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東北楽天ゴールデンイーグルスとは、宮城(東北)を本拠地にする日本プロ野球チームである。
概要
- 略称は「楽天」・「東北楽天」・「楽天イーグルス」他。
- 本拠地は宮城球場(ネーミングライツで2008年2月~クリネックススタジアム宮城、2005年3月~2007年10月まではフルキャストスタジアム宮城)。ピクニック気分での応援を謳いながら、手作り弁当などの外部からの持参を禁止したことで有名となる。(外部からの持ち込みを禁止している球場は他にもあるが、形式以上のモノであることはない。)
「痛いニュース」
- 現監督は星野仙一(4代目、2011年~)、マーティー・レオ・ブラウン(3代目、2010年)、2代目は野村克也(2006年~2009年)、初代監督は田尾安志(2005年)。
- ちなみにゴールデンイーグルとはイヌワシのことである(マスコットのクラッチもイヌワシを模したもの)。
- キャップやユニフォームなどに使われる、「Eagles」の頭文字Eをもじったロゴデザインが、漢字の「毛」に似ている。そのことで2ちゃんねる等でネタにされることもある。
- 2009年8月11日に公式チャンネル「楽天イーグルスチャンネル」を開設。ニコニコ動画に公式チャンネルを開設したのは12球団初である。
- 2009年10月3日、球団創設5年目にして初のCS進出が決定した。
- 『常にAクラス(←ここ重要)に入れてCSを勝ち抜ける』チーム編成をフロントは心がけている。『常に優勝を狙えるチームにすると約30億円の年棒が必要になるからイヤ』とのこと(2009年終了時で約20億)。
- 前述のチーム編成の方針上、契約延長をせずに監督や選手をあっさり切ることが多い。
- 2009年時の小物鉄平のような(費用対効果が良い)選手でチームを構成するのがフロントの目標らしい。注:2008年終了時の鉄平の年棒は約5千万円。翌年の2009年には首位打者、ベストナインのタイトルを獲得。
チームの特徴
球団創設当初は、オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの選手の集まり――オリックス・バファローズに入れなかった者達を、寄せ集めた形でうまれたチームであった(岩隈久志は自ら志願して楽天に来たが)。
その後、トレードや解雇、ドラフトを積極的に行い、単なる寄せ集めの段階は脱しつつある。
しかし生え抜き選手が増えてきた現在でも全体的な選手層が薄く、大型連敗が目立つことが多い。
チームカラーとしては打低投高気味である。
投手(エースを含む)が好投しても援護を与えることができずに、ムエンゴのまま試合を終えることが多い。
簡単に歴史の説明
2004-2005年
近鉄とオリックスが合併すると聞いた楽天株式会社社長の三木谷浩史氏が、ホリエモン(ライブドア)の後を追った感もあるが「東北にプロ野球のチームを作る」という名目で、NPBの承認を受け、宮城(を中心とした東北全県)を本拠地するプロ野球チームを発足。
2005年シーズン開幕。ひょっとすると三桁敗戦、すなわちシーズン100敗もあるのではないかと囁かれたものの、蓋を開けてみれば開幕投手のエース・岩隈の好投もあり、千葉ロッテマリーンズを相手に3-1のスコアで、見事開幕戦を勝利で飾る。
