概要
父親が茨城県相撲連盟理事長という家庭に生まれ、幼い頃から相撲の手ほどきを受ける。
畳二畳分の食事が用意され全て食べ切らないと学校に行かせてもらえない、タイヤを積み重ねた「ぶちかましマシーン」なるもので稽古を課せられるなど、「相撲版・巨人の星」とまで言われた厳しい環境で鍛えられる。その甲斐あって高校3年時には高校横綱を、大学3年時にはアマチュア横綱を獲得する。
「プロ入りはアマ横綱か学生横綱になってから」と父親と約束しており、それを果たしたので1993年に大学を中退し武蔵川部屋へ入門。学生時代の実績により幕下付出で初土俵。
2場所連続で7戦全勝し、わずか2場所で十両昇進。その十両も2場所で通過し、1993年9月には新入幕。昇進が早すぎて大銀杏が結えず、この時はまだ丁髷で本場所に出場していた。そのスピード出世から「平成の怪物」との異名を取った。1994年1月には初対戦で横綱曙を下し殊勲賞を獲得。曙や若貴の新たなる好敵手として期待を集めた。
その後幾度となく二桁勝利を挙げ常に大関昇進を期待されていたが、当時は曙に若貴、武蔵丸、貴ノ浪といった強豪がひしめいており、なかなか昇進を決定づける事は出来ず、大関昇進は遅れて台頭してきた千代大海に先を越されることになる。なお同時代に前後して大関になった千代大海との取り組みの多くは壮絶な突っ張り合戦になる事が多く、意地と意地がぶつかり合う名勝負と言われた。2000年1月に関脇で初優勝、翌3月も12勝を挙げようやく大関に推挙される。
しかし大関昇進後は怪我に苦しめられ、大関昇進後は2001年3月の12勝3敗での優勝次点が最高成績であった。
2004年11月に引退。2010年には師匠武蔵川から引き継ぐ形で藤島部屋の師匠となった。
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