「神風型駆逐艦の旗風だぞ。ちなみに艦種的には先輩にあたるが、主に護衛任務に従事して、華々しき戦果が 無かったばかりか、最後まで戦うことも叶わんかったカンレキだ。ふむ、私としては、いささか残念ではあるな」
旗風(アズールレーン)とは、STGアプリゲーム『アズールレーン』に登場するKAN-SEN。日本海軍の神風型駆逐艦5番艦、「旗風」をモチーフにしたキャラクターである。
お主が指揮官か。ふむふむ……これ、情けない顔を晒すでないぞ。私は第五駆逐隊の旗風。ちなみにこれからは先輩として面倒を見てやるから、覚悟してくれ
KAN-SEN名 | |
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旗風 IJN Hatakaze |
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基本情報 | |
所属 | 重桜 |
艦種 | 駆逐艦 |
レアリティ | R |
CV | 朝日奈丸佳 |
イラスト | NoriZC |
艦歴 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府舞鶴市 |
造船所 | 舞鶴海軍工廠[1] |
艦級 | 神風型駆逐艦5番艦 |
進水日 | 1924年3月15日 |
就役 | 1924年~1945年(日本海軍) |
最期 | 1945年1月15日(沈没) |
備考 | |
神風型の五番艦。 気分屋の神風や面倒見のいい松風と違って、 「ちょっとだけ厳しい先輩」タイプの性格。 自分の発言に対して「ちなみに…」と自分から補足する癖があり、 彼女曰く「後輩への気遣い」ではあるが、果たして……?
重桜所属の駆逐艦。レアリティはR。イラストはNoriZC。CVは朝日奈丸佳。
2018年12月27日より開催された期間限定イベント「縹映る深緋の残響」において、期間限定建造およびイベント海域でのドロップ艦として実装された。
2020年4月23日のアップデートにより、上記イベントが復刻された。このため再びイベント期間限定建造およびイベント海域でのドロップに復刻実装されている。
指揮官に気があるなら、先輩として人間関係についてアドバイスしてやらんこともないんだぞ?
容姿は、渋めのカラーの服に丸眼鏡。イチョウの髪飾りに鯉のぼりの鱗を表した袖口が目立つ。姉たちと同じく狐モチーフの姿である。
性格面は、少し厳しい面を持つおばあちゃん人生の先達である。指揮官に対しては、その経験豊富さを生かして色々相談に乗ってくれる。親密度が上がっても、その先輩ポジションは変わらない。ただ、最後のケッコンまで行くと言ってくれるセリフは男なら一度は言われてみたいものだろう。それは指揮官自身で確かめよう。
上記イベントでも、1面ボスを務めつつ天城たち重桜のKAN-SENたちの相談役となっており、老獪な面を見せてくれる。
下記カンレキで縁のある時雨と組むと、ボス戦で特殊セリフが聞ける。
今更熟慮など要らん。それぞれの役割を果たせば戦に勝てる。往くぞ!
機動艦隊護衛
自身が戦闘可能状態である限り、同艦隊の主力艦隊が受けるダメージを3.5%(8.0%)軽減し、自身が受ける駆逐艦・軽巡洋艦による砲撃・雷撃ダメージを1.0%(10.0%)軽減する
例によって重桜駆逐艦の特性通り、砲撃は弱く、雷撃は極めて強い。とは言え、レアリティRの駆逐艦の域を出るものではないので、活躍させるには十分なレベルアップの上で、防御系の装備をしっかり整えたいところ。燃費が最大が7で済むのは周回艦隊に組み込むにはメリットにはなる。
「機動艦隊護衛」は自身が戦闘可能である限り、自身と主力艦隊の被ダメージを軽減させるスキル。発動条件が緩い上に汎用性も高く、他の防御系スキルとも重複しない。ただし自身の防御は重巡洋艦・戦艦の砲撃や航空攻撃は対象外であるため、高難度の海域で運用する際には注意したい。
このスキルは、アイリス所属のル・テメレールと同じものである。あちらはSRでより性能が高いが、こちらの旗風は重桜主力艦のバフを受けることが出来る。
