楽進とは三国志に登場する人物である。
概要
字は文謙。陽平郡衛国(現在の河南省)の出身。短躯ながら肝っ玉が激しく、早くから曹操に仕えた。文書の記録係だったが故郷に帰って戻ってきた時に兵士を1000人程連れており、これが機で武将となる。
呂布や劉備、袁紹等との戦いで活躍した。206年(建安11年)に曹操の上表により于禁、張遼らと共に讃えられ折衝将軍に任命された。215年(建安20年)の合肥の戦いの時は張遼、李典と共に寡兵で孫権の大軍を破っている。張遼とは不仲だったが李典の説得で旧怨を忘れ難儀に立ち向かった。
戦場での活躍が評価され、最終的に右将軍までになった。218年(建安23年)に没、諡は威侯。
息子の楽綝が跡を継いだ。剛毅果断で父の風格を持っていたといわれたが揚州刺史の在職中、諸葛誕が反乱を起こした時に殺される。その子の楽肇が跡を継いだ。
評価
曹操の配下だった張遼、楽進、于禁、張郃、徐晃は一つの列伝に収められており、皆名将として位置付けられている。
その中でも楽進は、一兵卒の叩き上げから将軍になった人物というイメージが特に強い。
楽進の子孫
楽進の子孫については、正史三国志で子の楽綝(がくちん)がいる。楽綝は父の風格を持つ果断剛毅な人柄で、255年の毋丘倹・文欽討伐において、司馬師の配下として将軍として従軍し、歩兵を率いた。後に、揚州刺史となった。257年、司馬昭が諸葛誕を三公に任じ、中央に召し出そうとすると、諸葛誕は謀略であると判断し、楽綝の仕業であることを疑って揚州を攻める。楽綝は逃げようとしたが殺害された。楽綝の後は、子の楽肇(がくちょう)が継いだ。
『三国志演義』では楽綝は張遼の子である張虎とコンビを組んで司馬懿の配下として登場する。司馬懿の信任を受けたそれなりに優れた将であるはずであるが、(『三国志演義』の世界では)諸葛亮の知略の前に翻弄され、敗北ばかりとなっている。また、その最期については、正史同様に諸葛誕に殺害されてしまう。
各メディアにおける楽進
三国志演義
成廉や郭図を弓で射殺している。濡須口の戦いでは凌統と一騎打ちを行うが甘寧の矢を顔に受け負傷している。
蒼天航路
曹操が見出して一兵卒から将軍に抜擢した。朴訥ながらなかなかいい男である。
コーエー三國志
初期の能力の悲惨っぷりは李典と並ぶ再評価運動対象の一人であった。
最近のシリーズではそれなり評価されている。
恋姫†無双
李典、于禁と共に主人公直属の部下となる3人娘の1人。真名は「凪」。
実直な性格で、3人娘の中ではいい突っ込み役となっている。ただし、こういうキャラの例に漏れず稀に暴走する。
戦闘時は格闘技と氣弾を使う。氣弾の威力は町の店1つを吹っ飛ばすほど。
関連動画
関連項目
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