概要
京成押上線とは、押上駅を起点として、京成本線との分岐駅である青砥駅までを結ぶ京成電鉄の路線である。5.7kmと短めの路線であり、京成本線の「支線」のような扱いになっているが、昭和年代に京成上野駅までの路線が新規開業するまではこちらが本線であった。
京成電気軌道(現在の京成電鉄)は、1912年11月13日に押上駅を起点に伊予田駅(現在の江戸川駅)までの区間で開業した。その後も千葉方面に路線を延伸していくのだが、京成は押上駅をターミナル駅にするつもりはなく、あくまで都心部、浅草への進出が悲願であった。ところが、東武鉄道との競願で先を越されたばかりか、疑獄事件まで引き起こしてしまう。京成はやむなく浅草進出を断念し、筑波高速度電気鉄道という会社を買収してその免許で上野に進出する計画に変更した。
1928年11月1日に分岐駅となる青砥駅が立石~高砂間に開業したのを皮切りに(京成本線の上野方面が不自然にカーブしているのはこのため)、1933年12月10日に上野公園駅(現:京成上野駅)まで全通すると押上方面の地位は急激に低下してしまい、京成押上線はあたかも盲腸線のような状態で存置されることとなってしまった。
この状況が一変するのが、都営地下鉄線(都営浅草線)の建設決定である。軌間は同じく相互直通運転を行う京浜急行電鉄と同じ標準軌(1435mm)に決まったが、京成電鉄は馬車軌間(1372mm)であり、そのままは相互直通運転が不可能であった。そのため、京成は1960年の地下鉄開業に間に合わせるべく1959年中に全線の標準軌への改軌を断行した。
1960年12月4日に地下鉄が開業するが(浅草橋駅まで)、これに先行して1日に京成の押上駅が地下駅として開業した。
京成曳舟駅、八広駅、四ツ木駅、青砥駅が高架駅であり、残る京成立石駅も高架化が決定している(2023年3月完了予定)。これにより、数年以内に京成押上線から踏切が完全に消滅する予定である。
荒川と京成押上線
八広駅と四ツ木駅を挟んで荒川が流れているが、これは荒川放水路と呼ばれる人工河川であり、1913年から1930年という長期間にわたって開削工事が行われた。
ここに架けられた荒川橋梁は当時は問題にならなかったものの、大型船が通過するのに難儀するほど低く、また堤防の高さよりも低く水防の妨げになるという有様であった。そして1991年1月5日にタンカーが激突するという大事故が発生してしまい、荒川駅(現:八広駅)と四ツ木駅の間が数日間運休になるという事態を招いてしまった。そして、ようやく荒川橋梁の架け替えと荒川駅、四ツ木駅の高架化工事が決定し、1997年12月13日より使用が開始された。
列車種別
- アクセス特急(成田スカイアクセス直通、浅草線・京急線内エアポート快特、押上駅で種別変更、京急蒲田駅通過)
- 快速特急(青砥駅・京成高砂駅発着、浅草線内エアポート快特、京急線内快特、押上駅と泉岳寺駅で種別変更、京急蒲田駅停車)
- 快速(西馬込駅発着京成本線直通、泉岳寺駅で同駅始発・終着の京急本線快特(通称A快特)に接続)
- 普通(京急線内快特、北行は品川駅で、南行は押上駅で種別変更)
普通列車は全て浅草線を経由して京急線に「快特」として乗り入れるが、更に以下の2系統に分かれている。
ラッシュ時には、日中運転されていない「通勤特急」と「特急」の2つが加わる。
歴史
- 1912年11月3日 京成電気軌道が押上駅~市川駅(現・江戸川駅)との間で開業させる
- 1914年6月20日 向島駅開業
- 1923年7月11日 四ツ木駅、荒川駅開業
- 1928年11月1日 青砥駅開業
- 1931年11月18日 曳舟駅が京成曳舟駅に、立石駅が京成立石駅にそれぞれ改称
- 1932年9月1日 京成請地駅開業
- 1947年3月1日 向島駅、京成請地駅廃止
- 1994年4月1日 荒川駅が八広駅に改称
駅一覧
●=停車、|=通過
急行は2010年7月17日ダイヤ改正によって廃止されました。
駅番号 | 駅名 | 全優等種別 | ■乗り換え路線○駅周辺施設 |
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KS45 | 押上駅 | ● | ■都営地下鉄 浅草線(大半の電車が直通) 東武鉄道 伊勢崎線(とうきょうスカイツリー駅)、東京メトロ 半蔵門線 ○東京スカイツリー、京成橋、京成電鉄旧社屋 |
KS46 | 京成曳舟駅 | | | ■ 東武鉄道 伊勢崎線(曳舟駅) |
KS47 | 八広駅 | | | |
KS48 | 四ツ木駅 | | | |
KS49 | 京成立石駅 | | | ○タカラトミー本社、葛飾区役所 |
KS09 | 青砥駅 | ● | ■京成電鉄 京成本線、京成成田空港線 (京成高砂駅方面へ大半の電車直通) ○ユアエルム |
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関連項目
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