日産・バイオレットとは、かつて日産自動車が製造・販売をしていた小型乗用車(商用車)である。
概要
車名の由来は英語で「スミレ」から。
1972年当時、基幹車種であるブルーバードは、上級移行化したブルーバードU(610系)と、エントリーユーザーや法人(タクシー)向けのブルーバード(先代である510系)が併売されていた。初代バイオレットはその510系の後継車として開発されており、そのため型式が710型となる。1977年に登場の2代目からはブルーバードから独立・競合する車格となる。1981年に登場の3代目は、当時の時流やブルーバード(910系)との差別化のため先行してFF化された。ただし技術的な未熟さに加え、サイズとエンジン排気量アップによりエントリーユーザー向けではなくなったこと、910系が絶好調だったことなどから販売不振となり、わずか1年で製造・販売終了を余儀なくされた。
ちなみに初代と2代目はブルーバードよりも小柄なボディサイズを生かし、ラリーに参戦していた。特に2代目は完成度が高く、1979年~1982年の4年連続でサファリラリー優勝を果たしている。
初代/710系(1973年~1977年)
1973年に登場。車形は4/2ドアセダン、2ドアハードトップ、ライトバンが用意された。エンジンは1400cc、1600cc、1800ccが用意され、タクシー向けのLPG仕様車も設定された。ミッションも4速と5速のMTと3速のATが用意された。ブルーバード譲りのスポーティーグレード「SSS」も設定された。
デザインも曲線を多用した大柄に見える優雅なものではあったが、代償として510系のもつ軽快さや運動性は失われた。加えてピラーが太くグラスエリアが小さいため後方視認が悪い上、ボンネットがより長く見えて見切りが掴みづらく、運転しづらい車との評価を得てしまった。ルーフが短くリアウィンドの傾斜が強いため、長身の人が後席に座ると頭がつっかえがちだったり、グラスエリアが小さく視界が狭くて息苦しい印象をもたれるなど、居住性も劣ってしまい、ファミリーカーあるいはタクシーとしては低評価で、売り上げ不振に陥ることとなる。
- 1974年にセダンをマイナーチェンジ、テールランプを変更。この頃よりラリーに参戦するようになる。
- 1976年にビッグマイナーチェンジし711型へ移行。タクシー事業者の要請を受けて後部ドアからトランクリッド周りをほぼ一新し、まるで別の車のようになった。おかげで妙に小さい印象になった。2ドアセダンは廃止、タクシー用のLPGエンジンは1800㏄となる。皮肉にもこのマイナーチェンジからしばらくして、ブルーバードが5代目(810系)にモデルチェンジし、タクシー仕様車を設定した。結果、お金をかけて変更したのにタクシーとしての引き合いは少なかったようだ。
- いつ頃からかは不明ながら、日産店以外にチェリー店でも販売されるようになり、こちらはチェリーからの乗り換え需要がそこそこ生じ、販売好調であったようだ。酷評されたにもかかわらず次期モデル開発が決定したのも、チェリー店からの強い要請があったためと推測される。
2代目/A10系(1977年~1981年)
1977年に初のモデルチェンジ、ブルーバードから独立したモデルとなる。車形は4ドアセダン、3ドアハッチバッククーペ、ライトバンが用意され、初代と一転して直線的なデザインとなった。エンジンは1400cc、1600cc、1800ccが用意された。ちょうどブルーバード(810系)の売り上げが振るわず、結果としてバイオレットの人気は少し回復した。姉妹車に「バイオレットオースター(のちオースター、チェリー店)」と「スタンザ(サニー店)」がある。前述の通りラリー参戦で無敵の強さを誇った。
3代目/T11系(1981年~1982年)
1981年にモデルチェンジ。名称が「バイオレットリベルタ」となる。駆動方式を従来のFRからFFに移行し、広い室内空間をアピールするファミリーカーとしての性格を強調した。車形は4ドアセダンと5ドアハッチバックの2種で商用モデルは廃止。エンジンは新開発の1600ccと1800ccが用意されたほか、ミッションも5速MTと3速ATが用意された。前述のような理由で販売不振となり廃止されたが、姉妹車の「オースターJX」「スタンザFX」は製造・販売を継続し、やがてプリメーラとなってブルーバードを食うこととなった。
後継は下級移行をしたリベルタビラである。
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関連項目
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