単語記事: 横浜DeNAベイスターズ

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横浜DeNAベイスターズ(よこはまディーエヌエーベイスターズ)とは、日本プロ野球セントラル・リーグの一球団である。

本拠地は横浜スタジアム現在監督アレックス・ラミレス2016年~)。

概要

2リーグ制の開始と共に創設されセ・リーグに加入。初年度(1950年)の名前は大洋ホエールズ。創設時のフランチャイズは山口県下関市、本拠地は下関市球場であった。

当時7球団で日程の組みにくかったセ・リーグ側の要望もあり、1953年松竹ロビンスと合併して大洋松竹ロビンス(翌年には洋松ロビンス称)となる。大阪に移転し、大阪球場南海ホークス近鉄パールスと共用した。

1954年オフ松竹が球団経営から撤退したため、球団名を再び大洋ホエールズに戻し、本拠地を神奈川県川崎市現在の同市川崎区)の川崎球場へ移転した。
1956年までは高橋ユニオンズ球場を共用していたが、1957年の開幕前に高橋が大映スターズと合併されたため、以降は大洋が単独で球場使用することに。

1978年、同県横浜市中区工した横浜スタジアムへ本拠地を移転し、球団名を横浜大洋ホエールズ称。1992年、親会社・マルハの社名称およびCIに伴って横浜ベイスターズ称。2002年、球団の筆頭がマルハからTBSグループとなったが、この際には球団名の変更等はかった。そして2011年、筆頭DeNAとなり、翌年2012年シーズンから現在横浜DeNAベイスターズとなった。

大洋ホエールズ時代から数えても、優勝回数はたったの2回(三原監督時の1960年権藤博監督時の1998年)。でも、日本一の回数も2回。日本シリーズには強い。2002年から本格的な低迷が始まり、現状、21世紀になってから15年間でBクラス13回、うち最下位10回という底の見えない暗期に突入している。2015年シーズン終了時の通算4756は12球団最多の負け数である。

基本的に打高投底のチームであり、1998年の優勝時にはマシンガン打線として怖れられた。マシンガン打線イメージが今でも存在するのか、現在でも打高投底のチームと思っているファンは多い。村田修一内川聖一など打撃タイトルを得た選手はいるものの、チームの打撃成績でも常に最下位争いをしているのが現実である(投手成績は言わずもがな)。常に投手不足に悩まされ続けており、低迷の原因になっている(フロントの方針がコロコロ変わることも原因だが)。

谷繁元信中日)、相川亮二ヤクルト巨人)、鶴岡一成巨人阪神)とセの他球団の捕手に元横浜が多い。捕手育成には定評のある球団である。問題は出て行かれてしまうこと。そして中村武志野口寿浩や橋本将のように他球団の捕手を獲ってくると(ry まあ若菜とか昔はいたけど。

選手がFAやトレードで移籍する度に球団のあり方について苦言を呈す、あるいは批判することも多い球団である。
最近ではFAソフトバンクに移籍した内川聖一が言った批判が原因で少し騒動になった。
更にはソフトバンク内川からベイスターズの現状を聞き、チーム体質の善に使うと球団自らが表明。
横浜ベイスターズを出て行った方が幸せ」と言う選手が異常に多かったことや、当時の親会社でもあるTBSの度重なる不祥事、体質善に使われるほどのチームの酷い有様が最下位という順位に露に反映されていたのではなかろうか。

2012年から、セ・リーグの球団としては初めてニコニコ生放送ホームゲーム全試合の無料配信を行っている。
2015年現在ニコ生NPB中継東北楽天ゴールデンイーグルス2009年8月開始)があり、他のパ・リーグ5球団もディレイ放送をしているが、パの各球団がCS放送向けの映像・音をそのまま放送するのに対し、DeNAでは、映像TBSと球団が制作した共同映像TBSグループの中継映像と、各局に配信する映像として使用。中継用の各種テロップTBSグループの中継映像で使用しているものを一部使用)を使用するが、音ニコニコ独自制作で、フリースポーツアナウンサー実況を担当している(石原敬士節丸裕一加藤暁大前一樹ら)。

親会社の変遷

親会社は、球団創設の1950年から1992年までは大洋漁業で、球団名の「大洋ホエールズ」および「横浜大洋ホエールズ」は、かつて大洋漁業の基幹事業だった捕鯨に因むものだった。大洋漁業1993年の商号変更に伴ってマルハとなり、この際に球団名も前述の「横浜ベイスターズ」に称した。市民球団化という側面も若干あったとはいえ、実際のところはマルハの社名称とCIによるところが大きかった。蛇足だが、当時マルハ社内では単に社名を省いた「横浜エールズ」を補としていたものの、1980年代半ばに商業捕鯨事実上禁止された背景もあって、結局球団名も全面的に称されるに至った。

かつて大洋ホエールズには、当時西武グループの中核企業だったコクド45出資していたが、1978年に全式をニッポン放送東京放送TBS)に売却している。これは、同年にコクドクラウンライターライオンズを買収するにあたって、野球協約で定められている「球団式の二重保有の禁止」に抵触するのを回避するための措置であった。同年開場した横浜スタジアムの建設事業にはコクドも深く関わっており、ホエールズの横浜移転にコクドの強い影があったことは想像に難くない。

しかしマルハはバブル経済崩壊以降、深刻な経営不振に陥り、合理化策の一環として球団経営から撤退。保有する全式が2002年TBSBS-i現在BS-TBS)に譲渡され、2009年TBSグループの持ち制移行により、TBS保有の球団式は、TBSの商号変更により発足した放送持会社の東京放送ホールディングス(TBSHD)が継続保有することになった。

