東京ヤクルトスワローズとは、日本のプロ野球球団でセントラル・リーグの球団である。
概要
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- 日本プロ野球リーグの球団の一つ。マスコットは燕をモチーフとしており、つば九郎、つばみ、燕太郎の3匹からなる。
- 親会社はヤクルト本社
。そのため選手にヤクルトが支給されている。 - ホームスタジアムは明治神宮野球場。
- 監督は小川淳司(2010年途中~)
1950年に国鉄スワローズとして結成。結成当初は金田正一のワンマンチームで、長らくBクラスに低迷していた。1964年に現場とフロントの軋轢から金田が巨人に移籍したことで国鉄は球団経営権をフジサンケイグループに譲渡し、手塚治虫が球団後援会副会長だった縁でサンケイアトムズとなる。が、産経新聞も業績不振で1970年に経営権をヤクルトに譲渡。1973年、虫プロダクションの倒産で名称を戻しヤクルトスワローズとなった。
78年に初優勝を果たすも、80年代は4度の最下位などBクラスに低迷。しかし89年に野村克也監督が就任すると、古田敦也が正捕手に定着し、90年代はリーグ優勝4回、日本一3回と黄金時代を築き上げた。
2006年にはチーム名を現在の東京ヤクルトスワローズに改称するなど在京球団をアピールしているが、東京には同じセ・リーグに読売ジャイアンツがいるためどうしても影に隠れがち。2001年に日本一になって以降は3位前後をうろうろしており、下には12球団最強のネタチームである横浜ベイスターズがいるため普段は広島東洋カープと共に存在感が薄い(電気グルーヴとスチャダラパーがコラボで制作した曲でヤクルト×カープ戦がネタされた事もある)球団である。
同じ東京に本拠地を置く読売ジャイアンツ(ちなみに本拠地の最寄り駅は中央線一本で4駅分しか離れていない)には、金田正一からアレックス・ラミレスに至るまで半ば伝統というレベルで主力選手を奪われ続けており(ジャック・ハウエル、広澤克実、ロベルト・ペタジーニ、セス・グライシンガー、etc...)、その関係もあってヤクルトファンの多くはアンチ巨人である。その感情はある意味、広島ファンが阪神へ向ける対抗心より根が深い。しかし一方で、過去にオーナーが巨人ファンであると明言したり、歴代監督に巨人OBが多かったりする。なお、21世紀に入ってから2010年まで、ヤクルトは一度も巨人にシーズンで勝ち越したことがなかった(2011年にようやく勝ち越し)。
外国人スカウトが優秀な球団として知られ、自前で獲得してきた優良外人選手は数多い。そして資金力不足によって他球団に移籍される。野村克也政権の黄金時代も、日本一になったのはおおむね外国人選手の当たり年であり、選手層の薄さを外国人選手や、他球団を解雇された選手のリサイクルで補うのが得意な球団である。
近年は機動力野球を掲げる一方、長距離打者の相次ぐ退団で打線が攻撃力不足に陥ることも多い。また、親会社が医薬品などを取り扱っている会社でもあるにも関わらず、梅雨や秋に入ると感染症が蔓延したり、怪我人が続出したりして一軍のメンバーが足らなくなるなど、コンディショニングの管理体制が不十分であることから球団の体質について不満を述べる選手も少なくない。
球団名
「スワローズ」の名称は元々は1950年、国鉄が球団を持ったとき(正確には財団法人鉄道協力会が主体となり、財団法人鉄道弘済会日本通運日本交通公社(現JTB)などの企業で、「国鉄野球株式会社」と言うのを作った。と言う事で国鉄本体が経営していたわけではない。)
当時、国鉄で唯一の特急列車だった「つばめ」から取ったという説が有力。
1966年、既に経営権を譲渡されていた、サンケイがアトムズ(鉄腕アトム)に改名するが、1973年に虫プロダクションが倒産。アトムの名前を使えなくなり、スワローズに再改名。以後はずっとスワローズ。(一説ではあまりにも当時弱かっために虫プロ側からアトムの名を使わないで欲しいと言われたという説も。)
ちなみに2008年に企画としてアトムズ時代のユニフォームが復刻された。
