東方昭和伝第四部単語

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東方昭和伝第四部とは、eleven氏制作動画東方昭和伝」の第四部である。「内抗争編」。

 岡田内閣が誕生した昭和9年7月は、危機を理由に挙一致内閣に結集されていた諸勢が、その緩和の中で自己を抑えられなくなっていた時であった。政界はにわかに忙しくなり、内におけるエリート層の分裂と対立は、この岡田内閣で頂点を迎え、政党間、軍内部、官僚内部に政界再編に向けての動きが活発化しはじめる。

なできごと ≫ 塘タンクー)停戦協定 ゾルゲ入 軍及び省部互渉協定定 明事件 人事件 「重臣会議」初開催 岡田内閣成立 スターリンの「粛清」開始 海軍軍縮条約破棄 共産党導者毛沢東 天皇機関説問題 華北分離工作 第19回衆議院総選挙

出演

≪ 役名・肩書き・演者 肩書きは原則として作中の現職。元職は特記のみ ≫

宮中

政治家

官僚

海軍

要人

学者

民間活動家工作員

 

その他モブ役として、射命丸文マスコミ魂魄妖忌(偉そうな軍人)レイセン(中下級軍人)毛玉中国兵)

 

関連動画

用語解説

重臣(じゅうしん)

 漠然と政府天皇側近などをす場合もあるが、狭義では総理大臣経験者及び枢密院議長。元老・西園寺望の老衰に伴い、元老が担ってきた総理大臣奏薦の任務を補する的で、斎藤内閣冠の際に召集された、一木喜徳郎枢密院議長及び高橋是清清浦・若槻礼次郎首相経験者3名を初例とする。
 「重臣」それ自体は法定の職でも何でもなく、首相奏薦会議以外で政に関わることも、ましてその権限もかったが、のちに軍部が暴走して議会政治家となってゆく中で、天皇首相に意見できる数少ない存在とされ、近衛岡田鈴木内・若槻などが東條内閣倒閣・終戦工作に動くこととなる。

内大臣(ないだいじん)

 宮中にあって御璽・璽を保管し、詔書・勅書などの天皇に関わる文書事務をあずかり、御用取次もおこなう天皇最側近の職。憲法学者ですら、その職・権限の定義に困ると言われるほどの特殊ポスト大正期までは「宮中・府中の別」で府中内閣政治の現場)とは一線を画し、政界・官界長老の「あがり」ポストのような意味合いが強かったが、昭和期の牧野伸顕内大臣から政界へ積極的に関わるようになり、やがて元老に代わって天皇や重臣・政治当局者に強いを及ぼす存在と化していった。
 略称「内府」。似た職名の「内務大臣(内相)」「宮内大臣(宮相)」と混同しないよう注意を要する。

内大臣 在任
伯爵 牧野伸顕 1925年(大正14年)3月1935年昭和10年12月
10 子爵 斎藤 1935年昭和10年12月1936年昭和11年2月
11 男爵 一木喜徳郎 1936年昭和11年3月6日 ※臨時代理
12 湯浅 1936年昭和11年3月1940年昭和15年6月
13 侯爵 木戸幸一 1940年昭和15年6月1945年昭和20年11月

皇族(こうぞく)

 皇統に属する天皇の一族。皇室典範によって、その範囲が定められている。天皇の長子孫以外は「宮」を構成し、旧皇室典範制定時の数は15。その後、継嗣し断絶や止・大正天皇の4皇子出生等によって増減があり、敗戦後の皇籍離脱時には大正天皇子宮(=昭和天皇宮)を除いて11宮。これらは全て23代伏見宮・邦王の男系子孫であった。
 天皇嫡流の男女には「王・内王」、他皇族には「王・女王(にょおう)」の身位が付与される。ただし、伏見宮貞王(さだなるしんのう。博恭王実)や閑院宮載仁王ら、近代皇族のうち「王」号を持つ者は、旧典範制定時明治22年)すでに古来の法に基づいた「王宣下」を受けていたため、そのまま例外として残されたものである。