このマルハからTBSグループへの球団譲渡の際、マルハは全式を第2位ニッポン放送に売却する方向で一度は話がまとまったものの、当時ニッポン放送の子会社であったフジテレビヤクルトスワローズの大でもあり、フジサンケイグループ下の2社が複数球団の経営に関わる可性が生じることから、球団式の二重保有に抵触することが問題となり、結局第3位TBSグループに売却されることとなった。

また2005年には楽天TBS式を大量に取得して筆頭となり、TBS側に経営統合を申し入れた。だが楽天は同年シーズンから東北楽天ゴールデンイーグルスを保有してNPBに新規参入しており、これも球団式の二重保有に抵触する可性が生じた。のちに楽天側は経営統合提案を撤回して業務提携の申し入れに切り替えたものの、その後もから賛同を得られなかったのに加え、TBSグループの持ち制移行などもあって、楽天側はTBSグループへの出資を断念し、この問題は収束を見ている。

そんなTBSグループ2000年代後半から業績が悪化、2010年オフには住生活グループ現在のLIXILグループ)と球団式の売却交渉を行うも、他都市への本拠地移転をする住生活G側との溝が埋まらず、交渉は決裂。加えて本拠地である横浜スタジアム2010年契約が切れたにも関わらず契約更新せずに違法に使用を続けるという始末。

結局2年越しのすったもんだの末、2011年DeNAへの球団式譲渡が決定。12月1日オーナー会議及び実行委員会の承認を経て、12月2日DeNATBSグループから式を取得し「横浜DeNAベイスターズ」が発足した。同時に横浜スタジアム使用契約晴れ更新した。

戦績

横浜ベイスターズ時代

1993年(57勝73敗、5位 勝率.438) 監督:近藤昭仁

ベイスターズ1年となった1993年監督には1960年の優勝時のメンバーであり、常勝西武巨人コーチを務めた近藤昭仁監督に招聘した。
前年打点王にいたラリーシーツの残留交渉には失敗したものの、巧打者のロバート・ローズ、強打者のグレンブラッグスの獲得に成功する。ローズの獲得に伴い、守備が衰えた高木豊サードにコンバートにされる(悪送球を連発し、途中からファーストに再コンバートされた)。
投手の底上げが不十分な上に、前年佐々木主浩と共にダブルストッパー体制を確立した盛田幸妃が自トレ中の怪で出遅れ、チーム横浜大洋時代から3年連続の5位に終わる。

この年から始まったFA制度により、巨人駒田徳広を獲得し、ドラフト会議では波留敏夫を獲得。
一方で、先発リリーフで長年チームを支えた斉藤明雄引退し、300盗塁を達成した高木豊屋鋪要などの選手の解雇も行った。 

1994年(61勝69敗、6位 勝率.469) 監督:近藤昭仁

今度は佐々木主浩が故障で出遅れてしまい、またしてもダブルストッパーは並立せず。
チームの若返り策の最中であった横浜は若手中心の起用を行っていき、序盤・中盤は3・4位を行き来するような成績であったが、終盤で脱落し、ゲーム差9.0の最下位となってしまった。

ドラフト会議では多村仁志相川亮二という、2015年現在でも活躍するメンバーを獲得している。

1995年(66勝64敗、4位 勝率.508) 監督:近藤昭仁

ついに盛田・佐々木ダブルストッパーが復活し、16.0ゲーム差の4位に沈むも、12年ぶりの勝率5割復帰を果たす。
盛田幸妃は8勝5セーブ防御率1.97佐々木主浩は7勝32セーブ防御率1.75という見事な成績を残すが、チーム一の10勝投手中継ぎ島田直也という全なリリー依存投手編成であり、先発の弱さは相変わらずであった。
打線では後の首位打者である鈴木尚典レギュラーに定着するなど、将来に希望を持たせるシーズンであったが、近藤監督は任期満了で監督辞任となり、後任にはバッテリーコーチであった大矢明彦が就任。

ドラフト会議では現役メンバーとしては鶴岡一成を、他に日ハムで最優秀救援投手いた横山哉を獲得している。
また、ヤクルトから荒木大輔が移籍してきた。

1996年(55勝75敗、5位 勝率.423) 監督:大矢明彦

大矢監督は就任盛田幸妃先発転向、ロバート・ローズ石井琢朗進藤達哉の玉突きコンバートを強行し、その結果チームはメチャクチャとなった(ローズセカンドに戻り、石井進藤ポジションを入れ替えただけに終わった)。
チーム成績は低迷し、結果的にセリーグ全球団から負け越してしまい、最下位阪神とは1ゲーム差の5位となり6年連続のBクラスに終わってしまった。
数少ない希望として、この年斎藤隆が自身初の2桁勝利である10勝を達成した。

シーズンオフ投手のテコ入れのために権藤博バッテリーチーフコーチとして招聘した。

1997年(72勝63敗、2位 勝率.533) 監督:大矢明彦

権藤博バッテリーチーフコーチの加入により投手が整備され、一時は首位ヤクルトを脅かす追随を見せるも失速し、結果的には首位と11.0ゲーム差の2位となる。しかし1990年以来7年ぶりのAクラス復帰を果たした。オフコーチ人事を巡るフロントとの対立で、大矢明彦監督が退任し、後任には権藤コーチが昇格した。
この年、ついに鈴木尚典ブレイクする。打率.335で首位打者を獲得し、21本塁打も記録した。
情けない話題としては、9月2日ヤクルト石井一久ノーヒットノーランを喫している。

シーズンオフ先発転向以降低迷していた盛田幸妃近鉄バファローズ放出し、中根仁を獲得した。

1998年(79勝56敗1分、優勝 勝率.585) 監督:権藤博

シーズン序盤は4位と不調であったが、6月から「マシンガン打線」が爆発6月20日6月以降では1979年以来19年ぶりの首位となり、以降は一度も首位の座を譲ることなく、10月8日1960年以来38年ぶりの優勝を決める。
日本シリーズでも西武を4勝2敗で退け、日本一となった。 

