概要
「8時だョ!全員集合」「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」「志村けんのだいじょうぶだぁ」などに出演、国民的人気を得る。
自身の出世作ギャグ「東村山音頭」のおかげで「東村山=庭先には多摩湖」とインプットされた日本人は少なくない。
出演番組は中国・台湾・インド・タイ・イランなどでも放送されているため、海外でも知名度は高い。
コントにおけるスタイルなど
「全員集合」や「ドリフ大爆笑」における彼の立ち位置は他のメンバーと比べても明らかにねじが一本抜けているような役柄が多かった。(母ちゃんコントなど)また、加藤茶と二人してボケをしていかりやにそろって突っ込まれる事が多かった。またボーヤ出身でなおかつ一番年下なので弟的な位置で演ずる事も多かった。
一方で「志村けんのだいじょうぶだぁ」など自身が冠を務める番組内においては共演者に突っ込みを入れたり、そうかと思えば酔っ払いや婆さん役などのボケ役を恰も本物の如く演ずる事に定評があった。
ここ数年はダチョウ倶楽部の暴走に対して、強烈に突っ込みを入れるなど、師匠であるいかりやのような立ち位置になってきている。
彼がコントにするテーマは「全員集合」以来、一貫して日常を大きく逸脱しない範囲での事象を俎上にすることが多く、非現実的なテーマを取り上げることはほとんどない。この辺りは他のドリフのメンバーにも大なり小なり言えることであるが、彼の場合はそのこだわりを維持するため、雑誌を読んでいても漫画の部分を飛ばすほどである。その一方で床が抜ける程に集めた映画をもとにコントの研究する事が多く、これらの成果をもとにコントを練っていったともいわれる。
ドリフターズが元々はコミックバンドという音楽畑出身である為、彼もまた音楽に対する造詣が深い。特に最近は津軽三味線に力を入れている。以前より三味線や琵琶をコントの中で披露する事も多かったがここ数年では自らの舞台で津軽三味線を披露するのが恒例になっている。
ビートルズやソウルミュージックの大ファンとしても知られ、「ドリフの早口言葉」「東村山音頭1丁目」「ヒゲダンス」などにその影響を見ることができる。特にヒゲダンスは、志村の提案でテディ・ペンダーグラスというソウルミュージシャンの楽曲「Do Me」のイントロからのフレーズが引用されている。
経歴
本名は「志村康徳(しむらやすのり)」といい、徳川家康のような大物になるよう父親から命名された。
芸名の「けん」はその父親の名前「憲司」に由来している。
1968年にドリフターズのリーダーであったいかりや長介の自宅に押しかけ付き人となる。
その後脱走したり、付き人仲間とお笑いコンビを組んだりと紆余曲折を経る(なお、芸能界デビューは前述の付き人コンビを結成し、初舞台を踏んだ1972年とされている)。
1974年に荒井注がドリフを脱退したのと入れ替わりで正式メンバーとして加入。当初はいかりやは自分と同世代の人間を迎えようとしたのだが、加藤茶が自分と歳の近い志村の加入を強く推したため採用された。
しかし、ドリフメンバーとなってからすぐに人気者になったわけではなく、1976年の「東村山音頭」のヒットまで泣かず飛ばずの苦難の時代を経験する。世間からは荒井注と比べられ、準メンバー扱いの付き人・すわしんじの方が良かったのではないかという意見も強かった。
だが、「東村山音頭」をヒットさせると状況が一変。立て続けに「カラスの勝手でしょ」「ディスコ婆ちゃん」「ヒゲダンス」「バカ殿様」とヒットギャグやキャラを連発させ、加藤茶をも凌ぐドリフ最大の人気者にまで上り詰めた。
金田一コントでは背後に気が回らない金田一耕助役を演じ、観客の子供から「志村ー!うしろ!うしろ!」とツッコまれる定番ネタも生まれた。
1981年、競馬のノミ賭博容疑で書類送検をされ、仲本工事とともに芸能活動を一時自粛。しかし、復帰後は馬にまつわる自虐ギャグでセルフパロディにしてみせる器の大きさを見せつけた。
1985年の「8時だョ!全員集合」(TBS)終了後からソロ活動を本格化させる。
「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」(TBS)、「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ)で個人としての人気を不動のものとさせ、「だいじょうぶだぁ太鼓」「変なおじさん」など独自のキャラやギャグも確立させた。
順風満帆のように見えたが、1996年に突如死亡説が流布される。
人気低迷で出演番組が一時的に減り、なおかつ他の芸能人のメインの番組にはあまり出演しなかった活動が裏目に出て、「宇都宮のがんセンター(栃木県立がんセンター)で死んだ」「亡くなったことは四十九日を過ぎてから発表される」などという具体的な内容の噂が流行した。
最終的には志村本人が登場して全くの嘘であると発表する奇妙な事態にまで発展した。
これは 芸名と同じ「しむらけん」さんと言う方が実際に亡くなり、それが「志村けんが死んだ」と言う事につながったものと思われる。
この反省からか、以降は自分のメイン番組以外へのゲスト出演もこなすようになり現在に至る。
故郷・東村山
彼の出身は東京都東村山市である。東村山音頭が有名になる以前は市制が敷かれてまもなく、所ジョージの歌にもあるように「東京の外れ」というイメージであった。そうでなくとも、そんな市を知らないと言う人が多くいた。
「8時だョ!全員集合」で「少年少女合唱隊」でオチの場面で東村山音頭を披露、バレエの衣装を身にまとい、股間に卑猥な物を連想させる頭部といういでたちに代表される衣装や、割合につかみやすいテンポでたちまち大人気となった。当時、志村は正式メンバーになったものの鳴かず飛ばずの状態であったが、たちまちにそれを払しょくした。
無論、東村山の地名も全国区へと知れ渡ることとなった。これにより当時の市長より感謝状を贈られているが、よく言われる名誉市民に選ばれたという事はない。なお、感謝状を贈られた際に駅前にケヤキの木が植樹された。その名も「志村けんの木」である。その他、地元の商工会の愛称は「あい~ん」といい、また志村の幼馴染が経営する和菓子屋には「だいじょうぶだぁ饅頭」などが販売されている。
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 芸人の一覧
- ドリフターズ
- 田代まさし
「だいじょぶだぁ」「バカ殿様」における元相方。例の一件さえなければ殿堂入りしていたであろう名コンビ。黒歴史化が惜しまれる。 - 沢田研二
70年代を代表するスーパースター。にもかかわらず、体当たりで志村とコントを繰り広げた。志村の初期を語る上では決して外せない人物。 - ケンちゃんラーメン
「サッポロ一番」でおなじみのサンヨー食品から発売されていたカップラーメン。いつも心は新発売。 - 変なおじさん
- 志村
主に背後への注意が疎かな志村と、そうではない志村との曖昧さ回避の記事として建てられている。当記事より作成されたのが早い。
http://dic.nicomoba.jp/k/a/%E5%BF%97%E6%9D%91%E3%81%91%E3%82%93


ページ番号: 4187434
リビジョン番号: 1523019
読み:シムラケン
初版作成日: 09/10/22 11:02 ◆ 最終更新日: 12/05/07 21:38
編集内容についての説明/コメント: 記事増補
記事編集 / 編集履歴を閲覧 / Twitterで紹介






JASRAC許諾番号: 9011622001Y31015
ヘッダー:固定
ヘッダー:追従