単語記事: 広島東洋カープ

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球団ペットマーク

広島東洋カープとは、セントラル・リーグに属する日本プロ野球球団である。

概要

本拠地はMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島広島県広島市)。二軍の本拠地は広島東洋カープ由宇練習場山口県)。

マスコットキモワイイ事で有名なスラィリーピロ
通常の体毛は青色だが、チームが大量得点を上げるなどハッピーなことがあると、ピンク色の「ハッピースラィリー」が登場することがある。
また冒頭の、球団ペットマークに使用されている子供のマスコットの名前はカープ坊や。かつて中日近鉄大洋など他の球団でも多く存在した、野球少年モチーフにしたマスコット重な生き残りである。
今日ではカープ坊やにはキャラが多数存在する。興味ある人はカープグッズショップを要チェック

かつては衣笠祥雄山本浩二達川光男ら打撃の活躍、北別府学大野豊川口和久津田恒実投手の活躍で「ヘル軍団」と呼ばれ、1975年の初優勝をきっかけにセントラル・リーグ優勝、日本一を幾度か経験するなど、1970年代から90年代初頭までは非常に強いチームであった。
しかし、1984年日本一1991年リーグ優勝を最後に既に20年以上、優勝に見放されている。1997年シーズンを最後にAクラスからも遠ざけられ、21世紀突入以降、NPB一Aクラスを経験していない球団となっていた。

しかし、2013年9月25日の試合で、リーグ通算3位が確定し、ついに16年ぶりのAクラス、そして球団史上初のクライマックスシリーズを決めた

球団の銭的事情もあって、2007年前後まではFA宣言残留を認めておらず、そのためエース投手や4番が頻繁に移籍していた(現在は宣言した選手によっては、FA残留を認めている)。
特に東隣の球団へは金本知憲FA宣言残留→球団が認めず移籍)、アンディ・シーツ(成績低迷解雇→拾う)、新井貴浩辛いです事件)と3人連続で4番打者が移籍したため、東隣のチーム二軍ファームなどと揶揄される事もあったためカープファンの東隣のファンへの好感度は当然ながら高くない。

上述のFA問題と併せ、かつては12球団一総年俸が低かったことなどから、貧乏球団イメージが浸透している。
2008年度のカープ全選手の総年俸が、2007年オフメジャー移籍した黒田博樹契約+年俸より低かったと言う、まるで冗談のような逸話まである。
しかしその後、新球場移転、カープ女子ブーム黒田復帰などにより、2014年2015年と来場者数が2年連続で過去最多を更新した事による増収からやや財政的に余裕が出てきたのか、2015年度の選手総年俸は12球団中6位まで上昇した。
また、2010年に当時横浜の選手だった内川聖一の獲得に手を上げたり(結局ソフトバンクに入団)、2015年エース前田健太カープで初めて年俸3億に到達(セ・リーグ投手としては最年少記録)した直後に、年俸4億で黒田を復帰させる、年俸1億円以上の外国人選手を相次いで獲得するなど、徐々に変化が現れつつある。
2016年には黒田博樹山本浩二以来、約30年ぶりにNPB最高年俸の6億円で契約するなど、貧乏球団の汚名を返上しつつある。

選手運用は「育てて使う」が基本で、事実アマチュア時代ほぼ名だった選手が(高卒の場合)5~6年の下積み後に一軍デビューファンの胸を熱くするケースが多い。ファンもその喜びをよく理解しており、い物ねだりは基本的にドラフトのみ。
最近では2011年今村2012年の堂が顕著な例。

市民球団というイメージにより大きなスポンサーがいないと思いがちだが、MAZDAの創業者である松田(及びMAZDA)が経営を行っている。

上記で書いた通り貧乏球団のイメージがあるカープではあるが、実は30年以上黒字を計上している。
というのも、もし赤字になった場合それを補てんするには松田だけでは困難なため、赤字には絶対できないのである。
そのせいで、FAで選手が取れなかったり引き止められなかったりして弱くなるという悪循環にはまっている。

余談ではあるが、かつては前田篠田等、AKB48と姓が被る選手が多かったため、県外の一般人カープの話をしているかと思ったAKB48の話題だった、とぬか喜びさせられたことも。