ドラフトでは古木克明金城龍彦小池正晃などを獲得。

1999年(71勝64敗、3位 勝率.526) 監督:権藤博

チーム打率が.294という数字を叩きだして『マシンガン打線』をいかんなく発揮するも、チーム防御率が4.44リーグ5位と悪かったため、1位中日に10.0ゲーム差を付けられてしまった。

オフ1998年日本一に貢献した佐々木主浩シアトル・マリナーズに移籍。

2000年(69勝66敗1分、3位 勝率.511) 監督:権藤博

金城龍彦が打率.346で史上初の首位打者+新人王のダブルタイトルを獲得した。この年は優勝争いに絡むことはなかった。 権藤博が勇退し、後任には西武黄金時代を作り上げた森祇晶が就任した。

ドラフト会議では内川聖一吉見祐治を獲得。ロバート・ローズが年俸交渉の決裂により退団する。

2001年(69勝67敗4分、3位 勝率.507) 監督:森祇晶

勝率広島東洋カープの方が上だったが、勝利数が広島を上回っていたため、3位となった。

捕手を務めていた谷繁元信中日ドラゴンズに移籍し、中日で正捕手を務めていた中村武志銭トレードで獲得する。

2002年(49勝86敗5分、6位 勝率.363) 監督:森祇晶

この年はどうしようもない貧打に見舞われた。チーム打率はセリーグの他球団が軒並み.250える中わずか.240チーム得点数はセリーグ6球団で500を下回る472点。チーム最高打点はボイ・ロドリゲス60打点であった。そんな中、古木克明100打席で.320、9本塁打の好成績を、吉見祐治が規定投球回に到達し11勝8敗を記録。横浜ファン希望となった。結局、全日程を最下位で終えるほどの低迷に終わり、は解任。後任に山下大輔が就く。

ドラフト会議村田修一加藤武治吉村裕基武山真吾を獲得。

2003年(45勝94敗1分、6位 勝率.324) 監督:山下大輔

1970年ヤクルト以来の90敗に到達してしまったが、タイロン・ウッズ40本塁打を放ってホームラン王を獲得。

シアトル・マリナーズに移籍していた大魔神こと佐々木主浩を獲得した。

2004年(59勝76敗3分、6位 勝率.437) 監督:山下大輔

シーズン終盤まで広島と5位争いを繰り広げるが、最終戦で敗れ、3年連続の最下位となった。山下大輔が任期満了で監督を退任。なぜか最終戦では胴上げが行われた。後任に牛島和彦が就任。

ストッパー補としてマーク・クルーンを獲得。ドラフト会議では那須野巧藤田一也石川雄洋を獲得する。中村武志銭トレードで新規球団の東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。この年もホームラン王を獲得したウッズとは契約に至らず、ウッズは中日に移籍する。

2005年(69勝70敗2分、3位 勝率.496) 監督:牛島和彦

勝利数はヤクルトスワローズに劣ったものの、2001年と違い、勝率ヤクルトより上回っていたため、4年ぶりのAクラス。一時暗期を脱出する。

佐々木主浩引退ドラフト会議では高宮和也山口俊黒羽根利規を獲得。

2006年(58勝84敗4分、6位 勝率.408) 監督:牛島和彦

村田修一吉村裕基が台頭したが、2年ぶりの最下位に転落。はこの責任を取り退任。後任には10年ぶりの復帰となる大矢明彦が就く。

ドラフト会議では高崎健太郎下園辰哉梶谷隆幸を獲得。多村仁との交換トレードで寺原隼人小田嶋正邦とのトレードで仁志敏久を獲得する。

2007年(71勝72敗1分、4位 勝率.497) 監督:大矢明彦

門倉健FAによる人的補償工藤公康を獲得。開幕戦で三浦大輔高橋由伸に開幕戦初球先頭打者本塁打を浴びるというスタートを切ったものの、そこから勝ち負けを12試合続けて交互に繰り返す記録を作ったりしつつ、一時は首位にも立った交流戦では、オリックス・バファローズ戦において椎野茂毒舌実況を繰り広げる。

前半戦を3位で折り返したものの、場から失速。それでも三浦大輔35イニング連続失点の記録を作ったりもして、終盤には失速した阪神背中が見えるところまではつけた。結局最終戦に敗れてシーズン勝ち越しは逃したものの、7172敗1分、前年最下位から4位に躍進した。

しかしオフには、守護マーク・クルーン読売ジャイアンツに移籍することとなる……。

2008年(48勝94敗2分、6位 勝率.338) 監督:大矢明彦

結局クルーンの抜けたを埋められる気配のないまま、立った補強もなく開幕を迎える。開幕カード阪神だったが、阪神キラー三浦が出遅れ開幕投手寺原が務めることに。この3連戦であっさり3連敗すると、その後は浮上のきっかけすら掴めないままぶっちぎりの最下位に低迷する。
移籍したクルーン埋めのために、ローテーションピッチャー寺原大矢お得意の「思いつきコンバート」でストッパーに配置換えするも、登板機会が呆れるほど少なく「ハマのヒ魔神」と揶揄される。

内川聖一が最終的に右打者の歴代最高打率となる.378を記録、村田修一が2年連続本塁打王になるなど中軸は奮闘したものの、投手が出れば打たれる壊滅状態に陥り、継投の拙さ、裏に出続ける采配によるあまりの負けっぷりに大矢監督は「やる大矢」として2ちゃんねる野球chの人気キャラにまでなってしまった。何とかシーズン100敗は免れたが、内川の打率を下回る勝率.338という2リーグ制以来初の記録も作ってしまう。

