
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