山中伸弥(やまなかしんや)とは、医師、医学者。2012年10月現在、京都大学iPS細胞研究所所長・教授を務める。
概要
生い立ち
1962年9月4日、大阪府東大阪市生まれ。神戸大学医学部卒業。
中学高校から大学2年まで柔道(高校時代に柔道二段を取得)、大学3年からはラクビーをしていた。怪我をすることが多く、10回以上の骨折を経験したことから、整形外科の道を選んだ。
しかし、整形外科での手術に相当な時間がかかったり(普通の人なら20分で終わるところ、山中教授は2時間かかっていた)、点滴を失敗するなどしたことから、「向いていない」と感じるようになった。加えて、同時期に重症になったリウマチの女性患者を担当し、患者の全身の関節が変形した姿にショックを受け、こうした重症患者の役に立ちたいと考えるようになった。そして、こういった重症に対処するためには基礎医学の研究が不可欠と考えるようになり、研究者を志すようになった。
その後、大阪市立大学大学院に入学。ほとんど寝ないで研究を行うことも少なくなかったという。
iPS細胞の開発
その後アメリカへと留学し、分子生物学的手法を使って遺伝子改変マウスを利用して動脈硬化の研究をはじめる。留学終了後、帰国し日本での研究に打ち込もうとするも、研究所のマウスの管理により研究が滞り、その研究環境の米国との落差に愕然としたという(山中教授曰く「日本の研究者はアメリカから比べると10年20年も遅れた環境でほとんどの人は研究している」)。そのため、基礎研究を諦め、研究医より給料の良い整形外科医へ戻ろうと思っていた。そんな矢先、奈良先端科学技術大学院大学の公募を見つけ、応募したところ、採用に至りアメリカと似た研究しやすい環境の中で基礎研究を再開した。
結果、奈良先端科学技術大学院大学でiPS細胞の元となる「真に臨床応用できる多能性幹細胞の樹立」というタイトルで科研費を得る。このときの科研費は5年間で3億円であり、iPS細胞開発の原動力となっている。2004年に京都大学へ移り、2006年にはES細胞に似たマウス人工多能性幹(iPS)細胞の開発に成功した。2007年にはさらに研究を進め、ヒトiPS細胞を生成する技術を開発。両論文は世界的に注目された。
ノーベル生理学・医学賞の受賞
上述の研究が評価され、2012年9月8日、50歳という若さでノーベル生理学・医学賞受賞が決まった(共同受賞となっているイギリス・ケンブリッジ大学のジョン・ガードン教授は79歳)。日本人で19人目のノーベル賞受賞者であり、生理学・医学部門としては利根川進氏以来、25年ぶり2人目となっている。
趣味など
現在はマラソンを趣味とし、奈良先端大時代は毎朝構内をジョギング、京都大学に移ってからも鴨川沿いを昼休みに30分走っているという。2012年(平成24年)3月11日には、京都マラソンで山中教授自身が完走することを条件にiPSの研究資金の寄付を呼びかけたところ、金額は1000万円以上の寄付が集まった。マラソンは4時間3分19秒で完走した。
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