武術とは、素手もしくは武器を用いた戦闘技術体系を指す言葉である。対人間を想定したものを指し、人間以外の動物を対象に発達した戦闘術は、通常武術とは呼ばない。日本では水術や馬術、砲術などの軍事的技能全般を指す場合もある。
概要
武術と言うと一般的に日本の古武術や中国武術をはじめ、インドの「カラリパヤット」やフィリピンの「エスクリマ」など、ある程度の歴史を持った伝統武術に対して使われることが多い。しかしロシアの「システマ」やイスラエルの「クラヴ・マガ」などの第二次大戦後に成立した格闘術に対しても使われることもある。基本的には実戦(護身)を想定し、試合などが競技化されていない格闘術の事を指す。
そもそも「武」とは?
「武」は、「戈(ほこ)」と「止」をあわせたもの(会意文字)である。
そこで、「武術の武という文字は『戈(ほこ)』を『止』めると書いて武となる。つまり武術とは争いを止めることを目的としたもので争うことを目的としたものではない。」という説がとなえられることがあるが、これは俗説。
たしかに「武」と言う漢字の部首は「止」(とめへん)であるが、「止」の本来の意味は「とまる」だけではなく、「すすむ」という意味も含んだ広いものである。この文字に関しては「『武』と言う漢字は『戈』を持って歩くさまを表したものである」という見解が一般的である。
※ただし、漢字・漢和辞典によっては前者の意を採用しているものもあり、研究者や参照文献によってブレがある。
武術史
とりあえず武術の歴史について大雑把に語ってみようかなー、と思って本項を用意した。
人類の戦闘法
人間の戦闘技術について特徴的なのは、より遠距離からの攻撃を可能とした点にある。生来の武器としての牙と爪を喪失した人間は、対価として「殴打」という独特の戦闘手段を手に入れた。武器による「打撃」「斬撃」「刺突」「射撃」「投擲」などは全てここからの進化と言ってよく、ここに人類繁栄の要因の一つがある。
腕による「殴打」は、相手を自分からより遠ざける方向に作用する。
これこそが人類の戦闘に対するスタンスを決定付けたと言われている。牙や爪を持つ肉食獣は、相手を引き寄せて喉笛に喰らいつくことで決着をつける。角を持つ草食獣は、体当たりによって自ら相手に飛び込むことが必要になる。馬やキリンは蹴りを用いるが、如何せん四足歩行、それも蹄ではそれ以上の進化は不可能だった。
「相手の攻撃が届かない位置から一方的に攻撃したい」というあまりにも都合の良い発想を得た人類は、武器を発達させることで自己の攻撃範囲を広げていった。この流れは現在まで受け継がれ、弾道ミサイルという形に結実している。また戦闘が長射程化していくにつれて戦闘時に思考する余裕が生まれ、ここに思考の武器化が完成する。即ち「戦術」である。
武術の意義
戦争の長射程化、重武装化が進行する一方で、素手や携行可能な小型武器による格闘術の需要は根強く残り続けた。戦いは戦場で起きるのみにあらず。素手であっても最低限の戦闘力を保持している必要があった。また、国や地域によっては射撃武器の運用に問題があるなど、地形や気候、技術的な理由で接近戦技術が発達したケースもある。
武術の発達(近世~近代)
近世以降には、国の支配体制が強化され、個人の武器携行が規制されるケースが増えてきた。同時に列強により植民地化が推し進められた。現在普及している武術や格闘技はこの時代に洗練されたものが多い。日本においては江戸時代、太平の世の中で剣術や柔術が発達した。特に柔術は、『殿中武術』などの特殊な状況下を想定した技法まで発達している。琉球では薩摩と清の二重支配下で空手が伝承された。黒人奴隷の間で修練されたというカポエラは、彼らにとって精神的支柱となった。中国においても、現在まで残る有名門派の多くは近世以降の成立である。
