朝倉一玄(あさくら・いちげん 生没年不詳)とは、豊後の戦国武将である。大友家臣(正確には志賀家臣)。
概要
大友氏に仕える志賀親次の家臣。島津四兄弟率いる島津氏の北進に対し、豊後・駄原城の守将を務める。そして、こんな事もあろうかと用意していた秘密の計略「留守の火縄」で、島津に一矢報いてみせた。
なお、留守の火縄の具体的な内容は伝わっていない。永遠に秘密のままである。
活躍
駄原城(だのはるじょう)は、志賀家の拠点である岡城の支城のひとつ。1586年、島津の北進が始まると、志賀家の前当主・志賀親度は(大友義統との不仲もあって)あっさりと島津に寝返ってしまった。しかし、その息子で当主の志賀親次は岡城にて徹底抗戦する。
岡城の守りは固く、攻める島津義弘も苦戦を強いられたため、周囲の支城の攻略を優先して孤立させる方針が採られた。こうして攻撃対象になった城のひとつが駄原城である。「城」と名が付いてはいるが、精々見張り砦程度の建物でしかなく、攻撃を受ければひとたまりもない事は明白だった。
そこで朝倉一玄が使ったのが「留守の火縄」という計略である。先に述べた通り、具体的な内容が現代まで伝わっていないため、いくつかの推測がなされているが「わざと駄原城を放棄して近所の菅迫城へ脱出」「城が燃えたところで、菅迫城の兵士たちと共に敵を一網打尽に」という点は共通する。
- あらかじめ城を燃やした、とする説。
駄原城に火が上がっている事を見て、島津軍は守兵の混乱で失火したものと思い、それに乗じるべく攻撃をかけた。実際には一玄たちは撤退済なので、あっさりと占拠に成功する。が、この間に一玄は撤退先の菅迫城で援軍を集め、安心しきっている島津軍に反撃をかけた。駄原城の建物はすっかり燃え落ちていたので、島津軍は真っ裸の状態で攻撃を受ける羽目になり、壊滅させられてしまった。 - 時限発火装置のようなもので後から燃やした、とする説。
同じく一玄は菅迫城へ撤退。島津軍は駄原城を悠々占拠したと思ったら突如として城が炎上、大混乱に陥っている所に一玄が反撃をかけて、やっぱり島津軍は壊滅させられてしまった。
こうして、守りに適さない城をひとつ生贄に捧げて、島津の将・逆瀬豊前守を討ち取るなどの大戦果を挙げてみせた朝倉一玄。彼のその後は……一切史料上に登場しないので不明である。
ともかく彼のような優れた家臣たちの活躍もあり、豊臣秀吉の援軍が九州にやってくるまで、志賀親次は岡城を見事守り切ってみせたのである。なお親度は切腹。
ゲーム
信長の野望
このような知る人ぞ知る超マイナー武将であったが、信長の野望・創造PK発売直前のニコニコ生放送において、追加DLC配布候補6人のひとりとしてスタッフが挙げた。「留守の火縄」というなんかロマンあふれる計略、そして出番はそれっきりという一発屋ぶりが視聴者に大きなインパクトを与えたのか、山内千代と共にめでたく選出となった(ちなみにこの時3位で落選したのは田村月斎)。
流石にシステムの関係で留守の火縄は再現していない(そりゃそうだ)。軍師タイプの智謀の人である。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝 | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録 | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
覇王伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||
天翔記 | 戦才 | - | 智才 | - | 政才 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||
嵐世記 | 采配 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||
蒼天録 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||
革新 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
天道 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
創造(註) | 統率 | 70 | 武勇 | 55 | 知略 | 86 | 政治 | 53 |
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関連項目
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