単語記事: 少年法

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少年法とは、日本法律の一つである。

概要

少年というが少女も対である。簡単に言えば少年少女刑事事件に関する刑事訴訟法。少年少女の更生の可性を考えて成人とは異なる刑、処置を課す法である。具体的には少年院送致、実名報道を避ける努義務(強制ではない)、刑の減刑(死刑にならない)などがある。

議論 

ぶっちゃけ精神障害者の免責と並んで評判の悪い法律である。止すべきというも多い。理由は被者の感情、また死刑にならないことで少年少女悪事件を起こす、(ようするに犯罪の低年齢化)そうでなくても保護処分など軽い処分のせいで図に乗るという意見が多い。実名報道死刑は科すべきであるというわけである。

その一方で少年少女の責任の問題から維持すべきという意見もある。これはどういうことかというと、「少年大人と同じ罰を与える=大人と同じ責任があると判断する」ことを意味するから、例えば少年自動車運転免許選挙権を与えても良いことになるし、性風俗に走っても自己責任として片付けられ、守られなくなってしまう恐れがあるからである。「少年に対し大人と同様の刑罰を負う義務だけを与え権利を与えないことは人上あってはならないことである」という観点から、少年法を支持する者も居る。また、少年法があるから補導や裁での審判・保護観察が出来るのであり、少年法止されると却って非行少年が野放し状態になってしまう。ゆえに「少年法があるから非行少年が図に乗って犯罪を犯すというは誤りである」という意見もある。
いずれにしても、犯罪を犯した場合は大人と同じ刑罰を課し、その一方で権利に関しては「子供だから」という理由で制限を課すことは大人少年に対してダブルスタンダードを強いることを意味するものであり、憲法が保障する法の下の等に反する可性が高い。
また少年に対し事件や事故の責任を大人と同じ重さで負わせるということは、同時に親の監督責任を全否定することを意味するものであり(子供も大人と同じ責任=子供も1人の人間=親や周りの大人に責任はない、という理屈になる)、少年・子供にとって過酷な(=大人に都合の良い)社会が形成されてしまい、子供の未来に閉塞感を与えてしまうことが懸念されることなどから、少年大人と同じ罪の責任を被せることは好ましくないと言わざるを得ない。

実名報道の禁止に関しては少年法61条が根拠とされているが、それ以前に同法第1条の条文を読み解くと、少年といえど悪犯は非行の範疇外であると捉えることもできる。ゆえに61条の規定や人権にする弁護士らを恐れて萎縮し、あらゆる少年犯罪の実名報道自粛するマスコミ自体を非難するも挙がっている。

死亡者が1人の殺人罪や交通死亡事故などの重過失致死罪のように、大人であっても死刑にならないか、死刑となる可性が極めて低い犯罪に対し有期刑が下された場合も少年法のせいにするがよく挙がる。確かに少年の場合刑が大人よりも1段階軽くなるのが相場と言われているが、死刑々の話となるとそもそもが筋違いな大人でも死刑にならない=刑法による刑罰の重さの問題)になってしまうのであり、少年法とは別の問題として捉える必要がある(→死刑存廃問題の項も参照)。

ちなみに「18歳未満少年死刑を適用することが出来ない理由は少年法があるからである」というのは誤解であり、これを禁じているのは「児童の権利に関する条約」という際法の方である。この条約では第1条で18歳未満の者を「児童」と規定し、第37条で児童の死刑及び終身刑を禁じているほか、第3940条においても少年犯罪者に対し相応の配慮がされるよう事細かく書かれている。

この条約に批准している国家196193である。もしこの条約を破棄したり、例えば少年に対する死刑の執行を可にするため第37条aを留保するなど、条約の理念に反する形で留保をしたりすれば、社会における日本の立場がどうなってしまうかは想像に難くないであろう。…ただ、批准していない3カのうちの1つにアメリカ合衆国が含まれているのだが(一応署名はしている)。

仮に少年法を撤したところで、(18歳以上の者についてはともかくとして)犯行当時18歳未満であった者に死刑刑・適用することは際法違反の観点から到底不可能であることは現実として受け入れておかねばならない。

