宗義純(そう・よしずみ ? ~ 1580)とは、対馬国の戦国大名である。宗家19代当主。宗将盛の三男。兄に宗茂尚。弟に宗調国、宗義智。
概要
1569年に兄・宗茂尚より宗義調の後見を受けながら家督を継いだ。1571年に波多政の援軍として赴くも大した戦果をあげられなかった。
前半期は伊奈郡主とされており、伊奈姓を名乗ったとされている。また、名前も当初は調弘、1569年に貞信と名乗った。1576年に義純と改名した。
彼もまた兄同様病弱であったために1579年に末弟の宗義智に家督を譲り、最晩年まで判物を出して義智の政務をやりやすいよう引き継ぎ作業を行い亡くなった。
また、政務を省みなかったために家臣・領民に恨まれて謀叛を起こされて自害したともいう。
義純の特色としては何故か改名前の名前も同時期に使用していた点である。貞信という名は1576年に改名したのにも関わらず、1579年までに使用していた。
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