小久保裕紀とは、福岡ソフトバンクホークスに所属しているプロ野球選手である。
概要
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- 1993年ドラフト3位で福岡ダイエーホークスに入団。この時のポジションは右翼手だった。
- 1995年は二塁手のレギュラーを確保し、本塁打王(28本)を獲得し、イチローの六冠王(彼は25本)を阻止した。このとき唯一のゴールデングラブ賞も受賞している。
- 1997年から三塁と一塁を守るようになる。シーズン終了後にプロ野球脱税事件に関わっていたが発覚し、主犯格として有罪判決が言い渡され、1998年はまともに出場できなかった。
小久保はこの事件に関わった選手で最も脱税の額が大きく、刑罰、処分共に最も重いものであったことから、今でも「脱税王」と呼ばれることがある。 - 1999年は4番打者として活躍し、福岡ダイエーホークスの初のリーグ優勝と日本一に貢献した。その後も長打でチームに貢献するものの、2003年には右膝の靭帯を断裂する重傷を負い、1試合も出場できなかった。その後巨人に無償トレードで移籍することになるという問題が勃発した。詳しくはWikipediaを参照。→「小久保無償トレード問題」

- 2006年には巨人では数年振りとなる主将を務めたが、シーズン終了後にFA宣言をし、古巣である福岡ソフトバンクホークスに復帰した。孫オーナーは就任当時から小久保を復帰させることを考え、背番号9も欠番状態にしていた。その後巨人の主将は阿部慎之助が引き継いでいる。
- ホークス復帰後は主に一塁手として出場、5番(松中が3番のときや欠場時は4番)を打つ。元々あまり打率を残すタイプでもない(99年の優勝時の打率は.234、夏頃まで1割台だったが4番で使われ続けた)が、年齢と怪我、本拠地が狭い東京ドームから広い福岡ドームに戻ったこともあってだいたい打率.250、20本塁打ぐらいの成績に留まっている。
- 特に2008年は56打点と勝負弱かったり、大不振でも中軸で使われ続けたので最下位の戦犯扱いされることもあった。
- 2009年は全試合出場で18本塁打ながらチームトップの81打点と面目を保った。
- 2010年は出場した112試合のうち、107試合は四番として出場。9月18日の西武戦では、送りバントを決める。その後、ブライアン・シコースキーから通算399号となるサヨナラツーランホームランを放ち、チームはそこから5連勝。7年ぶりのリーグ優勝に貢献し、秋山幸二監督に続いて胴上げされた。
- 2011年5月12日、ヤフードームのオリックス戦で史上16人目のプロ通算400号ホームランを達成。8年ぶりの日本一に貢献し、日本シリーズMVPを受賞した。
- 練習熱心で知られ、誰よりも早く球場入りし一番最後まで残っていると言われる。その姿がチーム全体の練習量を増やし、強豪ホークスの土台を作ったと語られることが多い。
- レフト方向へ非常に滞空時間の長い美しいホームランを放つ。40歳近くなった今でもその美しさは健在。
- 足は決して速くないが、過去にはランニング満塁ホームランを放ったこともある。
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読み:コクボヒロキ
初版作成日: 09/10/12 13:26 ◆ 最終更新日: 12/04/19 00:47
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