そしてこれだけの惨敗を喫したにも関わらず、大矢監督は3年契約だからと続投が決定する。さらに正捕手相川亮二FA宣言しヤクルトに移籍。シーズン中に2番手捕手鶴岡一成をトレードで巨人放出していたため、阪神からFA宣言した野口寿浩を獲得する。また石井琢朗が戦外となり広島に移籍した。

特に一軍経験の長かった相川鶴岡の2捕手がいなくなってしまった影は大きく、これ以降長きにわたり正捕手不在に悩まされ続けることになる。

2009年(51勝93敗、6位 勝率.354) 監督:大矢明彦→田代富雄(代行)

WBCで故障した村田を欠いたまま開幕を迎える羽になると、案の定と言うべき開幕6連敗を喫して開幕一週間にしてシーズンが終了する。ちなみに正捕手として獲得した野口全に劣化しており々に二軍落ち、捕手武山真吾ルーキー細山田武史の併用となった。

5月18日には大矢明彦監督の休養(要するに解任)が決定。何のための続投だったのか、とファンは頭を抱えた。その後は二軍監督田代富雄監督代行を務め、打撃重視の選手起用で建て直しを図るも機せず、またしてもシーズン90敗をえ5位争いすら出来ず断トツの最下位に沈んだ。

2年連続のお荷物っぷりに、オフにはフロントが刷新され、新監督にはダイエーソフトバンク巨人などで投手コーチとして抜群の実績を誇る尾花高夫の就任が決定。さらにはロッテから清水直行早川大輔をトレードで、橋本将FAで獲得。日本ハムからはターメル・スレッジ稲田直人坂元弥太郎らを獲得と、稀に見る大補強を敢行。例年巨人阪神が盛り上げるストーブリーグにおいて一躍役に躍り出た。ついにチーム再建なるかと期待されたが……。

2010年(48勝95敗1分、6位 勝率.336) 監督:尾花髙夫

監督尾花髙夫ヘッドコーチ島田と、福岡ダイエーホークス黄金期を支えたコーチが満を持しての揮。開幕直後は先行ではあったものの、広島ヤクルトがそれ以上に惨憺たる状況だったため、2年ぶりに最下位を脱出し一時は4位にもなった。

しかしそれも交流戦まで。交流戦で最下位に沈むと、あとはいつものベイスターズだった。エース三浦大輔が故障で絶不調、昨年ローテの救世主となったランドルフは全く勝てず、名した寺原早人は名前の通り々に戦線離脱。4番の村田修一も故障で不振に陥り、吉村裕基は前年以上の大不振で僅か49試合3本塁打FAで獲得した橋本将も怪で正捕手とはなれずと、となるべき選手に故障、不調が相次ぐ。

ルーキー加賀繁が惨憺たるムエンゴながらローテーションとして奮闘、途中入団のブレット・ハーパークルーンから逆転サヨナラ満塁弾を放つなど大活躍、石川雄洋藤田一也らが成長を見せるなどの明るい材料もあったが(藤田ホセ・カスティーヨとのポジションの兼ね合いであまり使われなかった)、もはや負け癖が全に染みついてしまっているというレベルで勝てなかった。投手清水直行の10勝11敗が勝ち頭、大家友和が7勝、3番寺原の4勝という時点でその絶望度は察していただけるだろう。スレッジ・下園・内川という外野を始め、三塁手村田修一以外は全てと言われるほどのファイヤーフォーメーションっぷりも負けに拍がかかった。

絶望的な投壊状態だった広島からさらに10ゲーム差以上離される最下位をひた走り、最終的に3年連続の最下位。しかも史上初の3年連続90という不名誉な記録を打ち立ててしまった。

シーズン終了後に球団売却騒動が巻き起こる。
横浜スタジアム異常球場利用契約が話題となり、買収に名乗りを上げた住生活グループは移転を示唆。これに反発した横浜スタジアム横浜市は執拗な妨を繰り広げ、ついに住生活グループは球団買収を断念する。2011年TBSHDが球団を保有することが決定。

この騒動に業を煮やした内川聖一FA宣言して福岡ソフトバンクホークスに移籍。入れ替わり北海道日本ハムファイターズからFA森本稀哲を獲得。トレードでは寺原早人高宮和也野中信吾桑原謙太朗をオリックス放出し、山本省吾喜田剛一輝を、楽天からは銭で渡辺直人を、そして西武からは弥太郎放出して総帥大沼幸二を獲得した。

2010年ドラフトでは1位須田幸太2位加賀美希昇カロカロを獲得。
2009年ドラフト時とは異なり、育成よりも即戦(特に投手)を重視したドラフトとなった。

2011年(47勝86敗11分、6位 勝率.353) 監督:尾花髙夫

2010年オフ先発投手を多数獲得したため、先発投手であった加賀繁キャンプ中に再度中継ぎに転向させる。
オープン戦初日に巨人に勝利。幸先のよいスタートを切る。

しかし、よかったのは序盤だけであった。2010年オフに移籍し、更に開幕投手を任された山本省吾炎上清水直行大家友和の不調など、先発投手が序盤でKOされる試合が続出。
このため中継ぎを大量にほぼ毎試合投入する羽になり、江尻慎太郎加賀繁(この時は中継ぎ)に至っては阪神タイガース所属の久保田智之の持つ90試合登板の記録を更新できるペース登板せられていた(当然両者とも故障した)。