姉二人はすでに改造を実装されているが、この旗風は2020年4月現在未だに実装されていない。彼女を愛用する指揮官はその時を待とう。
ちなみに私の最初の名前は「第九号駆逐艦」だ。……まあ、名前の付け方はそのまま踏襲されなくて良かったな
1923年7月3日、舞鶴工作部で起工。1924年3月15日に進水し、1924年8月30日に竣工した。当初の名前は「第九号駆逐艦」であり、後に改名されている。1929年からカムチャッカ方面で警備任務につき、北洋漁場の漁業権を巡って対立するソ連船舶の監視を実施。1930年6月25日、ソ連船を臨検して拿捕する活躍を見せた。
1937年8月13日に第二次上海事変が生起して支那事変が勃発すると、旗風も大陸沿岸で活動。9月3日未明、アモイに約60発の砲弾を撃ち込んで3つの砲台に大損害を与える戦果を挙げた。また重巡洋艦鳥海に率いられ、K作戦に従事している。
大東亜戦争開戦時にはすでに旧式化していた同艦であったが、姉妹艦と共に第5駆逐隊を編成。開戦初頭の南方作戦ではフィリピン方面で活躍した。1942年2月28日深夜のバタビア沖海戦では、最も敵艦に接近していた(3500m)。しかし相手が巡洋艦2隻では分が悪かったため、一時退却。僚艦の朝風と春風を呼び寄せて再度突入し、距離3800mから魚雷6本を発射。西方へ退避した。この時に敵軽巡パースから猛烈な反撃を受けて命中弾1発を喰らったが、幸い不発弾だった。しかし旧式化と老朽化は如何ともし難く、南方作戦完了後に第5駆逐隊の任を解かれてからは、船団護衛や対潜哨戒に従事。太平洋のあちこちを駆け巡った。
1943年2月1日、戦艦山城を瀬戸内海西部から横須賀へ護送。帰り道は戦艦陸奥を警護する予定になっていたが、3月2日に横須賀工廠で爆雷の爆発事故が発生。艦尾を損傷して急遽修理が必要になったため、護衛任務は取りやめとなった。出渠後、8月22日より父島方面への船団護衛につく。
1944年8月4日朝、父島に寄港していた旗風はアメリカ軍のスカベンジャー作戦に巻き込まれる。4804船団を護衛して父島を脱出し、北西に退避するが、凄まじい数の敵機から空襲を受ける。輸送船2隻が撃沈され、1隻が大破。旗風も機銃掃射で舵を損傷する。混乱により護衛の艦艇すら散り散りになり、旗風はたった1隻で横須賀を目指して退避し続けて命からがら逃げ延びた。
1944年12月31日午前8時20分、ヒ87A船団を護衛して門司港を出港。第17駆逐隊の「磯風」「浜風」「時雨」たちとともにシンガポール行きの輸送船団を護衛する。道中の台湾海峡で米潜水艦ピクーダとバーブの襲撃を受けるも、追跡を振り切って台湾南部の要港高雄に入港した。しかしこの港内が旗風の墓標となってしまう。
1945年1月15日午前10時42分、敵艦載機から直撃弾を受けて大破炎上。鎮火のめどは立たず、18時頃に沈没してしまった。3月1日、除籍。
ちなみに旗風は三度の衝突事故に遭っている。1回目は1927年10月12日、神戸沖での出来事だった。潮流と強風で流された給油艦鶴見の艦体が旗風の左推進軸と接触し、破損した。2回目は1934年6月13日、横須賀を出港して東京湾を航行している時だった。午前8時30分、隊列を横切ろうとした第12太吉丸が操舵を誤り、旗風の右舷後部に衝突。艦内に激震が走ったが、幸い軽傷で済んだ。3回目は1935年2月28日。午前3時14分、有明湾に停泊していた旗風のもとへ操舵ミスした駆逐艦電が突っ込んできて、艦首に衝突。各艦から応急隊が派遣される大事になった。いずれも旗風が被害者側だった。
才ある者は多く働く。未完了の関連動画をほったらかすことはあるまい
ほぉ……関連静画、予想より多いとはな
サボる気なら諦めな。ちなみに、関連項目はまだ結構残っているぞ
- アズールレーン
- レッドアクシズ/重桜
- アズールレーンのKAN-SEN一覧
- 神風型駆逐艦
- 神風(アズールレーン)
- 松風(アズールレーン)
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- 眼鏡っ娘
脚注
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