「安井道頓」(やすい・どうとん 1533 ~ 1615)とは、戦国時代の大坂の町人で、大坂城の外堀の掘削工事や、その名を残す運河「道頓堀」を掘る大工事を私費で行った土木のスペシャリスト。
太閤立志伝では、教える立場になる事が多い為かノートン先生をもじって道頓先生と呼ばれる。
概要
豊臣秀吉の治世下にて、秀吉の居城・大坂城の外堀の工事を行い、その功により城南の地を賜り、水路を引く事から始まる都市計画を立案して、私費を投じて東横堀川から木津川につながる水路の工事を開始した。
豊臣家に恩を感じていた事や、自身が開発した外堀まで埋められてしまった怒りからか、安井道頓も豊臣方として戦に参加し、大坂城に入城後、落城の際、栄華を誇った豊臣家の滅亡と共に城内にて討死してしまった。
その後、城南の開発は従弟の安井道卜が引き継ぎ、安井道頓が戦死した1615年に運河が完成し、豊臣家に代わって大坂を所領としていた松平忠明が、安井道頓の功績を讃えて「道頓堀」と名付けてその名を永遠に残す事となった。
※その他「安井道頓」の詳細についてはwikipediaの該当記事参照の事。
道頓堀裁判
安井道頓の従弟、安井道卜の子孫が1965年に起こした裁判が所謂「道頓堀裁判」である。
当時、環境的に問題をかかえていた道頓堀は大阪市によって埋め立てられる計画が進められていたが、安井氏にとって道頓堀とは豊臣秀吉から拝領した領地であるという認識から川底の所有権を主張して民事裁判を起こした。
裁判の際、争点のひとつとなったのが、安井道頓の出自であり、子孫が提示した安井氏出身説の資料と、国が提示した成安氏出身説の資料とをだしあったものの、証拠として根拠づけるに乏しく歴史家の判断にゆだねられる等して11年をかけた結果、 安井氏側の請求を棄却する敗訴となるも、道頓堀の埋め立てを回避できた事や、裁判官が安井道頓の功績をたたえた事から控訴される事なく確定した。
関連動画
道頓「プレイヤーに弁舌と建築を教えるのも飽きたのう」
主「じゃあ、主人公やってみます?」
道頓「え、いいの?」
ということで安井道頓先生が主役で剣豪プレイなノクタンPの架空戦記「道頓先生で普通に剣豪プレイ」
補足
「信長の野望」(PC)シリーズにおける安井道頓(安井成安)の能力一覧。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||||
覇王伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||
天翔記 | 戦才 | - | 智才 | - | 政才 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||||
烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
嵐世記 | 采配 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | |||||||||
蒼天録 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||||
天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||||
革新 | 統率 | 23 | 武勇 | 38 | 知略 | 43 | 政治 | 82 | ||||||||
天道 | 統率 | 23 | 武勇 | 38 | 知略 | 43 | 政治 | 82 | ||||||||
創造 | 統率 | 58 | 武勇 | 47 | 知略 | 46 | 政治 | 77 | ||||||||
大志 | 統率 | 56 | 武勇 | 47 | 知略 | 48 | 内政 | 80 | 外政 | 62 | ||||||
太閤立志伝V | 統率 | 43 | 武力 | 60 | 智謀 | 38 | 政務 | 66 | 魅力 | 60 | 野心 | 57 |
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