TOSHIBA
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株式会社東芝
東京都港区芝浦一丁目1-1
家電・業務用電子機器メーカー
東証1部・大証1部・名証1部 6502 / LSE TOS
歴史
東芝とは東京都港区に本社を置く日本を代表する電気機器メーカーである。設立時より新製品の研究と開発に優れている。
家電機器、パソコン、携帯電話、そして2007年6月にEMIに売却した東芝EMIを子会社に持つなどコンシューマー向けの会社としても知られているが、そのほかにも半導体、原子力発電などの重電機器、医療機器、鉄道車両・関連機器、軍事機器などあらゆる部門に参入しており、特に半導体部門と重電機器部門は東芝グループの中核ともいえるもので、最も力を入れている部門である。
はじまり
1939年に「東京電気(日本で始めて炭素電球、電気洗濯機、電気冷蔵庫を製造するなど軽電部門を得意とした)」と重電が得意な「芝浦製作所(日本で始めて電信機を製造するなど重電部門を得意とした)」が合併し「東京芝浦電気」が設立される。合併後も多くの「世界初」もしくは「日本初」となる製品(電気釜、電子レンジ、郵便物自動処理装置、カラーテレビ電話など)を生み出していった。
半導体部門で世界の頂点に
1984年にそれまで愛称であった「東芝」に社名を変更。翌1985年、世界初となる1MbitCMOSのDRAMを開発(DRAM自体は1970年にアメリカのIntelが開発・販売していた。)1987年には世界初となるNAND型フラッシュメモリの開発に成功。その後も数々の世界初となる半導体製品を生み出し、1990年代初期には世界の半導体市場でトップクラスのシェアを誇っていた。
転換点
このように半導体において圧倒的なシェアと技術を持っていたが、特許と技術を持つ東芝がほぼ独占的に生産しているような製品(DRAMなど)は対抗できる競争相手もいないため価格が下がらず(当時はまだDRAMはとても高価な部品であった)、また採用・購入したとしても、この先も東芝の製品を買うことになるので「(価格などで)足元を見られるのでは」と躊躇する会社も少なくなかった。また1990年初期より日本経済に蔓延していたいわゆる「バブル経済」が崩壊。東芝は多くの部門で多額の赤字を抱えた。このため稼ぎ頭の半導体部門の特許の提供などの案が出始めた。
そのころ、サムスン電子などの企業を持つ韓国最大の財閥「サムスン」のトップに就任した李健煕(イ・ゴンヒ)は大量生産主義を脱し、質的向上を目標とした「新経営」という経営ビジョンを立ち上げた。これにより、サムスン電子は「最先端部門の育成」に取り組むことになった。
このように両社の思惑が一致し、東芝は1990年代初期より(実際にはごく一部の社員が東芝に極秘で技術を提供していたと言う情報もある)サムスン電子に特許を公開し始めた。このことによりDRAMはようやく価格が下がり、東芝は半導体部門で過去最大の売り上げを記録した。
しかし、その後東芝はこのDRAMにおいて苦渋の決断をすることになる。
アジア勢の台頭・そして
このように価格が下がったことにより採用・導入する企業も増えたDRAMだが、あまりに下がりすぎたために東芝は利益が得られなくなった。対する東芝などから技術を導入したアジア勢(特にサムスンは特許である基幹技術はもちろんのこと、東芝には極秘で部門担当者を最高の待遇でヘッドハンティングしていた))は、人件費の安さや当時の現地政府の税制面等の強力な後押しもあってか品質のいい製品を大量に生産し安価に売ることによって東芝からのシェアを次々と奪っていった。
その後も東芝は世界初の新製品(主に容量の拡大化)を開発していったが、発売しては価格が急落し、また開発して発売しては価格が急落し…の繰り返しで、DRAM市場においてのシェアも落ち込み、東芝はトップの座を譲り渡すことになった。そしてその時から現在まで、DRAM市場で世界第一位のシェアを獲得保持している企業は、サムスンである。
2001年12月18日、東芝は汎用DRAM製造の撤退を表明した[1]。
ちなみに1999年、故障商品について電話をした顧客に対してカスタマーセンターが罵声や暴言などを浴びせるという「東芝クレーマー事件(これは担当者が顧客に対して「お宅さんみたいなのはねクレーマーって言うの!」と言ったことより)」が起こった[2]。これは東芝のブランドイメージを大きく失墜させ、家電部門の売り上げが大幅に減少した。
巻き返し
