曹昂単語

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ソウコウ
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「曹昂」ソウコウ ? ~ 197)とは、三国志に登場する曹操長男坊であり、未亡人に現を抜かして失態をやらかしたって若い命を散らした武将である。

字(あざな)は「子脩」

よく間違えられるが、名前の字は 「昂」(たかぶる)であってすばる)ではない。

正史では

曹操夫人の間に長男として誕生したが、実夫人がの曹鑠を産んだ後に世してしまった為、夫人に代わって曹操の正室になった丁夫人により養育された。

20歳の頃には、「孝廉(郷挙里選)」と言う優秀な人物を地方政治家や有者が推薦する官吏登用制度にて推挙されており、曹操も将来を嘱望していた。

曹丕からは「生きていても限界があった」と評価されている。

張繍の降を受け入れた曹操が、軍を外に駐屯させて典韋ら身辺警護の者のみ率いて張繍の居である宛に入った際に、張繍の族にあたる張済未亡人の美貌に心奪われた曹操未亡人との密通を重ねた為、密通を知った張繍激怒した際に、曹操張繍を殺そうとしたものの先手をとられて内にいたところを張繍軍の攻撃をうけてしまい、典韋曹安民らが戦死し、張繍軍の追手からを逃がそうとした曹昂は、自らの曹操に差し出し自身は戦死した。

曹昂の戦死を知った養丁夫人は、未亡人に現を抜かして遅れをとった事や、実の息子よりも典韋の死の方がショックっぽい旦那激怒して実家に戻り、弁解の余地がい程の失態にもかかわらず曹操が謝罪しても、怒りが収まらない丁夫人は、二度と曹操の元に戻る事はなかった。

この離婚曹操には相当堪えたようで、晩年死に臨んで、「死んだ子脩の霊に『私のはどこにいますか?』と問われたら、なんと応えれば良いのか」と嘆息したという。

▼宛の戦いを描いたhistory-reproduction「宛の戦い」

演義では

正史同様に曹操長男として登場し、曹操張済未亡人鄒氏」の美貌に抜きにされたところで張繍の攻撃を受けた際に、史実同様に戦死した。

そして史実同様に、全ての原因である曹操にとっては典韋の戦死の方が上と見なされた。

その他「曹昂」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照exit 

関連動画

如月千早担当Pとして登場するiM@S架空戦記シリーズim@s演義


担当P的ポジションながらタイムスリップしてきた千早と仲を深めあって作中のカップル状態となったが、死を乗り越えるかわりに記憶喪失となり、記憶を取り戻しても歴史の表舞台から消えることを選んで、笑顔千早を見送った。

関連データ

コーエー三國志シリーズにおける曹昂の力一覧。

統率 政治 身体 運勢
三國志 61 59 92 61 16
三國志II 59 52 60
三國志III 60 54 50 67 58 19
三國志IV 54 60 53 49 68
三國志V 67 52 43 74
三國志VI 44 65 62 45 84
三國志VII 64 59 46 58
三國志VIII 64 56 53 77
三國志IX 72 60 65 73
三國志X 74 62 68 74 77
三國志11 74 67 66 68 77

関連コミュニティ

関連項目

関連人物
父・母
同母妹
兄弟
  • 曹上
  • 曹勤
  • 曹玹(曹ケン
  • 曹峻
  • 曹幹
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  • 曹均
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曹昂

34 ななしのよっしん
2023/12/23(土) 21:53:24 ID: sXFFLnI7zm
>>33 丁儀・丁謂兄弟 vs 曹真司馬懿になるかな?
起きたとしても曹真達が勝ちそうだけど。
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35 ななしのよっしん
2023/12/24(日) 18:07:51 ID: 1tR3HVzZ5S
いと思いますけどねぇ。母親の立場が違いすぎます

曹丕曹操の嫡子として扱われるのは曹昂が死んだからであって、曹昂が生きていた場合、曹操は正室である丁夫人離婚することく、弁夫人の子であった曹丕曹操の(社会的地位の低い歌の出であり頼りになる族もいない)が産んだ子の1人に過ぎず政治は0です
むしろ弁夫人以降に曹操子供を産んだ実家が太い女性子供の方がまだ可性はあると思います

曹操存命中に曹丕が歩んだ副丞相ルートを歩む事になるのは曹昂であり、当然ながら司馬懿陳羣といった人間曹丕に付けられることもありません。それらの人材は曹昂の下で働いていたと思いますので曹昂が死なない限り、を貸す戚もなければ部下もいない曹丕が出てくることはないでしょう
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36 ななしのよっしん
2023/12/25(月) 17:07:27 ID: sXFFLnI7zm
>>36 それもありかもしれないけど、曹丕が言うように限界があるかもしれないから継がない可性もあるかもしれない。
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37 ななしのよっしん
2023/12/26(火) 05:29:36 ID: 1tR3HVzZ5S
いやぁ、現代で言うなら曹操の会社継ぐような話ですからね
丁夫人離婚したから愛人の弁夫人が後妻となって曹丕に継承権発生したのであって、丁夫人という奥さんいるのに愛人子供後継者にするなんて言ったら大問題で族反対、曹丕に付く人間もいません

