概要
足舐めという上級者向けの行為である為、「リッカーにだけは手を出してはならない」とされてきたが、ある日その禁忌は破られてしまった。2010年現在リッカー山野による侵食は進行している。
なぜ、リッカーなのか ~バイ説~
そもそも「リッカー山野」自身が「レスリングシリーズ」でも哲学を鍛えた哲学者・兄貴たちでさえ恐れ、距離を置くB.O.W.である。それが何故他のジャンルまでも浸食し、それが広がり続けているのかという疑問をを考察しなければならないだろう。
フェティシズムの観点からの「足舐め行為」
そもそも何故人、妖精、妖怪、天人、はては幽霊や閻魔様まで足を舐めるのだろうか。その疑問を解決するためには、「足舐め」行為、ひいては脚フェティシズムに触れなければいけないだろう。
足は、歩行をするために常に地面と接しまた踏む器官である。そのため足で乱暴に物を動かしたり、踏みつけることは社会通念上大変失礼な行為である。その足を舐めさせるということは、汚らわしいところを舐めさせることで自身が優位に立ち、また汚らわしいところを舐められることで自身は劣位に陥る行為と定義づけられるだろう。このどちらかによって、もしくはこのどちらも合わさった相反する感情が複雑に絡み合うことで快楽を得ようとするのは、ごく自然な欲求でありまた行為だと言える。
次に、舐める者からの観点を考察しよう。近代の哲学者・イーグムクント=ポロイトが1919年に発表した、「G-ウィルスと足フェティシズムの症例」のなかで「フェティシズム(足)の対象に男根的な象徴体系を位置づけた」と定義している。確かに足という器官はすらっとした長い身であり、伸ばされたそれはまさにそそり立つ「御神木」と簡単にイメージできる。そこに性的欲求を見い出し、また快楽を得ようという行為は何ら不思議ではない本能であると言える。
また、同じくポロイトが1972年に発表した論文では、中国(ここでは現中華人民共和国を指す)に存在した纏足文化に触れている。娘たちの足を縛ることで足を「エロティックな誘惑の道具」にするという行為は、まさに足を性的器官に見い立てる行為である。しかもこれは一部の王族のみならず「集団的なフェティシズム」であるということであり、またそこに芸術性を見い出している。現代ではあくまでフェティシズムの一つであるものが、集団的に支持されまた芸術的に見られていたということは非常に興味深い。
なお余談ではあるが、ポロイトはこの論文のなかで「去勢恐怖」という観点からも考察している。男根のように立派な器官に手を加え成長を妨げるということは非常に恐ろしい行為であり、そこに加虐性・受虐性、また支配的欲求をぶつけたのではないかとも述べている。
こういった観点から、足は汚らわしい器官でありながら性的な器官であり、それを舐める行為は相手に対する「最大限の奉仕」という最高の愛情表現を体現する行為であると言える。
「足コキ」の場合はこれとは真逆の行為ではあるが、また同じように定義づければ「マゾヒズム」「サディズム」双方の観点から定義づけられるだろう。
幻想の住人は、何故足を舐めるのか
では、何故幻想郷の住人たちもまた足を舐めるのだろうか。「空を飛んでいるから足への忌避感・背徳感は薄いのではないか」「どのような感情で、また誰を舐めているのか」「何故舐める対象が私ではないのか」など筆者には疑問が尽きないのだが、ここでは「そもそも何故足を舐めるのか」について考察したいと思う。
足舐め行為の普遍性—「足舐めごっこ」の可能性
まず足を舐める行為は、現代においてはあくまでフェティシズムの一種である。それは幻想郷にも当てはまると言い切れるかもしれないが、もしそれが彼女たちにとって当たり前の行為だとしたら・・・。
もし仮にそうだとすれば、彼女たちが少女である以上足舐めは必ずしも性的欲求を満たすものではない。だとしたらそれはあくまで「遊び」である。これは彼女たちが行う「弾幕ごっこ」—戦いではなくあくまで「遊び」と非常に似ている。もしスペルカードのように賢者たちによってルールが決められているものだとしたら、彼女たちは「弾幕ごっこ」と同じように、日常的に「足舐めごっこ」に親しんでいることになる。
もし万が一この仮説が正しければ、公式のゲームとしても「足舐めごっこ」「リッカードシステム」として日の目を見る日が来るかもしれない。
東方足舐々—bio hazard of Rikker Yamano
もうひとつの仮説は、これ自体が「異変」であるというものである。
幻想郷で起こる異変は、大半は幻想郷の住民によるしょうもない事件である。 紅い霧が起こる異変しかり、春が奪われる異変しかり・・・その大半が個人的な感情で起こり、また主人公たちによって解決される事件である。
少女たちが足を舐める行為。これもまた異変だったとしたら・・・
これを起こしているのは誰なのか。それとも「花映塚」のときのように「誰かによって」ではなく自然的で外的要因によって起こされたものなのか。いずれにしても、リッカーとの関連性は非常に興味深いところではあるが、大きな問題はこれを解決できる人物がもう一人しかいないことだろう。
1月の終わりに発覚した映像で、既に過去異変を解決したなかで2人が足舐めの虜になってしまった。これを解決できる人物は少ない。彼女まで虜になってしまったら・・・と震えるばかりである。
MADとしての東方足舐々
・・・とまあ妄想全開で無駄な考察を述べてしまったわけだが、最後にMADとしての東方足舐々に触れておこう。
このシリーズでの最大の特徴は、全て絵師様たちによる絵によって創作されていることであろう。最近はそれほどでもなくなったが、東方餡掛炒飯自体が東方への浸食をメインにし、あくまで兄貴たちが主役だったのに対し、当シリーズは逆に少女たちを全面に押し出している。
リッカー山野という、レスリングシリーズでも特異な位置にあるキャラクターのパロディでありながら、その行為は万人受け・・・とまではいかないがこれほど多くのパロディが打ち出されているということは大変興味深い。それは私が述べた「足舐め」への説明だけでは理解できない、まさに「未知のエリア」である。
今後どういった展開を迎えるかは解らないが、リッカー山野と少女たちの奉仕はきっと続くのだろう。
・・・ふぅ。
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