単語記事: 悪魔の証明

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警告!

いわゆる「悪魔の証明」は学術的根拠のある言葉ではありません。

以下で述べるように、「無知に訴える論証」とも別物です。

法律の誤解が生んだ用法のため、人によって意味が違います

理性を尊ぶ意思があるのなら、使用を推奨しません。この言葉を用いることで議論が分かりやすくなる気がするのは思い込みです。

疑似科学等を否定するために、一見もっともらしい非論理的な用を使うようでは疑似科学と同じであり、本末転倒です。

悪魔の証明ラテン語probatio diabolica)とは、

  1. 法律で、所有権の明が困難であることをいうための喩。なぜ困難かは由来を参照。
  2. 法律で、困難な明全般を喩的に表す言葉。消極的事実明をすこともあるが、消極的事実明だから立責任を免れるというわけではなく、立責任の配分において考慮すべき一要素でしかない。また消極的事実明だからといって、必ずしも困難とはみなされていない。
  3. (ここから先は、本来の意味を誤用したものである)2から「消極的事実明は一般に困難である」という誤解が広まり、議論ルールとして広く使われるようになってしまったもの。科学論理学とは関係がないし、一般論として用いるのは誤りであるが、科学者はエッセイやブログ疑似科学を否定する際などにわりと使ってしまうようだ。論理学者は、このような曖昧な概念を嫌う。
  4. 3から「あると明できないなら、(悪魔の証明理なのだから)いと決めつけていい」とするために用いられることもある。これは「無知に訴える論証」(根拠く新しいをすること)で、誤りである。ただし一般的にいと思われているものの場合は、「い」説は新しいでないので論理は通っているが、紛らわしい。
  5. 3からの生と思われるが、無知に訴える論証のうち「いと明できないならあると言っていい」というタイプ批判する意味で悪魔の証明と呼ぶ人もいる。これは論理は通っているが、やはり紛らわしい。

このように、非常にややこしい状況となっている。法律ではあるのだが、法律上の意味は違うものだし、一般に流布している意味は元が誤用であるため人によって意味が違ううえに、間違った概念も混じっている。科学者などの論理的であるべき者が言葉の定義に頓着であることは、最もめられるべきことだろう。

悪魔の証明を認めたらオカルトでも何でもありになってしまう!という人がいるが、3などの誤った論理は論外だし、4の正しい場合や5の場合を言いたければ無知に訴える論証を使えばすむ。こちらは正正銘の論理学者が用いている言葉で、学術的に意味が規定されているので人によって意味がバラバラになったりはしにくい。

概要

一般的に「ないこと」を明するより「あること」を明する方が簡単な場合が多い…という誤解がある。「い(いない)ことを明しろ!」は無茶振りである、というわけである。

しかし現実には論理学でも数学でも科学でも、「い」ことの明は普通に要され、普通に実行されている。アインシュタインエーテルの存在の否定から、光速度不変の原理を確立した。N線や永久機関はどこにもない。

法律はどうかといえば、訴訟法においても、冒頭で述べたとおり消極的事実する側にも立責任がある。消極的事実明だからといって一般的に困難だとは考えられていない。アリバイ明のように、積極的事実明することがそのまま消極的事実明になる場合もある。これは例外と言えるほど希少なケースではない。さらに、本来の意味での悪魔の証明は、積極的事実明であるのにほぼ不可能明である。積極的事実明が簡単とは限らない。

もし経験則的にいくらかの合理性があり、将来論理学的根拠が明らかにされると仮定しても、現状では例外がいくらでもあって毎回適するか否かやどれくらい寄与するかを判断せねばならないようなものは、原則とは言わない。

それなら余計な概念をもてあそぶ前に事実に即して普通に検討すればいいだけの話である。裁判もそのようになっている。そういう話についていけない人を理やり黙らせるための言葉ならば、疑似科学のやり口と変わらない。