近年の戦績
2006年(70勝73敗3分、3位) 監督:古田敦也(選手兼任)
この年から若松勉に代わり、古田敦也が野村克也以来となる選手兼任監督に就任。球団名を「東京ヤクルトスワローズ」に変更。古田を慕って石井一久と高津臣吾からメジャーから復帰、さらに木田優夫を獲得して迎える。
野村のID野球の後継者として手堅い野球をするものと思われていた古田だったが、蓋を開けてみれば長距離砲のアダム・リグスを「バントをしない2番打者」として起用し、青木宣親、アダム・リグス、岩村明憲、アレックス・ラミレス、グレッグ・ラロッカと並ぶ重量打線を組む攻撃的野球を披露。リーグ最多の161本塁打を放った。
一方、投手陣は石井弘寿と五十嵐亮太の戦線離脱で特にリリーフのコマ不足は否めず、リック・ガトームソンのノーヒットノーランなどはあったが、ほぼシーズンを通して5割進行。3位は確保したものの、借金3に終わった。また監督の古田自身も右肩痛で36試合の出場に留まった。
オフ、岩村がポスティングでメジャーへ移籍。ガトームソンとラロッカが退団した。
2007年(60勝84敗、6位) 監督:古田敦也(選手兼任)
新外国人としてセス・グライシンガーとアーロン・ガイエルを獲得。開幕前から面白い名前の外国人として話題になったが、蓋を開けてみればグライシンガーは16勝を挙げ最多勝。ガイエルも35本塁打を放ち本塁打王争いを繰り広げ、また四死球の多さや珍プレーを多数誘発したことで「魔将」「魔空間」と呼ばれ一躍人気者になった。ラミレスが204安打を放って右打者初の200本安打を達成するなど助っ人が奮闘する。
が、チームは予見されていた弱点を補えず低迷。岩村明憲の後釜となるサードには外野手の飯原誉士や宮出隆自をコンバートし、畠山和洋と3人で競わせようとしたが見事に失敗、結局誰も定着できずに終わる。さらにリグスが不振に陥って攻撃力が前年から大きく低下してしまった。
投手陣も、先発は石川雅規の不振、ディッキー・ゴンザレスの故障でコマ不足に陥る。石井弘寿、五十嵐亮太が不在のまま補強もなかったリリーフは高津臣吾が衰えを隠せなくなり崩壊。シーズン中にブライアン・シコースキーを獲得、館山昌平を急遽抑えに回すなどしたが、シーズンを通して後ろを固定できなかった。
9月にBクラスが確定すると古田は監督辞任と現役引退を表明。最終的に青木宣親が首位打者と最高出塁率、ラミレスが打点王と最多安打、グライシンガーが最多勝と個人タイトルは多く輩出したものの、チームは最下位に終わった。
オフ、グライシンガーとラミレスが揃って巨人に引き抜かれ、9勝を挙げた石井一久がFAで西武に移籍。7勝の藤井秀悟が坂元弥太郎・三木肇とともにトレードで日本ハムへ放出され、高津とシコースキーは戦力外となり、大幅に戦力が流出した。
2008年(66勝74敗4分、5位) 監督:高田繁
前年まで北海道日本ハムファイターズでGMとして手腕を振るっていた高田繁が監督に就任。グライシンガーに代わる新外国人としてダニエル・リオスを、また守護神として林昌勇を獲得。日本ハムから川島慶三、押本健彦、橋本義隆をトレードで、西武からは石井一久の人的保証で福地寿樹を獲得した。
前評判の高かったリオスは見事に期待はずれに終わり、挙げ句にドーピング違反で7月には解雇されてしまうが、逆に韓国では終わった投手扱いされていた林昌勇が懸案だったクローザーに定着。移籍してきた押本に故障から復活した五十嵐、先発から転向した松岡健一の4人で前年とは比べものにならない強力リリーフ陣が形成された。またサードには足の故障で宮本慎也がコンバートされることになり、代わりの遊撃手に川島慶三が定着。前年の弱点はカバーされる格好となった。
が、ラミレスの抜けた打線は福地が1番打者として盗塁を量産するものの、リグスは前年からの大不振で7月に解雇、ガイエルも不調で破壊力不足が否めず、交流戦からは年俸900万円の畠山和洋が4番打者に抜擢されて「球界一年俸の安い4番打者」と話題になる状態だった。先発陣も石川の復活に館山がローテに定着、村中恭兵が台頭するなどしたが過渡期の感は否めなかった。