去年に続いて村田修一が不振に陥るが、スレッジ、ハーパーの活躍もあって球団の総得点が両リーグ一位になったことがあるなど打線は好調であった。5月には昨オフから所属だった中村紀洋を獲得。
ところが、打線が好調だったのはシーズン序盤までで、シーズン後半になると最下位が確定したこと等の影か、打線が低調になり、球団別の打撃成績でも中日とワーストを争う程に。
投手成績でも全球団最下位の成績という有様に加えて、6回3失点(QS)できる先発投手がほぼいない状況では、去年に続いて最下位になるのも当然の結果であった。

しかし、福島第一原発事故を発端とした節電対策に伴い創設された3時間半ルールの恩恵とはいえ4年連続90敗の記録をストップしたのが大きい。ただし、勝率自体は過去3年と大して変わっていない。

オフ、身売り問題が再燃。Mobageで有名なDeNAが手を挙げ、球団名を「横浜モバゲーベイスターズ」にしようとしたり、GREEと提携している楽天TBS買収失敗の遺恨もあってかDeNAの参入に反対したりと色々と揉めたものの、最終的に「横浜DeNAベイスターズ」として球団売却が成立、承認された。

高田繁ゼネラルマネージャーに就任。尾監督契約を1年残して解任となり、工藤公康監督就任が決まりかけたが寸前でご破産。代わりに中畑清が新監督となった。

ハーパー、スレッジが退団、村田修一も身売り問題再燃に嫌気しFA宣言して読売ジャイアンツに移籍。また真田裕貴メジャー移籍をし退団。西武からトレードで後藤武敏を獲得。村田に代わるとして巨人を退団したアレックス・ラミレス、また村田人的補償藤井秀悟を獲得。過去にトレードで放出した鶴岡一成小池正晃FAで再獲得し、日本ハムを戦外になった林昌範菊地和正広島を退団したジオ・アルバラードを拾った。

なお、ドラフト会議の時点ではTBSにより球団が運営されており「横浜ベイスターズ」としては最後のドラフト出席となった。が、戦不足にあえぐチームにもかかわらず、何故か9人中8人が高校生という名内容には疑問が呈されたりした。(この辺りのTBS末期ドラフト戦略の迷走は、2014年オフの大量解雇という形で表面化する)

横浜DeNAベイスターズ時代

2012年(46勝85敗13分、6位 勝率.351) 監督:中畑清

熱いぜ!DeNA』をスローガンに始まった2012年

中村紀洋三浦大輔といったベテランが復活したが数打った外国人選手は悉く当たらず、前年終盤に期待を持たせた筒香嘉智国吉佑樹らの若手もイマイチ振るわず、結局、例年通り定位置である最下位に低迷。阪神タイガースの大失速もあって5位浮上の可性もあったが、浮上のチャンスを潰し、最下位のままシーズンを終えた。
三浦無援護で10勝を逃すなど、シーズンを通して見れば、スローガン通りに『熱いぜ!』であったのは中畑清監督ぐらいであった。
監督と会社が変わったぐらいで順位が上がるほど軽い暗ではなかった。 

しかし、監督の方が選手より立っていると金本知憲から苦言を呈されたり、東京ドームで1勝もできないという史上初の記録を作ってしまうなど相変わらずな部分もあったものの、三浦の通算150勝達成や山口の通算100セーブ達成を始め、2年荒波翔ゴールデンラブを受賞、高崎健太郎は自己最多の7勝を挙げ、国吉加賀美らも後半戦は活躍するなど明るい材料も多くあり、監督のおかげでチームの雰囲気が明るくなった、少なくともTBS時代よりはフロントやる気も感じられるとファンのムードは較的明るくなった感はある。

オフフロントは「言い訳の出来ない戦える」とし、実際に中日からトニ・ブランコエンジェルベルト・ソトホルヘ・ソーサ外国人トリオって強奪獲得。吉村裕基江尻慎太郎山本省吾をトレードで放出して、多村仁志吉川輝昭神内靖を獲得した。更にはMLBブルワーズから、青木宣親レギュラー定着により出場機会が減少しFAとなっていたナイジャー・モーガンを獲得。福留孝介斎藤隆の獲得にも乗り出したがこの二選手は獲得できずに終わった。

2013年(64勝79敗1分、5位 勝率.448) 監督:中畑清

チームスローガンが『勝(かつ)』められスタートした2013年シーズン
昨年度から話題となっていたチケット戦略はより一層強化され、VIP待遇での試合観戦を実現したファミチケ!100万VIPパック』B級グルメを楽しめる『食べて勝!B食祭』、某ドラマあやかった倍返し!チケット』などたくさんのキャンペーン企画・実施されメディアを賑わせた。
しかし今年度最もDeNAで話題となったのは、そうしたチケット戦略ではなくその試合内容であった。

特筆すべきは5月10日巨人戦(横浜)。
この日は先発高崎健太郎が滅多打ちにされ7回表終了時点で3-10にまで引き離されてしまう。
しかし7回裏、今シーズン古巣に復帰した多村仁志代打2ランホームランを皮切りに猛追を開始。高木マシソンを打ち崩し、なんとこの回一挙6得点。これに留まらず9回裏、金城ファーストゴロを巡って中監督の猛抗議の後、高城後藤が出塁。最後は代打出場の多村が守護西村ライトへのサヨナラ3ランホームランで粉砕。
7点差をひっくり返し、12-10で今シーズン初の巨人戦勝利を収めた(この試合はチーム内でも大きなターニングポイントとなったらしい)。

この試合だけに留まらず、8月20日阪神戦(横浜)・8月31日ヤクルト戦(宮)でも序盤に7点差以上の点差を付けられながら打撃の猛追で大逆転。プロ野球史上最多となる、1シーズン中3度の7点差以上逆転を記録した。

4番ブランコを軸に打線覚醒8月から驚異的な活躍を見せた梶谷隆幸らの活躍あって、セリーグ1位となる630得点を記録(チーム打率は.2621位タイする驚異の爆発を持つ打線を形成した。

