東方昭和伝第四部とは、eleven氏制作動画「東方昭和伝」の第四部である。「国内抗争編」。
≪ 主なできごと ≫ 塘沽(タンクー)停戦協定 ゾルゲ入国 軍令部令及び省部互渉協定改定 天羽声明事件 帝人事件 「重臣会議」初開催 岡田内閣成立 スターリンの「粛清」開始 海軍軍縮条約破棄 共産党指導者毛沢東 天皇機関説問題 華北分離工作 第19回衆議院総選挙
出演
≪ 役名・肩書き・演者 肩書きは原則として作中の現職。元職は特記のみ ≫
宮中
- 昭和天皇 (第124代天皇) ・・・ 東風谷早苗
- 西園寺公望 (元老 公爵 元・総理大臣) ・・・ 西行寺幽々子
- 原田熊雄 (西園寺元老秘書 男爵) ・・・ 魂魄妖夢
- 平沼騏一郎 (男爵 枢密院副議長) ・・・ 四季映姫・ヤマザナドゥ
- 鈴木貫太郎 (侍従長 海軍大将) ・・・ 八雲紫
- 木戸幸一 (内大臣府秘書官長 侯爵) ・・・ 八雲藍
- 岡田啓介 (第31代総理大臣 海軍大将) ・・・ 聖白蓮
- 近衛文麿 (貴族院議長 公爵) ・・・ アリス・マーガトロイド
- 高橋是清 (斎藤内閣および岡田内閣大蔵大臣 重臣 子爵 元・総理大臣) ・・・ 秋穣子
- 広田弘毅 (斎藤内閣および岡田内閣外務大臣) ・・・ ルナサ・プリズムリバー
- 鳩山一郎 (斎藤内閣文部大臣) ・・・ ミスティア・ローレライ
- 若槻礼次郎 (立憲民政党総裁 重臣 男爵 元・総理大臣) ・・・ 綿月豊姫
- 宇垣一成 (朝鮮総督 陸軍大将) ・・・ 伊吹萃香
官僚
- 伏見宮博恭王 (元帥海軍大将 軍令部総長 皇族) ・・・ 蓬莱山輝夜
- 米内光政 (中将 第2艦隊司令長官) ・・・ 上白沢慧音
- 山本五十六 (少将 第1航空戦隊司令官) ・・・ 藤原妹紅
- 井上成美 (大佐 軍務局第一課長) ・・・ 河城にとり
外国要人
- ヨシフ・スターリン (ソビエト連邦共産党書記長) ・・・ 比那名居天子
- アドルフ・ヒトラー (ドイツ第三帝国総統) ・・・ フランドール・スカーレット
- ジョセフ・グルー (合衆国駐日大使) ・・・ 洩矢諏訪子
- 蒋介石 (国民政府軍事委員長) ・・・ 紅美鈴
- 汪兆銘 (国民政府行政院長兼外交部長) ・・・ 大妖精
- 張学良 (国民政府西北剿匪副総司令) ・・・ 小悪魔(東方project)
- 毛沢東 (中華ソビエト共和国臨時政府主席) ・・・ レミリア・スカーレット
- 周恩来 (中国共産党中央軍事委員会委員) ・・・ 十六夜咲夜
学者
その他モブ役として、射命丸文(マスコミ)・魂魄妖忌(偉そうな軍人)・レイセン(中下級軍人)・毛玉(中国兵)
関連動画
用語解説
重臣(じゅうしん)
漠然と政府首脳や天皇側近などを指す場合もあるが、狭義では総理大臣経験者及び枢密院議長。元老・西園寺公望の老衰に伴い、元老が担ってきた総理大臣奏薦の任務を補完する目的で、斎藤実内閣桂冠の際に召集された、一木喜徳郎枢密院議長及び高橋是清・清浦奎吾・若槻礼次郎の首相経験者3名を初例とする。
「重臣」それ自体は法定の職でも何でもなく、首相奏薦会議以外で国政に関わることも、ましてその権限も無かったが、のちに軍部が暴走して議会政治家が無力となってゆく中で、天皇や首相に意見できる数少ない存在と目され、近衛・岡田・鈴木・米内・若槻などが東條内閣倒閣・終戦和平工作に動くこととなる。
内大臣(ないだいじん)
宮中にあって御璽・国璽を保管し、詔書・勅書などの天皇に関わる文書事務をあずかり、御用取次もおこなう天皇最側近の職。憲法学者ですら、その職掌・権限の定義に困ると言われるほどの特殊ポスト。大正期までは「宮中・府中の別」で府中(内閣や政治の現場)とは一線を画し、政界・官界長老の「あがり」ポストのような意味合いが強かったが、昭和期の牧野伸顕内大臣から政界へ積極的に関わるようになり、やがて元老に代わって天皇や重臣・政治当局者に強い影響力を及ぼす存在と化していった。
略称は「内府」。似た職名の「内務大臣(内相)」「宮内大臣(宮相)」と混同しないよう注意を要する。
代 | 内大臣 | 在任 |
---|---|---|
9 | 伯爵 牧野伸顕 | 1925年(大正14年)3月 ~ 1935年(昭和10年)12月 |