グライシンガーとラミレスを引き抜かれた巨人には開幕3連戦こそ叩くもののその後は完全にカモにされる。結局シーズンを通して勝率5割弱のところをうろうろし続け、借金8の5位に終わった。石川が最優秀防御率、福地が盗塁王を獲得。
2009年(71勝72敗1分、3位) 監督:高田繁
古田が兼任監督となって以来、米野智人・福川将和・川本良平のドングリーズが背比べを続けていた正捕手争いに終止符を打つべく、球団初のFA獲得選手となる相川亮二を横浜から獲得。相川は期待に応えてドングリーズを一蹴し、新天地でも正捕手に定着した。
前年破壊力を欠いた打線は、新外国人のジェイミー・デントナの加入とガイエルの復活で長打力が補われ、青木宣親が前半戦大不振に陥ったものの前年より攻撃力は改善された。リリーフは松岡の不調があったものの前年に続き奮闘。先発陣は館山が快調に白星を重ね、石川は安定、由規が台頭、戦力外から育成枠で獲得したユウキも活躍するが、村中や増渕竜義ら若手投手陣が伸びきらず充実とまではいかなかった。
前年から全体的に戦力が底上げされたことで夏場までは巨人と中日を追いかけていたが、後半戦で失速し、終盤は阪神・広島と低レベルな熾烈なCS争いに突入。どうにか2チームをかわし、借金1だったものの3位に滑り込んで初のCS進出を果たした。
CSでは1stステージで中日に敗れる。福地が2年連続の盗塁王を獲得。前半戦不振だった青木も最終的に3割まで巻き返してしっかり最高出塁率をさらっていった。オフには五十嵐亮太がFAでメジャーへ移籍。
2010年(72勝68敗4分、4位) 監督:高田繁→小川淳司
川島慶三の故障により、阪神からFAで藤本敦士を獲得した程度で、戦力の入れ替えがほとんどなくシーズンを迎える。
開幕当初こそ順調なスタートを切ったがすぐに失速。中軸のデントナとガイエルをはじめ、青木、福地、田中浩康らレギュラー野手ほぼ全員が揃って不振に陥り、打線が完全に機能不全状態になる。みるみる借金はふくれあがり、交流戦に入った5月には9連敗などで借金19を抱え最下位独走状態になる。
どん底のチーム状態の中、高田繁監督がシーズン中に成績不振のため辞任。代行として小川淳司ヘッドコーチが指揮ををとることになる。小川監督代行はすぐさま打線の再構築に着手。3番に回っていた青木を1番打者に戻し、7月には不振のデントナとガイエルを外して緊急獲得したジョシュ・ホワイトセルを4番に据え、福地を控えに回して畠山和洋をほとんど経験のないレフトに置いてスタメン起用するという大胆な策に出る。するとこれが見事にはまってチームは一気に上昇気流に乗る。8月には19あった借金を完済し、CSにこそ手が届かなかったものの、最終的に貯金4まで巻き返した。監督交代後の勝率は優勝した中日を上回り、その快進撃は「メークミルミル」とも呼ばれた。
由規と村中が2桁勝利を挙げ、増渕がセットアッパーとして奮闘。前述の畠山や川端慎吾らが台頭し、若い力で勝ち取ったどん底からの逆襲に、翌年への大きな期待と希望を残すシーズンになった。
オフ、代行である小川と、もともと次期監督が既定路線だった荒木大輔コーチとの間で翌年の監督の座をめぐるごたごたが発生したが、結局チームを立て直した手腕が評価されて小川の監督続投が決定。横浜の身売り騒動の中、某スポーツ紙で身売りの記事が出たが、結局誤報でありファンは胸をなで下ろした。
2011年(70勝59敗15分、2位) 監督:小川淳司
補強は新外国人としてウラディミール・バレンティンを獲得、戦力外から濱中治と宮出隆自を拾い上げる。移籍が懸念された林昌勇が無事残留、基本的には昨年とほぼ変わらない戦力で迎えた2011年。とはいえ前評判は「昨年の後半戦は確かに強かったが、層の薄さは否めない。主力に故障者が出なければワンチャン上位も」というところだった。