一方の投手も通算3000投球回、500試合登板を達成した番長三浦大輔だけでなく、11年ぶりに投勝利を記録した藤井秀悟、今チーム最多となる17ホールドを記録し重な左の中継ぎとして奮闘した大原慎司シーズン中盤からクローザーに抜され19セーブをあげたソーサらが活躍。
これらの投手と驚異の打線が要所要所でガッチリかみ合い、4月途中での単独首位、更には2007年以来6年ぶりとなる間勝ち越し等を記録。最下位脱出どころか、シーズン終盤の9月中頃まで広島中日を相手にしいCS争いを繰り広げた。

こうした選手たちの戦いとフロントの営業努が実を結んだのか、横浜スタジアムの観客動員数は昨年度と22も増加ファンクラブ会員数は2.5倍キッズ会員に至ってはなんと3.5倍!)と驚異の集客率を達成。横浜スタジアムは例年にない活気に包まれた。

しかし外国人選手史上初の2000本安打を達成した後調子を崩したラミレスなど、一部の選手が成績を残せず、フロントシーズン途中で投手の補強を行ったが大きすぎるを埋めるまでには至らず、チーム総失点は686チーム防御率4.50と共にリーグ最下位を記録するなど炎上。打撃が得点しても投手が打ち込まれ負ける試合が多かった。
更に交流戦にはめっぽう弱く7勝17最下位。加えてオールスター後の9連敗、イベント『YOKOHAMA STAR NIGHT 2013』での三タテ、負けられない終盤の巨人戦で3連敗しCS絶望的になってしまうなど肝心な場面で勝ち切ることが出来ず、長年順位争いができなかったことがく結果になってしまった(この事は毎日新聞が掲載する『DeNA:ハマのたち・地元選手手記』において石川・荒波両選手がっている。)

阪神中日ヤクルトの三球団に勝ち越し、昨年とべて首位とのゲーム差を30ゲーム以上縮めるなど奮戦したが、最終的な成績は6479敗1分の5位。中監督の掲げるCS出場は果たせなかった。

Bクラスが確定となった阪神戦後、中監督は昨シーズン終戦に申し出たとおり辞意を表明したが、球団とファンの慰留により辞意を撤回。しかし代わりとして友利結コーチ高木豊コーチ波留敏夫コーチらが責任を取る形で退団した(球団は慰留したが、本人らが退団を申し出た)。

また小池正晃篠原貴行嶋村一輝内藤雄太牛田成樹ら五選手が引退を表明。小池篠原嶋村ら三選手はコーチに就任。二軍監督として皆にされた山下大輔フロントへと入閣した。

そしてオフフロント阪神タイガースからFA宣言していた久保康友オリックスから自由契約となっていたアーロム・バルディリス大リーグカブスなどでプレイしていた元巨人高橋尚成メジャー通算13勝のギジェルモ・モスコーソを獲得。さらに中日から戦外の柳田殖生佐藤祥万とのトレードで日本ハムから加藤政義を補強した。
一方で、細山田武史アレックス・ラミレス森本稀哲吉川輝昭ティム・コーコランらが戦外。ナイジャー・モーガン自由契約として退団。鶴岡一成久保の人的保障として阪神に移籍した。

2014年(67勝75敗2分、5位 勝率.472) 監督:中畑清

この年のチームスローガンは「」。

開幕からいつものまさかの大低迷。新戦高橋尚成は全く勝てず、抑えのソーサも去年とスライダーの制球に精を欠き打ち込まれる場面が増えてしまう。加えて去年も色々と劇場・炎上をやらかしてきた山口俊巨人戦にて1回で10点取られるという大炎上をやらかしてしまい(全てが彼の自責点ではないが)、過去クローザーの面影はなく、遂に二軍降格となった。
打線も去年の様には打てず、宮崎送球からを離して捕れなかったなど中監督就任前の様なベイスボールが次々と発動、結果4月7勝18敗と大きく負け越しベイスターズシーズンくも終戦となったと思われたが、2014年ベイスターズ5月からが違った。

GWになってから急に投打が噛み合い始め、新戦久保モスコーソが徐々に勝ちを上げ始める。
ヤクルト戦にてモスコーソの好投とバルディリスの2ランホームラン1安打だけで勝利するという記録勝利などで5月は13勝12敗と勝ち越すと、打線の起爆剤としてキューバからユリエスキ・グリエルが入団。未完の大器と呼ばれ続けた筒香も遂にブレークし、去年の様な大爆発とは違うものの打線が要所で活性化するようになる。

そして門であったセ・パ交流戦を迎えるが、そのタイミングで何とあの山口先発投手として復活を遂げる
リリーフだった頃がの様な山口ナイスピッチングもあり、13勝11敗とまさかの交流戦勝ち越しを決め、その後ヤクルトを抜いてから3位広島との差が現実的なものになるも一度失速してしまう。

後半戦に入って中日の失速もあり4位に上昇。秋の風物詩で低迷してきた阪神と3位を競うが、惜しくも球団初のCS出場を逃した。地の差か広島阪神に及ばなかった。終盤さらに低迷し、消化試合となってからではあるが中日には抜き返され2年連続の5位となった。
 
ちなみに9年ぶりに巨人に勝ち越した上に、5月からの勝敗が勝ち越しであり(一時期はなんと首位だった)、実に4月の低迷が悔やまれるシーズンとなった。
ちなみに、借が1桁台でシーズンを終えられたのは2007年以来の事だった。

そして去年の段階で「もう1年」という事であった中監督だったが、フロントは「来年こそ」と慰留。結果来期も揮を取る事が決まった。 「プロ野球監督は4年が集大成」と呼ばれる事もあり、来期の飛躍が望まれる。