10 | 子爵 斎藤 実 | 1935年(昭和10年)12月 ~ 1936年(昭和11年)2月 |
11 | 男爵 一木喜徳郎 | 1936年(昭和11年)3月6日 ※臨時代理 |
12 | 湯浅倉平 | 1936年(昭和11年)3月 ~ 1940年(昭和15年)6月 |
13 | 侯爵 木戸幸一 | 1940年(昭和15年)6月 ~ 1945年(昭和20年)11月 |
皇族(こうぞく)
皇統に属する天皇の一族。皇室典範によって、その範囲が定められている。天皇の長子孫以外は「宮家」を構成し、旧皇室典範制定時の数は15。その後、継嗣無し断絶や廃止・大正天皇の4皇子出生等によって増減があり、敗戦後の皇籍離脱時には大正天皇皇子宮家(=昭和天皇の弟宮)を除いて11宮家。これらは全て23代伏見宮・邦家親王の男系子孫であった。
天皇家嫡流の男女には「親王・内親王」、他皇族には「王・女王(にょおう)」の身位が付与される。ただし、伏見宮貞愛親王(さだなるしんのう。博恭王実父)や閑院宮載仁親王ら、近代皇族のうち「親王」号を持つ者は、旧典範制定時(明治22年)すでに古来の法に基づいた「親王宣下」を受けていたため、そのまま例外として残されたものである。
だけじゃないテイジン。大正4年、山形県米沢にて創業の製糸会社。「人造絹絲」(じんぞうけんし)とは「レーヨン」のことで、折しも第1次世界大戦のためヨーロッパからの輸入に支障をきたしていたことから、瞬く間に業績を挙げて事業拡大。大正7年より株式会社に改組して同社名。鈴木商店破綻後の混乱などにより、創業地山形から大阪へ拠点を変え、西日本有数の大企業となる。
戦後はレーヨン需要の激減・他社からの攻勢により、一時は倒産寸前にまで追い込まれるが、鈴木商店出身の大屋晋三社長(政治家として吉田茂内閣商工大臣)の活躍で息を吹き返し、化繊業界大手として現在に至る。
人物評伝(キャスティングされていなくて作中登場回数の多い人物につき)
大正・昭和期の官僚・政治家。男爵。実父の岡田良一郎はその父佐平治とともに二宮金次郎(尊徳)に学び、「遠江国報徳社」(現・大日本報徳社)を設立して尊徳の「報徳思想」普及に努めた人物。一木も同社社長を務めている。東京帝国大学法科大学(現・東京大学法学部)卒業後、内務省入省。
明治23年、地方自治制度研究のため自費でドイツ留学。帰国後は帝大法科大学教授。第2次大隈重信内閣で文部大臣・内務大臣。在任中に内務省・文部省共同で布告された「青年団ノ指導発達二関スル件」は、地方の青年団体を官庁統制下に置こうとしたものと一般には評価されているが、一木の意図としては、当時田中義一が狙っていた軍統制目的のそれとは異なり、自発的な「公民」の育成を図ったものとする研究もある。帝大教授時代から天皇機関説を提唱、美濃部達吉はその教え子である。
昭和11年の二・二六事件の際、殺害された斎藤実内大臣の臨時代理を1日間だけ務めた。
昭和期の海軍軍人(兵学校24期)。最終階級は大将。男爵。キャリアのほとんどを海軍省勤務で過ごし、東郷平八郎や八代六郎、加藤友三郎ら大物の副官を務め、第1次世界大戦のパリ講和会議にも随員となるなど経歴はそれなりに華やかだが、にもかかわらずこれといった軍事思想を持たず派閥的にも無色で、海軍大臣に就任したのも単なる海軍内の序列によるものに過ぎない。本庄繁と荒木貞夫が満州事変の戦功をもって男爵に叙爵された際、大角も当時の海相というだけで叙爵され、大いに失笑を買った。
昭和7年、参謀総長が皇族の閑院宮載仁親王だったのに対抗するつもりで、同じ皇族の伏見宮博恭王を、海軍軍令部長に推薦。しかし翌年に起こった海軍省と軍令部の争いでは、かえって自身が伏見宮の威光に腰砕けとなってしまい、「大角人事」と悪名の高い恣意的な派閥人事という結果を招く。国際連盟脱退問題でも軋轢を恐れて、伊東巳代治の脱退反対の働きかけを拒絶する。二・二六事件においては、岡田・斎藤・鈴木の3人の海軍大将が襲われて海軍部内が激昂しても何の動きもできず、岡田首相生存の連絡に「聞かなかったことにする」と言い出す始末であった。
昭和16年、中国視察中の飛行機事故で死亡。おそらく史上最低の海軍大臣。
