桂ざこばとは、上方落語の落語家兼タレントである。桂米朝門下で、枝雀と吉朝亡き後は、桂米朝事務所の専務取締役を務めており、桂南光とともにツートップとなっている。本名は関口弘(ひろむ)。あだ名はざこびっち(ザコとかビッチとかよくこんな愛称が通ってしまったなと思ってしまう…)
概要
経歴はかなりハードなもので、実父の飛び込み自殺に伴う生活難や持病の皮膚病とそれによる偏見などで、若い頃はかなり荒れていたらしく、その心の逃げ場として劇場通いをしていたところ、桂米朝の演技に心底惚れ込み弟子入り志願した。その頃は不登校も続いていたが、米朝の「学校は卒業しといた方がええ」って助言に従い、学校はきちんと卒業してから、正式に入門する。
若い頃は桂朝丸(ちょうまる)という号で、米朝や永六輔の伝を借りて主に劇場に活躍の場を移し、次第にお茶の間の人気を得ていった。上方お笑い大賞で優勝してからしばらくして、二代目桂ざこばを襲名(ざこばとは雑喉場の魚市で知られた大坂の地名)。東京で活動したこともあるが、そっちではそこまで名が売れず再度大阪に戻ってから、上方落語協会にも復帰し本格的に落語に打ち込むようになる。弟子も多く取っており、実力は師匠以上といわれる上方落語期待の若手、四代目桂塩鯛などがいる。
TVタレントとしても知られ『バラエティ生活笑百科』の相談員、笑福亭鶴瓶とともに『らくごのご』の出演などで名が売れた。また、近年は桂南光とともに関西のバラエティや討論番組などに登場することも多いが、桂南光同様、爆弾発言が多い。やしきたかじんとは犬猿の仲であったことも知られていたが、彼が世を去った時は号泣したという。
恐妻家でもあり、彼の枕は大抵、尻に敷かれる旦那の悲哀を綴った愚痴こぼしの場と化している。だが、二人の娘も孫が生まれてからは待望の男の子でもあり、すっかり孫煩悩として、自分の名跡を継がせる気満々だそうだ。
さて、そんな売れっ子になっても気取らない(ただし、嫉妬深い一面があり、桂吉朝や弟弟子の桂吉弥に対抗意識を燃やしたりはしていた)ざこばの芸風だが、一言でいうと「もっさり」である。桂吉朝、桂枝雀、桂南光など一門には抑揚が特徴的な落語家が多い中で、師匠ゆずりの滔々とした語り口に近い。一方で演じ分けはあまり得意ではないため、落語愛好家からはイマイチと思われている節もあるが、その独特の朴訥さを生かし、素朴な庶民を描いた「青菜」「お玉牛」「遊山船」「子は鎹」「崇徳院」などを十八番としている。
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