少しでも球団の収益を増やすためか、グッズコラボ商品が異様に多く、特にベビー用品などは『taitai』(広島の幼児の意味)というブランドを立ち上げるほど充実している。また、最近の試合で起きた事件を記念して発売する記念Tシャツは試合日の翌々日には通販で売り出し、今やカープのお芸となっている。
最近では、2000本安打まで残り25本に迫った新井貴浩が、ヒットを一本撃つごとにカウントダウンTシャツを売り出している。

マスコットカープ坊やコラボ商品は仕事選べと言いたくなるほど多く、広島浄土真宗本願寺とのカープ坊主や七福坊やあたりはまだわからないでもないが、サッカー自転車プロレスなどの野球以外のスポーツ、挙句の果てにはツール・ド・フランスの常連客の「悪魔おじさん」とのコラボなど意味不明なものまで存在する。
兄弟?に「カープ女の子」と「ベビー坊や」がいる。カープ女の子赤毛天パが特徴で、ベビー坊やはバットの代わりに哺瓶をもつ。先述の「taitai」のペットマークベビー坊やである。
これ以外に、選手を坊や化した選手坊やシリーズがある。

ニコニコ動画での広島東洋カープ

ニコニコ動画内ではあまり存在感がないように見えるが、対巨人戦になるとその存在感を遺憾なく発揮する。
阿部慎之助に対する山崎浩司隠し球動画ブラウン監督の退場動画
2008年5月17日野球chで発生した占い師の動画がその代表格と言える。

2008年旧広島市民球場ラストイヤーという事でいつもより少し存在感があった。

また、ストッパー永川勝浩が苦手とした時期がある事から、対ベイスターズ戦の動画も多い。

選手個人でも前田智徳2000本安打を達成した時に作られたMADランクインした事がある。
 (現在アップロード者により削除再うp版?)

球団史

広島カープ時代

1949年

球団誕生。12月15日セントラル・リーグに加盟する。球団名は『広島カープ』。
親会社を持たず、球団の経営は広島県広島市などの地方自治体、東洋工業(現・マツダ)、中国新聞社、広島電鉄などの地元企業、そして広島県民・広島市民の出資によって行われた。初代監督広島県出身の石本秀一。

1950年(41勝96敗1分、8位) 監督:石本秀一

プロ野球参戦初年度。本拠地は広島総合球場。親会社を持たず、銭面に苦労したカープは、ルーキーでありながらエースに踊りでた長谷川良平が15勝(27敗)と奮闘するも、勝率.299、首位と59ゲーム差の最下位に終わった。

1951年(32勝64敗3分、7位) 監督:石本秀一

経営難から解散や合併案が出ていたカープを救うべく、球場前で『』が行われた。しかし、チームの成績は2年連続最下位。勝率は.333に。武智修がセ・リーグ7位の打率.314を記録。シーズンオフエース長谷川良平自由契約を宣言する事件が起きるが、最終的にコミッショナー裁定でカープ残留が決定。

1952年(37勝80敗3分、6位) 監督:石本秀一

5月7日ノーヒットノーランをくらうなど低迷するが、長谷川が11勝、ルーキー杉浦太郎が9勝と活躍し、球団創設3年にして初の最下位脱出。杉浦防御率2.94セ・リーグ9位にく。また、山川武範が球団初のサイクルヒットを記録。
ちなみにこの年は「勝率が3割切った球団は処罰する」という取り決めがあり、処罰とはすなわち、球団消滅だったため、一歩間違えば広島カープ歴史はわずか3年で終わっていたことになる。その年のオフに消えることとなった最下位の松竹ロビンス(勝率.299)にカープを存続球団とする合併を申し入れたが、拒否された(なお、松竹大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に合併された)。
市民からを募い、松竹スター選手だった小鶴誠金山次郎を獲得。

1953年(53勝75敗2分、4位) 監督:石本秀一・白石勝巳

初のシーズン50勝・勝率4割と参入後最高の4位を記録した。監督は初代の石本秀一からシーズン途中に白石(選手兼任監督)に交代した。ちなみに白石は本年全試合出場を果たす。オールスターでは、長谷川良平白石小鶴誠の3選手がそれぞれファン投票1位選出された。金山次郎が58盗塁でチーム初の最多盗塁のタイトルを獲得。

