木上益治とは、日本のアニメーター・演出家である。京都アニメーション常務取締役。
2019年7月18日に発生した「京都アニメーション放火事件」により犠牲となった。享年61。
概要
1957年12月28日生まれ。大阪府出身。
上京後の東京デザイナー学院在学時に雑誌広告で見たシンエイ動画のアニメーター募集に応募。
自作のスケッチを持参したところ、社長および所属アニメーター本多敏行に「凄い絵を描く人が来た」と
高く評価されたことにより即時採用され、同社にアニメーターとして入社した。
「劇場版ドラえもん のび太の恐竜」で動画デビュー。
新人ながらもすぐに頭角を現し、数々のテレビアニメで原画を担当した。
82年、同僚と共にあにまる屋(現在のエクラアニマル)設立に伴って移籍。
その頃には既に画力、仕事の早さにおいて突出していたため、名指しで指名されるまでになり、
『超時空要塞マクロス愛・おぼえていますか』『AKIRA』『火垂るの墓』等の劇場作品にも参加。
その並外れた作画技術で「木上に描けないものは無い」と業界人からも一目置かれる存在となる。
既にトップクラスのアニメーターとして活躍していた90年代初頭。
京都アニメーションの八田英明・陽子夫妻の要請に応える形で、突如東京を離れて同社に移籍。
まだ設立して間も無い作画部で、地元から集めた新人アニメーターたちの指導役を担当した。
92年にシンエイ動画元請けのもと、京アニが初めて演出から仕上げまでを手がけたテレビアニメ
「呪いのワンピース」では監督と作画監督を兼務。若いアニメーターたちを鼓舞しながら作り上げた。
この頃に京都アニメーションに所属していたアニメーターの上宇都辰夫によると、
「人材の面で下請けが精一杯だった当時の京アニにとって、アニメ制作の元請け業務を目指す道のりは
相当に厳しく思えたが、木上さんという類まれな実力者の加入で一気に展望が開けた。」と語っている。
その後も一貫して京都アニメーションでアニメーター、演出家の育成に尽力。
石原立也、池田晶子、武本康弘、山本寛など、後年京アニ作品の中核を担っていくスタッフを育て
現在にまで至る京都アニメーションの躍進の原動力となった。
卓越した技術とセンスを持ちながら目立つ事を好まず、監督名義の作品は少ない。
原画や演出として参加した作品にも「三好一郎」「多田文雄」などの複数の別名義を用いており、
関係者の証言ではノンクレジットでの仕事も多かったという。
本人が手掛けたとされる原画や演出などは現在も判明していない部分が多いままとなっている。
2000年代以降も京アニ作品に原画・演出として精力的に携わり、自身が育てた若手アニメーターに
交じって仕事をこなす一方で、後進の育成や直営の養成塾の講師などを務めていたが、
前述の京都アニメーション放火事件にて多数の社員と共に被害に遭い、帰らぬ人となった。
主な参加作品
監督作品
- 内田春菊の呪いのワンピース(1992年) 監督・作画監督
- MUNTO(2003年) 監督・脚本・絵コンテ・演出
- MUNTO 時の壁を越えて(2005年) 監督・脚本・絵コンテ・演出
- 天上人とアクト人最後の戦い(2009年) 監督・シリーズ構成
- バジャのスタジオ(2017年) 監督・原画 ※三好一郎、多田文雄 名義)
関連動画
関連項目
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