お化けでもUFOでも超能力でも、既存の科学知識と矛盾する上に実に散々失敗してきたのだから、理論でも実験でも新しい根拠がいのなら当面は「い」と見るのが当たり前の理屈である。科学者が肯定的な意味ではそれらにあまり興味を示さないのもそのためである。

そこで「いと明できないのならあるかもしれない」と反論されても「それは根拠なく新たなを認めさせようという無知論証だ。現状ではいとしか考えられない」で終わる。それでも納得しないような相手と議論を続けても意見は変わらないだろう。

なお、お化けはともかく、霊魂の存在などについては古くからの信仰心に根ざすものがあり、むやみに否定するものではない。

由来

所有権を明するためには、A:前の持ちから適法に所有権を譲り受けたこと、B:前の持ちが所有権を持っていたこと、この二つを明しなければならない。

ところが、Aは簡単だろうが、Bを明するためには、前の持ちがさらに前の持ちから適法に所有権を譲り受けたことを明しなければならなくなる。以下、他の要素で明が不要になるまで、限に前の持ちをさかのぼって明しなければならなくなってしまう。これが悪魔の証明と呼ばれるものである。

中世欧州の法学者が、古代ローマ法ではこの問題を考慮していくつかの法制度が生み出されたという解釈を論じており、この時に「悪魔の証明」という言葉を初めて使ったとされる。

その後、この言葉が転用された末、現在一般に知られる用法も生じた。このあたりは冒頭に記したとおりである。

なぜ「悪魔の」なのか

中世の法学者がなぜ「悪魔の証明」という表現を作り出したのかは定かではない。何となく意味合いが伝わってきて覚えやすくもある、というところかもしれない。

ある説によれば、中世宗教劇では、魂を奪った悪魔に対して人などが論争を仕掛け、悪魔が魂の所有権を明できずに退散するというものがあったからだという。

物理学などでは、ラプラス悪魔マクスウェルの悪魔など、普通ではありえないことを起こすいたずら者を思考実験で仮定するときに「悪魔」という言葉を用いる事がある。これらの「悪魔」は、「ある間における宇宙の全物質の力学的状態とを知ることができ、かつそれらのデータを解析できる」などの越的なを与えられている。「悪魔の証明」というのはこのような越的なのある悪魔でないと不可能という意味があるのかもしれない。

ただし繰り返すが、消極的事実明がこんな印的な表現をされるほどつねに難しいということはない。

補足

検証と反証の非対称性

まれに混同されることがあるが、「検と反の非対称性」についてのたとえは、帰納法の検というしらみつぶしでしか確認できないことを取り上げて論じているものであり、別の話である。

論理以前の問題

議論の上で役に立つ概念などを知るのはけっこうだが、実際の議論というものはそこまでまともなものではない。ぶっちゃけると、論理どうこう以前に根拠となるデータがまともでないは、科学論文ですら少なくないと言ってもいいのである。Natureという世界でもトップクラスの権威ある科学雑誌が騙されることですら、しいことではない。なおシステマティック・レビュー(SR)ではそうしたことも含めて検討し、科学者個人や特定の論文のなどよりも信頼性が高い結論を導く。

ましてや、政治経済など社会についての議論においては、心理的バイアスやステークホルダーの思惑が入り乱れることもあり、カオスとしか言いようがなく、まともな議論をする土壌を醸成したり、まともな根拠を探すのが最初に取り組むべき仕事である。経済学者ピケティが脚を浴びたのは、それまで感覚や印や個人的思想を根拠に論理や数式をこね回していた経済学者と違い、あくまでも実的なデータを積み上げて簡潔な結論をまとめたとされているからである。

例えば現代日本少年の心の闇をるのがなぜ滑稽なのかといえば、こういう事実があるからである。こうした基礎的データも知らずに印社会問題をっても間違いしか生まれない。論理的であっても前提が間違っていては、とんでもない結論が導かれかねない。数式で論じることができないような文系分野でも、根拠をきちんとするだけで議論の質は跳ね上がる。それは地味な作業になるが、きわめて価値のある仕事である。