1954年(56勝69敗5分、4位) 監督:白石勝巳

新日本リーグ現在二軍に当たるリーグ)に参加。二河球場を本拠地としたチーム名を『広島グリーン』として参加。7月白石プロ野球史上初の1500試合出場を達成。

1955年(58勝70敗2分、4位) 監督:白石勝巳

ウエスタン・リーグが発足しグリーンズも参加。シーズン成績は4年連続で勝数・勝率とも最高を更新するが、3位(Aクラス)とは13ゲーム差をつけられる。長谷川良平防御率1.69の成績で30勝を挙げ初の最多勝利のタイトルを獲得。後のカープを支える達川光男大野豊山根和夫らは本年が誕生年。

1956年(45勝82敗3分、5位) 監督:白石勝巳

二軍広島グリーンズを『広島カープグリナーズ』に称。一軍の成績はプロ野球参入後初の5位になる。5月20日巨人戦では木戸美摸に観客が投げたビール瓶が直撃し2針を縫う怪を負わせる事件がおきた。この時、監督だった原茂も暴行を受けたことで、広島での試合を行わないと発言されるなど、リーグ参加が危ぶまれる出来事となった。

1957年(54勝75敗1分、5位) 監督:白石勝巳

7月24日に本拠地を広島総合球場から広島市民球場に移転・開場した。起工式から工式まではわずか5ヶのことである。広島県で初のナイター開催となった試合ではあるが、阪神相手に1-15で大敗した。

広島東洋カープ時代

2009年(65勝75敗4分、5位) 監督:マーティー・レオ・ブラウン

この年から本拠地が「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」となる。ヤクルトスワローズ阪神タイガースとの3位争いを繰り広げたが、5位に終わり、ブラウン監督は退任。後任は野村謙二郎となる。

この年緒方孝市引退

2010年(58勝84敗2分、5位) 監督:野村謙二郎

この年から監督野村謙二郎になる。開幕後から投手に故障者が相次いだが、そんな状況下で開幕投手前田健太は最多勝、最優秀防御率、最多奪三振投手三冠王いた。しかし明るい話題はこれくらいで、2年連続の5位。

2011年(60勝76敗8分、5位) 監督:野村謙二郎

エース前田健太が不振に陥ったが、新外国人ブライアン・バリントンデニス・サファテルーキー福井優也、4年丸佳浩が活躍し一時は首位に立ったが、交流戦では最下位となり、前半戦は5位に終わる。後半戦に入り、栗原健太が活躍し、先発の構想から外れた今村猛がこの時期以降セットアッパーに定着し始めた事もあり、8月には3位に上がったが、に故障が相次ぎ順位を下げ、10月にBクラスが確定し、4年連続の5位。

ドラフト会議では8選手(内育成4選手)を獲得した。

2012年(61勝71敗12分、4位) 監督:野村謙二郎

エース前田健太と前年大活躍だったブライアン・バリントンに加えドラ1ルーキー野村祐輔、怪からの復活を大竹寛先発の駒がい、今村猛デニス・サファテに新外国人キャム・ミコライオを加えた勝ちパターンがあり、投手の高さが評価されて開幕前の順位予想ではAクラスを予想する評論家もおり、まずまずの下評で開幕を迎える。

開幕直後は前田健太横浜DeNAベイスターズ戦でノーヒットノーランを達成、6連勝もあり一時は首位に立つが、栗原健太が離脱した辺りからみるみる貯をすり減らして定位置に戻ってしまう。それでも交流戦を10勝11敗3分の負け越し1でやり過ごすと、オールスターまでに14勝7敗と好調をキープして15年ぶりに前半戦をAクラスターン。堂も当初は不安があったが、蓋を開けてみると打撃の才を開させた。(三振数とエラー数はさすがに一年と言うことで多かったが。)

ヤクルト阪神が不振ということもあり、当然15年ぶりのAクラスと初のCS進出に期待がかかる。8月までは怪人が続出しながらもしがみつくヤクルトを抑えていたのだが…

9月に入ってから、打撃って不振に陥ったことにより、点が取れなくなる。4位ヤクルトとの直接対決で3タテを喰らうなどして8連敗、4位に転落し、そのまま15年連続のBクラスが確定してしまった。

