岩隈久志とは、シアトル・マリナーズに所属するプロ野球選手である。
概要
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1999年ドラフト5巡目で当時の大阪近鉄バファローズに入団。
選手としての特徴は「打たせて取る」という形に特化し、奪三振よりも内野ゴロで抑えるピッチャーで、調子の良い時の岩隈は「ゴロクマ」と形容されるほど内野ゴロを打たせて相手打線を抑え込む。
実は、近鉄時代と楽天時代で投球時のイメージが変わるピッチャーである。その主な理由は2006年から禁止された二段モーションと、楽天に入ってから悪化した肩と肘の怪我が原因であり、近鉄時代と二段モーションを修正した楽天時代とで大きくイメージが違う。近鉄時代のフォームを見れば、今の岩隈からは想像もできないほど変態的な特徴的な投げ方をしているのが分かるだろう(関連動画参照)。
制球力も非常によく、2008年には28試合登板、200投球回超で被本塁打が3本という驚異的な数字を残している。
2008年の怪我明けなどでは100球程度の降板を意識していた。
そのことを一部解説者は「根性やエースとしての自覚が足りない」と咎めたりしたが、それは医師による指導のものであり、監督もそれを了承して起用をしていた。それに関して、当時の野村克也監督は「繊細で気を遣う投手」とコメントを残しているが、それは例によってボヤキの上でのことであり、実際は厚く信頼を寄せていた。その信頼の証拠が2009年のCSファイナルステージ4戦目のリリーフ起用に凝縮されていると言える。
女房役は藤井彰人。近鉄時代から岩隈をリードし続け、凄まじい成績を挙げた2008年には最優秀バッテリー賞を受賞するなど岩隈にとってなくてはならない存在という声も多い。が、2010年オフに皮肉なすれ違いにより離れ離れになってしまった。ちなみに、家庭ではかなりの愛妻家で、奥さん・子供と絵本を出したりしているいいパパでもある。
2007年には当時の野村克則コーチとのベンチ内での喧嘩がテレビ中継中継されてしまい不仲が噂されたが実際はそんなことはない。ちなみに、二人は高校時代の先輩後輩の間柄であり、このときの喧嘩の原因は4回にノックアウトされロッカーに引き上げた岩隈が1時間近く戻ってこなかった事にカツノリコーチが激高したのが原因。
愛称はクマ 。2ちゃんねるの実況野球板では先発登板のとき、クマーのAAが登場する。
ちなみに、同チームの井坂亮平は「量産型岩隈」と言われ、ウマーのAAが使われる。
年表
2000年~2004年 入団~近鉄時代
1年間の2軍経験を経て入団2年目の2001年から活躍を始め、その年の近鉄のリーグ優勝に貢献。
その後2003年(15勝10敗)、2004年(15勝2敗)と連続して15勝を挙げ、2004年には五輪代表に選出されるなどチーム内外問わずエース級ピッチャーとして活躍する。
しかし、2004年シーズン中に勃発したオリックスブルーウェーブと所属球団の合併に端を発する球会再編問題に巻き込まれ、シーズンオフの分配ドラフトで岩隈は合併後の球団となるオリックス・バファローズ所属が決定する。
しかし、岩隈は「移籍先については選手の意思を尊重する」という球団と選手会の交渉で出た申し合わせを理由にそれを拒否し、プロテクトしてまでして岩隈を押さえたオリックス側と対立。ごたごたの結果、一時的にオリックスへ入団後、楽天に金銭トレードされるという形で岩隈の要求は呑まれる形となった。このような複雑な事情もあり、岩隈は形式上2004年オフに2度移籍を経験していることとなる。
2005年~2007年 楽天創成期
こういった複雑な経緯で楽天に来た岩隈だったが、シーズン開幕戦の先発を勤め無事勝利。球団史上最初の試合を白星で飾る。その後、肩の怪我などで不振に喘ぎながら9勝15敗の成績でシーズンを終えた。
しかし、2006年は岩隈にとって更に試練となる。特徴的なフォームで投球してきた岩隈にとって致命的な二段モーションの禁止の導入である。 更に肩の怪我の悪化がありフォーム変更どころの騒ぎではなくなり8月まで復帰がずれ込み6試合登板、1勝2敗という手痛い成績に終わってしまった。
岩隈の受難は2007年も続いた。今度は背中・肘・脇腹と続々と故障を連発。本調子を維持することが難しかったが1年間投げとおし5勝5敗の成績を残してシーズンを終えた。
2008年 2009年 岩隈の進化・躍進
岩隈といえば2008年、2009年が特に輝いたシーズンであった。