筑波山とアゲハチョウ

悪魔の証明という言葉こそ使っていないが、養老氏はよく筑波山アゲハチョウがいるかいないかを例にあげ、いないことの明には山全体を区画分けして「いない」ことを確認せねばならないと言っている。しかしこれは較的長距離を飛べ、広い範囲で生育できるありふれた種であるから成り立つ例えである。そのアゲハチョウですら、南極にはいないと断定されている。まさか南極を区画分けしてすべて確認したわけではないだろう。

多くの生物種には厳しい生育条件があり、例えば山の標高を見るだけで、「ここより上には一匹もいない」と生態に関する既存のデータをもとに断じる事ができるものも少なくない。そういう場合、「一匹見つけてくればいいから存在証明は簡単だ」などと言って何十年探しても駄である。

標高は関係ないが、筑波山神戸もぐらをいくら探しても、おそらく見つかるのはあずまもぐらだけであろう。東日本あずまもぐらの支配地域だからである。ただしもぐら情勢の変化で界線が移動することはありうる。

関連動画

参考リンク

悪魔の証明 - Wikipedia

悪魔の証明と消極的事実の証明

悪魔の証明の由来

関連項目


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読み:アクマノショウメイ
初版作成日: 09/06/16 22:43 ◆ 最終更新日: 15/06/19 19:48
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悪魔の証明について語るスレ

381 : ななしのよっしん :2015/10/08(木) 23:33:07 ID: NkP9zoP/J+
というかこれが問題になるのはどうしても答えを出さなきゃいけない法廷くらいなんだから
俺らは信じたいものを信じればいいんじゃないの
382 : ななしのよっしん :2015/10/24(土) 13:59:18 ID: SNjBVbe3+W
信じたい物を信じてる癖に同じようにしている他人を攻撃するが問題なわけで
383 : 名無しのよっしん :2015/12/01(火) 16:43:52 ID: kqrp44A8nO
むしろこの悪魔の証明明させることが
悪魔の証明のような気が…
つまる話がどっちが正しいかはっきり
しない事例に思えた。
384 : ななしのよっしん :2015/12/14(月) 18:46:28 ID: Yb09+ZCyQR
記事のアゲハ蝶の例だけど南極アゲハ蝶はいないと断定されただけであって明されたわけではないのでは?
明するためには区分けどころか南極全土を同時に観測してアゲハ蝶がいないことを明らかにする必要があると思うけど
385 : ななしのよっしん :2015/12/23(水) 11:47:46 ID: SNjBVbe3+W
南極全体がアゲハ蝶が生きていける環境ではない事は明されてるよ
386 : ななしのよっしん :2016/01/13(水) 23:21:32 ID: FCpJuWHN8J
お化けでもUFOでも超能力でも、既存の科学知識と矛盾する上に実に散々失敗してきたのだから、理論でも実験でも新しい根拠がいのなら当面は「い」と見るのが当たり前の理屈である。

「有るとは言えない」とするのが妥当。
387 : ななしのよっしん :2016/02/01(月) 14:02:17 ID: ae62FnbYYk
事端まで遡って検しないと権利を認めないというのはまさに悪魔的だ
難しいかどうかというよりも慈悲のなさが悪魔らしい
388 : ななしのよっしん :2016/02/04(木) 11:52:32 ID: dnyeG/6TOC
>論理性を尊ぶ意思があるのなら、使用を推奨しません。
安倍ちゃんに100回聞かせてあげたい言葉
389 : ななしのよっしん :2016/03/09(水) 00:16:10 ID: 7fCehF8gx7
自分はてっきりプルトニウム満載のデーモンコアマイナスドライバー1本のみで臨界連鎖反応ギリギリまで近づけたり離したりして命がけで度胸試しをする検実験の事かと。。
390 : ななしのよっしん :2016/05/04(水) 04:38:42 ID: DWfZzdFD4l
>>386
>実に散々失敗してきた
これだけなら「有るとは言えない」とするのが妥当だと思うけど…
>既存の科学知識と矛盾する上に実に散々失敗してきた
これなら「いと言える」が妥当なんじゃないの
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