この年は栗原ニック・スタビノアといったクラスに怪人が続出したこと、12球団ワーストのエラーを記録し投手の足を引っったことなど、に野手の課題が浮き彫りになった。

オフ石井琢朗井生崇光引退しいずれもコーチ、球団職員として球団に残ることに。浅井打撃コーチが降格し、この年までオリックス二軍監督をしていた新井宏昌氏を一軍打撃コーチに招聘した。
野村祐輔が新人王を獲得。2012年ドラフト会議では7選手(内育成2選手)を名した。
更に中日を戦外になっていた久本祐一を獲得。新外国人にはフレッドルイスミゲル・ソコロビッチを獲得。

2013年(69勝72敗3分、3位) 監督:野村謙二郎

2013年は特に立った補強もなく、ドラフトも将来性を重視したものであったことから、(カープOBを除いて)最下位補に上げる評論家がかなり見られる中、シーズンが開幕。

序盤から一度も貯を作れず、4月代打神様前田智徳や4番のエルレッドがどちらも死球々に故障離脱、前田健太野村祐輔が故障や不調で一時的に離脱する中、徐々に借を増やしていったが、中日DeNAヤクルトも同様に同じ程のペースで借を増やしていったことから、飛び抜けた低迷はしなかった。だがセ・パ交流戦は11勝13敗の8位、前半戦は5位でターン。新戦久本先発中継ぎ等便利屋としてフル回転したり、栗原、東出の不在により野手は一部の若手が打撃や盗塁で気を吐いたもののWBCの疲労かセットアッパー今村から前年ほどの安定感がくなる、ルイス、ソコロビッチら新外人は思うような結果を残せないなどして、借は最大17にまで膨らんだ。

だが後半戦では前半戦の終盤で途中参戦したキラ・カアイフエの活躍や、新井打撃コーチの徹底したティーバッティングによる打球捌き等をはじめとする打撃導が実を結んだのか前半から安定していた、丸、菊池松山のみならず、不振だったルイスや、澤、赤松木村、小石原に下位打線の野手毎に次々に打撃結果を残し始めるようになる。
投手前田健太野村祐輔が復調し始め(野村に至ってはプロホームランまで放つ始末)、前半好投してもムエンゴに苦しんでいたものの後半の野手の奮起から援護が得られるようになったバリントンが後半戦では7試合連続で勝ちが付くなどした結果、8月には今季初の間勝ち越しを決めるなど善戦した。
9月は前半戦故障と不調に苦しんでいたエルレッドを昇格させ調子の落ちかけていたキラと併用し、外野にコンバートするなど思い切った采配が功を奏し、前年からの教訓から中崎、中村恭ら伸び悩む若手を起用し続けてでも先発投手登板間隔をこのまで中6日と崩さなかった起用法を、ここで中4,5日に詰めてスパートを掛けたのが成功。4年ぶりに7連勝し、9月10月間成績は16勝9敗1分けと好調を維持した。
終盤には中日との3位争いからも全に抜け出し、9月25日16年ぶりのAクラスと初のCS出場を決めた。
前田健太大竹寛野村祐輔ブライアン・バリントンの4人が二桁勝利し先発投手10勝カルテットも達成した。

そして初のクライマックスシリーズでは1stステージ阪神を連勝で降し、2ndステージの舞台である東京ドームへ乗り込むが、巨人戦では逆に3連敗を喫し敗退した。

オフ前田智徳菊地原毅引退ドラフト会議では5選手(育成選手はなし)を名した。
例年よりも少ない名だったが、1999年河内以来となるドラフト1位競合での名権獲得となった大学野球日本代表エース大瀬良大地2位に亜細亜大のエース九里亜蓮など即戦としての実績十分な人材を多数獲得した。

10勝カルテットの一だった大竹寛FA宣言を行い巨人に移籍。その補償選手として一岡竜司を獲得した。
また、新外国人として左腕のザックフィリップス投手を獲得した。

2014年(74勝68敗2分、3位) 監督:野村謙二郎

昨年終盤の快進撃と、ドラフト玉であった大瀬良大地獲得などが評価されてか、昨年とは打って変わって評論家の下表でもAクラス予想を挙げる人が多い中、シーズン開始。
当初の4番だったキラが不調の中、4番に座ったエルレッドが驚異的なペースホームランを量産、ドミニカのカープアカデミー出身で練習生から抜された新外国人ロサリオキラ2軍降格の間の少ないチャンスをモノにし、ルーキー大瀬良大地は3戦で初勝利を上げるとその後5連勝、昨年後半から好投を続けていた中田廉と、巨人から人的補償で入団した一岡竜司、そしてベテラン永川の3人がセットアッパーになり、これらの要素が合わさってか、昨年の勢いそのままにカード勝ち越しを続け、首位補の巨人が伸び悩む中、首位を快走する。