しかし開幕の勝利も束の間、翌日の千葉ロッテ戦ではピッチャー陣が乱調で26失点、打線も9回を1安打に抑えられる散々な結果。7月には月間勝ち越しを決めるなど、ちらほらと勝利を拾っていたが大幅な連敗も多くそのままシーズンは終了。シーズン当初から語られていた100敗こそは阻止は出来たが、チーム自体はダントツの最下位に終わる。38勝97敗1分。
2006年
一部でカルト的人気を誇る土谷鉄平が移籍してくる(彼の来歴等は鉄平の項で参照願う)。
前年度監督田尾安志が様々な事情によって解任された結果、監督には、前年まで社会人チーム・シダックスで指揮を執っていた野村克也が招聘される。
この年はNPBから2段モーション禁止のお触れが発令され、調整に苦しむ岩隈に代わり一場靖弘が開幕投手に指名された。2006年シーズンは前年に比べ、鉄平、高須洋介、リック・ショート、ホセ・フェルナンデスの四名が三割に到達するなど、健闘する姿を見せたが、未だ戦力不足の感が否めず敗戦続き。シーズン終わりこそ、オリックスを抜いて5位になれるのではないか、と目されたが……結局最下位で終わる。47勝85敗4分。
そしてこの年のオフ、夏に駒大苫小牧のユニフォームを身に纏い、甲子園を沸かせた大器、マー君こと田中将大がゴールデンイーグルスに入団。
2007年
野球ファン注目の的、田中将大は甲子園に続き、杜の都の野球ファンをも唸らせた。序盤こそあまり勝ち星がつかない展開が多かったが、対福岡ソフトバンクホークス戦で勝利を挙げてからは快進撃。球団初の二桁勝利をあげ、最終的には11勝(7敗)、挙句は新人王のタイトルまで獲得する。
そして、なにより特筆すべきはベテランの山崎武司であろう。前の年もチームの主軸として奮闘していた彼なのだが、監督・野村克也の配球論を盗み聞きして、対戦するバッテリーの意図を読み取るバッティングをプロ21年目にして覚えてからはホームランを量産。最終的には43ホーマー108打点を記録、この年のHR王・打点王の二冠を獲得した。
また、この年のオールスターでは、本拠地フルスタ宮城(当時)が使用されたせいか、楽天選手が8名も選ばれる珍事が発生。
このような色々な要因もあり、チームは大躍進。勝ち星も増え続け、遂にはクライマックスシリーズ出場もあるで!……と思わせるほどの健闘を見せた(4位)。67勝75敗2分。
2008年
という戯言で始まった08’シーズン。
この年は何より、復活を遂げたエース・岩隈について語るべきだろう。2段モーションに規制に苦しみ、一時は120km前後のストレートしか投げられない、という程に衰えた彼であったが、この年は苦難や違和感を乗り越え、あれよあれよと連勝を重ね、終わってみれば佐藤義則以来、23年振りの21勝到達という偉業を達成する。投手分業が確立された近代野球でのこの記録は、並大抵のものではない。タイトルも、沢村賞・防御率・最多勝利など、ほとんどの投手タイトルを独占、更には本来優勝チームから選ばれるはずのMVPにまで選ばれる活躍を見せた。
野手ではリック・ショートも、自身初の首位打者のタイトルを獲得。ちなみにこの年、野球ch・08年度流行語大賞を獲得したドミンゴwwwwwなどの流行語も生まれている。
チームは一時期首位に立ったものの、7月の負け越しやタイムリー欠乏症などで、順位は夏場を境に急転落。しかし終盤、内村賢介・中村真人の育成コンビなどの活躍で盛り返し、最下位争いを演じていた福岡ソフトバンクホークスを最終戦で破り、5位で終戦。65勝76敗3分。
ちなみにこの年、新人の多田野数人が、絶好調だったIWKM相手にプロ入り初勝利を収めていたりする。こう書けば免許証を返して頂けるんですね?
