札幌市交通局2000形電車とは、かつて札幌市交通局が保有し、南北線で運行していた地下鉄用車両である。同一仕様で製造された1000形も含めて記述する。
概要
他に類を見ない独自性の高い車両。2車体7軸で全長27m(1両13.5m)の連接車にして、鉄車輪ではなくゴムタイヤを採用した「中央案内軌条式」の車両である。当初は2車体1ユニット(2両編成)を「1000形」、2ユニット(4両編成)を「2000形」と呼称した。2両編成と4両編成に分かれていたのは、初期構想において閑散時間帯は2両で運行することで、運行経費を節減するという狙いがあったからである[1]。そもそも札幌市営地下鉄は「路面電車の地下鉄版」を発想しており、車体が1両当たり13.5mで2両連結というのも、路面電車ぐらいの輸送量を想定していたのである。地下鉄として建設するのは札幌都心部だけで、郊外は全て高架の予定であり、従って軌道はアップダウンが多くなることを想定していた。ゴムタイヤ式としたのは、そうした急勾配に対処するためでもある。
開発は1963年から川崎重工業と共同で行われ、1970年には試作車2両が、翌1971年には12月の南北線開業に備える量産車[2]54両が導入された。その後も増備が重ねられ、1978年までに計160両が揃えられるとともに、編成替えにより最終的に全編成が8両編成となった。それに伴い1000形は2000形に編入され大規模に改番された(関連リンク参照)。
車体・内装
その独特な前頭部や大きな側面窓は他都市、また札幌市交通局の他の車両に比べ異彩を放っており、6000形と並び札幌市営地下鉄のシンボル的車両であった。車体幅3.08mは新幹線以外では最大である。行先表示器は向かって右窓下という、これも異例の位置についている。カラーは淡いグリーンを地色に濃いグリーンを組み合わせたもの。
現在運用中の車両との違いとしては、連接部の貫通路が広幅の楕円形であることが挙げられる(現行は六角形)。また、連接部ではない貫通路は長方形である。内装は木目調だが車両によって色調に差がある。オールロングシートで、もちろんこの時代から網棚は無い。
走行機器等
1軸の「操向台車」が2軸の「駆動台車」を挟むという独特すぎる構造をとる。2両編成で言うと
○-●●-○-●●-○
という軸配置で、真ん中の白丸(操向台車)は連節部である。操向台車には案内軌条を挟む案内輪が取り付けられ舵取りがなされる一方、駆動台車は舵取りをおこなえない構造であるが、もちろん曲線通過には支障はない。電動機出力は90kw、制御方式は抵抗制御、設計最高速度は70km/hである。
経過~引退
「熊でも乗せるつもりか」などと揶揄された事前の懸念を覆し、開業した南北線は想定をはるかに超える利用があり、運行開始からわずか7年余りで、全編成の4ユニット(8両編成)固定化がなされた。先頭車の両数が多いことから、8両統一後は全20編成中5編成が先頭車を中間に挟む編成形態となった。中間の旧先頭車は機器撤去を受けたが、運転台スペースの客室化は行われなかったため、旧先頭車を含む編成(4+4両:3編成、6+2両:1編成)は定員が12人少なくなっていた。また1編成のみ「2+2+2+2両」という構成が組まれ、定員は36人も少なくなっていた(実際の写真)。
車体長の関係で8両編成でもドアが16ヶ所しかなく、非連接部はドアから遠くて乗降に時間がかかり、特に混雑する札幌都心部では遅延が常態化するようになった。抵抗制御車で熱発生が多く、タイヤの予想以上の早い摩耗が露見したり、独自すぎる構造ゆえ保守・整備も手間がかかる…と難点も顕在化した。このため、1999年までにすべての編成が3000形・5000形に置き換えられた。
現在、1000形2両が開業時に近い形に復刻され、交通資料館に保存されている。この車両は第1次試作車として製造されたのち、8両固定化時に前述の「2+2+2+2両」編成に組み込まれていた。試作車とあって運転台が狭く、開業時には既に4両編成=2+2両の中間に封じ込められていたため、先頭車でありながら先頭車としての活躍実績のない不思議な車両であった。
関連動画
関連リンク
- 札幌市営地下鉄2000系データファイル - 7年にわたる編成組み換えと改番の記録
関連項目
南北線 | 東西線 | 東豊線 | |
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現行車両 | 5000形 | 8000形 | 9000形 |
引退車両 | 2000形 - 3000形 | 6000形 | 7000形 |
脚注
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