概要
市川海老蔵とは歌舞伎の名跡の一つである。
初代市川海老蔵は今から約300年以上前に誕生し、そのためこの名跡は多くの歴史を持っている。
現在では市川海老蔵の後、市川團十郎を襲名することが多い。(江戸時代は逆に團十郎の後に名乗る事が多い)
教科書などで坂田藤十郎などと一緒に「市川」の名前を見たことがある人も多いのではないか。
現在は空き名跡となっている(2022年7月に先代の十一代目が第十三代市川團十郎を襲名したため)。
歴代の市川海老蔵
・市川海老蔵(初代)…(1660–1704)…後に初代市川團十郎を襲名する。
因みに「海老蔵」は彼の本名である。
・市川海老蔵(二代目)(1688–1758)…初代の長男。
市川團十郎を弟子に譲った後、二代目を襲名した。
詳細は市川團十郎のページを参照。
・市川海老蔵(三代目)(1711–78)…二代目の娘婿。
別れた愛人(男)に風俗を経営させてた異色の人。
・市川海老蔵(四代目)(1778–99)…三代目の孫。
因みに父親は「市川鰕蔵」を名乗った為、歴代にはカウントされていない。
歴代2番目の若さ(5歳)で海老蔵を襲名している。
また初代以来となる海老蔵→團十郎の順で襲名した海老蔵でもある。
詳細は市川團十郎のページを参照。
・市川海老蔵(五代目)(1791–1859)…三代目の曾孫にして四代目の養子。
因みに1798年から1800年に名乗った時は「市川ゑび蔵」だった。
しかし、祖父の名乗った「市川鰕蔵」はカウントされないのにこっちのゑび蔵は何故かカウントされる。
因みに歴代3番目の若さ(7歳)で海老蔵を襲名している。
その後、七代目市川團十郎を名乗るが1832年に息子に名を譲ると何と市川海老蔵に戻った…。
歴代の海老蔵の中で唯一2回も襲名した人である。
・市川海老蔵(六代目)(1823–54)…五代目の長男。
何と歴代最年少(3歳!)の若さで海老蔵を襲名している。
因みに團十郎の歴代最年少(10歳)襲名の記録も持っている…。
イケメンとして後の九代目や十一代目以上に女性から絶大な人気を誇るが32歳の若さで謎の自殺してしまった。
・市川海老蔵(七代目)(1833–74)…五代目の三男。
兄である六代目の死から20年後に七代目を襲名する(同時に弟である五男が市川團十郎を襲名)。
しかし、襲名から僅か4ヶ月後に一度も海老蔵の名で舞台に立つ事なく亡くなってしまった。
その為、歴代の市川海老蔵の中で初めて市川團十郎を名乗らなかった海老蔵となった。
・市川海老蔵(八代目)(1845–86)…五代目の七男。
兄である七代目の死から8年後に八代目を襲名する。
しかし、襲名から4年後に兄である九代目團十郎よりも早く亡くなってしまう。
その為、この海老蔵も市川團十郎を名乗らなかった2人目の海老蔵となった。
・市川海老蔵(九代目)(1909–65)…七代目松本幸四郎の長男。
系図的には五代目の義理の曾孫に当たる。
1940年に八代目の死後、54年振りに九代目を襲名。(因みに後に59年振りに團十郎も襲名している)
「花の海老様」として孫に当たる十一代目以上に女性から絶大的な人気を誇った。
その為、今でも3年間しか名乗らなかった「十一代目團十郎」よりも22年間も名乗った「九代目海老蔵」として呼ぶ人が未だに多い。
・市川海老蔵(十代目)(1946–2013)…九代目の長男。
父の死から4年後に十代目を襲名する。
しかし、「三之助」として持て囃された「市川新之助」時代や重厚な演技力で十八番復活に取り組んだ「市川團十郎」時代の活躍と比べると「市川海老蔵」時代は特にこれといってパッとしなかった…。
その為、海老蔵時代に大活躍した父である九代目や何かと問題を起こした長男の十一代目と比べて地味である。
十一代目市川海老蔵
- 1977年生まれ。
父は十代目、祖父は九代目の市川海老蔵であり、歌舞伎役者の家に生まれ幼い頃から歌舞伎の舞台に立っていた。
市川海老蔵の名跡は2004年5月に襲名した。 - 思春期は父の厳しい稽古にグレかけた時があったが、祖父である九代目の美しい演技の映像を見て感動し立ち直ったという。
- 舞台・映画・テレビ番組などの歌舞伎以外の芸能活動も行っており、大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」(某GUN道とは無関係)の宮本武蔵役で主演経験あり。
しかしこの「武蔵 MUSASHI」はずさんなシナリオと「七人の侍」からの盗作疑惑問題で評判が悪く、DVD化されないなど黒歴史となっている。 - テレビCMにも出演しており、伊藤園「おーい、お茶」のCMなどが有名である。
- 2010年11月25日早朝、バーで飲酒していたところ一緒に飲んでいた相手の知人達とトラブルになり暴行を受け、顔面の骨折等を含む全身の重傷を負った。
しかし事件に関して、テレビやスポーツ新聞等で「11月25日に予定していた公演の記者会見をキャンセルしていたにもかかわらず11月24日から飲みに出かけた」「一緒に飲んでいた相手は元暴走族リーダーであり以前から友好関係があった」、「相当酒癖悪くて、酔うと誰にでも絡んで来るらしい」「トラブルの際に自分も相手を灰皿で殴った」などの、11代目本人の印象が悪化するような証言が多数報道されてしまった。 - 2010年12月7日に、11月25日の事件に関する記者会見を開いた。
左目に出血が残っている姿で臨んだ11代目は、「飲んでいた相手とは元々の知り合いではなく初めて会った」「自らは暴行しなかった」と主張し、報道内容の一部を否定した。
あの日の自分に言葉をかけるなら?という記者の質問に対しては「デカケルノヲヤメナサイ」と名言を残した。 - 2011年3月11日に東日本大震災が起こると、前年に結婚した妻の小林麻央(フジテレビキャスター)と共に早々に東京を離れて福岡に待避し、ペットボトルのミネラルウォーターを100本近く買い占めていたことが発覚する。
また、出演料を全て義援金として寄付することを条件に、7月の「七月大歌舞伎」で復帰することを公表、無期限謹慎を始めてからわずか8ヶ月で復帰という異例の事態となった。 - 近年は、今までの放蕩に懲りたのか真面目に歌舞伎に取り組んでいる。
2013年には昭和46年(1971年)に三代目市川猿之助が演じて以来42年間演じられなかった十八番の「鎌髭」と義理の曽祖父である十代目市川團十郎が昭和22年(1947年)に演じて以来、66年間も演じられていなかった同じく十八番の「蛇柳」を復活させて演じている。
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外部リンク
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