しかし、交流戦に入り悪夢のような9連敗を喫してしまい、3位まで後退。交流戦順位も楽天阪神と並んで最下位に終わった。

交流戦での失速の影は大きく、リーグ戦再開後もローテーション投手防御率が軒並み悪化、々と降する場面が立ち、その結果リリーの負担が増大してしまう。
そのせいか、一は肩の故障で離脱、中田登板過多による疲れか、防御率が徐々に悪化し始める。

それでも2年間勝ちがなかった福井優也の復活、新戦デュアンテ・ヒースの登場など、先発投手がある程度計算できるようになったため、それまで先発で調整していた若手の戸田隆矢中崎翔太中継ぎとして配置し、リリーの立て直しを図る。
野手ではエルレッド8月に入ってからホームランどころかヒットすらほとんど打てなくなり二軍に降格する中、ロサリオや丸を4番にしていだ。

その後、2位に浮上し首位巨人と1ゲーム差で9月に突入するが、9月初戦の巨人戦で今季初の被三タテを食らってしまう。その後もなんとか2位を死守するが、10月に入り、残り2戦中一度でも勝つか引き分ければ2位確定というところで連敗を喫し、13年ぶりの勝率5割復帰を達成するも、わずか0.5ゲーム差で2年連続の3位に沈んだ。
CS1stステージで1敗1分けで敗退。

このシーズンをもって野村監督が退任。後任は緒方孝市

またカープ一筋だった横山引退ハンカチこと齊藤悠葵二軍の帝王迎などが戦外となり外国人選手ではバリントンミコイオフィリップスキラが退団となった。

補強面では、ドラフトでは有原航平をクジで外してしまったものの、大学No.1外野手と呼ばれる野間峻祥をはじめ、9人(内、育成選手2人)を名、新外国人としてクリス・ジョンソンマイク・ザガースキー、ヘスス・グスマンを獲得、また、日本ハムを戦外になっていた左腕の佐藤祥万を獲得。阪神自由契約になった新井貴浩と、メジャーリーグに行っていた黒田博樹が7年ぶりにカープに復帰した。

2015年(69勝71敗3分、4位) 監督:緒方孝市

昨年3位の実績に加え、黒田新井復帰、外国人選手の補強などが評価されてか、シーズン開始前に各評論家からは優勝補に挙げられる。しかし、エルレッドが膝の故障で大きく出遅れ、さらにオープン戦もわずか3勝(7敗2分)に終わるなど、不安要素を抱えつつシーズンが開幕。

開幕のヤクルト戦では2勝1敗で勝ち越してスタートを切るが、直後に7連敗を喫して最下位に低迷する。特に打線の不振は深刻で、特に昨年の打率3割コンビだった丸、菊池の両名の打率が2割台半ばに低迷、グスマンが開幕直後にケガをして2軍降格するなど、投手は酷いムエンゴに泣かされ続ける。特に昨年の新人王大瀬良大地は開幕1ヶ以上もがないという悲劇を味わった。
しかし、グスマンのケガの隙に、代打だった新井が一塁のレギュラーに定着すると、新井は勝負強さを発揮して4番打者に定着、本塁打こそ少ないものの、ここ一番の勝負強さを見せつける。
この頃から打線は安定して点を取ることができるようになり、ようやくチーム状態も持ち直した。
投手は当初のクローザーだったヒースがおもったより不調であったことから、ヒース中継ぎにまわし、中継ぎだった中崎をクローザーに、大瀬良や戸田先発から中継ぎに回すなどの策をとる。
最初の頃こそ大瀬良と中崎の両名は炎上することもあったが、その後試合を重ねるに従い徐々に安定感を増すようになった。特に中崎は8月以降、ほとんど失点しなくなり、大きな成長を遂げた。