人(ていじん 帝国人造株式会社

 だけじゃないテイジン。大正4年、山形県米沢にて創業の製糸会社。「人造」(じんぞうけんし)とは「レーヨン」のことで、折しも第1次世界大戦のためヨーロッパからの輸入に支障をきたしていたことから、く間に業績を挙げて事業拡大。大正7年より株式会社組して同社名。鈴木商店破綻後の混乱などにより、創業地山形から大阪へ拠点を変え、西日本有数の大企業となる。
 戦後はレーヨン需要の減・他社からの攻勢により、一時は倒産寸前にまで追い込まれるが、鈴木商店出身の大屋社長政治家として吉田茂内閣商工大臣)の活躍で息を吹き返し、化繊業界大手として現在に至る。 

 

人物評伝(キャスティングされていなくて作中登場回数の多い人物につき)

一木喜徳郎 (いちき きとくろう 1867~1944)

 大正昭和期の官僚・政治家男爵。実岡田良一郎はその治とともに二宮金次郎(尊徳)に学び、「遠江報徳社」(現・大日本報徳社)を設立して尊徳の「報徳思想」普及に努めた人物。一木も同社社長を務めている。東京帝国大学法科大学(現・東京大学法学部卒業後、内務省入省。
 明治23年、地方自治制度研究のため自費でドイツ留学。帰後は大法科大学教授。第2次大隈重信内閣で文部大臣・内務大臣。在任中に内務省・文部省共同で布告された「青年団ノ導発達二関スル件」は、地方青年団体を官庁統制下に置こうとしたものと一般には評価されているが、一木の意図としては、当時田中義一が狙っていた軍統制的のそれとは異なり、自発的な「公民」の育成を図ったものとする研究もある。教授時代から天皇機関説を提唱、美濃部達吉はその教え子である。
 昭和11年二・二六事件の際、殺された斎藤実内大臣の臨時代理を1日間だけ務めた。

岑生 (おおすみ みねお 1876~1941)

 昭和期の海軍軍人(兵学校24期)。最終階級は大将男爵。キャリアのほとんどを海軍省勤務で過ごし、東郷平八郎や八代六郎加藤三郎大物の副官を務め、第1次世界大戦パリ講和会議にも随員となるなど経歴はそれなりにやかだが、にもかかわらずこれといった軍事思想を持たず派閥的にも色で、海軍大臣に就任したのも単なる海軍内の序列によるものに過ぎない。本繁と荒木貞夫満州事変の戦功をもって男爵に叙爵された際、大も当時の相というだけで叙爵され、大いに失笑を買った。
 昭和7年、参謀総長が皇族の閑院宮載仁王だったのに対抗するつもりで、同じ皇族の伏見宮博恭王を、海軍部長推薦。しかし翌年に起こった海軍省と軍部の争いでは、かえって自身が伏見宮の威砕けとなってしまい、「大人事」と悪名の高い恣意的閥人事という結果を招く。国際連盟脱退問題でも轢を恐れて、伊東代治の脱退反対の働きかけを拒絶する。二・二六事件においては、岡田斎藤鈴木の3人の海軍大将が襲われて海軍部内が昂しても何の動きもできず、岡田首相生存の連絡に「聞かなかったことにする」と言い出す始末であった。
 昭和16年中国視察中の飛行機事故死亡。おそらく史上最低海軍大臣。

加藤三郎(かとう ともさぶろう 1861~1923)