オフトニ・ブランコエンジェルベルト・ソトが退団。金城龍彦コーチ就任(引退)を打診されるも拒否し、FA宣言で巨人に移籍する。中村紀洋に戦外通告(のち引退)。ほか藤井秀悟ホルヘ・ソーサら13人もの投手を戦外にするなど、偏り気味な戦の整理が進んだ。元巨人ホセ・ロペス岡島秀樹東野峻を獲得した。

2015年(62勝80敗1分、6位 勝率.437) 監督:中畑清

この年のチームスローガンは「」。

開幕後にグリエルが来日を拒否し退団したり貯を作ったと思ったら7連敗するという波乱の幕開けとなったが、そこから打線中継ぎが好調になり開幕ダッシュに成功。2007年以来8年ぶりの横浜スタジアム7連勝も達成し、セ・リーグ20勝一番乗り。2014年とは違うベイスターズクライマックスシリーズ出場どころか、優勝を期待させる戦いぶりだった。

ところが悪夢は待っていた。セ・パ交流戦に入ると失速。この年のセ・リーグパ・リーグに大きく負け越したが、中でもベイスターズは10連敗(引き分けを挟むと実に12連敗)を喫し、交流戦は最下位に大きく低迷した。しかしそれでもセ界恐慌の影か、幸い2位に留まった。

前半戦の終盤に勢いを取り戻し、最後のカードとなった首位巨人に連勝し、前半戦を勝率5割の首位で終える。

しかし夢を見ることが出来たのは前半戦までだった

後半戦はリーグ戦再開2日で4位に転落すると、7月29日に5位に転落。そこから借を積み重ね、8月11日に自優勝が消滅。8月27日には最下位に転落した。9月16日には14年連続負け越しが決定した。
終戦10月3日、引き分け以上で5位浮上となる可性があった巨人戦に5-7で敗戦、最下位が確定した。

なお、前半戦首位ターンしたチームが最終で最下位に転落するのは球史初である。

また、15年シーズンの最大貯5月16日の11だったのだが、これはセ・リーグ全体で見ても10月3日ヤクルトと並んで最大の貯である。最下位チームリーグ最大の貯を稼いだことがあったという非常にしい事態となった。

打線梶谷隆幸場に失速し前年より成績を若干落とすものの得点打率はリーグトップ筒香嘉智も故障で途中離脱するものの結果として前年を上回る成績を残した。オフに補強したホセ・ロペスシーズン通してクリーンナップとして活躍、守備面での貢献度も高かった。
軸以外でも前半戦は日替わりでヒーローが現れ、後半戦は倉本寿彦嶺井博希白崎浩之らが重用された。

投手は昨シーズン 抑えを務めた三上朋也キャンプから離脱(終盤にセットアッパーとして復帰)するものの、開幕直前に新人の山崎康晃を急遽守護に抜。これが大当たりし最終的に新人 セーブ記録を大幅に上回る37セーブを記録、オールスターにもファン投票で選出された。9回のリード時は横浜の応援席からゾンビネーションがこだました。
それに対し先発は昨シーズンチーム最多勝の久保康友は隔年不調に陥り、ギジェルモ・モスコーソは序盤は安定感があったものの怪をして以降別人の様な不安定さを露呈。
シーズン開始前に沢村賞標にあげた山口俊は一時期奪三振トップに踊り出るも四球死球をも連発し1年前の状態に逆戻り。井納翔一は毎回イニングを稼ぐ投を魅せるものの相手のエース級にぶつかる事が多くムエンゴと、ローテーションの柱とされた投手が軒並み大崩壊し規定投球回到達者なしという有様。高崎健太郎二軍降格者も続出し、結局41歳であった三浦大輔がローテーションを守らなければならない事態になってしまった。
ドラフト2位石田健大、昨年の育成ドラフト1位砂田毅樹の両若手左腕が、後半戦にローテーションに定着した点が収穫だった。
また、この年は守備のエラー、とりわけ捕手の後逸投手の暴投もだが)が立った。大事なところでピンチを広げ自滅、というパターンでズルズルと順位を下げて行ってしまった感が大きい。
投手コントロールミス黒羽根ら捕手の技術不足が第一だが、被本塁打の多さから外低め中心の配球を取ったため、余計に投手が投げ難くなったのが原因とも言われる。

シーズン後半の失速、最下位の責任を取り中監督はこのシーズンを持って辞任。後任はアレックス・ラミレスロバート・ローズ原辰徳トレイ・ヒルマン等様々な名前が挙がったが最終的にアレックス・ラミレスに落ち着いた。
また、高橋尚成加藤政義らが結果を残せず引退多村仁志アーロム・バルディリス自由契約大田阿斗里東野峻岡島秀樹加賀美希昇らが戦外となった。補強では久保裕也(元巨人)、根尚(元ソフトバンク)を獲得した。