交流戦セリーグの球団でソフトバンクに勝ち越したこともあってか、昨年から順位を上げ、9勝9敗の7位(セリーグでは阪神に次ぐ2位)で乗り切る。

交流戦後半から足りない先発を補うために、武内今井薮田中村恭平などの2軍で好調だった選手を続々と先発起用するが、藪田巨人相手に初先発初勝利を挙げたくらいであまり成功しなかった。
一方、前田健太黒田博樹クリス・ジョンソン福井優也の4人は先発の柱として安定した成績を残し、勝ちを伸ばしていき、最終的に前田黒田ジョンソンの3人が10勝を達成。福井シーズン終盤になかなか勝てず9勝にとどまったが、それでもキャリアハイの成績を残した。
打線新井が後半に成績を落としていく中、エルレッドが昨年のような活躍ぶりを見せつけどうにかAクラス争いに加わり続ける。

最終的にはシーズン終戦に勝てば3年連続のAクラスCSが確定するという試合で敗戦を喫し、3年ぶりのBクラスが確定した。

本年をもって東出輝裕河内貴哉鈴木篠田純平ドラ1選手をはじめとする選手たちが引退した。
また、栗原健太自由契約を申し出て退団、テストを経て楽天に移籍。
木村昇吾FA宣言し、(紆余曲折はあったものの、)西武へ移籍した。
外国人選手も育成のデヘススを含めてエルレッドジョンソンの二人以外は退団することとなった。
そして以前からMLB挑戦を表明していた前田健太ポスティングシステムを利用してMLBロサンゼルス・ドジャースに移籍。

一方補強面では、ドラフト岡田明丈をはじめ、7選手を獲得。
外国人選手では中日を退団したエクトル・ルナをはじめ、4選手を獲得した。

戦績









広島カープ
1950年 石本秀一 8 138 41 96 1 .299
1951年 7 99 32 64 3 .333
1952年 6 120 37 80 3 .316
1953年 石本
白石
4 130 53 75 2 .414
1954年 白石 4 130 56 69 5 .448
1955年 4 130 58 70 2 .453
1956年 5 130 45 82 3 .358
1957年 5 130 54 75 1 .419
1958年 5 130 54 68 8 .446
1959年 5 130 59 64 7 .481
1960年 4 130 62 61 7 .504
1961年 門前左人 5 130 58 67 5 .465
1962年 5 134 56 74 4 .431
1963年 白石 6 140 58 80 2 .420
1964年 4 140 64 73 3 .467
1965年 白石
長谷川良平
5 140 59 77 4 .434
1966年 長谷川良平 4 136 57 73 6 .438
1967年 6 138 47 83 8 .362
広島東洋カープ
1968年 根本陸夫 3 134 68 62 4 .523
1969年 6 130 56 70 4 .444
1970年 4 130 62 60 8 .508
1971年 4 130 63 61 6 .508
1972年 6 130 49 75 6 .395
1973年 別当薫 6 130 60 67 3 .472
1974年 森永勝也 6 130 54 72 4 .429
1975年 J.ルーツ
古葉竹識
1 130 72 47 11 .605
1976年 古葉竹識 3 130 61 58 11 .513
1977年 5 130 51 67 12 .432
1978年 3 130 62 50 18 .554
1979年 1 130 67 50 13 .573
1980年 1 130 73 44 13 .624
1981年 2 130 67 54 9 .554
1982年 4 130 59 58 13 .504
1983年 2 130 65 55 10 .542
1984年 1 130 75 45 10 .625
1985年 2 130 68 57 5 .544
1986年 阿南準郎 1 130 73 46 11 .613
1987年 3 130 65 55 10 .542
1988年 3 130 65 62 3 .512
1989年 山本浩二 2 130 73 51 6 .589
1990年 2 132 66 64 2 .508
1991年 1 132 74 56 2 .569
1992年 4 130 66 64 0 .508
1993年 6 131 53 77 1 .408
1994年 三村敏之 3 130 66 64 0 .508
1995年 2 131 74 56 1 .569
1996年 3 130 71 59 0 .546
1997年 3 135 66 69 0 .489
1998年 5 135 60 75 0 .444
1999年 達川晃豊 5 135 57 78 0 .422
2000年 5 136 65 70 1 .481
2001年 山本浩二 4 140 68 65 7 .511
2002年 5 140 64 72 4 .471
2003年 5 140 67 71 2 .486
2004年 5 138 60 77 1 .438
2005年 6 146 58 84 4 .408
2006年 M.ブラウン 5 146 62 79 5 .440
2007年 5 144 60 82 2 .423
2008年 4 144 69 70 5 .496
2009年 5 144 65 75 4 .464
2010年 野村謙二郎 5 144 58 84 2 .408
2011年 5 144 60 76 8 .441
2012年 4 144 61 71 12 .462
2013年 3 144 69 72 3 .489
2014年 3 144 74 68 2 .521
2015年 緒方孝市 4 143 69 71 3 .493
通算:66年 8821 4040 4446 335 .476