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読み:ショウネンホウ
初版作成日: 16/02/10 00:10 ◆ 最終更新日: 16/06/21 20:30
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少年法について語るスレ

170 : ななしのよっしん :2016/07/28(木) 00:18:05 ID: 0Z5SXHmdJC
子供が全に責任無能と判断された場合はそうなることもある
子供に万引きさせた親を処罰した有名な判例があったはず

ただ未成年といえどもそこそこ育ってれば子供なりの判断や責任が認められうるのでその場合は子供自身の責任を問わなければならない
171 : ななしのよっしん :2016/07/28(木) 00:29:24 ID: oC/9BR79dy
>>170
解説ありがとうございました
172 : ななしのよっしん :2016/07/28(木) 05:01:55 ID: psiN/Pk+4J
>>167
度々例に挙げてきたけど、スマイリーキクチ中傷事件の加者となった
ネット上の匿名の人々も正にそれを地で行くものに他ならなかった。
「根拠はないけど自分は例外、棚上げして何が悪いの?」そしていざ、理不尽な立場に陥れば
「あいつが悪い、大衆が悪い、が悪い」と返しの居直りと開き直り。
も、これは法秩序の領域よりも災害の時に「自分だけは助かるに違いない」
みたいな特定状況下の心理バイアスの類かもしれませんがね。
173 : ななしのよっしん :2016/08/17(水) 09:03:02 ID: Ros3dAuvBr
少年法って儒教とかの東洋思想にあてはめても非常に合理的なんだよね。
子供というのは(荀子的に性悪か子的に性善かは問わずに)その性質は後的に
変えられるという期待があって、一方で智な存在であるというのも認めている。
たとえば益軒なんかは「赤子井戸に落っこちるのはそこに落ちると死ぬというのを
ちゃんと理解してないからだ」というな説明を加えている。
だからこそ教育の重要性を3000年間ずっと言い続けてたわけで、少年法の更生というのは
儒教的にも非常に筋の通った物だと思う。
ところでmixiとかああいったところの過な論をみると、「自分や家族はそうならない」という
根拠のない楽観義とかそういうの根底にあるように思える。
これは少年法だけじゃなくて生活保護等に対する言説にも共通していて、
ある種の新自由主義的な発想なんだよね。
もっともこの楽観義は根拠がいんで、発言者たちがそんなとてつもない新自由主義社会
生き抜けるとは到底思えないわけだけど。
174 : ななしのよっしん :2016/08/17(水) 22:53:58 ID: psiN/Pk+4J
mixiを筆頭にネットの巷で溢れてる少年法の話はもう大局観を担保しない
愚にもつかぬ落書きであるが、生活保護だけじゃなくセットで罷り通る体罰容認論の本質も同じ。

「近頃のガキ共は〜」とかで始まる管巻きには何の論理的根拠もないヒステリーでしかない事は
過去ログで既に述べたが、少年法体罰容認論もこの手言説に共通しているのは
「然も自分が当事者の様に切実にり尽くすその実、実際の現場ないしは想定される範囲であれ
自らが率先して動的に解決を実践する体性が皆無である」という事に尽きる

何が言いたいかといえば、「客観的根拠はないが最近の子どもは生意気だ、
大人めない様に殴り飛ばし蹴り上げてでも教え込むべきだ!でも実際にそんな場面に遭遇しても
自分はやらないよ、じゃあどうするのかって?そんなもん自分で考えろやカスが!」これだよ。
自ら客観的な根拠に基づいて調した訳でもないのに拘らず、何か起これば他人任せなんだ。
175 : ななしのよっしん :2016/08/17(水) 22:57:25 ID: psiN/Pk+4J
ちなみに体罰の話を引き合いに出したのはこの体性に関する次元詭弁を確実に浮き彫りにする為。
少年法にしても未成年者大人の区別を明確にする上で必要な事項がきちんと存在していて、
体罰だって禁止されているのは成人の世界では法治国家としての刑罰を行使できるのは
警察ないしは法府が権利を有するからだ、事実体罰容認論を唱える戸塚みたいな方々なんて
自分らよりガタイのいいちゃんの揉め事に率先して身体って食い止めようとはしてないだろ?

