富士登山駅伝
日本一過酷な駅伝
富士登山駅伝とは、静岡県御殿場市で開催される富士山の山頂と麓を往復する駅伝大会である。2015年の大会で40回目を迎える。
正式な大会名は「秩父宮記念富士登山駅伝競走大会」。
歴史は古く、1913年に金栗四三が発起人となって開催した個人競技から始まった。その後、往復登山駅伝となる。太平洋戦争の中止などを経て、以降1976年を第1回として毎年8月上旬に開催している。
詳しい歴史・コース概要についてはウィキペディアを参考にしてほしい。
レースの流れ
大会当初はJR御殿場駅がスタート・ゴールであった。のちに市内の陸上競技場に移ったが、2015年は第40回記念に加え御殿場市制施行60周年を記念して御殿場駅スタート→陸上競技場ゴールとなっている。全11区あるが、全6人で登り・下り、往路・復路とタスキをリレーしていく。1~3区はアスファルト舗装の道を走るが、4区からは富士山の火山灰の上を走っていく。さらに頂上に上がるたび、砂利に岩と過酷になっていく。山頂の浅間神社でタスキに検印を押されて折り返していく。登ったら登ったで、今度は下り坂になる。
登りで脚を使った分、下りは火山灰の上を一気に走っていくため特に7→8区にかけてのタスキリレーでは毎年多くの選手が転倒する。その後悪条件の足元から別れを告げ、再びアスファルトの道へ戻って陸上競技場に戻ってゴールを迎える。
登山駅伝の醍醐味
駅伝では世界一を誇る高低差3258m、山頂と下界の気温差は20℃以上、陸上に適さない岩や砂利の過酷なコース、さらに高山ならでは変わりやすい天候。そのためか毎年全国各地から自衛隊のチームが参戦する。それでも、この登山駅伝のファンも多く普通の駅伝にはない魅力的な部分に魅せられ自衛隊以外からのチーム毎年出場している。(山梨学院大学や大東文化大学など、箱根駅伝の伝統校も出場し優勝経験がある)
また観戦する上で一番の見どころとなるのが、上記の7→8区の通称「大砂走り」である。地面は火山灰、1000mの高低差、そして一番は登り5→6区を走ったランナーが今度は同じ道を下ること。登りで脚を使った分、下りではコントロールが利かずタスキリレーでは多くの選手が大転倒する。その迫力は登山駅伝の名物となっている(なお選手達はウケ狙いで転倒しているわけではなく、真剣勝負の中で行なっているためご了承を願いたい)。
以前まではテレビ静岡の製作で一部地域を除いて全国ネットで録画放送していたが、現在ではテレビ中継は行なわず結果についてもローカルニュースで扱っているのみとなっている。
表彰について
かつては自衛隊とそれ以外のチーム(大学・実業団・クラブのチーム。大会では一般チームと称す)が混合で順位を競っていたが、自衛隊チームが毎年上位を独占するようになったため現在は自衛隊の部と一般の部に分かれている。自衛隊の部は「御殿場市長杯」、一般の部は「金栗四三杯」が。そして総合優勝には「秩父宮賜杯」が贈られる。(レース自体は自衛隊と一般チーム混合で行なわれる)
参加資格
上記の通り一般の部と自衛隊の部に分かれるが、自衛隊の部は現役自衛官が1名以上加わっているもので、一般の部は自衛官が一切いないことである。これだけの特殊な環境のため、参加するためには5時間以内にゴールする見込みがあることが条件となり、加えて前年からの参加チームで4時間40分以内にゴールしたチームは優先される。特に山頂区の選手は特殊環境に慣れるため、大会本部より山小屋での前泊が指示される。特殊な環境と山小屋等の準備の関係で大会本部より出場チームは制限され、参加希望を出しても許可が下りない場合がある。(特に出場経験のない希望チームは注意してほしい)
関連動画
関連項目
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