このような状況の中2005年に社長に就任した西田厚聰は重点部門に徹底的には投資し採算の悪い部門は即時撤退する「選択と集中」や、成長率の大幅な改善を目指した「利益ある持続的成長」などの経営方針を固めた。西田はその中でも、今後新興国などで需要が急増すると見られる「原子力部門」、そしてDRAMにおいて最悪の結果を招いてしまった「半導体部門」を東芝の軸とすることにした。例として原子力部門では、原発市場において大きなシェアとブランド力そして技術を持つウェスティング・ハウス社の原発部門を、親会社のBNFL(英国核燃料会社)より6200億円を投じ買収。半導体部門では2006年度から3年間で1兆円の巨額投資を決断し、同時に前回の教訓を大いに生かして半導体部門の軸足とする「NAND型フラッシュメモリ」の開発・販売においては徹底した秘密主義とシェア至上主義を貫く方針を固めた。他にも、意気込んで販売したがシェアが得られなかった「HD-DVD」部門の即時撤退などがある。
これらの経営判断が功を奏したのか、原子力部門は東芝の稼ぎ頭に、半導体部門のNANDメモリの世界シェアは2007年度は世界第2位(28%)を占めるまでになった(第1位のサムスンは42%)[3]。
しかし、2008年に起こった世界金融危機などの影響により、2008年度決算において巨額の赤字を出した責任を取って、2009年の株主総会後に西田は社長を佐々木則夫に譲り会長職に退くことを発表した。
金融危機後
2009年8月、東芝は「ブルーレイ・ディスク・アソシエーション」に加盟を申請し、ブルーレイ市場に参入することになった[4]。2009年度3月期決算において、東芝の4つの事業の中で唯一利益を上げているのは重電・医療機器等の「社会インフラ事業」のみで、他は半導体・液晶パネル等の「電子デバイス事業」を筆頭に、液晶テレビ・PC等の「デジタルプロダクツ事業」、そして東芝が得意としてきた白物家電等の「家庭電器事業」の三事業において、軒並み数十~数千億円規模の大幅な営業赤字となった[5](ただしPC部門は黒字)。その後、人件費、開発・研究費等のコストカットを断行。また、予想よりも世界経済の立ち直りが早く、特にiPhone等のスマートフォンで使われるNANDフラッシュメモリの需要が急増したことや、稼動中に二酸化炭素を排出せず莫大な電力が得られる原子力発電所が中国やインド等の新興国での需要が高まるなど、金融危機直後の混乱期は脱したと見られる。
あれこれ
- 東芝のイメージソングで「光る東芝の歌」という歌があるのだが、最近はほとんど使用されていない
- イオン(ジャスコ・マックスバリュ・サティ)のレジスターは東芝テック製である
- エレベーター・電車のVVVFインバータ制御装置・医療機器と幅広く業務用機器を手がけている
- サザエさんが東芝が一社提供だった時、オープニングに各地の東芝事業所が登場した
- かつては、電話機とFAXも生産していた(現在は携帯電話のみ)
- 東芝のDVDレコーダー「RDシリーズ」「VARDIA」は編集機能が優れており、一度使うと他社にはなかなか変えられない
- 東芝初のブルーレイレコーダーが2010年2月10日に発売された。エントリーモデルとしての位置づけであり、フレーム単位での編集やプレイリスト作成はできない。
- 2010年3月17日を持って、白熱電球の製造が終了した。なお、ミニクリプトン電球、ホワイトボールの一部、ハロゲン電球、レフランプは今後も製造される。
- 2009年NANDフラッシュメモリの世界シェアはサムスン37.9%、東芝34.2%であり、この2社で世界シェアの70%以上を占めている寡占状態といえる状況にある。[6]
関連動画
提供番組
関連項目
脚注
- *東芝:プレスリリース (2001.12.18)

- *LINC―東芝問題専用ページ
・・・消費者問題に取り組む紀藤正樹弁護士のサイト - *「東芝・西田厚聰|世界を震撼させる「鯨」と「鰯」の二刀流経営(2)」
・・・プレジデント ロイター(2008年10月23日) - *ブルーレイ・ディスク・アソシエーション(BDA)への加盟申請について
・・・東芝:ニュースリリース(2009年08月11日) - *「セグメント情報」
・・・東芝 投資家情報(IR) - *2009年のNAND型フラッシュメモリランキング - Samsungがトップを維持 | マイコミジャーナル(2010.02.25)

http://dic.nicomoba.jp/k/a/%E6%9D%B1%E8%8A%9D


ページ番号: 575783
リビジョン番号: 819187
読み:トウシバ
初版作成日: 08/09/21 02:06 ◆ 最終更新日: 10/07/09 03:23
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