宇都宮頼綱(うつのみや よりつな、1172~1259)とは、平安時代後期~鎌倉時代前期の武将・歌人である。
概要
藤原道兼を祖と称する宇都宮家の第5代当主で、下野国(現在の栃木県)を治めた鎌倉幕府の御家人。しかし領地争いに巻き込まれて豊後国(現在の大分県)に流罪にされたり、北条時政が畠山重忠を粛清した時は、重忠を讒言した時政の後妻・牧の方の娘婿だったことから、大江広元から謀反の疑いを掛けられるなど、政治的な面では不遇だった。こうした不幸も重なって、鎌倉幕府の権力争いに嫌気がさしたのか、頼綱は間もなく出家、蓮生と号した。34歳の働き盛りにして政治の第一線から退いた頼綱は、京の嵯峨野の小倉山麓に別荘を建てて長い余生を送り、88歳という長寿を保った。彼の子孫は、戦国時代まで下野の弱小戦国大名として存続した。
頼綱の息女の一人は、藤原定家の嫡男に嫁いでおり、定家とは縁戚関係だった。定家の日記「明月記」によると、頼綱が自分の別荘の襖に定家が選んだ和歌の色紙を貼ってくれるよう依頼したのが、百人一首編纂の発端と言われている。
漫画「うた恋い。」では、1~3巻のオープニングでそのいきさつが描かれている場面のみの登場で、出番はさほど多くない(2巻と3巻は台詞こそ同じだが、それぞれ新規絵である)。しかしアニメ版では、アバンタイトルにたびたび登場し、事実上のレギュラー出演となっている。一緒にバレエを踊ったり、宇宙へ飛び出すなど、下野紘のノリノリの演技も相まって、定家に劣らぬフリーダムっぷりを発揮している。
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関連項目
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