過去の戦績









大洋ホエールズ(下関時代)
1950年 渡辺大陸 5 140 69 68 3 .504
1951年 中島治康
有馬義一
6 108 40 64 4 .385
1952年 小西得郎 4 120 58 62 0 .483
大洋松竹ロビンス
1953年 小西得郎 5 130 52 77 1 .403
洋松ロビンス
1954年 永沢武夫 6 130 32 96 2 .250
大洋ホエールズ川崎時代)
1955年 藤井 6 130 31 99 0 .238
1956年 6 130 43 87 0 .331
1957年 6 130 52 74 4 .415
1958年 6 130 51 73 6 .415
1959年 茂雄 6 130 49 77 4 .392
1960年 三原 1 130 70 56 4 .554
1961年 6 130 50 75 5 .404
1962年 2 134 71 59 4 .546
1963年 5 140 59 79 2 .428
1964年 2 140 80 58 2 .580
1965年 4 140 68 70 2 .493
1966年 5 130 52 78 0 .400
1967年 4 135 59 71 5 .454
1968年 別当薫 5 133 59 71 3 .454
1969年 3 130 61 61 8 .500
1970年 3 130 69 57 4 .548
1971年 3 130 61 59 10 .508
1972年 5 130 57 69 4 .452
1973年 青田 5 130 60 64 6 .484
1974年 宮崎 5 130 55 69 6 .444
1975年 秋山 5 130 51 69 10 .425
1976年 6 130 45 78 7 .366
1977年 別当薫 6 130 51 68 11 .429
横浜大洋ホエールズ
1978年 別当薫 4 130 64 57 9 .529
1979年 2 130 59 54 17 .522
1980年 土井 4 130 59 62 9 .488
1981年 6 130 42 80 8 .344
1982年 関根潤三 5 130 53 65 12 .449
1983年 3 130 61 61 8 .500
1984年 6 130 46 77 7 .374
1985年 近藤貞雄 4 130 57 61 12 .483
1986年 4 130 56 69 5 .448
1987年 古葉竹識 5 130 56 68 6 .452
1988年 4 130 59 67 4 .468
1989年 6 130 47 80 3 .370
1990年 須藤 3 133 64 66 3 .492
1991年 5 131 64 66 1 .492
1992年 須藤
5 131 61 69 1 .469
横浜ベイスターズ(マルハ時代)
1993年 近藤昭仁 5 130 57 73 0 .438
1994年 6 130 61 69 0 .469
1995年 4 130 66 64 0 .508
1996年 大矢明彦 5 130 55 75 0 .423
1997年 2 135 72 63 0 .533
1998年 権藤博 1 136 79 56 1 .585
1999年 3 135 71 64 0 .526
2000年 3 136 69 66 1 .511
2001年 森祇晶 3 140 69 67 4 .507
横浜ベイスターズTBS時代)
2002年 森祇晶 6 140 49 86 5 .363
2003年 山下大輔 6 140 45 94 1 .324
2004年 6 138 59 76 3 .437
2005年 牛島和彦 3 146 69 70 7 .496
2006年 6 146 58 84 4 .408
2007年 大矢明彦 4 144 71 72 1 .497
2008年 6 144 48 94 2 .338
2009年 6 144 51 93 0 .354
2010年 尾花高夫 6 144 48 95 1 .336
2011年 6 144 47 86 11 .353
横浜DeNAベイスターズ
2012年 中畑清 6 144 46 85 13 .351
2013年 5 144 64 79 1 .448
2014年 5 144 67 75 2 .472
2015年 6 143 62 80 1 .437
通算:66年 8822 3786 4756 280 .443

順位

シーズン最高成績(チーム)

シーズン最低成績(チーム)

シーズン選手最高成績(野手)

シーズン選手最高成績(投手)

所属選手・関係者

2016年5月26日更新
太字は記事のある者

首脳陣

一軍 二軍・育成

所属選手

※トレード、自由契約などの異動については、NPB公示があるまで編集しないでください。

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ページ番号: 323486 リビジョン番号: 2388067
読み:ヨコハマディーエヌエーベイスターズ
初版作成日: 08/07/06 21:29 ◆ 最終更新日: 16/07/28 00:38
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モバゲイスターズ

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横浜DeNAベイスターズについて語るスレ

3275 : ななしのよっしん :2016/06/13(月) 08:10:19 ID: 1Mr28vbGeA
こっちも勢いあるとはいえ明日からのハム戦も結構怖いなぁ
チームの)HRリーグ2位&打率・盗塁数リーグ1位の打撃に
多分カードの初戦は防御率パ・リーグ1位の有原だろうし

DHないから代打大谷が出てくる可性も十分ありうる
3276 : ななしのよっしん :2016/06/13(月) 18:09:05 ID: qznrGAYG4w
楽天は行けるとか思ってたけど、最近ルーキーや若手が躍動してるんだよなぁ、実際セ相手に3カード連続勝ち越しだろ?油断できねぇわ。
3277 : ななしのよっしん :2016/06/18(土) 17:18:23 ID: R/aiosDeUZ
マックと言う置物いらないからポイ
3278 : ななしのよっしん :2016/07/07(木) 21:42:34 ID: M2lkjSlfj+
ニコ生アナウンサーの人物一覧欲しいな…
3279 : ななしのよっしん :2016/07/14(木) 00:47:33 ID: qtZBZNMEpz
途中から入ったら今日実況かわからんことあるからね
昨日(7/13)の実況は良かった
3280 : ななしのよっしん :2016/07/17(日) 16:09:08 ID: swVn6tYO0u
マック(二軍) .248 35試合 135打席109打数27安打 7HR 打点22
いけるやん!


三振 36
3281 : ななしのよっしん :2016/07/18(月) 09:39:17 ID: X5P3F1ZWX/
先発がだんだん燃えだしてる&欠けだしてるのが気になるところ。せっかく打線がピースいだしてるのに。
勝負どころのを生き残ってAクラスを経験しないと最後は落ちるパターンの繰り返しが起きそうで怖い。若手が多く構成されてるチーム故の弱点なんだろうけども・・・。
3282 : ななしのよっしん :2016/07/23(土) 23:00:21 ID: P5iE8u4P+U
>>3281
こういう時、山口とかが投してくれるといいんだけどねぇ
3283 : ななしのよっしん :2016/07/28(木) 12:58:17 ID: blcA9sbw+x
エリアンエレラエリアンエレラたったたらりら~♪やぞ
3284 : ななしのよっしん :2016/07/29(金) 21:19:04 ID: tKZc8WxFiO
筒香すげー
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