一方欧米では、近代以降拳銃が普及したためか古くからの武術は衰退を始めたが、逆にルールを整備し競技化することで現在まで続く優れた格闘技が誕生した。状況やルールの縛りの中で技術が進化するのは、どうやら普遍的な現象のようだ。
武術の発達(第二次大戦後)
世界の武術史を紐解く時、第二次大戦は大きな転機となったといっていい。この大戦を通じて、有名なフェアバーン・システムが連合国の間で流行した。フェアバーン・システムとはなにか知らない人も、現代軍隊格闘術の祖にしてCQCの先駆けだといえば、理解していただけるだろう。
第二次大戦後も、世界の武術は進化を続けていった。冷戦による軍備拡張は必然的に格闘術の研究も推し進め、またテロリストに対抗するために近接戦闘術が必要とされるようになった。ここからイスラエルのクラヴ・マガが国外に普及したり、ソ連でシステマなどの各種格闘術が発展していったりという流れが起きた。ちなみに日本では、合気道と日本拳法を元に自衛隊徒手格闘がひっそり成立してもいる。
また、飛行機の発達により海外への移動が容易になると、中国や日本からより大勢の武術家が海外へと進出していくようになった。彼らは伝統的な武術を欧米に輸出し、他流との交流などを通じて技術を発展させていった。こうして発展していった物の中でも特に有名な物に、ブルース・リーのジークンドーなどがある。
ついでにその後興行としての格闘技が流行し、ルールごとの技術の取捨選択も行われたようだが、このあたりは詳しくないので詳しい人の補足を待つことにしたい。
武術の現在
世界的に見るならば、未だ武術の存在意義は失われてはいない。軍人をはじめ戦闘を生業とする人間は数多く、治安の悪い地域も無数に存在する。先進国であっても(むしろ裕福であるからこそ)、護身のために武術を習いたいという人間は多い。金持ちならば必要ないのではないかと思われるかもしれないが、現在でも中世騎士道を継承している欧米では、上流階級こそ肉体鍛錬を重んじている。肉食と運動による恵まれた体格が、植民地支配の際に物を言ったという話もある。当時のアジア・アフリカ人は痩せてただろうしね。
対して日本においては、武術の社会的意義は失われたと言われて久しい。治安の良い日本では戦うための技法は必要がない、というのが世間一般の見解である。むしろ武術だの武道だのやっていると周囲から引かれることも多い。まして本気で殺人技術とか研究したりすると、完全に危険人物扱いされる。「腎臓は刺したら死ぬ。喉(気管)は突いても実は死なない」とか語って引かれた経験のある方もいるだろう。人間がどうなったら死ぬのか、知っておいても損はないのだが。
もっとも、柔道や剣道などの現代武道はまだマシである。彼らは自らの社会的意義を求めて奔走した。お陰で割と周囲に受け入れられることも多い。対して古武術はそういった社会的な活動を殆ど行ってこなかった。というか古武術家自身が「人殺しの技術など失伝してしまえ」だの、「真の武術家はもう現れないだろう」とか思っていたフシもあり、平成に入る頃には、かなりの数の流派が失われてしまっていた。この頃にはもはや古武術など、「骨董品」「使えるのかよwww」という扱いであり、現代武道家からも「もはや見る所なし」とまで言われる有様だった。
そんな武術にとっては暗黒時代と言ってよい現代日本だが、現在では多少状況も変わってきている。古武術研究家、身体運動研究家とかいう人達が評価され始めたのだった。彼らは言った。「かつての日本人は現代人とは異なる体の動かし方で、圧倒的なパフォーマンスを得ていた」「彼らの身体技法は、古武術の中に残されている」。どうやら頑なに古伝を守り続けた偏屈な人たちの努力が実を結ぶ時代が来たらしい。
現に、介護分野やスポーツへの応用利用など、体の使い方として広まる動きもあるようだ。
温故知新、古の日本の知恵と技術が後世に活かされるよう祈って、本項を終える。
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