開幕前に不調だった畠山和洋を外し、濱中を3番に起用するオーダーで開幕を迎えるが3連敗とさっぱり当たらず。さらに川島慶三と村中恭兵が速攻で故障して姿を消す。結局、開幕5試合目で畠山が4番に戻ると、そこからいきなり引き分けを挟んで9連勝の快進撃で、チームは快調に滑り出した。バレンティンが打線に破壊力を加え、セットアッパーに転向したトニー・バーネットとルーキーの久古健太郎がリリーフでフル回転。昨年後半戦の快進撃のメンバーに新戦力が台頭し、充実の戦いぶりで首位ロードを快走する。
バレンティンが徐々に置物化、由規の離脱などがあったものの、七條祐樹の台頭などで穴を埋め、7月の終わりにはセ・リーグの貯金を独占。2位以下に8ゲーム差をつける独走で、ほぼリーグの趨勢を決めたような状態だった。
しかし、誰かが不調になると全員不調になるのがヤクルトである。8月に入ると打線が急激に打てなくなり、川端を3番に回すなど試行錯誤しているうちにずるずると失速。みるみる貯金をすり減らし、8月の終わりには巨人に1.5ゲーム差まで迫られる。だが、逆に言えば調子が上がれば全員好調になるのもヤクルト。9月に入るとラストスパートとばかりに9連勝。再び2位以下との差を大きく広げ、今度こそ決まったと誰もが思った。
が、優勝争いの経験がほとんど無いまま独走していたチームのスタミナは、ここで既に尽きていた。バーネットが骨折、久古が肺炎で戦線離脱しリリーフ陣が駒不足に陥ると、館山は血行障害に苦しみ、相川も骨折を押しての出場になるなど悪夢のようなレベルで故障者が続出。そして畠山、川端らが10月に入ると全く打てなくなり、チームは完全に機能不全状態となった。その失速を見計らっていたかのように、下からスパートをかけてきたのは中日。満身創痍のヤクルトにその猛追を振り切るだけの力は既になく、多数残っていたナゴヤドームでの直接対決でボコボコにされ万事休す。同じく追い上げてきた巨人はなんとか振り切って2位を確保、本拠地でのCS開催を実現したものの、シーズンを通して戦いきるスタミナの不足と、最初から終盤を見据えていた中日との経験の差の前に膝を屈することになった。
クライマックスシリーズでは、1stステージで総力戦の末2勝1敗で巨人を撃破し、初めてファイナルステージへ進出。ファイナルステージでもなりふり構わない捨て身の采配で一時は2勝2敗のタイに持ち込むが、最後に力尽き2勝4敗で中日の前に敗れ去った。
オフ、青木がポスティングでメジャーへ移籍。そのほか川島亮(金銭)と橋本義隆(楠城祐介との交換)がトレードで楽天へ放出、ホワイトセルが退団となり、石井弘寿、濱中治、魔将ガイエルが引退した。
大百科に記事のある所属選手・関係者
首脳陣
- 小川淳司 (監督)
- 荒木大輔 (チーフ兼一軍投手コーチ)
- 伊藤智仁 (一軍投手コーチ)
- 飯田哲也 (一軍外野守備走塁コーチ)
- 真中満 (二軍監督)
- 池山隆寛 (二軍打撃コーチ)
- 石井弘寿 (二軍育成コーチ)
所属選手
| 投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
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球団スタッフ
OB・移籍選手・関係者
| あ行 | か行 |
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| さ行 | た行 |
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| な行 | は行 |
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| ま行 | や行 |
| ら行 | わ行 |
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関連項目
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読み:トウキョウヤクルトスワローズ
初版作成日: 08/12/01 11:10 ◆ 最終更新日: 12/05/16 17:56
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