布令弁護士(ふれい べんごし)とは、かつてのアメリカ統治時代の沖縄に存在した、「司法試験を合格せずに、弁護士資格を得る」制度、またその制度に基づいて資格を得た弁護士のことを指す俗称である。
すでに終了した制度であるが、この資格を元にして司法修習を終えずに沖縄県でのみ有効な弁護士業を継続したケース(後述)もあり、そういった例を特に「布令弁護士」と呼ぶことがある。
概要
1945年3月から6月まで行われた沖縄戦の末に沖縄はアメリカ合衆国軍に占領された。そして同年8月の太平洋戦争終結後から1972年の本土復帰までの間、沖縄はアメリカ合衆国の統治下におかれた。この時期はアメリカ世(ゆ)などとも呼称される。
この当時時代に問題となったのが、判事・検事・弁護士などの法曹の不足であった。これらの人間の多くが沖縄戦の前に本土に疎開するか、あるいは熾烈を極めた沖縄戦の中で死傷しており、終戦の時点で生存し業務を再開できる者の数が圧倒的に不足していたのである。
これに対する現実的に可能な策として、現地行政は「従来の司法試験に合格可能かどうかは問わず、とにかく法曹を補佐するなどの経験がある者――例えば弁護士事務所などにおいて、法律上の知識を要する職として2年以上実際的に働いていた者など――は法曹に準ずる者とみなし、法律実務に携わることを許可する」という方策をとらざるを得なかった。
これら本土とは異なる制度に基づく弁護士資格、あるいはその資格を得た者らを、「当時の現地行政(米民政府の布告命令(=布令)や琉球政府の弁護士法によって特別に弁護士とみなされた」者として、「布令弁護士」と呼ばれたのである。
本土復帰に伴う制度終了、司法修習
その後、1972年に沖縄県が日本に戻った「本土復帰」の際にこの布令弁護士資格をどう扱うべきかが問題となった。本土での司法試験と比較して布令弁護士の資格取得の難度が低く、そのまま弁護士と扱うわけにはいかないと考えられたためである。なお、この復帰の時点で沖縄に弁護士は167名。そのうち151名と9割以上がこのいわゆる「布令弁護士」であったとされる。
これに対して、日本は「布令弁護士」らに対して、司法修習を行ったと同等の知識があるか否かを確認するための試験、および選考を課すこととした。これらの試験・選考に合格したものは「司法修習生の修習を終えたものと見なす」、と定められたのである。
つまり布告弁護士が、本土同等な弁護士資格を得るに足るか否かを判断するための篩分けであった。
特例での弁護士業継続
ただし、現実問題として「この篩分けに合格するまでは弁護士業務は停止させる」というわけにもいかなかった。
そのため、「本土復帰直前までに弁護士として業務を行っていた者は、試験・選考に合格していなくても『当分の間』は沖縄県内では弁護士としての業務を継続してよい」という救済項も定められた。そしてこの『当分の間』には明確な期限が定められなかった。このため、試験・選考を受験することなく弁護士として活動し続ける者もいた。その結果、沖縄県の弁護士の人数は人口比では他県よりも多かった(2003年時点。関連リンク参照)とも言われる。
なお、これら「試験・選考を受けず、そのため司法修習を終えたと認められていないが、沖縄県でだけ弁護士を継続することを特例として許可されている者」のみを、「弁護士」と区別する意味で「布令弁護士」と呼ぶこともある。その場合、元々布令弁護士であったとしても試験・選考を受験して司法修習を終えたと見なされた者は通常の弁護士の同等と考えられるため「弁護士」と呼ぶ。
照屋寛徳
沖縄県選出の衆議院議員、照屋寛徳は、職業・肩書の一つとして「弁護士」資格を持っているとしている。
これに対して、彼の思想・政治的立場について批判的な思想・政治的な立場の人間が、「アメリカ統治時代に弁護士資格を取得しているはずの年代であるため、「弁護士」とは同等ではない『布令弁護士』に過ぎない」として批判する場合がある(この場合の『布令弁護士』とは上記の「試験・選考を受けず司法修習を終了していない者という意味のようだ)。
ちなみにこのニコニコ大百科記事も、初版としては上記のような「照屋寛徳批判」の目的で作成された節がある。
ただ、「照屋寛徳」「司法修習」などで検索すると彼が1972年に司法修習を終えているという記述や、彼自身が1969年に最高裁の司法修習生として本土に渡航したという記述が見つかる。そのため「試験・選考を受けずに弁護士となった」といった批判には今一つ疑問符も付く。
介輔
なお、アメリカ統治時代には法律分野のみではなく医療の分野でもよく似た独自資格があった。法曹のみでなく沖縄戦後の沖縄では医師・歯科医師などの数もまったくもって不足していたためである。
この医師・歯科医師不足の危機的状況をしのぐために、「衛生兵」や「医師助手」「歯科医師助手」経験者などに対して、医師・歯科医師に準ずるものとして「介輔」「歯介輔」という資格を与えた。これは若干の制限があるものの医師・歯科医師のような医療行為が可能な資格である。
これら介輔・歯介輔も、本土復帰以後にも特例として業務が許された。この点も布令弁護士とよく似た点である。
参照
- いま沖縄で起きている大変なこと (出版) PHP研究所
- 琉球新報 2003年3月1日 「布令弁護士」
- 沖縄の弁護士資格者等に対する本邦の弁護士資格等の付与に関する特別措置法
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関連項目
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