日本未来の党とは、
党史
1.旧日本未来の党について
日本未来の党 | |
にっぽんみらいのとう - Tomorrow Party of Japan |
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基本情報 | |
公用語名称 | 日本未来の党 |
国・地域 | 日本 |
本部所在地 | 東京都中野区 |
成立年月日 | 2012年11月27日 |
解散年月日 | 2012年12月27日 |
機関紙 | -- |
国際組織 | -- |
シンボル | -- |
公式サイト | -- |
政党・政治団体テンプレートボックス |
結党期
2012年(平成24年)11月末に滋賀県知事である嘉田由紀子が結成した政党である。結成当初、所属国会議員は8名(衆議院議員3名・参議院議員5名)であったが、その後国民の生活が第一や減税日本・反TPP・脱原発を実現する党・みどりの風の一部などが合流し、所属国会議員数は69人になった。
ちなみに自民党の安倍総裁はこの党を「選挙に勝つための政党だ」、新党改革の舛添代表は「原発だけで済むものではない。他の政策はどうなるのか」と批判している。
第46回衆議院議員総選挙、そしてその後
第46回衆議院議員総選挙では脱原発の受け皿を狙ったものの、議席数が公示前よりもはるかに少ない9議席しか取れず大敗した。嘉田代表は「時間が少なかっので有権者に政策が十分伝わらなかった」と述べている。ちなみに小選挙区で当選したのは亀井静香と小沢一郎の2名だけであった。
選挙後、元社民党の阿部知子を共同代表にしようとした嘉田氏と小沢一郎を共同代表にしようと提案した元国民の生活が第一系のグループが対立し、いきなり分裂危機を迎えることとなった。2012年12月26日、これに嫌気が指した亀井静香が離党することになった。ちなみに日本未来の党で離党者が出たのはこれが初めてのことであった。
分党・党名変更
対立が修復不可能になるほど激化したため、2012年12月27日に嘉田氏と阿部知子が未来の党を離れる形で分党されることが決まった。完全に母屋を壊し屋集団小沢一派に乗っ取られる形となった。その後未来の党は「生活の党」に党名変更された。それに伴い森裕子が代表に就いた。
その結果、日本未来の党に交付予定の政党助成金8億5000万円を小沢一派が独占することとなった。
2.新日本未来の党について
日本未来の党 | |
にっぽんみらいのとう - Tomorrow Party of Japan |
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基本情報 | |
公用語名称 | 日本未来の党 |
国・地域 | 日本 |
本部所在地 | 東京都千代田区 |
成立年月日 | 2012年12月27日 |
解散年月日 | 2014年12月31日 |
機関紙 | -- |
国際組織 | -- |
シンボル | -- |
公式サイト | nippon-mirai.jp |
政党・政治団体テンプレートボックス |
結党・そして代表交代
2012年12月28日に党を追われた嘉田氏・阿部知子衆議院議員らは政治団体「日本未来の党」を結成することを表明した。メンバーは非小沢系のメンバーからなる。(ただし減税日本や亀井静香らは離脱)
滋賀県議会において、「国政政党代表と県知事職の両立は困難であり、仮に両立しようとした場合、県知事としての職務に支障が出る。よって、嘉田氏に対し、どちらかを辞めるよう強く求める」という旨の決議案が採択された影響を受け、2013年1月4日嘉田氏は日本未来の党の代表を辞任。党唯一の国会議員である阿部知子が交代で代表となった。
2013年5月17日、代表である阿部知子が未来の党の代表を続投する形でみどりの風に合流することを表明した。
政策
- 卒原発 - 原発稼働率を遅くとも10年以内に完全廃炉にする。
- 活子ども・女性 - 女性や子どもが行きやすい社会を作る。
- 守暮らし - 地域内でお金を循環させ内部的経済を活性化させて雇用に対する不安を取り除く。他に年金・医療制度の充実化など。
- 脱増税 - 消費税増税の凍結化を目指す。
- 制官僚 - 官僚依存型社会から国民の手による行政司法を目指す。
- 誇外交 - 食品の安全・医療制度を守り、品格のある外交を行っていく。
代表一覧
代 | 党首名 | 在任期間 |
初 | 嘉田由紀子 | |
2 | 阿部知子 |
2013.1.4~ |
国会議員一覧
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
リンク
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