歴史
東京のランドマーク「東京タワー」 |
室町時代に太田道灌が築城した江戸城の小さな城下町として発生。道灌亡き後一度廃れたが、安土桃山時代末期に徳川家康が豊臣秀吉にこの寂れた城下町 に飛ばされたのが、現在の東京へ繋がる都市開発のルーツとなる。日比谷から新橋周辺にあった入り江を埋め立て、神田川の付け替え、お堀の削掘など大規模な 開発が行われた。
徳川氏が覇権を握るようになってからさらに人口が集中するようになり、江戸時代には欧米で当時最も人口の多かったロンドンを越える、100万人都市として栄えた。
関東大震災、東京大空襲、東京オリンピックと大災害の復興や国家事業の度に再開発が行われ、現在は東京都の東半分に23区の特別区を抱える世界的大都市として君臨している。
ちなみに、東京を中心とした東京都市圏は人口、経済力共に二位以下を突き放し、世界一の規模を誇っている。東京単独で総生産においても、購買力平価においても、世界ランク上位の「国」に匹敵する。
交通網
鉄道
東京駅、新宿駅、渋谷駅、池袋駅、品川駅、上野駅などターミナル駅に主要私鉄各社が乗り入れ、その駅を環状に結ぶ形で山手線が走っている。その内側では網の目状に張り巡らされた地下鉄(東京メトロ・都営地下鉄)が主な移動手段となっている。
無秩序な開発を避けるため、戦前は山手線の内側へ私鉄が乗り入れることは認められておらず、戦後も山手線内への私鉄の延伸は地下鉄に限られており(いち民間企業たる私鉄の力では当然限界があった)、永らく郊外から山手線内への移動には都電ないし地下鉄への乗換えが必要であったが、地下鉄各路線に郊外路線の車両を乗り入れて都心部と郊外を結び、複数の鉄道路線が一つに結ばれ長距離路線として機能するようになると、都心部を貫通して郊外から郊外へ向かう人の流れがいっそう活発化した。
道路
城下町として開発されたため、元々は敵からの侵入を防ぐために細い道路や直角に曲がりくねった道路が多かった。
しかし、関東大震災の復興で都心の道路の拡張、東京オリンピックで環状道路や首都高速道路の整備が行われ、これによって現在の主要道路が整備された。
それでも当初の想定以上に交通量が増加し、現在も交通渋滞が絶えない状態が続いている。
関連動画
関連項目
http://dic.nicomoba.jp/k/a/%E6%9D%B1%E4%BA%AC


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読み:トウキョウ
初版作成日: 08/11/01 10:38 ◆ 最終更新日: 12/04/25 17:30
編集内容についての説明/コメント: 東京タワーの画像位置・サイズ変更
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