東急玉川線とは、かつて東京に存在した路面電車である。通称玉電、ジャリ電、ジャマ電。
名前は似ているが、東急多摩川線とは直接的な関係はない(こちらはかつての東急目蒲線の一部区間を切り離したものである)。
概要
日清戦争後、砂利を輸送することを主な目的とした路線として、玉川砂利電気鉄道が開業した路面電気軌道。
1907年、最初は道玄坂から三軒茶屋間が暫定開業し、その後間もなく渋谷 - 玉川間の路線が正式開業した。
ついたあだ名は、砂利を運ぶ電車だからジャリ電。
しかし十数年後、採石地での砂利採取を禁じられたうえ、五島慶太に経営権が渡ったことで、砂利輸送営業は完全に中止されている。
五島が経営をする前から、景勝地や行楽施設へのアクセス手段として、玉電を中心とする支線がいくつも敷かれた。
なお、天現寺線と中目黒線は東京都に譲渡された路線である。
また、溝ノ口線は東急大井町線に編入されたため、東急玉川線とは運行上切り離されていた。
一度は隆盛を極めた玉電だったが、路面電車の天敵ともいえるモータリーゼーションの波がとうとう押し寄せてきた。
車が行き交う中で、路面電車の存在は運転手にとっては邪魔以外の何者でもなかった。
そんなわけでついたあだ名がジャマ電。あんまりである。
さらに首都高や似たような区間を走る地下鉄の建設など様々な逆境が玉電を襲い、営業継続が困難な状況となった。
そしてついに1969年5月11日、玉電は別れを惜しむ地元住民達とドライバー達の歓喜の声に迎えられながら、花電車を運行し、文字通り華々しい最期を飾った。
ただし下高井戸線は専用軌道が存在し、需要も一定数存在していたことから廃止を免れ、世田谷線として存続。今日に至るまで玉電の魂を受け継いでいる。
古くからの利用者(特に地元の老齢世代)が世田谷線のことを玉電と呼ぶのはこのためだが、流石に今の若者の間では世田線という略称が板につき始めている。
今でも多くの人々が利用している渋谷駅にはJRに玉川改札という名前で痕跡が残されており、その名残を見つけることができる。同改札に直結する東横店2階は元々玉電の渋谷駅ホームで、そこから井の頭線ホーム南脇を抜けて道玄坂上に出ていた。駅前再開発と渋谷マークシティ竣工の折に消滅しまったが、廃止後長らくの間バスが軌道跡地を専用道として使用していた。
廃線から八年後の1977年4月7日に、ようやく地下新線として東急新玉川線(現在の東急田園都市線)が開業する。開業まではバスによって代替運行がなされていた。当時の東急田園都市線は大井町駅発着であり、東急玉川線は元々バイパス路線と呼べるほどの輸送力を有していなかったため、代替バス程度でも何とかなったのであろう。
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