小野寺五典とは、日本の政治家(衆議院議員)である。自由民主党(岸田派)所属。
現職の役職は自由民主党政務調査会長代理。
1960年5月5日生まれ。宮城県気仙沼市出身。
略歴
※詳細な経歴は公式サイトをご参照下さい。
1983年3月 | 東京水産大学 水産学部海洋環境工学科 卒業 |
1983年4月~1990年3月 | 宮城県職員(主に水産資源研究など) |
1990年4月~1995年3月 | 松下政経塾 研究員(11期生) |
1993年3月 | 東京大学大学院 法学政治学研究科修士課程 修了 |
1994年4月~1996年3月 | 東北福祉大学 専任講師 |
1996年4月~1997年12月 | 東北福祉大学 助教授 |
1997年12月 | 第41回衆議院議員補欠選挙にて初出馬・初当選 |
1998年1月~2000年12月 | 東北福祉大学 客員教授 |
2000年1月 | 衆議院議員を辞職 |
2000年9月~2002年6月 | 米ジョン・ホプキンス大学高等国際問題研究所 客員研究員 |
2001年4月~2004年9月 | 学校法人増子学園 理事長 |
2002年10月~ | 東北福祉大学 特任教授 |
2003年6月~ | 自由民主党 宮城県第六選挙区支部長 |
2003年11月 | 第43回衆議院議員総選挙にて2度目の当選(以後3期連続当選) |
2004年9月~2005年11月 | 外務大臣政務官(第3次小泉内閣) |
2007年8月~2008年8月 | 外務副大臣(安倍改造内閣・福田内閣) |
2012年12月~2014年10月 | 防衛大臣(第2次安倍内閣) |
2014年10月~ | 自由民主党政務調査会長代理 |
人物
- 2000年の議員辞職は、有権者に「線香セット」を配った事が原因となり公職選挙法違反になったためである。その後小野寺は40万円の罰金処分を受け、3年間の公民権停止となった。
- 補選にて初当選を果たしたが、その後小野寺も議員辞職したため、衆議院宮城6区では史上初の「補選の補選」が行われた。
- 2009年の第45回衆議院総選挙では対立候補の菅野哲雄(社民党)を大差で破り、菅野の比例復活をも阻止した。しかし自民党はこの選挙に大敗したため、宮城県の小選挙区で唯一の自民党衆議院議員となった。
- 2011年の東日本大震災では、地元・気仙沼市も激しい津波被害に遭った。小野寺の実家や自宅も全壊した。
- 「五典」の名前の由来は、5月5日AM5時生まれの「五」と、父親から一字もらった「典」である。
- 座右の銘は「一隅を照らす」。「社会の片隅でもよい、必要とされる人物となれ」という意味で、天台宗の開祖・最澄の言葉である。
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関連項目
外部リンク
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