2008年の岩隈はついに二段モーションの修正に成功。楽天移籍後初の無四球完封勝利に始まり、終わってみれば21勝4敗(1985年以来の23年ぶりの21勝投手の登場)で最多勝、防御率1.87(最優秀防御率)、勝率.870で投手三冠を獲得した。更に沢村賞、パリーグMVP、パリーグベストナイン、藤井彰人と共に最優秀バッテリー賞と列挙したらキリがないほどタイトルを総ナメした。ちなみに、この年の楽天は65勝76敗3分という成績であり、この年の楽天の勝ち数のほぼ1/3は岩隈が上げたということになる。
が、シーズンオフに致命的なエラーをやらかした。
岩隈はオフにフジテレビ系列「とんねるずのみなさんのおかげでした」の食わず嫌いに出演。対戦相手は中島美嘉。藤井彰人がいなかったせいか、見事に配球(弱点)を見透かされ、敗北。シーズン4敗だったのに…
ちなみにNGだった食べ物は「アサリの酒蒸し」。本人曰く、「ジャリジャリするから」。その負けを受けて、実況野球板では「イワクマンゴww」のスレが立ってしまった。罰ゲームは野村克也監督のものまねだった。岩隈ェ…。
2009年はチーム成績もさることながら対外的にも大活躍。
WBC日本代表として、松坂大輔、ダルビッシュ有と日本代表の三本柱を務めた。
敗者復活戦のキューバ戦では打たせて取るの真骨頂を見せ6回無失点、18アウトのうち15アウトが内野ゴロであった。
そして岩隈は決勝戦の韓国戦でも先発を務め、7回2/3を2失点で抑え込み後へ繋いだ。
ちなみに、岩隈の後を継いだのはダルビッシュであったが土壇場で追いつかれ同点に。しかし、延長10回にこの男が神の一打
で突き放し、日本はWBC連覇を成し遂げた。
楽天のペナントも大躍進。岩隈は13勝6敗という成績を残しチームはシーズン2位、球団史上初のAクラスで終了。
CSでは3位ソフトバンクを撃退しファイナルステージへと進出。岩隈はファイナルステージ2戦目を投げるも敗北。
そして負ければCS敗退、更に野村克也監督の退任が決まってしまう第4戦。岩隈は2点差を追いかける8回裏にまさかの中1日リリーフで登場。
相手は初戦で抑えである福盛和男があの福盛の21球で逆転サヨナラ満塁ホームランを打たれたターメル・スレッジ。
岩隈は全力投球で相対し、結果、スレッジにトドメの3ランを打たれ、力尽きた。
2010年 2011年 メジャー挑戦へ…
2010年、岩隈はFAを待たずポスティングによるメジャー挑戦を表明。
シーズンを10勝9敗で終え、入札・移籍交渉へと臨んだ。結果、メジャーのオークランド・アスレチックスが交渉権を獲得し交渉するものの条件面で折り合わずに破談した。この件に関してはアスレチックスが岩隈獲得を表明したライバル球団を妨害するためにそもそも獲得する気がなかったのに高額入札をして交渉権を奪い、わざと破談させたなどという噂が流れ、ポスティングシステムの日本側の圧倒的不利なシステムの欠陥を証明する出来事となった。ポスティングシステムの入札金は契約して初めて支払われるため、契約をしなかったアスレチックスは何のペナルティも負うことなく(妨害する気があったならば)妨害を成功させたことになる。
ポスティングが成立しなかったことにより楽天と再契約した2011年シーズンはFAによって女房役の藤井彰人が阪神に移籍。一部ファンの間では岩隈がいなくなることによる出場機会の消滅を危惧してのFAだったと噂されただけにポスティング破談による岩隈残留は何とも複雑な結果になってしまった。
調子の方は統一球の影響が幸いし、開幕から勝ちを重ね続ける。が、突如肩に違和感を訴えて5月から7月まで間を開けてしまい、さらに復帰後も調子が思わしくないのか怪我前のように勝つことができなくなり、6勝7敗と少々沈んでシーズンを終えた。
2011年オフ、FA権取得で再度メジャー挑戦を表明し、2012年1月5日、シアトル・マリナーズと1年契約を結んだ。
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::::::::彡、. |∪| /、:::::::: エース様が投げるときはちゃんと打てよ、具無し野郎め…
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スチャッ
関連動画
楽天時代
WBC関連
関連項目
http://dic.nicomoba.jp/k/a/%E5%B2%A9%E9%9A%88%E4%B9%85%E5%BF%97


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リビジョン番号: 1401737
読み:イワクマヒサシ
初版作成日: 08/07/23 06:50 ◆ 最終更新日: 12/01/06 22:49
編集内容についての説明/コメント: シアトル・マリナーズ移籍
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