2009年
まさかの2位、まさかのクライマックスシリーズ進出、まさかの解任。
シーズン当初はリーグ首位に立つこともあり「春の珍事」と揶揄されることも。
結果は77勝66敗1分(2位)。
打線に繋がりが見られるようになる。特に下位打線が爆発しビックイニングに結びつくケースが多く勝利に貢献した。
また、鉄平が打率3割2分7厘の成績を収め首位打者に輝く。草野大輔も打率3割をキープ。
山崎武司は本塁打39本と、リーグ2位。打点は107点を挙げこちらもリーグ2位に。
投手陣は田中将大(15勝)、岩隈久志(13勝)、永井怜(13勝)の3本柱がチームを支えた。
シーズン途中、大リーグ・レンジャーズへ出稼ぎに出ていた福盛和男が復帰。 中継ぎ・抑えで登坂していたはずがいつの間にか勝利投手に…。35試合に登坂し7勝10セーブを挙げた。謎の感動。
新人の藤原紘通は17試合に登坂し5勝と貢献した。
ブルペンエースと呼ばれがちな青山浩二(3勝)はCS進出を決めた試合で初完投勝利を達成。
シーズン途中よりニコニコ動画に12球団で唯一の公式チャンネル「楽天イーグルスチャンネル」を開設。主催ゲームのダイジェスト、監督会見、ヒーローインタビューを配信した。
またニコニコ生放送にて一部の主催ゲームを全編生中継し、多数の視聴者を動員した。
チーム創立5年目にして初のAクラス入り、初のCS進出、初の本拠地CS開催とファンはお祭り状態だった。しかし、2位入りが確定したシーズン終了直前に球団が監督・野村克也の解任を発表。悲願の本拠地CS開催に水を差す。シーズン最終戦でのセレモニーも行われなかった。
前監督の田尾安志とも解任に当たりトラブルを起こしており、楽天フロントの対応に再び疑問符が付くこととなった。
→この件に関しては『野村監督とは任期3年+延長1年の契約で更に延長する気は専らなかった。しかし監督本人がどうしても納得しなかった』。とフロントは雑誌記者からの質問に答えている。
10月24日、クライマックスシリーズ第2ステージ第4戦。パ・リーグ優勝の北海道日本ハムファイターズに敗れて日本シリーズ進出の夢が途絶えたと同時に、イーグルスに在籍する野村監督最後の采配となった。
スレッジを抱える強力なファイターズ打線を前に野村監督は継投策を講じるもその勢いは止めることはできず、8回2アウトからは第2戦で先発した岩隈久志が中一日で登板(先発型でありながらビハインドで突然の登板であったことから、自ら志願したという説あり)。野村監督、そしてイーグルス勝利の為に無理を圧して投げたが、直後のスレッジに3ランホームランを打たれて沈んだ。スタンドに吸い込まれていく球を見送った岩隈の表情は清々しく、また岩隈をマウンドに送り出した野村監督の表情も、どこか肩の荷が下りたようにさっぱりとしていた。
3時間44分という激闘の末、9-4で敗れる。今シーズンの成績は77勝66敗1分だった。
試合終了後、梨田昌孝監督のスピーチ後にファイターズの吉井理人ピッチングコーチ、そしてヤクルト時代に野村監督の元でプレイしていた稲葉篤紀が握手を交わし、最後は両軍入り乱れての、野村監督の胴上げが行われた。
プロ野球史上でも稀に見るこの胴上げは両球団ファンも「野村! 野村!」と大歓声を送り、名将と謳われた野村克也の健闘を讃えた。後任には広島東洋カープで監督を務めたマーティ・ブラウンが就任した。
2010年
転落。
勝率が一度も5割を超えることはなかった。交流戦では好調だったが、パ・リーグ同士では負け込むようになり、最終的には62勝79敗1分。4年ぶりの最下位。5位のオリックスバファローズに対しても7.5ゲーム差をつけられた。
この年個人タイトル受賞者は誰もいなかったが、この年成績を上げた嶋基宏がゴールデングラブ賞とベストナインを受賞。
シーズン終了後、ブラウンの解任が発表され、後任として星野仙一が就任した。
今年もニコ生で全主催試合の生中継が行われた。フロントの今期唯一の手柄。
2011年
「東北を熱くする」
杜の都に闘将・星野仙一がやってきた。
就任するや否や、メジャー帰りのビッグネーム、松井稼頭央と岩村明憲の2人を獲得。加えてトレードなどでも1001独自のコネ経由で次々と選手を獲得。
1001が阪神タイガース監督時代に行ったような補強をイーグルスでも同様に行ったため「優勝ktkr!」と期待に胸躍らせるファンが多数現れる。
3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響により本拠地の日本製紙クリネックススタジアム宮城が使用できず、開幕前の調整はもちろん、開幕からしばらくの間は公式戦も関西を中心に転々としながら開催するなど、開幕前後は地震とそれに関連する災害の影響をもろに受けた。
震災を受けて、イーグルスは開幕前に急遽『がんばろう東北』というスローガンを掲げた。このスローガンを見たファンの中には、1995年に当時のオリックス・ブルーウェーブが『がんばろうKOBE』のスローガンを掲げ優勝した姿を重ねて「ひょっとしたら優勝もあるんじゃ?」と思ってしまったファンも少なからずいたようだ。
監督はあの1001だ、戦力強化もした、スローガンも立派なものが付いた。だから今年こそ初優勝を……!
