平宗盛単語

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平宗盛1147~1185)とは、平安時代末期に活躍した武将である。

概要

平清盛時子の間に生まれた子で清盛の三男。通称大臣殿清盛後の平家の棟梁となるものの、物語などではうだつの上がらない柔弱な存在として描かれることが多い。

1159年に遠江守に任じられて以降、淡路、美作などの守、左兵衛佐、左頭を経て1167年に従三位右近衛中将・参議となり卿に列した。その後も1177年には右大将になるが、その結果平家と友好的だった藤原鹿事件への与同を引き起こしたともいわれている。1178年に正二位・権大納言となり1179年に権大納言、右大将を辞すが、同年の異平重盛の死去で平家の嫡男となって権勢をふるった。

時子との長男として、嫡男・平重盛小松と肩を並べるどころか脅かす存在となっていた平宗盛は、これをきっかけに実質的な権勢を得た一方、『平家物語』では賢として対照的に物語を通して描かれていく。後白河法皇閉の際の法皇の慨嘆、また源頼政の嫡子仲綱の名強奪と仲綱への侮辱による頼政挙兵、といった具合に物語は虚構を交え宗盛の愚行が反平家の挙兵を招いたかのように描いていくのである。

そして1181年の清盛死去によって督を継ぎ、1182年に権大納言・内大臣、1183年に従一位に任じられるのであった。しかし彼は源頼朝妥協点を見出そうとする後白河法皇に対し、清盛の遺言に忠実にあろうと、あくまでも源氏との対決路線を維持していく。そして源義仲への都落ちの際、後白河法皇を取り逃がすという失点はあったものの、いったんは勢を挽回する。しかし一ノ谷の戦い以降源義経の攻勢に大敗していき、ついに1185年壇ノの戦いでの滅亡を迎えるのである。

しかし史実も物語も彼に退場を許さなかった。次々と入する平家に呆然とした平宗盛は、見かねた手下に突き落とされるも、嫡子・清宗と死にきれず助け上げられ、潔く散った平知盛と対照的な姿が描かれるのである。その後宗盛子は捕虜として鎌倉に送られ、卑屈な態度や生への執着は平重衡と対照的な姿として描かれる。宗盛は結局篠原で清宗とともに罪に処されるが、清宗が落ち着き払って念仏をやめなかったのに対し、宗盛は念仏を止め、息子の身を案ずる言葉を発した直後に殺されたのであった。こうして数々の平家の人々と対照的な愚かな存在として、彼は物語舞台から退場させられたのであった。

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4 ななしのよっしん
2020/11/23(月) 00:09:22 ID: TVdoteGXqd
>>2
大河義経鶴見が演じた宗盛は、まさにそんな感じだった。
清宗は清宗で、「私ではなく、どうか上をお助け下され」と言って義経が苦悩し、
結局二人ともやむなくるが頼朝への謀反フラグがさら立つという展開。
優秀な重盛にコンプレックスを持つ、庸だけどあくまで普通の感性の人だったね。
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5 ななしのよっしん
2021/02/06(土) 09:53:44 ID: sL7LEykiLm
処刑前に閉されたで、村民にも分け隔てなく接し子供とも気さくに遊んで村民は途中から慕っていたと言う伝聞が妙に物悲しい。
ただただ普通の人だったんだろうな。平家という強大な武に生まれ、また源氏との全面戦争総司令官になり、彼が「」であることを世が許してくれなかった
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6 ななしのよっしん
2021/04/24(土) 04:15:19 ID: 9WqlIdmpZH
吉川英治の新平家物語の宗盛クズすぎて読んでてイライラしてくる
こいつ1人で平家滅亡させたようなもんだろ
下の優秀な大将たちが本当かわいそう
なんで知盛や時忠を棟梁にしなかったんだよ
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7 ななしのよっしん
2022/01/05(水) 21:33:15 ID: NGER1Gj3wb
さすがにを強奪して返さなかったの、元の所有者の名前をつけて侮辱したの、は後世の創作でしょ。
宗盛が傲慢な暗君でないと困る人たちはたくさんいたろうからして。
清盛の隠居後は政治に関わっているし、都落ちした後義仲の軍勢を破って一度は摂津まで定してる。
無能ではなかったことは間違いない。
まあ、歴史は結果が全てだけどね…。
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8 ななしのよっしん
2022/02/04(金) 18:18:13 ID: YMeJd0fGsE
無能とはいわないけど有能とも言えないね
清盛息子全員そうだけど
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9 ななしのよっしん
2022/03/18(金) 17:30:26 ID: nkja6m5oWG
どうしても清盛のような急に権握ったの次の二代というのは、が権握る前に生誕した存在なので「そういう育て方」をされていない関係で帝王としては問題が出やすい
宗盛なんかまさに親父が権握らなければ幸せだった
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10 ななしのよっしん
2022/04/26(火) 15:44:52 ID: NGER1Gj3wb
今年は少なくとも、醜態をさらしながら終わるだけではなさそうだ。
その分空気のまま斬首まで行きそうだけど。
鎌倉中心とした武士の世、極楽か、はたまた地獄かな?」
というような負け惜しみがフラグになったりして。
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11 ななしのよっしん
2022/07/06(水) 22:09:46 ID: Ke5WwlImq0
そもそもこの人は当初は二代になる予定じゃかった人だしなあ
ホントは重盛の役だったのに
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12 ななしのよっしん
2022/07/08(金) 14:08:49 ID: NGER1Gj3wb
いや、そうでもない。
重盛はゴッシーに近すぎた。近年の研究で、そもそも後継者と見られていなかった可性も摘されてる。
平家物語でさえ、清盛からうるさいだの聖人面だの言われてるくらいだし。
当時はまだ社会で、方の身分が高く有な外戚がいる子供が重んじられた。近衛天皇たちを差し置いて即位できたのもそのせい。
世して外戚のも強くない重盛は、立場が弱い。
宗盛は、と違ってに素直だったらしいし。結局彼が清盛の跡継ぎに選ばれたんじゃないか?
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13 ななしのよっしん
2022/07/12(火) 11:40:35 ID: XTYvqa+ahV
それはあくまで高倉天皇が生きてたからで…。
本来なら高倉天皇が急逝して後白河大勝利が確定した時点で反後白河サイドはお払いにして白河サイドメインにやっていく方がうまくいったはず。はずだが、現実清盛が自分で白河サイドの方を全に叩き潰したところで高倉天皇が丁度死んだ。
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