松平忠吉
松平忠吉(まつだいら ただよし)(1580-1607)とは、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将・大名である。
徳川家康の四男。江戸幕府2代目将軍・徳川秀忠の種も腹も同じ弟である。
概要
父・家康が関東へ移封されると、豊臣軍の水攻めに耐えきった忍城の主となった。
それから五年後、第一子である男子を授かるが、生後16日で我が子を失う。
関ヶ原の戦いでは、徳川四天王の一員である井伊直政の後見を受けながら、賤ヶ岳七本槍筆頭の福島正則と先陣を争い、 妖怪首おいてけ島津豊久を討ち取った。
戦後、尾張、美濃の2国にわたる52万石を与えられた。容姿端麗、才能にも恵まれ、人望も厚く、次代を担う若手として期待されたが、 関ヶ原の戦いで受けた傷(または悪性の腫れ物)が原因で死去。
忠吉の跡は弟の徳川義直が継いだ。秀忠は同母弟の死を非常に悲しんだといわれている。
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