「李豊」(り・ほう)とは、中国の人名。中国史上この名前の著名人は多く、三国時代にも以下の3人が存在する。
袁術配下の李豊
正史では
袁術配下の武将(?~197年)。
皇帝を自称した袁術が陳の国に攻め込んだところ、曹操が討伐軍を率いて現れた為、李豊は橋蕤(橋ズイ)・楽就・梁綱らと共に残され、袁術は淮南へと逃げ帰った。
曹操の討伐軍に抗戦した李豊らであったが、大将軍の橋蕤(橋ズイ)が于禁に討ちとられ、李豊らも全員戦死した。
演義では
袁術が呂布の討伐軍を組織した際に大将(督戦官)となるが、離間策にかかって楊奉と韓暹が裏切り、袁術軍は敗北した。このときに李豊は袁術めがけて突進してきた呂布の前に立ちふさがったが、三合で方天画戟の一撃を利き腕に受け、槍を捨てて敗走した。
ちなみに吉川英治の小説『三国志』では、呂布に追われて逃げ惑う梁紀のために、捨て身で呂布に突っ込みこれを救うという漢気を見せている。
皇帝を自称した袁術がやりたい放題の浪費を繰り返して国を衰退させたところに、曹操の討伐軍が侵攻してくる。袁術が逃げ出した後に、李豊は楽就・梁剛・陳紀とともに寿春に残るよう命じられ、曹操軍を迎え撃つ。李豊らは懸命に戦ったが、最後は敗れて市場にて斬首された。
※その他「李豊(袁術配下)」 の詳細についてはWikipediaの該当項目参照
コーエー(光栄)三國志シリーズ
コーエー三國志シリーズでは、「三國志Ⅰ」初登場。Ⅰではネタレベルの雑魚武将だが、Ⅱ・Ⅲでは普通の武官となる。Ⅳからは蜀の李豊や魏の李豊にポジションを取って代わられ、しばらく姿を消す。
Ⅹで久々に復帰。武力では紀霊・兪渉に次ぐ袁術軍ナンバー3の武将となっている(統率では兪渉を上回る)。
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関連データ
コーエーの三國志シリーズにおける李豊(袁術配下)の能力一覧。
能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 |
三國志 | 33 | 28 | 38 | 88 | 53 | ||||
三國志II | 69 | 33 | 41 | ||||||
三國志III | 68 | 35 | 23 | 45 | 62 | 26 | |||
三國志IV | - | - | - | - | - | ||||
三國志V | - | - | - | - | |||||
三國志VI | - | - | - | - | - | ||||
三國志VII | - | - | - | - | |||||
三國志VIII | - | - | - | - | |||||
三國志IX | - | - | - | - | |||||
三國志X | 72 | 77 | 50 | 24 | 53 | ||||
三國志11 | 69 | 74 | 50 | 22 | 47 |
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関連項目
仲王朝関連人物 |
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