そう願ったファンの期待は、見事に裏切られた。
期待の元メジャーリーガー岩村は完全に置物と化していた。2011年の1年間で、打率.183、本塁打0、打点9。守備も精彩に欠けており、一部ではとても不名誉なあだ名がつけられるほど
であった。
新加入の外国人も期待通りの活躍とはいかず、さらには主力級の野手陣が揃いも揃って大不振に陥る(原因には今年から導入された統一球の影響や震災関係のストレスなどがあったようだ)など、開幕前の目算は大幅に外れた。
先発ローテも田中将大とルーキーの塩見貴洋以外は安定せず、その状況を打開しようとスリーマウンテンズを先発に投入してみたりしたものの全滅。
ペナントレース中盤以後にも何度か3位に食い込むことはあったものの、最終的には西武とオリックスの間で繰り広げられた熾烈な3位争いから蹴落とされる形になり、5位でシーズンを終えた。
田中の投手三冠+沢村賞受賞、ルーキーの塩見シオミクーンがムエンゴに泣かされながらも終盤までローテを守り9勝を挙げての優秀新人賞受賞、ダレル・ラズナーの抑え転向の成功、聖澤諒や内村賢介がレギュラーに完全定着し活躍する、などといった明るい話題があるにはあったが、監督自ら「(東北を熱くすると言ったが)ぬるかったね」と漏らしてしまうほど、いろいろと不完全燃焼なシーズンになってしまった。
なおオフには、初年度からイーグルスに在籍しチームを支えた岩隈久志や山崎武司が退団し移籍。他にも十数名が任意引退や自由契約になり、トレードも続々と成立させるなど引き続き血の入れ替えを断行。さらには1軍打撃コーチにあのデーブ大久保を招聘。球団創設8年目のシーズンに備える。
所属選手
※太字は記事のある選手。
(基本ポジションごとの背番号順 首脳陣のみ、その限りにあらず)
首脳陣
| 一軍 | 二軍 | ||||
|---|---|---|---|---|---|
| 背番号 | 名前 | 担当 | 背番号 | 名前 | 担当 |
| 77 | 星野仙一 | 監督 | 80 | 仁村徹 | 監督 |
| 88 | 田淵幸一 | ヘッドコーチ | 87 | 仁村薫 | 野手総合・巡回コーチ |
| 95 | 大久保博元 | 打撃コーチ | 82 | 田代富雄 | 打撃コーチ |
| 71 | 佐藤義則 | 投手コーチ | 83 | 礒部公一 | 打撃コーチ補佐 |
| 72 | 森山良二 | 投手コーチ(ブルペン担当) | 75 | 酒井勉 | 投手コーチ |
| 70 | 三輪隆 | バッテリーコーチ | 79 | 大石知宜 | バッテリーコーチ |
| 73 | 鈴木康友 | 内野守備走塁コーチ | 86 | 小坂誠 | 内野守備走塁コーチ |
| 78 | 本西厚博 | 外野守備走塁コーチ | 89 | 平石洋介 | 外野守備走塁コーチ |
| 80 | 仁村徹 | 二軍監督 | 85 | 広橋広寿 | 育成チーフコーチ |
| 87 | 仁村薫 | 野手総合・巡回コーチ | 84 | 高村祐 | 育成コーチ(投手担当) |
| 76 | 米村理 | 野手強化コーチ | |||
所属選手
※大百科に記事がある選手は太字
| 投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
|---|---|---|---|
記事のあるOB
| あ行 | か行 |
|---|---|
|
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| さ行 | た行 |
| な行 | は行 |
|
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| ま行 | や行 |
| ら行 | わ行 |
|
マスコットキャラクター
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リビジョン番号: 1473397
読み:トウホクラクテンゴールデンイーグルス
初版作成日: 08/07/24 20:59 ◆ 最終更新日: 12/03/18 14:26
編集内容についての説明/コメント: OB:中村武志追加
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