明治・大正期の海軍軍人(兵学校7期)・政治家。最終階級は大将(没後元帥府に列す)。男爵(没後子爵追贈)。第21代内閣総理大臣。日露戦争の日本海海戦で、連合艦隊参謀長として東郷平八郎長官を補佐する。大正4年、第2次大隈重信内閣で初めて海軍大臣。第一次世界大戦での欧州派兵について、海軍内の反対を抑えて第2特務艦隊を派遣し、日本の発言力確保に務める。寺内正毅内閣・原敬内閣・高橋是清内閣で引き続き海軍大臣。
大正9年、戦艦8隻・巡洋戦艦8隻を基幹とするいわゆる「八八艦隊」の予算を成立させたが、翌10年に首席全権として参加したワシントン軍縮会議では、軍縮条約調印を主導。随員の加藤寛治や軍令部の猛反対を抑えて(東郷平八郎には事前了解を取り、会議中も随時連絡を取り続ける十分な根回しがあった)調印に漕ぎ着け、列強の大きな信頼を得た。堀悌吉に口述筆記させた、「国防は軍人の専有物にあらず」「国防は国力に相応ずる武力を備うると同時に、国力を涵養し、一方外交手段により戦争を避くることが、目下の時勢において国防の本義なりと信ず」の言葉が有名である(もっとも、この言葉が書かれた文書は、戦後まで海軍省の金庫に放置されたままであったが)。
大正11年、元老・松方正義の奏薦と立憲政友会の支持を得て組閣(海相兼任)。原内閣以来の軍縮方針を継承し、「八八艦隊」の放棄・シベリア出兵からの撤退・陸軍大臣山梨半造による「山梨軍縮」を断行。九カ国条約に基づく欧米協調にも努めた。大正12年8月、総理在職のまま死去。おそらく史上最高の海軍大臣。
第四部の参考資料
・阿川弘之「山本五十六(上)」(新潮文庫)
・阿川弘之「米内光政」(新潮文庫)
・阿川弘之「井上成美」(新潮文庫)
・阿部牧郎「勇断の外相重光葵」(新潮社)
・アラン・ブロック、鈴木主税訳「対比列伝 ヒトラー とスターリン第一巻」
・粟屋憲太郎「昭和の歴史6 昭和の政党」(小学館)
・有馬学「日本の歴史23 帝国の昭和」(講談社)
・井上寿一「昭和史の逆説」(新潮新書)
・江藤淳監修「昭和史 その遺産と負債」(朝日出版社)
・大島清「高橋是清」(中公新書)
・生出寿「反戦大将井上成美」(徳間文庫)
・生出寿「昭和天皇に背いた伏見宮元帥」(徳間文庫)
・大杉一雄「日中戦争への道 満蒙華北問題と衝突への分岐点」(講談社学術文庫)
・太田尚樹「赤い諜報員 ゾルゲ、尾崎秀実、そしてスメドレー」(講談社)
・岡崎久彦「重光・東郷とその時代」(PHP文庫)
・桶谷秀昭「昭和精神史」(文春文庫)
・勝田龍夫「重臣たちの昭和史(上)」(文芸春秋)
・加藤陽子「満州事変から日中戦争へ」(岩波新書)
・上坂紀夫「宰相 岡田啓介の生涯」(東京新聞出版局)
・北川晃二「黙してゆかむ 広田弘毅の生涯」(講談社文庫)
・児島襄「天皇Ⅱ 満州事変」(文春文庫)
・財務省広報2004年4月号「財務省今昔物語第4回 オリンピックイヤーの国家予算(上)」
・産経新聞「次代への名言 波瀾の政治家編」
・斎藤勉「スターリン秘録」(扶桑社文庫)
・実松譲「米内光政 山本五十六が最も尊敬した一軍人の生涯」(光人社NF文庫)
・坂野潤治「昭和史の決定的瞬間」(ちくま新書)
・重光葵「昭和の動乱(上)」(中公文庫)
・城山三郎「落日燃ゆ」(新潮文庫)
・立花隆「天皇と東大 大日本帝国の生と死(下)」 (文藝春秋)
・戸川猪佐武「昭和の宰相第2巻 近衛文麿と重臣たち」(講談社)
・戸川幸夫「人間提督 山本五十六」(光人社)
・豊田穣「鳩山一郎 英才の家系」(講談社)
・ハリソン・E・ソールズベリー、岡本隆三監訳「長征 語られざる真実」(時事通信社)
・半藤一利ほか「昭和陸海軍の失敗」(文春新書)
・半藤一利「昭和史探索4」(ちくま文庫)
・ハン・スーイン、川口洋・美樹子訳「長兄 周恩来の生涯」(新潮社)
・福田和也「昭和天皇 第四部 二・二六事件」(文藝春秋)
・福田和也「地ひらく 石原莞爾と昭和の夢」(文藝春秋)
・松田十刻「東条英機」(PHP文庫)
・松本清張「昭和史発掘 4」(文春文庫)
・松本清張「昭和史発掘 5」(文春文庫)
・吉田俊雄「四人の軍令部総長」(文藝春秋)
・R・ワイマント「ゾルゲ 引き裂かれたスパイ(上)」(新潮文庫)
関連項目
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