 明治大正期の海軍軍人(兵学校7期)・政治家。最終階級は大将元帥府に列す)。男爵子爵追贈)。第21代内閣総理大臣日露戦争日本海戦で、連合艦隊参謀長として東郷平八郎長官を補佐する。大正4年、第2次大隈重信内閣で初めて海軍大臣。第一次世界大戦での欧州兵について、海軍内の反対を抑えて第2特務艦隊を派遣し、日本の発言確保に務める。寺内正毅内閣・原敬内閣高橋是清内閣で引き続き海軍大臣。
 大正9年、戦艦8隻・巡洋戦艦8隻を基幹とするいわゆる「八八艦隊」の予算を成立させたが、翌10年に首席全権として参加したワシントン軍縮会議では、軍縮条約調印を導。随員の加藤寛治や軍部の猛反対を抑えて(東郷平八郎には事前了解を取り、会議中も随時連絡を取り続ける十分な根回しがあった)調印に漕ぎ着け、列強の大きな信頼を得た。悌吉に口述筆記させた、防は軍人の専有物にあらず」「防はに相応ずる武を備うると同時に、を涵養し、一方外交手段により戦争を避くることが、下の時勢において防の本義なりと信ず」の言葉が有名である(もっとも、この言葉が書かれた文書は、戦後まで海軍省の庫に放置されたままであったが)。
 大正11年、元老・松方正義の奏薦と立憲政友会の支持を得て組閣(相兼任)。原内閣以来の軍縮方針を継承し、「八八艦隊」の放棄・シベリア出兵からの撤退・陸軍大臣山梨半造による「山梨軍縮」を断行。九カ条約に基づく欧協調にも努めた。大正12年8月総理在職のまま死去。おそらく史上最高の海軍大臣。

第四部の参考資料

之「山本五十六(上)」(新潮文庫
之「米内光政」(新潮文庫
之「井上成美」(新潮文庫
阿部牧郎「勇断の外相重」(新潮社
アランブロック鈴木税訳「対列伝 ヒトラー とスターリン第一巻」
太郎昭和歴史6 昭和政党」(小学館
有馬学「日本の歴史23 帝国昭和」(講談社
井上寿一「昭和史の逆説」(新潮新書
江藤監修「昭和史 その遺産負債」(朝日出版社
大島清「高橋是清」(中新書
・生出寿「反戦大将井上成美」(徳間文庫
・生出寿「昭和天皇に背いた伏見元帥」(徳間文庫
大杉一雄「日中戦争への華北問題と衝突への分岐点」(講談社学術文庫
太田諜報員 ゾルゲ、尾崎秀実、そしてスメドレー」(講談社
岡崎「重・東郷とその時代」(PHP文庫
秀昭「昭和史」(文文庫
勝田夫「重臣たちの昭和史(上)」(文芸春秋
加藤陽子「満州事変から日中戦争へ」(岩波新書
・上坂紀夫「宰相 岡田啓介の生涯」(東京新聞出版局)
北川二「黙してゆかむ 広田毅の生涯」(講談社文庫
児島襄「天皇 満州事変」(文文庫
財務省広報2004年4月号「財務省今昔物語第4回 オリンピックイヤーの国家予算(上)」
産経新聞「次代への名言政治家編」
斎藤勉「スターリン秘録」(扶桑社文庫
・実譲「米内光政 山本五十六が最も尊敬した一軍人の生涯」(人社NF文庫
坂野潤治「昭和史の決定的間」(ちくま新書
・重昭和の動乱(上)」(中公文庫)
三郎「落日燃ゆ」(新潮文庫
立花天皇東大 大日本帝国の生と死(下)」 (文藝春秋
戸川佐武「昭和の宰相第2巻 近衛文麿と重臣たち」(講談社
戸川幸夫「人間提督 山本五十六」(人社)
豊田鳩山一郎 英才の系」(講談社
ハリソン・E・ソールベリー岡本三監訳「長征 られざる真実」(時事通信社
・半一利ほか「昭和海軍の失敗」(文新書
・半一利「昭和探索4」(ちくま文庫
ハンスーイン川口洋・美子訳「長 周恩来の生涯」(新潮社
福田和也「昭和天皇 第四部 二・二六事件」(文藝春秋
福田和也「地ひらく 石原莞爾昭和」(文藝春秋
松田十刻「東条英機」(PHP文庫
松本清張昭和史発掘 4」(文文庫)
松本清張昭和史発掘 5」(文文庫)
吉田俊雄「四人の軍部総長」(文藝春秋
・R・ワイマントゾルゲ 引き裂かれたスパイ(上)」(新潮文庫

 

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