順位

シーズン最高成績(チーム)

シーズン最低成績(チーム)

シーズン個人最高成績(野手)

シーズン個人最高成績(投手)

通算個人最高成績(野手)

通算個人最高成績(投手)

その他

歴代監督(代行含む)

所属選手(太字は記事のある者)

首脳陣

一軍 二軍 三軍

所属選手

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ページ番号: 377609 リビジョン番号: 2385353
読み:ヒロシマトウヨウカープ
初版作成日: 08/07/21 05:24 ◆ 最終更新日: 16/07/19 22:27
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広島東洋カープについて語るスレ

839 : ななしのよっしん :2016/07/23(土) 23:21:43 ID: jKm9X8aeDZ
>>836
その新井貴浩選手は広島に戻ってからの方が開してるんだよなあ…25番という選手などと広島ファンに呼ばれることはもうい。

黒田200勝と重ならなかったのは残念。
しかし300本塁打、これも2000本安打に続いて達成して名実ともに広島歴史に残る選手となってほしい。
840 : ななしのよっしん :2016/07/24(日) 01:05:22 ID: gf0qU/3Wlo
>>836
生半可な疑問を問うべきではなかったな。結果論だけど
841 : ななしのよっしん :2016/07/30(土) 19:52:27 ID: ECt3sMALAA
【悲報】こいのぼり、片付けられる


いや、マジ黒田の記録達成後の弛みっぷりはいかんでしょ
全に被メークドラマコースじゃん…
842 : ななしのよっしん :2016/08/02(火) 16:46:39 ID: Grotsq+cy7
広島と二位の差は8
圧倒的といわれたと二位の差は3(勝率広島よりやや上なのだが)
やはりいくらゲーム差あっても安心できないものだねぇ
がんばれ広島
843 : ななしのよっしん :2016/08/02(火) 19:42:19 ID: jL7LBTHL+c
ここ最近の投壊は落にならない深刻さでっせ・・。
軸のジョンソン野村黒田ボコられて大瀬良は復活の兆しいまだ見えず、福井、久里等の二線級を先発で投入しなければならないかなり厳しい台所事情。
マジでどうなるんかね・・・。
844 : ななしのよっしん :2016/08/04(木) 11:13:10 ID: onyrLyWWiP
戸田?もスペって離脱、ジョンソンらと相性が良い石原不運にあって離脱。
果たして逃げ切れるかな・・・?8月逃げ切れるかな?
845 : ななしのよっしん :2016/08/05(金) 22:51:42 ID: jL7LBTHL+c
勝たなければいけなかった巨人に惜敗・・・。
中継ぎもダメ、クローザーも塁をためると屁垂れて逃げにまわる小心な臆病者だから案の定打たれて二点献上して結局それが勝敗につながったわけで・・・。
投手全崩壊したカープにはもう期待せん方が体にはいいかもしれん・・・。
846 : ななしのよっしん :2016/08/06(土) 22:43:55 ID: Grotsq+cy7
8月突入直後には「2014年のほうが楽しかった」なんて余裕ある発言を他所様でにしたが
ちょっと深刻になってきましたね…
巨人広島の好調・不調がこのタイミングできてるのがヤバすぎる…
847 : ななしのよっしん :2016/08/07(日) 20:47:24 ID: y6sTMRp4F6
ヘーゲンズへばってきてねーか最近
848 : ななしのよっしん :2016/08/08(月) 00:13:21 ID: gf0qU/3Wlo
負けすぎたが、とりあえず今日サヨナラ勝ちできたのは大きいね
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