仮に譲るにも身元の確かな族いる相手の子供になるわけで弁夫人の子供がっていうのは考え難いわけです
曹丕に問題あるとか弁夫人の人格に問題あるわけではなくてね。むしろ弁夫人は立場をわきまえた控えめで賢明な女性だったようですし軽率行動の多い曹丕の振る舞いには度々苦言しています

そんな本来であれば後継者になれる立場ではかったのに、(曹丕にとっては)思いがけぬ幸運で後継者になれた時はめちゃくちゃ浮かれて、それを見た辛憲英からは呆れられで見られるわけです
そんな曹丕の立場から言う曹昂評には懐疑的なものが強いですし、曹昂が後継者にならないとしても曹丕とは別の人間の可性が高く曹丕が後継者となる可性は著しく低いでしょうね
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38 名無しさんお腹いっぱい
2023/12/31(日) 11:13:28 ID: wxJACa5SCm
>>37
曹操自身がどう考えてるかによって変わって来ますよね。
長幼を重んじるなら曹昂でしょうが、才覚や発展を重要視するなら曹丕を初めとした他の兄弟でしょうし。
「才あるもの、1芸に秀でた物を推挙せよ」という事を考えてる曹操が跡継ぎに長幼を重視するかと言えば、私見ですが考えにくいんですよね…
曹昂を後継者とし、曹丕を筆頭とした一門衆が屏となるというのも疑問を感じますし。
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39 ななしのよっしん
2023/12/31(日) 14:55:37 ID: 1tR3HVzZ5S
>>38
他ならぬ曹操自身が継々室となった弁夫人の子供4人から長幼をもって曹丕を後継者にしたんですけどね
(なお袁紹劉表孫権は長幼や夫人の扱いでやらかした模様)
は使える者なら女や罪人も部下として使うという話で内秩序を乱すのとは話が違います

むしろ曹昂死後、実家に帰った丁夫人に懇願するように復縁をめ、丁夫人離婚後疎遠になった丁氏を繋ぎ止めようと丁儀に出すことまで考えた曹操が、丁氏との関係を断絶させてまで庶子である曹丕を後継者にするなんて、それこそ史実のように丁夫人が呆れるくらいの酷い理由で曹昂が死んで実家に帰って、夫人の後釜に弁夫人が収まった位のミラクルが起きない限り考え難いと思うのですけどねぇ
丁夫人の一族というのは曹操とは曹操以前から婚姻での繋がりがあり、曹操自身としても旗揚げ時から自分に協してくれてきた頼りになる一族だったんですよ。それをぶっ壊してまで曹丕を後継者というのは、ねぇ
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40 名無しさんお腹いっぱい
2023/12/31(日) 18:35:17 ID: wxJACa5SCm
>>39
方の実家やそういう繋がりというかパイプを考えれば曹昂が後継者なんでしょうが。
個人的に思っているというか考えてるのが
曹昂があの戦いで戦死せず、そのまま日を経て後継者となった後の曹丕達の扱いはどうなるのか?
流石に徳御三家みたいな事はしないと思いますが、曹丕の時みたいに中央から離されるのか、いは側に置いて補佐するのか
後は重臣達の反応でしょうか。
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41 ななしのよっしん
2023/12/31(日) 18:41:18 ID: 1tR3HVzZ5S
>>38
また、才覚や発展を重要視するなら曹丕を初めとした他の兄弟との事ですが、事績がいので曹昂は不明です
優れていたかもしれない、劣っていたかもしれない

ただ曹操曹昂が死ぬ数年前の時点、20歳の時には孝廉で推挙して他の子よりも高い社会的地位を持たせ実績を作らせていました

子がハタチになるまで見れば、少なくとも曹昂が死んだ時に10歳の子供だった曹丕曹昂評よりも曹操は正確に曹昂の才覚を把握していたでしょうし、その上で後継者として問題ないと考える程度の能力があったという事ではないでしょうか?
少なくとも正室の子を嫡しの子を後継者にしよう、と考えるほど劣っていたわけではないと思います
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42 ななしのよっしん
2023/12/31(日) 18:56:06 ID: 1tR3HVzZ5S
>>40
どうなんでしょうねぇ
に忠実なイメージがあるので曹操路線を継承して、同族に権を集中させて族に中枢を担わせていたのではないでしょうか
その結果、史実より栄えたか、それとも司馬氏の普の様に皇族同士が血で血を洗う争いとなっていたのかは想像がつきません

曹丕が言う限界に、族を切り捨て自分の皇帝としての立場を安定させる事が出来ないというのがもしあったのだとしたら、族にを持たせる体制になっていたかもしれませんね
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43 名無しさんお腹いっぱい
2024/01/03(水) 03:41:00 ID: wxJACa5SCm
>>42
曹丕の言う限界がどういった物をすのかという事で変わっては来るでしょうね
それ以前に曹昂自身の事績や評価が少ないというのがありますが。
ただ>>42さんの仰る通り、ある程度は見えるとは思います。
外戚排除して自分の元に権を集中して兄弟達は才覚に応じて用いる
外戚も族も中枢には関わらせずに、自身と直系(男系のみ)に権集中。
番外的にはなりますがである曹操が考えてた路線またはイメージを踏襲でしょうか
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