新庄剛志とは、かつて阪神タイガース、ニューヨーク・メッツ、サンフランシスコ・ジャイアンツ、北海道日本ハムファイターズに所属していた元プロ野球選手である。現在はタレント、実業家、クリエイター。プロ野球界でも屈指のエンターテイナーと言える(後述)。
経歴
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西日本短期大学附属高等学校から1990年にドラフト5位で阪神タイガースに入団。182cm。76kg。背番号は63。初出場は1991年9月10日の読売ジャイアンツ戦。
1992年からレギュラーとして定着し、亀山務と共に亀新フィーバーを巻き起こす。1993年には背番号5に変更。
1995年には「センスがない」という理由で引退しようとしたが、真相不明だが撤回している。その後2000年まで阪神でプレーする。
2001年には「メジャーで活躍して有名になりたい」という理由でニューヨーク・メッツに入団。2002年にサンフランシスコ・ジャイアンツにトレード入団し、日本人野手初のワールドシリーズ出場を果たした。2003年にはニューヨーク・メッツに戻るものの、マイナー落ちし(背番号23)、以降メジャーに呼び戻されることはなかった。
2004年、北海道日本ハムファイターズに入団。背番号1。登録名「SHINJO」に変更し、日本球界に復帰した。その後日本ハムの主軸打者として活躍した後、2006年シーズン前半に突然引退宣言、その年はチームの25年ぶりの優勝を果たし、44年ぶりの日本一に貢献した。
打撃面ではムラがあるものの、ベストナイン3回、ゴールデンクラブ10回、オールスターMVP3回。他屈指の強肩と守備を誇り、シーズン最多捕殺を3回、最多刺殺を記録している。野球じゃないところではベストドレッサー賞を2回受賞している。
引退後は前述のようにタレント、実業家、クリエイターとして活動しており、野球界からは距離を置いている。
エピソード
- 小学生の頃、8回も交通事故にあったがいずれも重症に至らなかった。
- 高校時代、甲子園には出場できなかったものの、地区大会決勝でサイクルヒットを達成した。
- 好きな色は赤であり、日本時代はリストバンドで赤を貫き通した。
- ジーンズが履けなくなるからという理由で下半身のトレーニングはしていなかった。しかし見えないところでかなりトレーニングをしており、人に見られると辞めてしまう。
- 始球式では平気で球を打つ、バット以外のものを持ち出すなどツッコミに枚挙にいとまがない。
- プロ野球一年目の年俸の大半を車代に当てたら、税金が払えず叔父に立て替えてもらった。
- 1997年のオールスターでは成績が悪かったにも関わらず、ファン投票2位で出場。応援をボイコットされるという屈辱を味わった。
- 野村克也が就任した際、オープン戦でピッチャーもやっており、145km/hをマークしたが、左膝を痛めて数試合で頓挫した。良くも悪くも気になっていた選手なのか、その後も野村は新庄が引退するまで色々ツッコミを入れていた。
- 1999年には敬遠球をサヨナラ安打にしてしまった。ちなみに、当時の打撃コーチであった柏原純一も敬遠球を打った経験がある。
- メジャーリーグ時代では「記録はイチロー、俺は記憶」と語っており、お互いの守備を認め合っている。
- 2002年にはめちゃイケの数取団に出演。一敗し新庄が関取団と相撲をしようとしたが、中嶋APに「怪我をしてはいけない」と止められ、代わりに中嶋APが相撲を取った。
- ボブサップと共に映画の試写会に登場し、その場で日本ハム(背番号1)に入団すると発表。当時背番号1をつけていた阿久根鋼吉に了承をもらい、阿久根は9に変更した。
- 日本ハム入団会見の際には「札幌ドームを満員にする」「チームを日本一にする」という目標を掲げ、双方とも見事実現させた。
- 日本球界に復帰した2004年にはクイズ・ミリオネアでは最後の問題を鉛筆にゆだね、15問全問正解。賞金は札幌ドームの個人広告看板のために使用した。
- 2004年のオールスターでは「MVPはボクのものです!!」と宣言、オールスター史上初の単独ホームスチールを決めて本当にMVPを獲得した。
- 日本ハムに入団して以降は、カエル、スパイダーマンなどの被り物をする他、3輪バイクを運転するなど、ファンサービスやパフォーマンスを積極的に行った。だが、『パフォーマンスは試合に勝ってナンボ』という意識があるのか、被り物パフォーマンスに関しては試合に負けて以降封印された。
- 目立ちたがり屋と思われがちだが、実際は他の人を気に掛け、他人を立てるように配慮している。
- 日本ハム時代の同僚の森本稀哲とは師弟関係にあたり、 新庄引退後、背番号1は彼が継承した。
- サンデーモーニングご意見番スポーツでは、張本勲からよく「喝」を入れられていた。
- かつてのファイターズは、野球ファンからの支持率が0.0%を記録するなど、人気獲得に苦労が伴う球団だった。しかし札幌移転と共に加入した新庄の活躍により、その雰囲気は一変。広報担当者からは「20年間努力したのに全くダメだった。それが一人の加入でこんなに盛り上がるとは」との発言も有った。
- 日本ハム日本一が決まった時に、トレイ・ヒルマン監督を差し置いて真っ先に胴上げされた。
通算成績
| 試合 | 打席 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 | 出塁率 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 1411 | 5629 | 5163 | 1309 | 205 | 716 | 73 | .254 | .304 |
| MLB | 303 | 960 | 876 | 215 | 20 | 100 | 9 | .245 | .299 |
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関連項目
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読み:シンジョウツヨシ
初版作成日: 09/07/06 15:36 ◆ 最終更新日: 12/05/22 11:28
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