この手の連中の通りなら殺人・強盗等の悪犯から傷・暴行の成人犯罪者
自警団的に取り締まらなければおかしい、何故子どもにだけ私刑が許されるんだい?
その時点で弱い者イジメがしたい卑怯者の本性が出ている、こんな体性皆無自己責任論とか
自己矛盾も甚だしいわ。反米保守を除く右新自由主義親和性は規制緩和や格差拡大だけじゃない、
こういった法治国家教育の領域にも浸透していると考えてもいいくらいだ。
176 : ななしのよっしん :2016/08/20(土) 09:26:47 ID: 90YWpCc8HJ
>>174
>自分はやらないよ、じゃあどうするのかって?そんなもん自分で考えろやカスが!」
オレはこの部分がちょっと違っていて、mixi民の
「自分はやらないよ、じゃあどうするのかって?がやればいい。
少年もどんどん死刑にし、疑わしきを罰し、現行犯はその場で処刑できるよう法律を変えろ」
という次元にまで言及しているユーザーが散見されるように思います。
なぜ、そこまで言えるのか。それは

「悪くない子供は最初から悪いことをしない」

これが少年法の根底にある思想と思う。

(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
177 : ななしのよっしん :2016/08/20(土) 09:35:48 ID: 90YWpCc8HJ
>>173
mixiに見られる過な発言の背景にあるのは、「被者への極端な思い入れとそこからくる不感」。
判官びいきに通ずるものだと思います。

者はそれをすると殺人に及ぶということを知らなかった、と言えばどういうか。
「殺されたものが浮かばれない」と強く思うんだよね。
何の落ち度もなく死んでいった死者が最大限浮かばれる世の中をめている。
だから、生きている人間の人権を否定し、死者に人権を与えろと本気で思っている。
社会は生きている人で回っているという事実など、その人の頭の中にはない。

おそらくそれはただ単に自分の遇に不満を抱いていて、
それを投影しているにすぎないケースが多いと思うんだけど。
178 : ななしのよっしん :2016/08/20(土) 22:35:33 ID: Ros3dAuvBr
>>177
なるほど
ただ、そのロジックが働くにはやはり「自身や身内は絶対に加者にならない」という
根拠のない絶対的自信が根底にあるように思える。
だからこそ、加者の人権を最小化したような発言が成り立つと思うのよ。
つまり自分は「石を投げられる側にはならない」という絶対的な自信がある。
しかしその自信というのは全く根拠がないわけで、それを「根拠のない楽観義」と
表現してる次第。
これは新自由主義が持つ、「自分は絶対に自由謳歌できない立場には落ちない」という
考えに共通する。全な自由放任義において貧困層は著しい人権、いや人権凌辱されてる
状況におかれるというのは、19世紀アメリカ産業革命期の英国をみても明らかなわけで、
そんな状態でも「オレは大丈夫」という根拠のない自身が、mixi等の発言にはみられる気がするのよ。
179 : ななしのよっしん :2016/08/21(日) 16:59:18 ID: psiN/Pk+4J
>>176-177
もっと踏み込んだ考え方にすれば>>178にもある通り「何の根拠も明もないけど自分は大丈夫
という不毛な結果論がある、正に自己の体性なき机上の空論としか言えませんな。

>>178
それに付け加えるなら「仮にお前らに何かあって、どんなに理不尽な事であっても自己責任
というものがつく、しかしそれは上にもある通り被者の救済というよりも
「自己の遇への憂さらし」でしかなく、一端の正義感なんかでは断じてない。
更に酷いのは往々にしてそういう輩は「石を投げられる側」が常に加者だと思っていやがる。
自分らが自己責任だ実不足だと弱者をバッシングして追い詰めておきならが、
クズ共に死の報いを!」と絶叫する…一体こりゃ何の冗談だ?
即ち、自分の体性がまるで存在しないから筋の通った行動や結論もとれない、
本当にこの手の連中は議論の敵だ。
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